書かない小説家

曇戸晴維

文字の大きさ
上 下
8 / 12

三月二日 書く小説家

しおりを挟む
 一本の電話で目が覚めた。
 けたたましく鳴る電話に、しかめ面をしながら、画面を見ると、そこには『担当』の二文字。
 ああ、なんだ、君か。
 それにしても、珍しい。
 いつもは急ぎでもない限り、全てメールで済ます男だ。
 それが、私の性に合っていて、とても助かっている。
 電話をよこすにしても、私が確実に起きている時間帯を見計らってかけてくる。
 まあ、そのようなことはよっぽどの急ぎか、それともどうでもいいような話かのどちらかだが。
 などと、考えているうちに電話は切れた。

 むう、悪いことをした。
 しかし、どうにも頭が回らない。
 もう少し寝ていていたい気持ちが勝る。
 なに、急ぎであれば、またすぐに……ほら、かかってきた。

「もしもし」
「おはようございます」
「おはよう」
「先生、起きてください」
「眠いのだ」
「でしょうね」

 はあ、とこちらに聞こえるくらい大きなため息をされた。
 知っているぞ。
 お前、電話のときはいつも無線のイヤホンを使っていて、そいつはとんでもなく高性能でノイズキャンセリング機能も付いているから、こちらの雑音も入らないしクリアに聞こえるから、掃除機をかけようが、人ごみにいようが、電車の中だろうが電話ができる、って自慢してただろう。
 それを、私に聞こえるほどのため息とは何事か。

「この間の原稿に不備でもあったのかい」

 伸びをしながら、くぐもった声で言う。
 仕方ない。
 仕事モードになろう。

「いいえ。今、校閲に回してます」

 では、どうしたというのだ。

「実は、折いって相談が」
「相談?」

 はい、と続ける担当者。
 彼が言うには、同じ出版社の別編集部にて、突然、継続的に誌面に穴が空くようなトラブルがあったという。
 ようは、物書きが逃げ出した、と、そういう話だった。
 出版社だって馬鹿ではないから、あの手この手でその穴を埋めていく。
 しかし、運が悪いのか手際が悪いのか、そうして埋め続けるのにだって限界がある。
 ちょうど特集やらなにやらで、編集側で作れるような記事は残弾少なく、かといって物書きに頼むとしても、すぐさま出来上がる、という人は少ない。
 まあ、そこをどうにかするのが編集の仕事なのだから、ひいひい言いながら頑張っているらしい。

「それが私になんの関係が」
「そんな冷たいことを言わないでくださいよ、先生」
「いや、すまん。寝起きでどうもなあ」
「ホント、朝からすいません」

 何やら、嫌な予感がする。
 いつもなら、しれっとした声で、先生には関係ないんですけどね、などと言い出しそうなものだ。
 どうにも持ち上げてくるのがいい気がしない。
 先週も見事にこの手口にやられて、新人作家の前でボコボコにされたのだ。

「ねえ、先生」
「イヤだ」
「まだ何も言ってないでしょう!」
「絶対にイヤだ!」

 どうせ、面倒臭い提案をしてくるに決まっているのだ!

「いや、ほら、お話だけでも」
「あー、あー! 聞こえなーい!」
「子どもか!」

 もうすぐ爺だ。
 やれやれ。
 こいつもいい歳だが、自分の子どもくらいの年齢の若人にわがままを言い過ぎるのも、良くはない、か。

「で、なんだ」
「急に冷静にならないでくださいよ。温度差で風邪引きます」

 いいから言わんか。

「せっかくなので、連載、増やしてみませんか?」

 ほら、きた。
 絶対にそうくると思った!
 しかも、短編ではなく連載だと!
 この間、一本仕上げたばかりだろう!
 しばらくはゆっくりできるはずだったではないか!

 小説家の連載、というのは、漫画家の連載のそれとは違う。
 一時、話題に漫画家と編集者の関係を描いた漫画などで有名になったから知っている人も多いと思うが、漫画というのは週刊なら週ごとに、月刊なら月ごとに、そのときの掲載用プロットを編集に見せ、打ち合わせの後に描き、写植などの作業を経て誌面に載る。
 小説家の連載は、まず初めに全体プロットを作り、編集との打ち合わせ、さらに全体の原稿を仕上げ、編集、校閲と校正を通して、書き直し、作り直し、全てが終わったところで誌面掲載となる。
 つまり、一冊の本にできるところまでやりきってから、初めて陽の目を浴びるのだ。
 もちろん、それぞれの工程で携わる全ての人間に平等に苦労はある。
 に、しても、気軽に、連載をやってみろ、と言われて、二つ返事で返せるほどの労力で済むわけがない。

「か、書きたくない」

 思わず本音が漏れた。

「いーや、あなたは書く」
「何を……」
「一冊分、好きなものを書いていいです」

 ……とんでもない交渉ネタを持ってくるもんだ。
 物書きというものは、わがままだ。
 自分が面白いと思ったものを書きたいし、それが世に出て人気がでないと、世の中は狂っている、と半狂乱で喚き立てる。
 しかし、世の中に出るもののほとんどは需要があるものだ。
 書きたいものを書いたところで、それを伝える技術と、伝わるだけの土台がなければ、誰にも響かない。
 そして何より、世界は思っているより商業主義だ。
 売れなければ、世に出すことはできない。
 売れなければ、次は書けない。
 売り続けなければ、生きていけない。
 そのためには、書きたいものを書かない、という選択だって、時には選ばなければならない。
 この世で、目に留まる小説は、どれも『金になる』という枷をしっかりと付けたまま、羽ばたいている。
 それはそれで素晴らしいことだ。
 しかし、私は、常々思っている。
 小説家の本質は芸術家のそれと変わらない。
 たった一文一行のために、一冊の本を読んで蓄えたり、積み上げれば一メートルにはなろうかという資料を元に、歴史モノを書いたり。
 そんな努力を、好きでやる。
 そして、それを人に否定されようと、人に伝わらなかろうと、『自分がそれが美しいと思ったから』という理由で書き上げる。
 ついでに、そんな自分の中身を全て曝け出したものに陽の目を浴びさせるためだけに、流行りを取り入れ、時代を受け入れ、全く自分では書きたくないものを書くことさえ、厭わない。
 それが、一生涯で自分が書きたいものをできるだけ書くための最良の手段なのだから。

「とんでもないものを書くかもしれんぞ」
「ええ」
「君に、その責任が取れるのか」
「それは先生が心配することじゃないです」
「どこから来るのだ。その自信は」

 またもや、その高級イヤホンでも拾うような盛大なため息を吐きながら、あのですねえ、と呆れたように続ける。

「僕は、貴方のファンなんですよ。
 一番……は奥様でしょうけど、それでも二番。
 貴方の作品は、全て面白かった。全て、だ」

 ……馬鹿者だ。

「先生が書いてくれるなら、どんな作品だって読みたい。
 先生が書いてくれるなら、絶対に通してみせる。
 先生が書いてくれるなら、もし万が一売れなかったら、僕が全財産叩いて買います」

 ……大馬鹿者だ。

 くつくつ、と笑いが込み上げてくる。

「くっくっ」
「……あの? 先生?」
「くく……ふふ……」
「先生? 先生、大丈夫ですか?」
「くははははは!!!」
「うわっ」

 あまりにも愉快すぎて、大声をあげて笑ってしまった。
 なんという、大馬鹿者だ。
 そして、きっと私も大馬鹿者なのだ。
 こんな言葉にほだされて、その気になってしまうのだから。

「ようし、書いてやろうじゃないか」
「ホントですか!?」
「ああ」
「後から待ったはなしですからね!?」
「二言はない」
「言ってみるもんだなあ」

 おい。
 お前、今、なんといった?

「いやあ、あはは」

 あはは、ではない!
 まったく、してやられた。
 まあ、いい。
 二言はない。
 嘘でも冗談でも、いい気分になった。
 のせるのが上手い編集者というのは、すばらしい。

「時間はありますから、ゆっくりいきましょう」
「うむ、そうだな。しばらくはネタを吟味してみる」
「あまり、無理はなさらないでくださいね。僕も手伝いますから」
「ああ、しかし、そっちも忙しいだろう。また折を見て連絡するよ」
「はい、あの……ありがとうございました」

 明るく見せていて、やはり多少は困っていたのだろうか。
 いずれにせよ、頼られるのは、悪くない。

 なら、底力というものを見せてやろうではないか。

 よし、書くぞ!!! 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
恋愛
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

伊緒さんのお嫁ご飯

三條すずしろ
ライト文芸
貴女がいるから、まっすぐ家に帰ります――。 伊緒さんが作ってくれる、おいしい「お嫁ご飯」が楽しみな僕。 子供のころから憧れていた小さな幸せに、ほっと心が癒されていきます。 ちょっぴり歴女な伊緒さんの、とっても温かい料理のお話。 「第1回ライト文芸大賞」大賞候補作品。 「エブリスタ」「カクヨム」「すずしろブログ」にも掲載中です!

隣で寝てるJK。実は前世は我が家のペットでした。

せんと
ライト文芸
天外孤独になった俺の前に現れたのは、女子高生の姿になった我が家の柴犬・ロコ。 「――ひょっとして、私のこと忘れちゃった? ......まぁ、この姿だから分かるわけないよね......」 「私はロコ☆ 浅田家の一員にして、剣真のお姉さん! どういうわけか、人間に転生しちゃいましたー♪」 昔のように無邪気に無防備に接してくるロコに振り回されながらも、彼女の存在に癒やされる主人公・浅田剣真。 ロコと長い空白の時間を埋めていくうちに、剣真の中のとある感情が徐々に大きくなり始める。 「ロコは俺のことを恨んではいないのだろうか......?」 元飼い主と、その元ペットだったJKの半同棲生活の純愛ラブコメ物語。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...