書かない小説家

曇戸晴維

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三月二日 書く小説家

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 一本の電話で目が覚めた。
 けたたましく鳴る電話に、しかめ面をしながら、画面を見ると、そこには『担当』の二文字。
 ああ、なんだ、君か。
 それにしても、珍しい。
 いつもは急ぎでもない限り、全てメールで済ます男だ。
 それが、私の性に合っていて、とても助かっている。
 電話をよこすにしても、私が確実に起きている時間帯を見計らってかけてくる。
 まあ、そのようなことはよっぽどの急ぎか、それともどうでもいいような話かのどちらかだが。
 などと、考えているうちに電話は切れた。

 むう、悪いことをした。
 しかし、どうにも頭が回らない。
 もう少し寝ていていたい気持ちが勝る。
 なに、急ぎであれば、またすぐに……ほら、かかってきた。

「もしもし」
「おはようございます」
「おはよう」
「先生、起きてください」
「眠いのだ」
「でしょうね」

 はあ、とこちらに聞こえるくらい大きなため息をされた。
 知っているぞ。
 お前、電話のときはいつも無線のイヤホンを使っていて、そいつはとんでもなく高性能でノイズキャンセリング機能も付いているから、こちらの雑音も入らないしクリアに聞こえるから、掃除機をかけようが、人ごみにいようが、電車の中だろうが電話ができる、って自慢してただろう。
 それを、私に聞こえるほどのため息とは何事か。

「この間の原稿に不備でもあったのかい」

 伸びをしながら、くぐもった声で言う。
 仕方ない。
 仕事モードになろう。

「いいえ。今、校閲に回してます」

 では、どうしたというのだ。

「実は、折いって相談が」
「相談?」

 はい、と続ける担当者。
 彼が言うには、同じ出版社の別編集部にて、突然、継続的に誌面に穴が空くようなトラブルがあったという。
 ようは、物書きが逃げ出した、と、そういう話だった。
 出版社だって馬鹿ではないから、あの手この手でその穴を埋めていく。
 しかし、運が悪いのか手際が悪いのか、そうして埋め続けるのにだって限界がある。
 ちょうど特集やらなにやらで、編集側で作れるような記事は残弾少なく、かといって物書きに頼むとしても、すぐさま出来上がる、という人は少ない。
 まあ、そこをどうにかするのが編集の仕事なのだから、ひいひい言いながら頑張っているらしい。

「それが私になんの関係が」
「そんな冷たいことを言わないでくださいよ、先生」
「いや、すまん。寝起きでどうもなあ」
「ホント、朝からすいません」

 何やら、嫌な予感がする。
 いつもなら、しれっとした声で、先生には関係ないんですけどね、などと言い出しそうなものだ。
 どうにも持ち上げてくるのがいい気がしない。
 先週も見事にこの手口にやられて、新人作家の前でボコボコにされたのだ。

「ねえ、先生」
「イヤだ」
「まだ何も言ってないでしょう!」
「絶対にイヤだ!」

 どうせ、面倒臭い提案をしてくるに決まっているのだ!

「いや、ほら、お話だけでも」
「あー、あー! 聞こえなーい!」
「子どもか!」

 もうすぐ爺だ。
 やれやれ。
 こいつもいい歳だが、自分の子どもくらいの年齢の若人にわがままを言い過ぎるのも、良くはない、か。

「で、なんだ」
「急に冷静にならないでくださいよ。温度差で風邪引きます」

 いいから言わんか。

「せっかくなので、連載、増やしてみませんか?」

 ほら、きた。
 絶対にそうくると思った!
 しかも、短編ではなく連載だと!
 この間、一本仕上げたばかりだろう!
 しばらくはゆっくりできるはずだったではないか!

 小説家の連載、というのは、漫画家の連載のそれとは違う。
 一時、話題に漫画家と編集者の関係を描いた漫画などで有名になったから知っている人も多いと思うが、漫画というのは週刊なら週ごとに、月刊なら月ごとに、そのときの掲載用プロットを編集に見せ、打ち合わせの後に描き、写植などの作業を経て誌面に載る。
 小説家の連載は、まず初めに全体プロットを作り、編集との打ち合わせ、さらに全体の原稿を仕上げ、編集、校閲と校正を通して、書き直し、作り直し、全てが終わったところで誌面掲載となる。
 つまり、一冊の本にできるところまでやりきってから、初めて陽の目を浴びるのだ。
 もちろん、それぞれの工程で携わる全ての人間に平等に苦労はある。
 に、しても、気軽に、連載をやってみろ、と言われて、二つ返事で返せるほどの労力で済むわけがない。

「か、書きたくない」

 思わず本音が漏れた。

「いーや、あなたは書く」
「何を……」
「一冊分、好きなものを書いていいです」

 ……とんでもない交渉ネタを持ってくるもんだ。
 物書きというものは、わがままだ。
 自分が面白いと思ったものを書きたいし、それが世に出て人気がでないと、世の中は狂っている、と半狂乱で喚き立てる。
 しかし、世の中に出るもののほとんどは需要があるものだ。
 書きたいものを書いたところで、それを伝える技術と、伝わるだけの土台がなければ、誰にも響かない。
 そして何より、世界は思っているより商業主義だ。
 売れなければ、世に出すことはできない。
 売れなければ、次は書けない。
 売り続けなければ、生きていけない。
 そのためには、書きたいものを書かない、という選択だって、時には選ばなければならない。
 この世で、目に留まる小説は、どれも『金になる』という枷をしっかりと付けたまま、羽ばたいている。
 それはそれで素晴らしいことだ。
 しかし、私は、常々思っている。
 小説家の本質は芸術家のそれと変わらない。
 たった一文一行のために、一冊の本を読んで蓄えたり、積み上げれば一メートルにはなろうかという資料を元に、歴史モノを書いたり。
 そんな努力を、好きでやる。
 そして、それを人に否定されようと、人に伝わらなかろうと、『自分がそれが美しいと思ったから』という理由で書き上げる。
 ついでに、そんな自分の中身を全て曝け出したものに陽の目を浴びさせるためだけに、流行りを取り入れ、時代を受け入れ、全く自分では書きたくないものを書くことさえ、厭わない。
 それが、一生涯で自分が書きたいものをできるだけ書くための最良の手段なのだから。

「とんでもないものを書くかもしれんぞ」
「ええ」
「君に、その責任が取れるのか」
「それは先生が心配することじゃないです」
「どこから来るのだ。その自信は」

 またもや、その高級イヤホンでも拾うような盛大なため息を吐きながら、あのですねえ、と呆れたように続ける。

「僕は、貴方のファンなんですよ。
 一番……は奥様でしょうけど、それでも二番。
 貴方の作品は、全て面白かった。全て、だ」

 ……馬鹿者だ。

「先生が書いてくれるなら、どんな作品だって読みたい。
 先生が書いてくれるなら、絶対に通してみせる。
 先生が書いてくれるなら、もし万が一売れなかったら、僕が全財産叩いて買います」

 ……大馬鹿者だ。

 くつくつ、と笑いが込み上げてくる。

「くっくっ」
「……あの? 先生?」
「くく……ふふ……」
「先生? 先生、大丈夫ですか?」
「くははははは!!!」
「うわっ」

 あまりにも愉快すぎて、大声をあげて笑ってしまった。
 なんという、大馬鹿者だ。
 そして、きっと私も大馬鹿者なのだ。
 こんな言葉にほだされて、その気になってしまうのだから。

「ようし、書いてやろうじゃないか」
「ホントですか!?」
「ああ」
「後から待ったはなしですからね!?」
「二言はない」
「言ってみるもんだなあ」

 おい。
 お前、今、なんといった?

「いやあ、あはは」

 あはは、ではない!
 まったく、してやられた。
 まあ、いい。
 二言はない。
 嘘でも冗談でも、いい気分になった。
 のせるのが上手い編集者というのは、すばらしい。

「時間はありますから、ゆっくりいきましょう」
「うむ、そうだな。しばらくはネタを吟味してみる」
「あまり、無理はなさらないでくださいね。僕も手伝いますから」
「ああ、しかし、そっちも忙しいだろう。また折を見て連絡するよ」
「はい、あの……ありがとうございました」

 明るく見せていて、やはり多少は困っていたのだろうか。
 いずれにせよ、頼られるのは、悪くない。

 なら、底力というものを見せてやろうではないか。

 よし、書くぞ!!! 
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