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第十二章

259話 拒絶

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 テイガイアは優しくしてくれるけれど、嬉しそうに笑うけれど、笑うことができなかった。愛想笑いもできなかった。何故だろう。
 大人のラルフも、気が楽になったのか、リラックスしてアトクタの子供達とこれからのことの話をしていた。
 これが普通なんだ、だって、ヒオゥネは悪い奴だったんだから。
 死んでも、誰も泣かない。皆が、死んでくれて良かったと思うんだ。もしくは、何人か、死ぬことはなかったんじゃないかと、思う人がいるかも知れないけれど。ここには、そんな人はいなかった。
 なぜなら、彼等はヒオゥネに酷い目に合わされた人達だ。ヒオゥネさえいなければ、普通に暮らしていけた人達だ。
 きっと酷く恨んでいた筈だ、それこそ、呪いたいほど憎んでいた筈だ。
 俺だって、許せない。
 テイガイアや、ラルフが死にかけたことも、一生許してやらないと思ってる。

「バン様……?」
「ごめん……一人にしてくれないか」
「え…………?」
「埋葬、するから。お前達には出来ないだろ」
「ま、埋葬って、一体どこに……」
「アンタ優しすぎるぞバン。コイツは埋葬するほどの奴じゃない、放っておけばそのうちこいつの仲間が来て実験台にすると思うぜ」
「実験台……」

 自業自得という奴だ、自分がしてきたことをされるのだ、思いしれって奴だ。だから、彼等にとってはその方がいいのかも知れない。

「ごめん、一人にしてくれ、頼む」
「バン様……」
「……仕方ねえな。この俺が手伝ってやるよ。どっかの森に運ぶか?」

 ラルフがヒオゥネに近づいて行く、俺はその前へ駆けていって、立ちはだかった。

「一人にしてくれッ!!」
「バン……?」

 皆、不思議そうな顔で俺のことを見てくる。
 変なんだろう。こんなのは。こんなのは変なんだ。俺は変な行動を取っているんだ。

「バン様、一人で運べるとは思えません」
「テイガイア……アイテムポーチの魔法石持ってない?」
「持ってますけど」
「それで運んだら怒る?」
「……バン様、どうしたんですか? そんなことをしなくても、私達が手伝うと……」

 テイガイアが俺の顔に手を伸ばして顔を覗き込んでくる。

「…………バン、様」
「頼む」

 どんな顔をしていたのかは知らないが、テイガイアは聞き入れてくれて、皆を説得して部屋の外へ出ていった。
 かなり恨んでいるのか、何人かは残ろうとしていたし、ラルフも手伝うと言い張っていたが、今はもうこの空間にはヒオゥネと二人きりだ。

「…………」

 ヒオゥネの傍に近づくことが怖かった。
 だって周りは血で染められている。
 赤、そして、茶色、黒と、血の色とは赤いものだと思っていたのに、そうじゃないのだと、改めて目にして思った。ジノの血で赤く染め上げられた氷の床を思い出す、それより遥かに、あまりにも差があるほどに、ひどい光景だ。
 ヒオゥネの血で赤く染まった触手、そしてその熱さでドロドロに溶けた触手や壁、床、天井から垂れ下がり、未だに、ぴちゃ、ぴちゃ、と下の血溜まりに赤い液体が落ちていく。
 アレは多分、触手が飛ばしたものだ。ヒオゥネを突き刺した後、何度も入れ替わりで触手がヒオゥネの身体を貫いた。
 血溜まりが出来るほど貫いて、触手も血をふやけるまで吸ってしまったのだろう。
 なんて残酷なんだろう。
 ヒオゥネの周辺を染め上げる血液も、砕けて床に散らばる細かな骨も、飛び出してあらゆるところに落ちている内臓らしきモノも、人一人の量ではない。
 何十人、何百人――……こうして改めて見ることで、どれだけの惨状であったかが分かる。
 焦りでラルフとテイガイアを探しに行き、頭に血が上って、ヒオゥネのところに戻ってきた頃は、オリオに行く前の状態と変わっていないと思っていた。だってオリオに行く前だって、酷い状態だったのに。
 降り注ぐ血液が変な方向に曲がって、俺に当たらずに俺の周囲を染め上げていった。
 頭がぼうっとするような熱気を感じるほどの熱さを持つヒオゥネの血液。
 ――あの時、ヒオゥネがいなくなってしまったような感覚がした。
 誰もいないところに一人放り出されたような感覚がした。
 焦りは真実になった。
 テイガイアも、ラルフも、消えてしまった。帰ってきてから、ヒオゥネも、もう、目が合わなくなってしまった。
 そばによって、静かに正座する。そっとヒオゥネを抱き上げた。
 しんとする室内が恐ろしかった。
 叫び続けないと、おかしくなるかと思った。
 テイガイアやラルフたちが生きていてくれてよかった。さらにアトクタの皆も子供の姿ではあるけれど、自分の姿を取り戻すことが出来た。ラルフとディオンは別としても、生きているだけで今は充分だ。

「……でもどうして、お前は目覚めないんだ」

 みんなが助かったから、もしかしたら、ヒオゥネもひょっこり目を覚ますと思っていたのに。
 みんながいるから、目を開けないんだと思っていたのに。
 なぜ、なぜだ。
 死んでいた方が、みんな喜ぶ。
 みんなが喜ぶ方が、正しいことだ。ヒオゥネが生きていたら、苦しむ人が大勢出てくる。助けられなかった人が、助けられない人が増えてしまう。
 ――分かっているのに。お前が生きていることを望んでしまう。
 こうして見つめていれば、いずれ目を開いて、いつもの無表情で、どんな声を出すだろう、悪戯が成功したかのように楽しそうな声で、くつくつ肩を揺らして、言うんだろう。

『泣いているんですか?』

 ――と。
 いや、違うか。

『泣いてくれないんですか?』

 ――かもしれない。
 だって、泣いてなんかない。
 ――だから、目を開けたっていいんだ。
 お前に今泣き顔を見せたら、なんか負けた気がするし、さっきまでのはなかったことにしてもらう。目を開けて、泣いてたじゃないですかなんて言ってきた時には、知らないふりを通してやる。泣いたふりをしてたってことで通してやる。
 目を開けたら、思いっきりデコピンしてやる。騙したのかって怒ってやる。皆を呼んで皆で協力して捕まえてやる。今ならきっと弱ってるだろうから平気だ、そうしてシストの前に連れていって自分の罪を認めさせて牢獄で罪を償わせるんだ。
 さっきアトクタの生徒が言ってた、ヒオゥネの頭が必要なんだって、だからヒオゥネには実験台にした人達を治すことも考えて貰わなきゃならない。やることはたくさんあるんだ。ヒオゥネを止めることが終わりじゃない。
 あ、そうだ、目を開けたら、助けてくれてありがとうって言わないと。
 あと、それから。
 目を開けたら、目を開けたら……逸らさないようにしないと、それから、それから。

 好きって言いたい……。どんなに悪い奴でも、ずっとずっと好きって伝えたい。
 目を開けたら……


 目を、開けたら………………


「ヒオゥネの……バカ、ヤロぅ……」

 何で……目を開けてくれないんだ。
 なんで。なんで。

「……お前なんか、おまえなんか、だいきらいだ」

 好きなんて絶対に言ってやらない。絶対に、言ってなんかやらない。
 誰かの声がして、扉が開いた音がする。しかし、それどころじゃなかった。
 冷たく、かたくなった身体。
 俺を庇って、穴だらけになった身体。
 俺を守って、血だらけになった、身体。
 声が出ない、近くにある顔を眺めていたら、その顔が見えなくなるくらい、涙が溢れてくる。
 息を呑む音が響いてくる。ごめん、皆、もう、止められない。見せたくなかったから、追い出したのに。彼らを苦しめた相手の為に、泣いているところなんて、見られたくなかった。俺は異常だと思われる、それが嫌だった。ヒオゥネの為に泣くことが、変なことだと思われるのが嫌だった。
 でももう止められない、止められない。悲しくて悲しくて苦しくて。喉が乾く、傷だらけの声が溢れる。
 顔を見たいのに、まだずっと見ていたいのに、抱き抱えている筈なのに、どんどん、頭の中が真っ白になって、全身の力が抜けていくみたいで、手の感覚もなくなっていって……混乱して、考えることが、出来なくなって。
 その身体ごと存在自体がいなくなってしまいそうな気がして、ヒオゥネを抱きしめると、冷たくなった身体を感じる。アゼンヒルトや、ゼクシィルと同じ、凍り付くような冷たい身体だ。
 冷たい、ヒオゥネの体温。
 でも……怖くなかった。どんなに冷たくても、どんなに似ていようと、少しもちっとも怖くなかった。
 ヒオゥネの体温が好きなんだと思ってたけど、違ったかもしれない。だって、まだ、ドキドキしてるんだ。胸が張り裂けそうなくらい苦しいのに、痛みと一緒に鼓動が早くなる。ヒオゥネに触れているだけで、俺は動揺してしまう。
 冷たくても、悪い奴でも構わない。お前だから好きなんだ。ヒオゥネだから好きなんだ……。
 ヒオゥネが好きだ。
 肩に顔を埋めれば、鉄の匂いと死体特有の匂いだろうか、好きにはなれない匂いがした。大好きな匂いがしない、それだけで胸が苦しくなっていく。
 触れる度に、見つめる度に、現実であると証明されていく。もう、ヒオゥネは。目を開けない。
……名前も呼んでくれない。話すことも、姿を見ることもなくなる。もう、もう二度と、ヒオゥネに、気持ちを伝えることも……出来ないんだ。

「う、うう、うっ」

 どうやったらお前を忘れられる? どうやったら今すぐ胸の痛みを止められる?
 今すぐここから逃げ出したいのに、現実から逃げ出したいと言うのに、まだ一緒にいたくて、そしてこれが現実であると何度も何度も突き付けられて、おかしくなりそうだ。

「……っ、っ……ッ」

 抱きしめた身体を揺する。顔を覗いてもその目は開かない。

「……ぃ、ゃ」

 いやだ。

「だめだ……」

 いやだ、いやだ。
 だめだ。

「ヒオゥネ」


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