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第七章
帰路
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5歳の誕生日が目前に迫る少年は、鬱蒼とした道をひとりとぼとぼ歩いていた。
心細さに足が竦むが、引き返すわけにもいかなかった。
妹が生まれてから1年余り。
歩きも達者になってきた妹は、しょっちゅう少年の後ろを「にーちゃ、にーちゃ」と言っては付いて回る。
妹になにかあったらボクのせい、妹が泣いてもボクのせい。
周りの大人たちは、二言目には「おにーちゃんだから我慢しなさい」との決まり文句。
妹が生まれるまでは、なにに於いても主役だった少年にとっては面白くない。
もう一緒にはいたくないが、妹はどこにでも付いてこようとする。
少年ながらに思い悩み、だったら妹が付いてこれない場所だったら、との結論に至った。
家族で遊びにきた祖父母の家。
少年は着いて早々、近所の裏山に繰り出した。
案の定、妹も付いてこようとしたが、道は山道で歩きに慣れていないと付いてこれるはずもない。
立ち止まって泣く妹に心がちょっぴり痛んだが、ボクがなにかをしたわけじゃない、これは仕方のないことだ、と自分を納得させた。
久しぶりにひとりになった解放感に心浮かれたが、裏山は大人たちから入っては駄目と禁じられている場所だったことを、後になって思い出した。
どうしよう、怒られるかもしれない――といった思いがよぎるが、引き返してまた妹の世話もしたくない。
やがて陽が陰って薄暗くなり、お腹も空いてきた。
それまでなんともなかった道の木々の枝葉が、なにか未知の恐怖の物体に見えてくる。
そういえば、ここにはどうして入ったら駄目と言われていたかを思い出す。
なにかが危険だったはず。なにかが出る、そう言っていた。
それは目の前に、実体として現われた。
藪から唸り声を発しながら姿を見せたのは、大きな大きな野犬。
目を血走らせ、牙を剥き、涎を垂らした恐ろしい獣。
少年の喉が引きつった。
足がぶるぶると震えて、その場にぺたりとしゃがみ込む。
助けを呼びたいと考えたが、言いつけを破って怒られるかも、という思いが先に立ち、ついに声にはならなかった。
泣きたいのを我慢できたのは、皮肉にも親からの「おにーちゃんなんだから」という言葉だった。
犬がゆっくりと近づいてくる。
「チェスト――!」
雄叫びと共に、誰かが隣をすごい速さで横切っていった。
その人はそのままジャンプして、あろうことか野犬にドロップキックをかましていた。
勢い余って横滑りに着地したときには、すでに野犬は這々の体で逃げ去ってしまっていた。
「いたいた! よーやく見つけたぜ、秋人! 夏美さんが無茶苦茶心配してたぜ?」
制服姿に珍しい金色の髪。少年にとっては叔父に当たる人物だ。
少年は、叔父に負ぶさって帰路に着いた。
少年にとって叔父は、ヒーローのように思えた。
テレビやアニメのヒーローよりも、もっと身近でピンチを救ってくれる本物のヒーロー。
叔父の背に揺られて、いつしか少年は安心しきって眠ってしまっていた。
俺は目を覚ました。なにかずいぶんと懐かしい夢を見ていた気がするが、思い出せない。
「お? 気づいたか、秋人!」
顔の間近から声がする。
やけに揺れると思っていたら、叔父の大きな背に背負われて移動中だった。
隣を見ると、リィズさんが軽快な足取りで併走していた。
「今回は、すまなかったな。すべて俺の責任だ。厄介事をおまえに押し付けたばかりに、危険に晒した……」
背中にいるため叔父の表情はうかがえないが、普段にそぐわない歯切れの悪い言葉に、その心情は察せた。
「発端はそうだったかもしれないけど……こうなったのは、俺の判断ミスだよ。大人しくデッドさんと帰っていれば、なんでもないことだったんだ。だから、おじさんは悪くない。これは俺の責任だよ」
叔父は反論しかけたが、隣のリィズさんが肩に手をそっと添えて、押し黙らせていた。そんなリィズさんに会釈しておく。
「……デッドさんは?」
「彼女は森に帰りましたよ。アキトさんによろしくだそうです。あと『森の恵み、忘れんな』とも……」
くすりとリィズさんが笑う。
さすがはデッドさん、ぶれない。
「あと、これを預かってきました」
リィズさんが肩に担いでいるのは、保温バッグだった。
大宴会場でのどさくさの最中で、すっかり忘れてしまっていた。
……すっかり忘れているといえば、なにかもうひとつあったような。はて?
「まだ帰り着くまで先は長い、秋人。今はもう少し眠っとけ」
叔父の言葉に、素直に従うことにした。
正直言うと、まだ身体が碌に動かせそうにない。それに――なぜだが叔父の背中はとても懐かしく、安心できる。
体重を預けると、すぐにまた耐え難い眠気が襲ってきて、それに身を任せることにした。
数秒も待たずして、俺は再び夢の住人となった。
心細さに足が竦むが、引き返すわけにもいかなかった。
妹が生まれてから1年余り。
歩きも達者になってきた妹は、しょっちゅう少年の後ろを「にーちゃ、にーちゃ」と言っては付いて回る。
妹になにかあったらボクのせい、妹が泣いてもボクのせい。
周りの大人たちは、二言目には「おにーちゃんだから我慢しなさい」との決まり文句。
妹が生まれるまでは、なにに於いても主役だった少年にとっては面白くない。
もう一緒にはいたくないが、妹はどこにでも付いてこようとする。
少年ながらに思い悩み、だったら妹が付いてこれない場所だったら、との結論に至った。
家族で遊びにきた祖父母の家。
少年は着いて早々、近所の裏山に繰り出した。
案の定、妹も付いてこようとしたが、道は山道で歩きに慣れていないと付いてこれるはずもない。
立ち止まって泣く妹に心がちょっぴり痛んだが、ボクがなにかをしたわけじゃない、これは仕方のないことだ、と自分を納得させた。
久しぶりにひとりになった解放感に心浮かれたが、裏山は大人たちから入っては駄目と禁じられている場所だったことを、後になって思い出した。
どうしよう、怒られるかもしれない――といった思いがよぎるが、引き返してまた妹の世話もしたくない。
やがて陽が陰って薄暗くなり、お腹も空いてきた。
それまでなんともなかった道の木々の枝葉が、なにか未知の恐怖の物体に見えてくる。
そういえば、ここにはどうして入ったら駄目と言われていたかを思い出す。
なにかが危険だったはず。なにかが出る、そう言っていた。
それは目の前に、実体として現われた。
藪から唸り声を発しながら姿を見せたのは、大きな大きな野犬。
目を血走らせ、牙を剥き、涎を垂らした恐ろしい獣。
少年の喉が引きつった。
足がぶるぶると震えて、その場にぺたりとしゃがみ込む。
助けを呼びたいと考えたが、言いつけを破って怒られるかも、という思いが先に立ち、ついに声にはならなかった。
泣きたいのを我慢できたのは、皮肉にも親からの「おにーちゃんなんだから」という言葉だった。
犬がゆっくりと近づいてくる。
「チェスト――!」
雄叫びと共に、誰かが隣をすごい速さで横切っていった。
その人はそのままジャンプして、あろうことか野犬にドロップキックをかましていた。
勢い余って横滑りに着地したときには、すでに野犬は這々の体で逃げ去ってしまっていた。
「いたいた! よーやく見つけたぜ、秋人! 夏美さんが無茶苦茶心配してたぜ?」
制服姿に珍しい金色の髪。少年にとっては叔父に当たる人物だ。
少年は、叔父に負ぶさって帰路に着いた。
少年にとって叔父は、ヒーローのように思えた。
テレビやアニメのヒーローよりも、もっと身近でピンチを救ってくれる本物のヒーロー。
叔父の背に揺られて、いつしか少年は安心しきって眠ってしまっていた。
俺は目を覚ました。なにかずいぶんと懐かしい夢を見ていた気がするが、思い出せない。
「お? 気づいたか、秋人!」
顔の間近から声がする。
やけに揺れると思っていたら、叔父の大きな背に背負われて移動中だった。
隣を見ると、リィズさんが軽快な足取りで併走していた。
「今回は、すまなかったな。すべて俺の責任だ。厄介事をおまえに押し付けたばかりに、危険に晒した……」
背中にいるため叔父の表情はうかがえないが、普段にそぐわない歯切れの悪い言葉に、その心情は察せた。
「発端はそうだったかもしれないけど……こうなったのは、俺の判断ミスだよ。大人しくデッドさんと帰っていれば、なんでもないことだったんだ。だから、おじさんは悪くない。これは俺の責任だよ」
叔父は反論しかけたが、隣のリィズさんが肩に手をそっと添えて、押し黙らせていた。そんなリィズさんに会釈しておく。
「……デッドさんは?」
「彼女は森に帰りましたよ。アキトさんによろしくだそうです。あと『森の恵み、忘れんな』とも……」
くすりとリィズさんが笑う。
さすがはデッドさん、ぶれない。
「あと、これを預かってきました」
リィズさんが肩に担いでいるのは、保温バッグだった。
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……すっかり忘れているといえば、なにかもうひとつあったような。はて?
「まだ帰り着くまで先は長い、秋人。今はもう少し眠っとけ」
叔父の言葉に、素直に従うことにした。
正直言うと、まだ身体が碌に動かせそうにない。それに――なぜだが叔父の背中はとても懐かしく、安心できる。
体重を預けると、すぐにまた耐え難い眠気が襲ってきて、それに身を任せることにした。
数秒も待たずして、俺は再び夢の住人となった。
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