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第九章
脱出と帰還
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フェブの部屋の天窓に取り付いたまま待つこと2時間余り――
ふたりが連れ立って退室したことを確認し、ようやく一息吐くことができた。
ずっと蛙のような姿勢のままで長時間を過ごし、すっかり身体が固まってしまった。
途中で何度か離れようと思ったのだが、隙を窺おうと部屋にいた騎士ふうの男を確認するたび、なにやら独特の存在感を覚えて動きを躊躇い、断念せざるを得なかった。
あれが騎士の纏う風格というものかもしれない。
もしや頭上に潜む賊の存在に気づき、威嚇されていたのかも――とは考えすぎだと信じたい。
立ち上がって腰を伸ばすことはできないので、四つん這いのまま動かせる範囲でできるだけストレッチをして、身体の節々を解した。
(それにしても……盗み聞きするつもりはなかったけど、魔族かぁ……)
ラスクラウドゥさんを筆頭とする魔族が一枚岩でないのは知っている。
先のカルディナ襲撃の際のカストゥラとかいう中級魔族がいい例だ。
最近でもまた噂話に小規模ながら、各地で暗躍する魔族の存在は聞き及んでいた。実際に襲われた村があることも。
正直なところ、カルディナの街での一件を体験したとはいえ、喉下過ぎればなんとやら、魔族のことは対岸の火事か外国のニュースくらいの印象しかなかった。
だから、常日頃から危険に備えているかと問われるとそうではない。
反省すべき点ではあるだろうが、平和な日常の中にいてはどうしてもそういった感覚が鈍ってくる。
それだけに、眼下で交わされていた生々しい話が衝撃的だった。
家に戻ったら、叔父にも相談しておいたほうがいいかもしれない。
そのためにも、今は脱出が先決だろう。
フェブが部屋に残ってくれるとありがたかったのだが、叶わないどころか帰ってくる気配もない。
退室する足元がふらついていたので、どうにも眠そうに見えたのだが、もしかしたら正式な寝室はまた別の部屋なのかもしれない。
天はまだ無様なヤモリ姿をご所望らしい。
(よし、少しはマシになった。行くか!)
入念にストレッチを済ませて、気合を入れる。
不幸中の幸いというか、それ以降は特に問題もなく、屋根伝いに城の敷地外まで脱出することができた。
夜闇に浮かぶ城のシルエットの端に、囚われていた尖塔が見える。
直線距離なら大したことないが、ずいぶん苦労したものだ。
ここからは地続きの建物がないため、地面を歩くことになる。
夜道でも星明かりで移動しやすいが、同時に発見されやすい懸念もある。
物陰から物陰へ、細心の注意を払いながら進むことにした。
ただし、結果的には杞憂に終わった。
城郭都市ということもあり、そもそも都市内での警戒心は薄いらしい。
あって、たまに巡回する兵士の掲げるランプの明かりが見える程度、それだけだ。
特に貴族の居住区は楽だった。
貴族というと、夜な夜な開かれる社交界で享楽に更けるイメージだったが、意外に健康的な生活で夜に起きている習慣がないらしい。
窓の明かりが灯っている屋敷はほとんどなく、人通りもまったくない。
そのおかげもあって、風の精霊さんにより足音も隠されている俺の存在に気づく者はいなかった。
最後の関門である貴族と一般市民の居住区を隔てる石壁も、飛ぶ相手には意味を成さない。
これまた精霊さんの力を借りて、夜の闇に紛れて難なく乗り越えられた。
そこから先はまだ人通りがあったため、何食わぬ顔で人混みに紛れ込むことができた。
都市入り口近くの商工業区まで戻ってくると、それまでとは打って変わり、市街は夜間にもかかわらず実に賑やかなものだった。
特に裏通りが繁盛しているようで、まだまだ宵の口とばかりに喧騒が響いている。
とりあえず夜を明かすため、呼び込みの声をかわしつつ、少しでも馴染みのある『夕霧の宿屋』へと向かうことにした。
今朝方、ペシルとパニムの双子はカルディナの街に戻ったそうなので会うことはないだろうが、なにせ城で荷物を取られたままだ。
リュックの中には財布も一緒で――つまり現状で金がない。
双子の顔見知りを盾に取り、恥を忍んでツケにしてもらう気満々だった。我ながら情けないが仕方もない。
目的の宿屋に着き、開き直って扉を潜ると――
「ようこそ、夕霧の宿屋へ!」
「ようこそ、双子の宿屋へ!」
「「いらっしゃいませー!」」
出迎えたのは陽気な双子。
ツインテールに膝まであるチェニックと格好は異なるものの、昨夜の焼き増しとばかりの光景だった。
正直なところ否定しつつも、何故だかいるような気はしていたのだが、まさか本当にいるとは。
「やや、またアキトだー」
「ほんとだアキトだ、昨夜ぶりー」
「「お客だったらアキトでも大歓迎さ!」」
(でも、ってどういう意味だろう……)
双子にわいわいと両脇から挟まれる。
ふたりを見下ろしていると、どこがどうとはいえないが、また昨夜のような違和感を感じた。これはいったいなんだろう?
それより今は、双子に告げないといけないことがある。
どんな反応があるか、半ば予想できるだけに恐ろしい。
「あの~……ごめん、今日はお金ないんだけど」
「……」
「……」
「「…………」」
うん、おかしい表現だけど、双子の冷たい視線が熱かった。
「でも、アキトって領主のお城に行ったんじゃないのー?」
「そうだよ、普通はお土産いっぱいのはずでしょー?」
「なのに、なんでお金がなくなるの?」
「普通は逆じゃないのー?」
「これはあれだね」
「あれかも」
「「犯罪的なことして捕まっちゃってたとか!」」
実際、それに近いだけに反論できない。
どう説明したものか口ごもっていると、顔を見合わせた双子に、問答無用で昨日の別室に連行された。
「言い逃れはできないよー?」
「無駄な抵抗だよー?」
「「さあ、吐けや」」
「わかりました……」
気分的には刑事ドラマの取調室のようだ。
もちろん、双子が刑事で、俺が容疑者役なんだけど。
こうなっては、言い逃れしようにも許してもらなさそうなので、これまでの経緯を掻い摘んで話すことにした。
「――というわけで、逃げてきたんだけど」
説明し終わると、またもや顔を見合わせた双子はこちらに背を向けてしゃがみ込み、なにやら密談を始めた。
「……まずいねー」
「……まずいよね」
そんな言葉が聞こえてきたので、俺も同じようにしゃがんで輪に加わり、つい口を挟んでしまった。
「やっぱり、勝手に抜け出てきたのは、まずかったかな……?」
じろりと振り向いた双子の半眼が怖い。
まったく同じタイミングで、双子がゆらりと立ち上がる。
双子は年相応に小柄で、身長は俺の胸までもないが、見上げた双子はやたらと大きく感じられた。
「戻ったほうがいいんじゃないかな?」
「戻ったほうがいいと思うよ?」
「「ってか、さっさと戻れ!」」
「ええー!?」
怒涛の横綱張りの連続突っ張りを喰らい、宿屋の入り口まで押し戻されると、とどめに左右から尻を蹴られて追い出されてしまった。
「戻れって、今から……? あの牢屋に……?」
路上に投げ出された格好のまま、呆然と呟くしかない。
夜間には都市の跳ね橋が上げられており、外にも出れない。
先立つものがない今、こうなっては行く当てがない。
皮肉にも、夜空の彼方に星明りに浮かぶ城の尖塔が見える。
今から城に戻るのは危険だし、時間もかかる。
わざわざそんなことをするメリットがない。
そもそも双子の言い分を鵜呑みにする必要もない。
ないのだが――
心中で反論しつつも、いつしか必死に来た道を戻っていた。
確たる理由があってのことではなく、今更ながらそっちのほうがいいと何故か思えて仕方がなかった。
戻りの行程は行きに比べてはるかに険しく、来たときの倍の時間がかかったが――なんとか日付が変わる前までには尖塔に辿り着き、疲れ果ててそのままベッドに倒れ込んで寝てしまったのだった。
ふたりが連れ立って退室したことを確認し、ようやく一息吐くことができた。
ずっと蛙のような姿勢のままで長時間を過ごし、すっかり身体が固まってしまった。
途中で何度か離れようと思ったのだが、隙を窺おうと部屋にいた騎士ふうの男を確認するたび、なにやら独特の存在感を覚えて動きを躊躇い、断念せざるを得なかった。
あれが騎士の纏う風格というものかもしれない。
もしや頭上に潜む賊の存在に気づき、威嚇されていたのかも――とは考えすぎだと信じたい。
立ち上がって腰を伸ばすことはできないので、四つん這いのまま動かせる範囲でできるだけストレッチをして、身体の節々を解した。
(それにしても……盗み聞きするつもりはなかったけど、魔族かぁ……)
ラスクラウドゥさんを筆頭とする魔族が一枚岩でないのは知っている。
先のカルディナ襲撃の際のカストゥラとかいう中級魔族がいい例だ。
最近でもまた噂話に小規模ながら、各地で暗躍する魔族の存在は聞き及んでいた。実際に襲われた村があることも。
正直なところ、カルディナの街での一件を体験したとはいえ、喉下過ぎればなんとやら、魔族のことは対岸の火事か外国のニュースくらいの印象しかなかった。
だから、常日頃から危険に備えているかと問われるとそうではない。
反省すべき点ではあるだろうが、平和な日常の中にいてはどうしてもそういった感覚が鈍ってくる。
それだけに、眼下で交わされていた生々しい話が衝撃的だった。
家に戻ったら、叔父にも相談しておいたほうがいいかもしれない。
そのためにも、今は脱出が先決だろう。
フェブが部屋に残ってくれるとありがたかったのだが、叶わないどころか帰ってくる気配もない。
退室する足元がふらついていたので、どうにも眠そうに見えたのだが、もしかしたら正式な寝室はまた別の部屋なのかもしれない。
天はまだ無様なヤモリ姿をご所望らしい。
(よし、少しはマシになった。行くか!)
入念にストレッチを済ませて、気合を入れる。
不幸中の幸いというか、それ以降は特に問題もなく、屋根伝いに城の敷地外まで脱出することができた。
夜闇に浮かぶ城のシルエットの端に、囚われていた尖塔が見える。
直線距離なら大したことないが、ずいぶん苦労したものだ。
ここからは地続きの建物がないため、地面を歩くことになる。
夜道でも星明かりで移動しやすいが、同時に発見されやすい懸念もある。
物陰から物陰へ、細心の注意を払いながら進むことにした。
ただし、結果的には杞憂に終わった。
城郭都市ということもあり、そもそも都市内での警戒心は薄いらしい。
あって、たまに巡回する兵士の掲げるランプの明かりが見える程度、それだけだ。
特に貴族の居住区は楽だった。
貴族というと、夜な夜な開かれる社交界で享楽に更けるイメージだったが、意外に健康的な生活で夜に起きている習慣がないらしい。
窓の明かりが灯っている屋敷はほとんどなく、人通りもまったくない。
そのおかげもあって、風の精霊さんにより足音も隠されている俺の存在に気づく者はいなかった。
最後の関門である貴族と一般市民の居住区を隔てる石壁も、飛ぶ相手には意味を成さない。
これまた精霊さんの力を借りて、夜の闇に紛れて難なく乗り越えられた。
そこから先はまだ人通りがあったため、何食わぬ顔で人混みに紛れ込むことができた。
都市入り口近くの商工業区まで戻ってくると、それまでとは打って変わり、市街は夜間にもかかわらず実に賑やかなものだった。
特に裏通りが繁盛しているようで、まだまだ宵の口とばかりに喧騒が響いている。
とりあえず夜を明かすため、呼び込みの声をかわしつつ、少しでも馴染みのある『夕霧の宿屋』へと向かうことにした。
今朝方、ペシルとパニムの双子はカルディナの街に戻ったそうなので会うことはないだろうが、なにせ城で荷物を取られたままだ。
リュックの中には財布も一緒で――つまり現状で金がない。
双子の顔見知りを盾に取り、恥を忍んでツケにしてもらう気満々だった。我ながら情けないが仕方もない。
目的の宿屋に着き、開き直って扉を潜ると――
「ようこそ、夕霧の宿屋へ!」
「ようこそ、双子の宿屋へ!」
「「いらっしゃいませー!」」
出迎えたのは陽気な双子。
ツインテールに膝まであるチェニックと格好は異なるものの、昨夜の焼き増しとばかりの光景だった。
正直なところ否定しつつも、何故だかいるような気はしていたのだが、まさか本当にいるとは。
「やや、またアキトだー」
「ほんとだアキトだ、昨夜ぶりー」
「「お客だったらアキトでも大歓迎さ!」」
(でも、ってどういう意味だろう……)
双子にわいわいと両脇から挟まれる。
ふたりを見下ろしていると、どこがどうとはいえないが、また昨夜のような違和感を感じた。これはいったいなんだろう?
それより今は、双子に告げないといけないことがある。
どんな反応があるか、半ば予想できるだけに恐ろしい。
「あの~……ごめん、今日はお金ないんだけど」
「……」
「……」
「「…………」」
うん、おかしい表現だけど、双子の冷たい視線が熱かった。
「でも、アキトって領主のお城に行ったんじゃないのー?」
「そうだよ、普通はお土産いっぱいのはずでしょー?」
「なのに、なんでお金がなくなるの?」
「普通は逆じゃないのー?」
「これはあれだね」
「あれかも」
「「犯罪的なことして捕まっちゃってたとか!」」
実際、それに近いだけに反論できない。
どう説明したものか口ごもっていると、顔を見合わせた双子に、問答無用で昨日の別室に連行された。
「言い逃れはできないよー?」
「無駄な抵抗だよー?」
「「さあ、吐けや」」
「わかりました……」
気分的には刑事ドラマの取調室のようだ。
もちろん、双子が刑事で、俺が容疑者役なんだけど。
こうなっては、言い逃れしようにも許してもらなさそうなので、これまでの経緯を掻い摘んで話すことにした。
「――というわけで、逃げてきたんだけど」
説明し終わると、またもや顔を見合わせた双子はこちらに背を向けてしゃがみ込み、なにやら密談を始めた。
「……まずいねー」
「……まずいよね」
そんな言葉が聞こえてきたので、俺も同じようにしゃがんで輪に加わり、つい口を挟んでしまった。
「やっぱり、勝手に抜け出てきたのは、まずかったかな……?」
じろりと振り向いた双子の半眼が怖い。
まったく同じタイミングで、双子がゆらりと立ち上がる。
双子は年相応に小柄で、身長は俺の胸までもないが、見上げた双子はやたらと大きく感じられた。
「戻ったほうがいいんじゃないかな?」
「戻ったほうがいいと思うよ?」
「「ってか、さっさと戻れ!」」
「ええー!?」
怒涛の横綱張りの連続突っ張りを喰らい、宿屋の入り口まで押し戻されると、とどめに左右から尻を蹴られて追い出されてしまった。
「戻れって、今から……? あの牢屋に……?」
路上に投げ出された格好のまま、呆然と呟くしかない。
夜間には都市の跳ね橋が上げられており、外にも出れない。
先立つものがない今、こうなっては行く当てがない。
皮肉にも、夜空の彼方に星明りに浮かぶ城の尖塔が見える。
今から城に戻るのは危険だし、時間もかかる。
わざわざそんなことをするメリットがない。
そもそも双子の言い分を鵜呑みにする必要もない。
ないのだが――
心中で反論しつつも、いつしか必死に来た道を戻っていた。
確たる理由があってのことではなく、今更ながらそっちのほうがいいと何故か思えて仕方がなかった。
戻りの行程は行きに比べてはるかに険しく、来たときの倍の時間がかかったが――なんとか日付が変わる前までには尖塔に辿り着き、疲れ果ててそのままベッドに倒れ込んで寝てしまったのだった。
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