9 / 12
三月三日 書けない小説家
しおりを挟む行き詰まっていた。
書くぞ、とは意気込んでみたものの、なんだかどうにもしっくりこない。
何か、ぱっ、としたテーマが降りてこないかと頭を捻るも出てくるものはありふれた、何処にでもある、誰にでも思いつくようなものばかりだ。
ひらめきを書き留めたノートを開いてみるも、全くと言っていいほど何も浮かばない。
なんなら、なんでこんなフレーズをメモしたんだ、と思うほど、自分の選んだ言葉達が陳腐に見えてくる始末。
あれだけ書いてきたのだ、ついぞ書きたいものなどなくなったのか。
そんな不安が押し寄せる。
仕方がないので、読書や映画に勤しんでみる。
腹が空いたので、飯を食う。
何をしても、ぱっ、としない。
軽く酒でも入れればどうにかなるか、と酒瓶とお猪口を用意するも、呑む気が起きず、じっ、と見つめるだけで片付けた。
瓶やお猪口のフォルムってのは意外と美しいな、この歳になってようやく私も審美眼が備わってきて、陶芸や立体物の良さがわかるようになったか。
などと考え始めていたのだから、手に負えない。
ならば、散歩でも、とも思うが、どうにもかったるくて着替える気にもならない。
まるで脳みそに全ての栄養を吸い取られているかのように怠いのだ。
それらの全てを、仕方ない、で済ませてしまってまたできることに取り込む。
窓を開けてみても、暖かそうな春晴れとは他所に、風は冷たく吹いていた。
うんうんと唸りながら、ああでもないこうでもない、と考える。
なんたってこういう時には何も浮かばんのだ、このポンコツ頭は!
書いているときには次から次へと、ろくでもない物語が浮かんでくるというのに、全くもって融通が効かない頭だ。
そこに、ピンポン、と音が鳴る。
と、いっても、何か思いついたわけではない。
インターホンだ。
なんだなんだ、と鍵を開けると、居たのは妻だった。
「お邪魔でしたか」
「いや、特に何もしていなかった」
そう言うと、妻は、ぎょっ、として言った。
「ええ!? 具合でも悪いんですか! あなたが何もしてないなんて」
口元を手で押さえて驚く妻。
そんなに驚くことないだろう。
私だって、何もしていないことくらいあるはずだ。
「日がな一日、本を読んで映画を見て音楽を聞いて、ご飯を食べたと思ったら呑みだして、それでも飽き足りずまた読んで、ようやく寝るかと思えば、きっちりお風呂に入る。
そうして私が、今日も一日平和に終わりますね、なんて言おうとすれば、そこから急に書き出したりしてたあなたが?」
「それは、世間的には何もしていない、と言うのではなかろうか」
我が事ながら、これでは道楽人間のようだ。
こう、何か運動や、妻を見習って園芸などをやってみるか。
「あなた、ご自分が世間一般に当てはまるとお思いですか?」
それを言われると、立つ瀬がない。
「まあ、立ち話もなんだ。寒いだろう、何もないが早く入りなさい」
「まあ!」
妻の驚き様ったらない。
そんなに人を気遣うなんて本当に熱でもあるんじゃ、などと言いながら、靴を脱いでいた。
その顔は、真剣そのものなのだから、私という人間はどれだけ偏屈で陰気だったのだろう。
そういえば、水曜日以外で来るのは珍しい。
何かを察して来たのだろうか、と尋ねると
「普段から、別に何かを察して来ているわけではありませんよ」
と、言う。
では、何故か、と問えば
「あなたはどうしているかな、と思ったから来ているだけです。差し入れはそのついで」
と、小っ恥ずかしいことを言うので
「うむ、そうか」
と、素っ気なく返事をしてしまう。
なんとなく間が持たない気がして、茶を入れ始めると、これもまた、あら珍しい、と茶化される。
「なんだか、若いころを思い出します」
「そうか?」
「ほら、私が初めてあなたの家に行ったとき」
ああ、あったなあ。
そういえば。
器量が良く、性格も朗らかで姉御肌の妻は、人気だった。
どうにかしてお近づきになろうと必死になった私がとった行動は、小説を書いているから読んでくれないか、という誘いだった。
当時は、なんとなく格好いいから、という理由で原稿用紙に手書きにしていた、私。
まだデビューもしていない私の拙い文章と汚い文字を、涼しい顔をして読む、彼女。
そんな空気が居た堪れなくて、一人暮らしを始めた頃に人から貰って一度も使ったことのない急須を出して、この日のためにと買って来た茶葉で、入れたこともない茶を淹れようとした。
私が、ええとこれは、などと戸惑っていると、彼女は見兼ねた様子で微笑んで、ほら貸してごらんなさい、と茶を入れてくれた。
そんな彼女の優しい微笑みを浮かべた横顔が、私の心に染み込んで、その想いを綴った小説は、その年の新人賞を取ることとなった。
そのことを報告しに行ったときの彼女ときたら、
「あの時、読んだものの方が面白かったのに。
あなたのことをわかってないわ!」
と、喜ぶどころか憤慨していた。
しかし、その顔は照れ臭そうに困った顔をしていたのをよく覚えている。
ああ、懐かしい記憶だ。
私が淹れた茶に口をつける妻。
「しっかり、淹れられるようになったんですね」
寂しそうに、言う。
「君に、しっかりと教えてもらったからな」
ふふふ、と二人で笑い合う。
ところで、と続け、何かあったのかと聞いてくる妻に、私は掻い摘んで説明した。
そして、今朝からの奇行の数々を打ち明かした。
すると、彼女は、悪戯っぽく笑うと、こう言った。
「では、明日は気分転換にお買い物に付き合ってくださいな。デートですよ、デート」
「デ、デート?」
「そうですよ。久しぶりに張り切って行きましょう!」
こう言い出したときの彼女は止まらない。
やれやれ。
参ったことになった。
ともあれ、デート、か。
何年振りだろう。
まあ、喜んでくれるのであれば、たまにはいいか。
私はこの時、気付いていなかった。
この瞬間に、私の悩みなど吹き飛んで、すでに気分転換されていることに。
それほどまでに、明日のことに夢中だったのだ。
散髪にまで出掛けるほどに。
久しぶりに着る一張羅のサイズを確かめることに。
エスコートできるだろうかという不安に。
行こうか、と返事をした時の、彼女の笑顔に。
夢中だったのだ。
だから、今日は書かない。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
もしもしお時間いいですか?
ベアりんぐ
ライト文芸
日常の中に漠然とした不安を抱えていた中学1年の智樹は、誰か知らない人との繋がりを求めて、深夜に知らない番号へと電話をしていた……そんな中、繋がった同い年の少女ハルと毎日通話をしていると、ハルがある提案をした……。
2人の繋がりの中にある感情を、1人の視点から紡いでいく物語の果てに、一体彼らは何をみるのか。彼らの想いはどこへ向かっていくのか。彼の数年間を、見えないレールに乗せて——。
※こちらカクヨム、小説家になろう、Nola、PageMekuでも掲載しています。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

Rotkäppchen und Wolf
しんぐぅじ
ライト文芸
世界から消えようとした少女はお人好しなイケメン達出会った。
人は簡単には変われない…
でもあなた達がいれば変われるかな…
根暗赤ずきんを変えるイケメン狼達とちょっと不思議な物語。
きみと最初で最後の奇妙な共同生活
美和優希
ライト文芸
クラスメイトで男友達の健太郎を亡くした数日後。中学二年生の千夏が自室の姿見を見ると、自分自身の姿でなく健太郎の姿が鏡に映っていることに気づく。
どうやら、どういうわけか健太郎の魂が千夏の身体に入り込んでしまっているようだった。
この日から千夏は千夏の身体を通して、健太郎と奇妙な共同生活を送ることになるが、苦労も生じる反面、健太郎と過ごすにつれてお互いに今まで気づかなかった大切なものに気づいていって……。
旧タイトル:『きみと過ごした最後の時間』
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。
※初回公開・完結*2016.08.07(他サイト)
*表紙画像は写真AC(makieni様)のフリー素材に文字入れをして使わせていただいてます。

とある女房たちの物語
ariya
ライト文芸
時は平安時代。
留衣子は弘徽殿女御に仕える女房であった。
宮仕えに戸惑う最中慣れつつあった日々、彼女の隣の部屋の女房にて殿方が訪れて……彼女は男女の別れ話の現場を見聞きしてしまう。
------------------
平安時代を舞台にしていますが、カタカナ文字が出てきたり時代考証をしっかりとはしていません。
------------------
小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる