リクゴウシュ

隍沸喰(隍沸かゆ)

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アノン

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 アライア。
 アライア。
 アライア……!!
 一歩足を踏み出して、無理やりその動きを止める。
 ――落ち着け、落ち着け。
 駆け出して叫び出しそうになるのを我慢する。
 ――今出て行ったら、連れて逃げ出すことが出来なくなってしまう。いつか必ず、助け出す。その一歩がこれなんだ。耐えろ、不自然だと思われる行動はするな。
 アライアはあれから10年も経って実験だって色々されている筈なのに、傷も傷跡も、シミやほくろもひとつない。
 真っ白の、みずみずしいうつくしい肌。
 恐ろしいくらい、つくりもののような、無機質を感じさせる生物の身体。
 その一部に実験体をあらわす――アノンをあらわす痣だけが浮かんでいた。
「あれがアノンか」
 と茶飯が呟く。
「意志はあるんだろうか」
 と、オルトシアも呟いた。
 オルトシアの呟きを聞いたリーダーが言った。
「実験が成功して全人類が魔術を使えるようになればあのアノンも解放される。彼もそれに同意して研究に力を貸してくれているよ」
 アノンはスポーツブラのように短い裾と袖のない白い服、太ももが丸出しのホットパンツを着ており、露出が多く見える。目隠しをされ、拘束されている。
 リーダーの研究者は研究室の前方へ戻っていき、SSチームのため、アノンについて説明し始めた。
「目隠しをしている理由は恨みをかった際に特定されないためだ。アノンは魔術を使うため、大変危険な存在だ。拘束されている理由はそこにある。性器や目玉以外はどこからでも採取することが出来る。特殊な麻酔を打っているため痛覚はない状態だ。心配せず取るといい。しかしアノンは一体しかない、腕一本などの治癒に時間がかかり、麻酔の効かない方法などの切除は基本的にNGだ。切除は一日一人5回までという決まりだ。もしそれ以上欲しい、腕一本欲しいなどと言う場合は研究者全員の同意が必要だ。他の研究室でも、全員その仕組みで行っている」
 説明が終わると、各研究者達が次々にアノンから皮膚や肉などの一部を切除して自分の机へ戻っていく。人が空いてきた頃に、リーダーがSSチームの三人に声をかけた。
「君達も5回、好きな箇所から取っていい。机の上に器具が置いてあるので誰かひとり代表者が取りに来なさい」
 SSチームの三人は顔を見合わせる。
「心苦しいが研究の為だ」
 と、茶飯が言う。
「とる場所はどこにする?」
 と、オルトシアが言った。
 シェルビーが冷静な顔で「指が欲しい」と言う。
 茶飯が訝しげな顔をしてシェルビーを見る。
「指? 何故だ。みんな腕やお腹から取っているように見えるが……」
「その残りで太ももや脹脛、目に付く柔らかい処からと言った動きだな、あれは」
「なんなら爪でもいい」
「だから何故だ」
「髪の毛や頭皮はどうだろう。口の中の皮とか唾液とか」
「だからなんで!?」
「遺伝子を取りやすいだろ、髪の毛はバシリの変化が一番見られると聞くし、他の物質もそうかもしれない。それに皮膚をひっかくだけ、もしくは触れるだけで魔術使用者が広めることが出来るなら効率がいい」
「ま、まあ。確かに?」
「唾液、頭皮、爪にしよう」
「あ、ああ。今日はやけに積極的だな」
「切除にはまだ抵抗がある。少しずつ慣れていくとしよう」
「そうだな」
オルトシアも茶飯もまだ切除には抵抗があるらしい。それを聞いて、シェルビーはほっとした。
「代表は誰が行くのだ?」
「俺が行ってもいいか?」
「いいけど……やっぱり積極的だな。まあアノンの実験は珍しいようだからな」
「頼むぞシェルビー」
 ぽんとオルトシアに背を押され、何となく振り返る。オルトシアはにこりと笑った。たまに何かを見透かされてる気がするんだよなぁ……。何かを知ってると言うか……心を読まれてると言うか……。
 シェルビーがリーダーの元へ行き、取りたい部位を伝えると、研究者は困ったように笑う。
「相手に抵抗があるんだろうがアノンは明日には他の研究室に回される、週に一回回ってくるレベルだ。君達の実習の日を合わせるよう調節はしてあるが。アノンの一部を切除できる機会はなかなかない、君達は優秀だし遠慮しなくていいんだ」
「確かに抵抗もありますが、興味がある場所でもありますから、大丈夫です。少しずつ慣れていこうとみんなで決めました」
「本当にいいのか?」
「はい」
「分かった」
 シェルビーは器具を持って近づこうとして、振り返って言った。
「彼とは話せるんですか?」
「なぜ彼だと?」
「胸が平べったいので」
 知り合いだからとも言えず、適当に言ってみる。リーダーは眉間に皺を寄せて空中に視線を泳がす。
「胸が控えめな女性もいるが?」
「骨格です。俺の知っている女性達の骨格ではありませんね。男の骨格です。まあ、骨格なんてよく分かんないんですけど」
「おいおいどっちなんだ」
 シェルビーは何となくアノンを見て、目についたモノに理由を付けた。
「膨らんでいたので」
「ん?」
 首を傾げるリーダーを見てから、シェルビーはもう一度視線を向けた。
「胸はないですけど、下の方は膨らんでいる。ズボンは着ていますが、あれをみると自分にもあるアイツが同じ樣に鎮座しているさまが透けて見える気がします」
「ああ、確かに」
「それとも彼女だったんですか?」
「いや、彼であっているよ」
 知っているけど……とシェルビーは思いながらも、リーダーに向き直る。
「それで、彼と話せるんですか?」
「ああ、話せるらしいが……」
「らしい?」
「こちらから話し掛けてもほとんど受け答えはしないらしいんだ。私も試してみたがうんともすんとも言わない」
「耳が聞こえないのでは?」
「それはありえない。外だけでなく中の治癒能力も高いからな。ああ、だが声や音もストレスになるらしい、最近は耳に耳栓と布が当ててあるんだ」
「ふむ。話し掛けてみたり、匂いを嗅いでみたりしてみたかったんですけど」
「匂い?」
「はい」
 ただアライアの匂い懐かしいかな、と思っただけなのだが。
 ――流石に不自然だと思われたか? 
 と思い、シェルビーは本当に自分ならどうするか考えて理由を付けていく。
「匂いを嗅いでその匂いに近付けていく……なんて手もあるかと思いまして」
「……ほぉ」
 リーダーが「そんな方法は考えた事もなかったな」と感心する。
「いいだろう。君達が優秀だと言う噂は研究者達に知れ渡っているからな。我々と同等の立場だと考えて、色々な意見を出してくれればいい。それに我々と違って君達の責任は軽い。好きにしてくれて構わない」
「触ってみたいので台に乗ってもいいですか?」
「ああ、構わない。嫌がるようならやめてくれ、過去の資料によるとストレスが溜まると治癒力が落ちて死亡したアノンもいるらしい」
「わかりました」
 台の上に乗って、そっと左手で彼の手を触わる。研究者達も様子を眺めていた。
 そっと手を握り返してくる。シェルビーは自然と彼の頭に右手を伸ばし、撫でていた。泣きそうになるのを必死に我慢して、次に、彼の頬に触わる。見えないあの美しい青い瞳を見つめ続けていた。
 研究者達の視線が刺さるが、シェルビーは気にしている余裕がなかった。10年で、やっと、アライアに会えた。もう会えないと思っていたアライアに、会うことが出来た。
アライアが一人で頑張って来たんだと、そう考えただけで、涙が溢れそうになる。
 アノンの唇が震え、ゆっくりと開かれる。

「キ、ミは……だ、れ」
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