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第六章
148話 抱えきれないココロ
しおりを挟む目の前に並べられたお菓子をじっと眺める。
昔から甘いものは好きだった。お菓子だけは好きだった。肉はあまり好かない。
だから筋肉がつかないザコキャラに育ったんだ俺は。
……王様が別室へ移動すると聞いて準備したらしい。壁も床も家具も綺麗に磨かれ、花や装飾品で美しく飾られ、まあゴージャスな室内だった。そこへ、屋敷の主がさらにお菓子を持ち込んで来たのだ。
王様の機嫌を損ねないように、好きなものが何か一つでもあればいいと、一つでも手をつけて貰えれば幸福だと、どんどん持って来て、並べて、遂にエルデに注意されて去っていったのだ。
思わずじゅるりと垂れた涎を吸い上げる。お、美味しそう……。流石王様の為に準備されたお菓子達。食べたい……めちゃくちゃ食べたい。
もしかして数年囚人生活を送っていたヴァントリアの身体が欲しているのか、極上の甘いスイーツを。街に食いに行っていたようだが、比べ物にならないだろう。
見てるだけでもたまらん。
「……貴様は相変わらず甘いものに目がないな。こんなもののどこがいいんだ」
「…………」
何を言っても機嫌を損ねそうだ。だからと言ってお兄様大好きを全面に出して機嫌をとりにいくような発言はできない。
以前のヴァントリアみたいに『流石です。陛下。陛下には不相応なものです。』と機嫌を取ることはできないのだ。
さらに言えば、そうして食器を引かせて、後で自分の部屋に持って来させてちゃっかり食べることもできない。意地汚い手段だが、菓子のためなら仕方あるまい。全て食べ尽くしてクリームもカスも舐め尽くして皿もピカピカ状態で返すのだ。なんてお行儀の悪い。まあプライドはあったから自分の部屋でしかやらなかったけど。
「……返事をしろ、ヴァントリア」
「お、わ、私は……ヴァンです。ヴァントリアではありません」
「ほう……まだそんなことが言えるのか。この私を脅しておきながら。礼儀がなっていない貴族の部下に礼儀を教えてやっただけだろう」
その発言にカチンと来る。腕を組んで足を組んで、ドカドカと座っているシストの図太い神経が憎らしい。
苛立ちを何とか抑えつつ、糖分を取ろうとフォークを乱暴に掴み菓子を貪る。
「何が礼儀だ。お前だって、急にその貴族の部下とやらの頭に酒をかぶせたじゃないか。確かに王様の前で失礼をしたかもしれない。けどあそこには王様だけでなく貴族さえも見たことないような一般人がいる筈だ。彼等が礼儀なんて知るもんか」
黙って聞いているシストにフォークを向ける。
「礼儀を教えようとしてくれたなら素晴らしい王様だ。だけどお前が俺にしたことはただ意地悪だ。舞台の上であんなことされて、どんな顔をして会場に戻ればいいんだ。非道な行為だ。しかもそれに怒ってくれた人の首を落とせだなんて。いくら不機嫌だからってやり過ぎにもほどがあるぞ。お前だって民に対して礼儀がなってないじゃないか。民を大切にしない奴に礼儀を語られる筋合いはない」
「ふん。民について貴様に語られる筋合いは無い」
菓子に刺そうとしていたフォークを止めて、じっと自分の手元を見つめた。
幾ら偽装工作とはいえ、沢山の人を傷つけてきた。今だって救えない人が大勢いる。だからこそ。
「……そんなの分かってる。けど――」
自分の手からシストへ視線を移動させた時だ。彼は目も合わせたくないと言わんばかりに瞳を閉じて言った。
「貴様などに分かるものか。俺の忠告を聞かず問題ばかり起こしていた奴が理解等。ふんっ、莫迦莫迦しい。自分の胸に手を当ててからもう一度言ってみろ」
問題を起こしていたのはお前達が助けようとしなかったからだ。
「……お前はこの町の現状をどう思ってるんだ」
「何?」
シストは目を開けて自分の髪をすいていた手を止める。こちらに視線を向けて来たので今度は俺が目を閉じて合わせないようにした。
「各層の状態を把握しているのか」
「なぜ貴様にそんなことを問われなければならない。先刻も言った筈だぞ。貴様が言えたことではない」
そうやって話を聞いてこなかったのか。ヴァントリアの。いや、俺の。
「お前の行いは矛盾している。俺が女を強姦したから、奴隷を酷く扱うから捕まえたと言うなら、各層に人攫いや強姦魔が平気で現れるのはどうしてだ。この街の住民が奴隷を同じ人間として扱わないのはどうしてだ。なぜ止めようとしない。俺のことは止めたのに、奴らを止めないのか」
「ふん。だから自分も許して王族の権利を返せとでも言う気か」
その言葉に俺は特に反応を示さなかったが、エルデの肩がビクリと震えた。もう1人の兵士は不思議に思ったのか一瞬だけエルデの様子を窺った。
「そんな話はしていない。俺が聞いているんだ。なぜ街の現状を見ようとしない。俺に言えたことじゃないとまた言いたいんだろう。俺は誰よりも理解しているつもりだぞ。どの層の誰よりも。王宮から降りてまで、脱獄してまで見て来たんだ」
たった14歳のヴァントリアが、たった一人で助けて来たんだ。お前達なんかより多くの人を助けて来たんだ。
「莫迦莫迦しい。女を強姦して奴隷を買いつけて帰ってきては甘いものを食い漁っていたお前がか? 下層だけで起きたことではない。自分の部屋に女を連れ込んで侍らせていたじゃないか。暇を持て余していたのか奴隷にも随分時間をくれてやっていたように見えたが?」
信じて貰えない、聞いて貰えない。なら無理矢理にでも聞かせてやればいいんだ。
――言ってやってくれと言わんばかりに過去に見てきた映像が脳内に流れ込んでくる。伝えたい言葉が口から出て行こうとする。
ヴァントリアの言ったことを、見てきたことをこいつに思い知らせてやりたい。
シストが、お兄様達が目を向けなかった現状を。誰よりも理解していた14歳の……いや、いつからかは分からないけど、俺の記憶にないヴァントリアの、良いところを無駄になんかするもんか。
あいつは、他の人に知られては今までしてきたことが水の泡だと言ったけど、そんなことないよ。お前のやってきたことは、確かに誰かを傷付けるものだったかもしれない。でも。それでも。
力があるのに、民に目を向けようとしない上層階の奴等なんかよりよっぽど。お前は正しかった。
だから、シストにどうこう言われるのが、俺はどうしても気に食わない。
「44層では実験台にした囚人達の管理をしているだろう。成功した者は貴族へ売り、さらなる研究資金を集める」
ピクリとシストの片眉が反応する。エルデも口を開けて呆けている、その隣の兵士もハッと息を呑んだ。
「――41層、この街では三ヶ月に一度舞踏会が開かれる。舞踏会終了後、真夜中の会場でその商品を闇オークションにて売り捌く」
シストの斜め後ろにいるエルデが「何を言っている」と声を震わせながら俺の話を遮ろうとする。それを制すようにエルデに目を向ければ、エルデは一瞬戦慄してから石のように動かなくなった。ただ、汗だけが滝のように溢れている。
視線を皿の上に戻してフォークでケーキの生クリームを掬い取る。それを口に含んでから、シストへ視線を投げ掛けた。
「今開かれている舞踏会も同様だ。舞踏会が終了次第、闇オークションが開かれる。お前が来たのはその為だな? 商品の中にどなたかお求めの方でもいらっしゃるのか」
「何だと……?」
「答えなくていい。知らないとは言わせないさ。俺の言ったことは全て正しい、そうだろう。肯定するなら頷け。声は出すな。耳障りだ」
シストは顔を真っ赤にして立ち上がる。机を叩き、一瞬菓子が空を飛ぶ——それを眺めている俺に向かって、荒く吐き捨てた。
「貴様——ッ」
「発言を赦した覚えはない」
相手を睨め付ければ、肩をビクンと揺らして押し黙ってしまう。こんなシストを見るのは初めてだった。
シストはソファに座り直した。それから、まるで奇妙な物を訝しむような目付きで、じっとこちらを観察している。
「この街は他の層より、とりわけ奴隷を迫害している。一般人でも奴隷を持つ程だ。首輪を付け地面に這いつくばる奴隷の姿を見てお前達は何も思わなかったのか。常識であるかのように人間に座し、奴等に犬の餌を与える。食糧を与える分まだマシだろう。路地裏には食糧も与えられず弊履の如く捨てられた奴隷達が犇めく。それを好機と見て兵士が回収し44層で肉を剥ぎ、骨を粉々に砕き、皿に乗せ、実験台達へ配る。亜人なら身体を液体化し、薬と調合する」
エルデが口を押さえた。もう一人の兵士も、本当なのかと問いかけたい様子でシストを見ている。
——あの日のヴァントリアの言葉と共に。映像が鮮明に思い出される。ゲームの設定でも明らかにされなかった深いところまで。ヴァントリアは知り尽くしていた。泣きそうな顔をして、話していたのを思い出す。
ずっと一人で抱え込んできたのか。救おうとしてきたのか。なんて無茶で馬鹿らしいんだ。あの後、ちゃんとみんなに協力を願ったんだろうか。みんなは協力してくれただろうか。
シストも二人の兵士も蒼然としてこちらを眺めている。
――「亜人と言えば。40層で暮らしているが、彼等は良い見世物として扱われているな」
――「39層のメルカデォに強制的に参加させられる。メルカデォは相手の心臓が止まってやっと終了する娯楽だ。時には心臓を止めても続けられることがある。無理もない。血飛沫を浴びたい観客が集まるのだからな。代表に選出された戦士が舞台へ上がり、相手は高確率で家族や友人から選ばれる」
――「38層グエスには兵士の基地がある。メルカデォで優勝した亜人を兵器にする為の調教所だ」
――「37層はコロシアムで出た死体や奴隷の死体をゴミ処理役員が選別し、使えそうな者はカプセルへ格納して34層へ送る。他の残りカスは36層の大規模火葬場で処分される」
3人とも固唾を飲んで聞いているが、顔中に玉の汗を流している。シストの目はこちらを真っ直ぐ見つめているが、零れそうに見開かれた眼は焦点が合わない様子で小刻みに揺動していた。
「34層は各層全てのゴミが集められる。死骸だけを集めては流石に勘付かれるからな。目隠しとして集めているのさ。そしてそこには44層より設備の整った、広大な実験場IIが存在する。もう1つの火葬場である35層で失敗作と死骸、集めたゴミを燃焼し、その火力を研究所のエネルギーとして利用する」
14歳のヴァントリアは全てを語るには切りがないと言っていたが、その通りだ。
脳内を巡る各層の状況は酷く吐き気を催す出来事ばかりだった。数えきれない問題ばかりが脳裏をぐるぐると回っている。
こんなものを抱えてもなお、一人でどうにかしようと、救おうとしていただなんて。頭が割れそうだ。壊れる。
必要以上に脳がエネルギーを使うのか、菓子を食べる手が止まらない。シストはそれに勘付いたのか、フォークを持つ俺の手を握って制止した。
「……第1階層ユアは王宮だ、あそこにだけ唯一王座が存在する。第2階層アウラには白い木の庭がある。あの庭は、俺の帰る場所……」
徐々に徐々に頭の中に流れ込んでくる記憶によって酷い頭痛が襲う。
「何だって……?」
口から次々と思考にない言葉が出ていく。
「……俺と、あの人の。思い出の。第1階層から移動させられた。白い木。象徴。俺達の居場所」
「ヴァントリア?」
「アゼン……アゼンヒルト」
「……アゼンヒルト?」
息ができない、苦しい。胸が焼ける――冷たい、火傷してしまいそうなくらい凍てつくような痛みに襲われる。
「ヒオ、ゥネ」
怖い。この感じは。あいつがいないと、ヒオゥネがいないと収まらない。
熱い体温で。ヒオゥネの身体で。
「あっため……」
全て吐き出すんだ。脳裏にある出来事を全て。
「肉の削れる音。人々の悲鳴。路地裏。引き摺られた足。子供の首。あ、あう、虫が。うう。荊棘。イグソ、モルタイ、ト。あ、あ、はん、しん。のろい。地上の。憎しみの。全てを。45層の呪いは……アゼンヒルトの。ゼクシィルの。くっ、うう」
ダメだ、何がどこの状況なのか分からない。やめてくれ、こんなの、こんなの抱えきれない。嫌だ。怖い。
壊れる。崩れる。落ちていく。
思考の闇に。記憶の迷宮に。光が欲しい。地下に閉じこめられていては、光が当たらない。
「――ヴァントリアッ!!」
――ッ、ハッと息を吹き返すようにノイズが遠のいていく。
強い力で肩を支えられて、自分が前に倒れ込んでいたことに気が付いた。
目の前には雪のように白い瞳がある。瞳だけでなく、肌も、髪も、服も。全てが美しく輝いて見える。
「……シス、ト」
ヴァントリアの求めた白い光。
唯一光と認めた人。貴方に向けた期待。羨望。強い力への憧れ。血のように真っ赤な気味の悪い容姿でなくて。美しい光のような、お前に。俺は。
「……もう大丈夫」
シストの手から引いてソファの背もたれに背中を預けた。
忘れかけていた、言いたかった言葉を。捻り出す。
「俺はお前より把握してる。お前が上層部で執務しかやって来なかったからこうなってるんだ……放っとくつもりなんて言わせない。俺から王族の権利を剥奪したのも、奴隷の為だとか女の為だとか言うのなら、奴隷を売っている商人や、自分の身体でしか稼げない娼婦はどうなる。」
息を整えながら告げる言葉にシストはきちんと耳を貸しているように見えた。
伝えられている。聞いてくれている。ヴァントリア、ほら。ちゃんと、頼れば。聞いてくれるんだ。
でも、このチャンスは今しかないかもしれない。俺の意思も全て。伝えなければ。
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