死なない死刑囚の恐怖

ゆきもと けい

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12章 福崎刑務官のつぶやき

死なない死刑囚の恐怖

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 熊野と会った翌日、福崎は休日だった。晩秋だが、快晴でやけに寒い朝だ。
福崎は自宅を出て最寄り駅の方へ歩いて行った。最寄り駅までは徒歩5分ほどの道のりだ。

 最寄り駅はちょっとした商店街になっている。昔は随分と賑わっていたが、最近では跡継ぎがいないせいなのか、閉店する店がだんだん増えてきたような気がする。歩いている人も心なしか高齢者が多いような気がする。最も、自分もその仲間に近いのだが…

 昔から行きつけの喫茶店に入った。木の扉で開けるとカラン・カランと音がする。木作りの古い店で、カウンターが5席と4人掛けのテーブルが3席の小さな喫茶店。老夫婦が経営している。だがコーヒーの淹れ方はうまいと思う。平日の朝なので、客はカウンターに2人が座っているだけだ。どちらも年配の紳士で、モーニングを食べながら、一人は新聞を読んでいる。もう一人はぼんやりとしているようだ。

 福崎はテーブル席に座り、ブレンドコーヒーを注文する。この店は考え事をする時に時々利用していた。なんとなく落ち着くからだ。

 店内には邪魔にならない程度にクラシック音楽が流れている。クラシック音楽には疎い福崎だが、心地よい曲の選択だと思っている。

 熊野さんは今日、借りていたCDを返しに行くと言っていた。複製したかどうかはわからない。

 福崎は、突拍子もない話に昨夜は良く眠れなかった。あまりにも現実離れしている。

 運ばれて来たコーヒーを一口啜った。

(だが、熊野さんの話はにわかには信じ難いが、学者先生からの日記からもこれが事実なのだろう…

 すこし、状況を整理してみよう…

 まず、佐伯死刑囚は今の状態では死なないようだ…
 佐伯死刑囚に関係した4人の死亡には少なからず彼のアバターが関わっている…
 佐伯死刑囚はアバターから何らかのエネルギーを得ている…
 私が彼が笑っているように感じたのはそのせいで間違いではないだろう…
 アバターは彼に関わった恨みのあるような人間を次々に殺害していく可能性がある…
 それは彼を復活させるためだ…
 だとすると、拘置所内刑務官全員がターゲットになっていてもおかしくない…
 もちろん、私とて例外ではないはず…
 一番恐ろしいのは佐伯死刑囚が復活した場合、どういう状態での復活なのか…
 熊野さんも言っていたが、普通の人間として復活するのか否か…

 熊野さんは佐伯死刑囚が自分のアバターが存在していることを知っているかどうかわからないと言っていたが、彼はその事実を知っているに違いない。

 最後に私が手錠をかけた時、佐伯死刑囚は、

『俺はあの4人を殺害していない。なぜなら…』

 小声でボソリと言っていた。私はあえて聞こえない振りをしていたが、今ならその意味がはっきりわかる。彼はアバターの存在を知っている…いつ知ったのかまではわからない…

 そして、私はこの事実をどう処理したら良いのか…

 この事実を他の刑務官に伝えるべきなのかどうか…

 伝えた場合、おぞましい結果になるのは目に見えている…

 今ですら、死なない事実に全員が怯えている日々なのだから…

 それに刑務官全員がこの事実を知れば、間違いなく世間にも知れ渡るだろう…
 いくら口止めしても、誰かが身内に話す可能性が高い…
 そりゃそうだろう…自分の命に係わることなのだから…

 そうなった時、世間はどうなるのか…

 佐伯死刑囚と関かわった可能性のある人物は戦々恐々となり、パニックの世の中にもなりかねない…
まして、本人が知らない間に関わっている可能性だってあるのだ…
 言い換えれば、国民全員がターゲットになっていると言っても過言ではない…

 しかし、知らなければ、自殺した刑務官Aのようにアバターの存在に悩み、自殺する犠牲者が又出てしまうかも知れない…

 その結果、佐伯死刑囚が復活する…それが一番恐ろしいのだ…

 難しい…実に難しい選択だ…

 どうするのが最善なのだ…

 やはり、ここは沈黙が最善か…

 いや…しかし…)

 大きく首を振ると、又一口、コーヒーを啜った。

「福崎さん、どうしたんですか?そんな深刻な顔して…」

 声を掛けてきたのはマスターだった。マスターはカウンター内にいた。

 カウンター席を見ると、さっきまで座っていた2人の客はいなくなっている。店内の客は自分一人になっていた。  だからマスターが声を掛けてきたのだろう…

「そんな風にみえましたか?」

「ええ、わかりますよ。長い付き合いじゃないですか」

 マスターは皺の多い顔でほほ笑んでいた。手はフキンでコーヒーカップを拭いている。

「重大な決断を迫られている…そんなところでしょうか…」

「重大な決断ですか…悩ましいところなのでしょうね」

 マスターは拭き終えたコップをカウンターの前に置いた。

「そうですね…」

 福崎は大きくため息をついた。

「自分を信じることしかできませんよね」

 マスターは、小さく笑っていた。

 その表情がなんとなく安心できる。

 店内には、誰でも知っているベートベンの月光が時を刻むように流れていた。


  福崎刑務官のつぶやき 完 続く
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