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2章 停止しない心臓
死なない死刑囚の恐怖
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宙に吊るされている男…
揺れないように足を抑えている若い刑務官…
10分ほど経過して刑務医が男の心臓に聴診器をあてる。男はもう動かない。だが、まだ死には至っていないようだ。
15分・20分と時間が経過していく。もう、男の足を抑えている若い刑務官はそこにはいない。そろそろ刑の執行が終わる時間だ。
だが男の心臓は弱いながらも規則正しく鼓動を刻んでいる。30分・40分とさらに時間が経過していく。無言・無音の圧が強い。呼吸をする音すら聞こえるくらいだ。
さすがにこんなに長い時間、執行したことがないからだろう…だが、男の心臓は相変わらす、弱いながらも規則正しく鼓動を刻んでいる。全く変化がないようだ。
法律に準じなければならないので、心臓が停止しない限りはこの状態が続く。
1時間が経過した。
刑務医が聴診器をあてる。その度に男の身体が微かに動く。もう何度目だろうか…
「先生…」
先ほどの年配の刑務官が、こちらに一旦戻ってきた刑務医に近づき、厳かに小声で尋ねる。この年配の刑務官、名前を福崎正敏という。先ほど、前室で男に手錠と目隠しをした刑務官だ。年齢は55歳。中肉中背、帽子を被っているが髪は短く白髪まじりの頭だ。ひと昔前のいい方をするならロマンスグレーになる。
刑務所勤務が長かったが、10年ほど前からここの拘置所勤務となった。死刑囚は拘置所に収容され、執行される。刑務所のように、犯罪者を更生させる必要がないからだ。
刑の執行には何度か立ち会っているが、仕事とは言え、あまり気持ちのいいものではない。仕事と割り切らなければとてもじゃないがやりきれない。
「いえ、まだです」
福崎とほぼ同じ背格好の先生も、小声で真っすぐに正面を見据えたまま、静かに答える。右手には聴診器を持っている。年齢は福崎よりも一回りくらい若い感じだ。
「こんなに長い時間かかることはあるのですか?私は初めての経験ですが…」
もっともな質問である。
「ありません。私も初めてです。弱いながらも心臓は規則正しく鼓動を刻んでいます」
「そうですか…もう少しですか…」
福崎が言う。すると、
「もう少し…そうですね…」
刑務医は何か歯切れの悪い言い方をする。
「何かありますか?」
「10分後から今まで、全く変わらないのです。弱いながらも心臓が停止する感じがしないのです。要は脳死の状態だと思うのですが… 通常、脳死の場合、人工呼吸器等を使わなければ、心臓はすぐに止まります。ですが…」
「でも停止しない…」
「ええ」
「例えば脳死状態でないとしたら…」
「何をおっしゃっているか意味がわかりかねますが…?」
「つまり、まだ普通に生きているとか…」
福崎は真顔で言った。
「本気でおっしゃっておられるのですか?」
医者はびっくりした表情になった。
「い、いえ…忘れてください…」
福崎は小さく頭を下げた。
時刻は夕方の5時になっていた。
男の心臓は弱いながらもまだ規則正しく鼓動を打ち続けている。刑の執行は終わらない。
明治時代に一度だけ、縄が切れて、刑の執行済みということで無罪になった例があるそうだが、現行法ではそれはありえない。一度縄を解いて後日改めて執行し直すとか、極端な言い方すれば、死なないからといって銃殺することも薬殺することも許されない。ただひたすら、心臓が停止するのを待つほかないのだ。
状況はすでに所長に報告されている。どう対応すべきなのかわからない…
所長の指示は、とりあえず、『内密で、様子をみよう』、ということになった。とはいえ、ここの刑務官にはほぼ全員に事が知れ渡っている。だがそれを口にする者はいない。
執行室を離れるわけにはいかないので、苦肉の策で刑務官と刑務医をそれぞれ1名ずつセットにして、交代で立ち会わせることにした。これが違法がどうか、前例がないので確認している暇などない。
執行室には夜になっても、宙吊りにされている男の姿があった。
誰にも気づかれない程度に微かに揺れていた。
2章 停止しない心臓 完 続く
揺れないように足を抑えている若い刑務官…
10分ほど経過して刑務医が男の心臓に聴診器をあてる。男はもう動かない。だが、まだ死には至っていないようだ。
15分・20分と時間が経過していく。もう、男の足を抑えている若い刑務官はそこにはいない。そろそろ刑の執行が終わる時間だ。
だが男の心臓は弱いながらも規則正しく鼓動を刻んでいる。30分・40分とさらに時間が経過していく。無言・無音の圧が強い。呼吸をする音すら聞こえるくらいだ。
さすがにこんなに長い時間、執行したことがないからだろう…だが、男の心臓は相変わらす、弱いながらも規則正しく鼓動を刻んでいる。全く変化がないようだ。
法律に準じなければならないので、心臓が停止しない限りはこの状態が続く。
1時間が経過した。
刑務医が聴診器をあてる。その度に男の身体が微かに動く。もう何度目だろうか…
「先生…」
先ほどの年配の刑務官が、こちらに一旦戻ってきた刑務医に近づき、厳かに小声で尋ねる。この年配の刑務官、名前を福崎正敏という。先ほど、前室で男に手錠と目隠しをした刑務官だ。年齢は55歳。中肉中背、帽子を被っているが髪は短く白髪まじりの頭だ。ひと昔前のいい方をするならロマンスグレーになる。
刑務所勤務が長かったが、10年ほど前からここの拘置所勤務となった。死刑囚は拘置所に収容され、執行される。刑務所のように、犯罪者を更生させる必要がないからだ。
刑の執行には何度か立ち会っているが、仕事とは言え、あまり気持ちのいいものではない。仕事と割り切らなければとてもじゃないがやりきれない。
「いえ、まだです」
福崎とほぼ同じ背格好の先生も、小声で真っすぐに正面を見据えたまま、静かに答える。右手には聴診器を持っている。年齢は福崎よりも一回りくらい若い感じだ。
「こんなに長い時間かかることはあるのですか?私は初めての経験ですが…」
もっともな質問である。
「ありません。私も初めてです。弱いながらも心臓は規則正しく鼓動を刻んでいます」
「そうですか…もう少しですか…」
福崎が言う。すると、
「もう少し…そうですね…」
刑務医は何か歯切れの悪い言い方をする。
「何かありますか?」
「10分後から今まで、全く変わらないのです。弱いながらも心臓が停止する感じがしないのです。要は脳死の状態だと思うのですが… 通常、脳死の場合、人工呼吸器等を使わなければ、心臓はすぐに止まります。ですが…」
「でも停止しない…」
「ええ」
「例えば脳死状態でないとしたら…」
「何をおっしゃっているか意味がわかりかねますが…?」
「つまり、まだ普通に生きているとか…」
福崎は真顔で言った。
「本気でおっしゃっておられるのですか?」
医者はびっくりした表情になった。
「い、いえ…忘れてください…」
福崎は小さく頭を下げた。
時刻は夕方の5時になっていた。
男の心臓は弱いながらもまだ規則正しく鼓動を打ち続けている。刑の執行は終わらない。
明治時代に一度だけ、縄が切れて、刑の執行済みということで無罪になった例があるそうだが、現行法ではそれはありえない。一度縄を解いて後日改めて執行し直すとか、極端な言い方すれば、死なないからといって銃殺することも薬殺することも許されない。ただひたすら、心臓が停止するのを待つほかないのだ。
状況はすでに所長に報告されている。どう対応すべきなのかわからない…
所長の指示は、とりあえず、『内密で、様子をみよう』、ということになった。とはいえ、ここの刑務官にはほぼ全員に事が知れ渡っている。だがそれを口にする者はいない。
執行室を離れるわけにはいかないので、苦肉の策で刑務官と刑務医をそれぞれ1名ずつセットにして、交代で立ち会わせることにした。これが違法がどうか、前例がないので確認している暇などない。
執行室には夜になっても、宙吊りにされている男の姿があった。
誰にも気づかれない程度に微かに揺れていた。
2章 停止しない心臓 完 続く
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