書かない小説家

曇戸晴維

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三月三日 書けない小説家

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 行き詰まっていた。

 書くぞ、とは意気込んでみたものの、なんだかどうにもしっくりこない。
 何か、ぱっ、としたテーマが降りてこないかと頭を捻るも出てくるものはありふれた、何処にでもある、誰にでも思いつくようなものばかりだ。
 ひらめきを書き留めたノートを開いてみるも、全くと言っていいほど何も浮かばない。
 なんなら、なんでこんなフレーズをメモしたんだ、と思うほど、自分の選んだ言葉達が陳腐に見えてくる始末。

 あれだけ書いてきたのだ、ついぞ書きたいものなどなくなったのか。
 そんな不安が押し寄せる。

 仕方がないので、読書や映画に勤しんでみる。
 腹が空いたので、飯を食う。
 何をしても、ぱっ、としない。

 軽く酒でも入れればどうにかなるか、と酒瓶とお猪口を用意するも、呑む気が起きず、じっ、と見つめるだけで片付けた。

 瓶やお猪口のフォルムってのは意外と美しいな、この歳になってようやく私も審美眼が備わってきて、陶芸や立体物の良さがわかるようになったか。

 などと考え始めていたのだから、手に負えない。

 ならば、散歩でも、とも思うが、どうにもかったるくて着替える気にもならない。
 まるで脳みそに全ての栄養を吸い取られているかのように怠いのだ。

 それらの全てを、仕方ない、で済ませてしまってまたできることに取り込む。
 窓を開けてみても、暖かそうな春晴れとは他所に、風は冷たく吹いていた。

 うんうんと唸りながら、ああでもないこうでもない、と考える。
 なんたってこういう時には何も浮かばんのだ、このポンコツ頭は!
 書いているときには次から次へと、ろくでもない物語が浮かんでくるというのに、全くもって融通が効かない頭だ。

 そこに、ピンポン、と音が鳴る。
 と、いっても、何か思いついたわけではない。
 インターホンだ。

 なんだなんだ、と鍵を開けると、居たのは妻だった。

「お邪魔でしたか」
「いや、特に何もしていなかった」

 そう言うと、妻は、ぎょっ、として言った。

「ええ!? 具合でも悪いんですか! あなたが何もしてないなんて」

 口元を手で押さえて驚く妻。
 そんなに驚くことないだろう。
 私だって、何もしていないことくらいあるはずだ。

「日がな一日、本を読んで映画を見て音楽を聞いて、ご飯を食べたと思ったら呑みだして、それでも飽き足りずまた読んで、ようやく寝るかと思えば、きっちりお風呂に入る。
 そうして私が、今日も一日平和に終わりますね、なんて言おうとすれば、そこから急に書き出したりしてたあなたが?」

「それは、世間的には何もしていない、と言うのではなかろうか」
 
 我が事ながら、これでは道楽人間のようだ。
 こう、何か運動や、妻を見習って園芸などをやってみるか。

「あなた、ご自分が世間一般に当てはまるとお思いですか?」

 それを言われると、立つ瀬がない。

「まあ、立ち話もなんだ。寒いだろう、何もないが早く入りなさい」
「まあ!」

 妻の驚き様ったらない。
 そんなに人を気遣うなんて本当に熱でもあるんじゃ、などと言いながら、靴を脱いでいた。
 その顔は、真剣そのものなのだから、私という人間はどれだけ偏屈で陰気だったのだろう。

 そういえば、水曜日以外で来るのは珍しい。
 何かを察して来たのだろうか、と尋ねると

「普段から、別に何かを察して来ているわけではありませんよ」

 と、言う。
 では、何故か、と問えば

「あなたはどうしているかな、と思ったから来ているだけです。差し入れはそのついで」

 と、小っ恥ずかしいことを言うので

「うむ、そうか」

 と、素っ気なく返事をしてしまう。

 なんとなく間が持たない気がして、茶を入れ始めると、これもまた、あら珍しい、と茶化される。

「なんだか、若いころを思い出します」
「そうか?」
「ほら、私が初めてあなたの家に行ったとき」

 ああ、あったなあ。
 そういえば。
 器量が良く、性格も朗らかで姉御肌の妻は、人気だった。
 どうにかしてお近づきになろうと必死になった私がとった行動は、小説を書いているから読んでくれないか、という誘いだった。
 当時は、なんとなく格好いいから、という理由で原稿用紙に手書きにしていた、私。
 まだデビューもしていない私の拙い文章と汚い文字を、涼しい顔をして読む、彼女。
 そんな空気が居た堪れなくて、一人暮らしを始めた頃に人から貰って一度も使ったことのない急須を出して、この日のためにと買って来た茶葉で、入れたこともない茶を淹れようとした。
 私が、ええとこれは、などと戸惑っていると、彼女は見兼ねた様子で微笑んで、ほら貸してごらんなさい、と茶を入れてくれた。
 そんな彼女の優しい微笑みを浮かべた横顔が、私の心に染み込んで、その想いを綴った小説は、その年の新人賞を取ることとなった。
 そのことを報告しに行ったときの彼女ときたら、

「あの時、読んだものの方が面白かったのに。
 あなたのことをわかってないわ!」

 と、喜ぶどころか憤慨していた。
 しかし、その顔は照れ臭そうに困った顔をしていたのをよく覚えている。

 ああ、懐かしい記憶だ。


 


 私が淹れた茶に口をつける妻。
 
「しっかり、淹れられるようになったんですね」

 寂しそうに、言う。

「君に、しっかりと教えてもらったからな」

 ふふふ、と二人で笑い合う。

 ところで、と続け、何かあったのかと聞いてくる妻に、私は掻い摘んで説明した。
 そして、今朝からの奇行の数々を打ち明かした。

 すると、彼女は、悪戯っぽく笑うと、こう言った。

「では、明日は気分転換にお買い物に付き合ってくださいな。デートですよ、デート」
「デ、デート?」
「そうですよ。久しぶりに張り切って行きましょう!」

 こう言い出したときの彼女は止まらない。

 やれやれ。
 参ったことになった。
 ともあれ、デート、か。
 何年振りだろう。
 まあ、喜んでくれるのであれば、たまにはいいか。




 
 私はこの時、気付いていなかった。
 この瞬間に、私の悩みなど吹き飛んで、すでに気分転換されていることに。

 それほどまでに、明日のことに夢中だったのだ。
 散髪にまで出掛けるほどに。
 久しぶりに着る一張羅のサイズを確かめることに。
 エスコートできるだろうかという不安に。

 行こうか、と返事をした時の、彼女の笑顔に。

 夢中だったのだ。
 だから、今日は書かない。
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