カウンセラー

曇戸晴維

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sanguine/magnolia

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 部長から送られてきたデータに目を通す。
 データといっても、書きかけの没記事や他の記者が調べたメモ書きがあるだけで、特に有益な情報はない。
 死んだ人たちの家族構成やら交友関係など、つぶさに書いてあるものもあるが、一般庶民のプライベートを暴く気にはどうしてもなれない俺には、仕事といえど見るだけでもどうにも気が乗らない。
 SNS情報を辿って、それらしい界隈から情報を集めようとしてみるも、感性が干上がっているような感想文が呟かれているだけで終わっている。
 それにしても、俺がいるような業界でもそうだけど、みんな御多分に洩れず心が病んでいるなあ、というのが素直な感想。
 そういうのはフォロー一覧や誰の言葉を引用しているかなんかで意外とわかるのだ。
 普段、明るいことを言ってオシャレな写真を上げているような人だって、急に哲学めいた言葉を使い出したり、人道的なんだか商業的なんだかわからない占い師や耳心地のいい言葉を定期的に自動で呟くアカウントなんかを引用したり、そういうのは特に深夜帯に多い。
 今のご時世、こういったことを言うのは差別だなんだと騒がれるが、一個人として、やはり『一般的ではない』というのはどこかしら何か抱えているものだな、と思う。
 その『一般的』がなにを示すかなんて俺にはわからないけど。
 もしかしたら、全人類、『一般的ではない』のかもしれない。
 なんてな。

「なんもわからんな。仕方ない、行ってみるか」

 調査の基本は足で探すこと。
 大泥棒を追いかける古臭いタイプの警官が言っていた。
 子供の頃は、ああいった仕事に誇りを持って情熱に溢れる大人になりたかったもんだが、いつの間にこうなったものか。
 やっているのは死人の墓どころか性癖暴きだ。
 情けない。

 さて、と部長から貰ったフライヤーを手に取る。

 
 【SMバー スミス】
open 6:00pm  close 2:00am
定休日 火曜日、第2、4水曜日
  TELL xxx-xxxx-xxxx

 
 部長も気が利かない。
 やれと言うなら昨日か明日に渡してくれればいいのに。
 なにせ、今日は火曜日だ。
 これ以外に何かあるわけでもないし、しょうがない。
 今日はさっさと帰ろう。

 世間では、リモートワークだとかテレワークだとか、とにかく会社に通勤することがなくなって喜ばしい、と騒いでいたが、どうにも未だに会社に缶詰することも少なくない私には現実味を帯びない。
 今だってそうだ。
 退勤の電車の中は、帰宅ラッシュで混雑して足の踏み場もない。
 女性専用車両なんて作ったのはいいが、そこに収まらずそうではない車両にまで進出しているのを見るに、男女平等雇用は進んでいるのだろうか。
 そんなことを考えながら、両足の間に鞄を置いて、両手はバンザイのポーズで吊り革を掴み、間違っても「痴漢!」なんて叫ばれないように気を使う。
 記者が痴漢で逮捕、なんて冤罪だろうが笑えないな、なんて思って、ひとり笑いが込み上げてくると、前に座っていた女性から怪訝な顔で見られた。

 世知辛い世の中だ。

 そうこうしているうちに家の最寄りの駅に着いて、すみません、すみません、と悪くもないのに謝りながらホームに降り立つと、人の波に乗りながら改札を抜けて、やっと一息ついた。

 近所のコンビニで煙草を買い、コンビニには珍しく備わった喫煙ルームで妻――ミサコに連絡を入れる。

「もうすぐ、帰るよ」

 返信はすぐに来た。

「ごめん。遅くなると思ったからご飯、用意してない」

 思わず、ちっ、と舌打ちが漏れた。
 同じく会社帰りだろうか、スーツの男性から睨まれ、俺は、すいません、と呟くように言った。

「コンビニでなんか買って帰るわ」

 苛立ちから、少し文面が冷たくなったが、こちらとて朝から晩まで働いているのだ。
 そりゃあ、こんなに早く帰る日は多くないし、帰らない日だってある。
 でも、それだって結婚するときに「俺の仕事は不定期だから迷惑をかける」とは言ってあるし、それにミサコだって「がんばって奥さんするからね」なんて言っていた。
 仕方ない、何か買って帰ろうと煙草を押し消すと、ピロン、とメッセージアプリ特有の音がする。

「ついでに、翔のオムツ買ってきてください。買い忘れて切れそうなの」

 翔、というのはまだ生後半年の息子だ。
 再び舌打ちをしたくなるのを抑え、しょうがねえ、ばかりに喫煙ルームを出る。
 ひったくるように五枚入りのオムツと、焼肉弁当を手に取って会計に向かった。

「千と六十一円です」
「は?」

 思わず声が漏れる。想定していたより値段が高い。
 不思議そうな顔をする若いバイトのおねえちゃんに、嫌そうな顔をされたので、「いや、すみません」とまた謝って金を渡す。
 弁当は温めてビニール袋に入れてもらい、オムツは最近持ち歩くようになったエコバッグに入れ、私は逃げるようにコンビニを出た。

 片方にエコバッグと鞄、もう片方にビニール袋。
 なんとも所帯染みているというか、『終わってるおっさん』みたいで、なんとなく嫌だ。
 道行く人から見られているような気がして、足早に家に帰った。

 不用心に鍵が開けっぱなしの玄関を通ると、子どもの泣き声がする。
 
「ただいま」
「おかえり~。ほーら、パパでちゅよ~」

 なにかぐずっていただけなのか、気を逸らすようにミサコが言うのだが、泣き止む気配はない。
 上着を脱いで、テーブルに弁当とオムツを置き、ミサコに声を掛ける。

「オムツ、ここに置いておくぞ」
「あー、ありがと。タクミも疲れてるのにごめんね~」

 こっちも見ずに、わかるものだろうか。
 ネクタイを緩め、手を洗って、さあ、我が子に対面だ。

「ほら、パパ帰ってきたよ~」

 子どもってのは面白いもんで、こっちのことを見透かしているかのようだ。
 こっちが不機嫌だとそれを隠していても、絶対に笑わない。

「だめか」
「オムツ、高かった?」
「一枚あたり百円くらい」
「高っ」

 量販店で買ういつもの大容量パックと比べ、およそ八倍から十倍。
 冗談じゃない。

「小遣いくれよ」
「ええ~、買い忘れたのは悪いけど、今月厳しいのよ」

 せめて五百円くらい出してくれよ。
 なんて、喉から出かかるが、そうも言えない。
 まだ大学生だったころのミサコを無責任に孕ませて、この生活に巻き込んだのは俺なのだから。

 仕方ない、とばかりに弁当の蓋を開ける。
 さっさと食って、さっさと風呂にでも入ろう。

「もう、どうしたの?あんたもまたお腹空いたの~?」

 ぐずり続ける子どもに、少し困り果てたようで、色々と話しかける妻。
 そうして、とりあえず吸わせてみるか、と胸をはだけると、子どもはすぐさま吸い付いていた。
 どうやらこいつも腹が減っていたらしい。

「飯、食ったのか」
「うん、お茶漬けで済ませた」

 素っ気なく、我が子に夢中、といった返事をする妻。

 それにしても、だ。
 
 子どもが出来ると、デカくなるっていうのは本当だった。
 前は、Bだったものがスリーサイズも上がった。
 もっとも、これほど大きくなるのも珍しいらしいが。

 妊娠前と違わずほっそりしたウエスト。
 家着の短パン故に見える、白いむっちりとした太もも。
 はだけたシャツから見える華奢な首すじと鎖骨。
 そして、豊満な双丘。

 俺は、弁当もそこそこに立ち上がると、彼女を後ろから抱き締めていた。

「ちょっと……」

 抗議の声を上げる妻をよそに、身体に手を這わせる。
 太もも、尻、腹、二の腕。

「子どもの前でやめてってば……」

 そう言いながらも、声は艶っぽくなっていく。
 首筋に啄むようなキスをして、髪の甘い匂いを堪能する。
 そして、一呼吸置いて、耳に歯を立てると、彼女は声を押し殺すようにくぐもった声で一際感高く鳴いた。

「なあ」
「あとで。これ以上はあとで、ね。お願い」

 懇願するように目を潤ませる彼女が堪らない。
 無理矢理にでも、この場で脱がせ、行為に至ってやろうか、と自分の中の獣が暴れ狂っている。

「カケルが、見てるから」

 そう言われ、ミサコの胸元を見下ろすと、カケルと目があった。
 面目ないような、情けないような罪悪感に押しつぶされ、俺は冷静になっていた。

 再び弁当を食いに戻る。
 消化されないリビドーは、身体に熱を残したまま悶々としていた。
 
 俺は、むしゃくしゃした気持ちを噛み殺すように、焼肉に齧り付く。
 財布に残っている金額を思い出しながら。
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