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第七章

173話 会う前からずっと

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 何も言ってくれない、ヒオゥネが何考えてるか分かんない。いやそれはいつものことだけど。

 ヒオゥネの顔が首筋に埋められて、どきっとする。

「ちょ、い、いい加減、離れ——」
「…………ヴァントリア様の匂いがします」
「はい!?」

 スゥゥ、と匂いを嗅がれるのがわかって、ゾォォッと寒気がする。離れようと胸を押すが、さらに強く引き寄せられてしまった。

「ヒ、ヒオゥネ」
「もう少しだけ」
「…………な、何がしたいんだよ、お前」

 まさか女の子の身体に触れてみたかったとか?

「貴方は酷い人だ……」
「え……?」

 考えていたことがバレたのかと、ギクリとする。けれど、ヒオゥネはそう呟いた後、また話さなくなってしまう。

 ヒオゥネの体温に合わせるみたいに、どんどん身体が熱くなっていく。自分の心臓がうるさい、暴れまわっているのがわかる。どんな羞恥プレイだ。

「……ヴァン……トリア様」

 今にも泣き出しそうな声がすぐそこから聞こえて、思わず顔を上げる。

「ヒ、ヒオゥネ?」

 あの泣くことも知らなそうなヒオゥネから出た声とは思えない。ヒオゥネはゆっくりと顔を上げた後、涙ぐんだ瞳で俺を見下ろした。

 目が見えているのか、見えていないのかも分からない。

 けれど、涙でキラキラ輝いていてとても美しい瞳だった。

 ゆっくりと、顔が近づいてくる。頬を撫でられて、辿るように指先が唇に触れる。

「…………ヒオゥネ?」

 ヒオゥネの瞼が降りて、ヒオゥネの鼻先がマスク越しに触れてきた。唇に布の感触が降ってくる。

「……ん、ん?」

 布越しの柔らかくて熱い感触が何なのか、すぐには理解が追いつかなかった。

 唇からそれが離れる瞬間、吸い上げるように、ちゅっと音がする。それを聞いたとたん、何をされたか理解して、一気に顔の熱が上昇する。

「な、何、い、今の、き、キスしたつもりか……!?」

 ヒオゥネは答えない、再び顔を近づけてきて、頰に布と、その奥の唇が触れる。

「ヒ、ヒオゥネ」

 声を出せば、布は横にずらされ、唇を探すようにそっと触れてくる。

「や、やだ……っ、ん、んん」

 何でマスクを外さないのか分からないけれど、ヒオゥネの唇の感触は伝わってくる。

 ちゅ、ちゅっと吸われる音がして、妙に恥ずかしくなる。

 キスって呼んでもいいのか分からないのに、目を開けるとヒオゥネの長い睫毛がすぐそばにあって、布が互いの息と唾液で湿っていくのが分かる。

「ん、ふぅ……ふ」

 逃げようとすれば腰を腕で引き寄せられて止められてしまう。

 後頭部はヒオゥネの手に捕まって、顔を離すのも、逸らすのもやっとの状態だった。

 執拗な布越しのキスは、もし、もしも、布がなかったら、どうなっているんだろうと、考えるきっかけになってしまう。

 そう考えたらもう、布越しのキスじゃなくて、ヒオゥネにいつもされる熱い、キスの。

 ヒオゥネの熱い唇と、熱い舌の感触が口の中で思い出されて、頭がぼうっと熱くなってくる。

 思い出してから、ハッとして、咄嗟に脳からかき消そうとする。

 ヒオゥネはやっと満足したのか、口を離してキスをやめた。しかし身体は抱き締められたままだ。

 もう熱過ぎて訳がわからないから、もうそれ以上体温で温めないで欲しい。

「あと、いっかいだけ」
「ヒ、ヒオゥネ……」

 戸惑いの声を上げれば、ヒオゥネは黙り込んでしまう。そうしてから、ポツリと呟いた。

「…………貴方からしてもらってもいいですか?」
「……はあ!?」

 こちらが見えていない筈のヒオゥネの瞳に、じぃっと、見つめられる。

 ほ、本当に見えてないんだよな?

 何もしないでいると、諦めたのか、ふぅ、と息を漏らして肩に額をつけて密着してきた。

「ヒ、ヒオゥネ?」

 もう、いい加減にしてくれ。

 熱くておかしくなる……。

「結局、貴方は……僕との約束を守ってはくれませんでしたね。本当はもう記憶の世界に行っていたのでしょう?」
「な、何でそれを知って……」
「だって、テイガイアが暴れたのはあの時くらいしかないじゃないですか。僕は貴方に思い出して欲しくて、どうにかしてテイガイアを暴走させようと手を尽くしていましたから」

 え、それが、テイガイアを狙っていた理由?

 俺と記憶の世界で、あ、ああいうことをする為に? いや、したってことを分からせたかったのか?

 じゃ、じゃあヒオゥネに出会ってすぐ、俺が約束のハグをしていたらテイガイアのことは諦めてくれたのか?

 ……そんな簡単に諦めてくれるような奴じゃないか、とすぐ隣にある横顔を眺めるが、……近い……、そう思ってすぐに反対側を向いた。

「……でも気が付くべきだったんです。そんなことをしても無意味だと」
「え?」
「貴方が僕と、記憶の世界で何をしようと、貴方にはもう、既に大切な人たちがいた。貴方は舞踏会で暴れた時、ウォルズさんにキスをされて呪いを解かれました」
「う、うん。皆の発言で何となく、知ってる」

 最初にヒオゥネから聞いたんだし。

 ヒオゥネに、さらに強くぎゅうっと抱きしめられる。少し苦しい。抵抗するが、やはりビクともしない。

「ヒ、ヒオゥネ、もう……それ以上は……」
「……僕が貴方を助けたかったです」
「……え?」

 助けるって、ヒオゥネ、何言ってるんだ? お前は悪いことばっかりする奴なのに。悪い奴なのに。さっきだってテイガイアを暴走させることに手を尽くしてたって言ったばかりじゃないか。

 首を傾げたら、振動で分かったのか、ヒオゥネが小さな声でつぶやく。

「……貴方に愛して欲しかったです」
「な!? あ、愛し、って、お前、何言って」
「僕はアレを見るまで気づけなかったんです。いえ、気づくのはもっと後かもしれません。かつて、貴方のことが好きだと伝えましたよね。でも、恋愛感情ではないとも、言いました。……アレは間違いでした」
「…………、ヒ、オゥネ?」

 恋愛感情……? 何を言ってるんだ。

「僕は記憶の世界で貴方に会ってからもずっと、貴方のことばかり考えてきました」

 な、何を言ってるのか、理解できない。ヒオゥネの言葉が遠く聞こえる気がする。

「……でも、僕がこの気持ちを伝える訳にはいきません。今まで自分にそうしろと言ってきたのですから。……でも、貴方が今、ヴァントリア様でない女性に化けていると言うのなら、許してほしい。いえ、女性に向けた言葉だと理解していただきたいんです」
「あ、の。さっきから何を言ってるのか、さっぱり」
「やっぱり貴方は、酷い人だ。その癖悪い人にはなってくれない、僕の大嫌いな、いい人です」

 ヒオゥネの顔が近付いてきて、思わずぎゅっと目を瞑る。

 額に布と唇の感触がする。長い時間そうしているから、ヒオゥネの胸を押せば、彼の身体も唇もすんなりと離れていった。

 なんとなく、顔をうつ向けてずっと目を瞑っていた。なんとなく、なんとなくヒオゥネの顔が見れなかった。

 ヒオゥネが近づく気配がする。

 ヒオゥネがいつもより低いトーンで一言だけ、呟く。

 ——咄嗟に目を開いたが、ヒオゥネは既に姿を消していた。


「…………」

 ヒオゥネの呟いた言葉を、脳内で反芻してみる。そうしてから、意味を考えてみるけれど。

 ……わ、分からない。

 な、何だ、それ。意味わかんない。

 い、意味わかんない!!


「い、イルエラ、イルエラ探そう! そうしよう……!」

 一歩踏み出せば、なぜか力が抜けて、へにゃへにゃと地面に座り込む。

 心臓の音がうるさい。ヒオゥネの声が耳から離れない。囁かれた方の右の耳を押さえる。緊張で熱くなった身体を、冷やそうと思って外に出てきたのに。

 身体はどんどん、どんどん熱くなっていく。ヒオゥネの布越しの唇の感触が、声が、瞳が、抱き締められた時のことが、脳を巡って消えない。

 耳に残るヒオゥネの低い声で、全身が火傷してしまいそうなくらい熱かった。



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