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第五章 後編
135話 さっそくピンチ
しおりを挟むすぐにでも触れてきそうなそれに驚いて。
ずああっと、腰を支える手を利用して——身体を逸らして反射的に避けてしまった。
「あ、あの、ち、近いよ……」
サングラス外れてるから口説き症の症状が出ているのか?
「一回だけ……」
「て、テイガイア……?」
「一回だけでいい。欲張りなのはわかっている。貴方の傍に居られることがどれだけ幸せなことかも、知っている。でも、それでも。一度だけでいい」
再び唇を寄せられて慌てて逃げるけれど、逃げる為に利用していた腰に今度は引き寄せられてしまう。
「な、何……何考えてるんだ、テイガイアっ」
懐くにしたって、甘えるにしたってやり過ぎだし、サングラス外す度にこんなことしてたんじゃあ。
「……一度だけ、私の気持ちを受け入れてくれ」
「——っ、だ、だから何の話——」
唇に熱い吐息が掛かる——もうダメだ、とぎゅっと目を瞑ったが。予想を裏切られ、それは頰へとくっ付けられた。
濡れた感触を乗せた後それは離れていく。恐る恐る目を開ければ、相手の顔は見えず、首筋に頭を埋められていた。
鋭い痛みが走って——「ひぎゃうっ!?」——と悲鳴をあげる。
「……王子様のキスは口にするものだと思っていました」
噛み付かれた首を抑えて相手を睨み上げる。相手の顔は真っ赤だ。
「……た、例えお姫様相手でもできるもんか」
なんかこっちも恥ずかしくなって顔を背ける。
——俺はもう二度と男とはキスしないんだっ。これからは絶対にしない、しないったらしない。
もちろん、さっきは、テイガイアの呪いが解けるならと口にしようとしたけれど。
——流石に、口にする勇気がなくて、口のすぐ近くの頬へ何度か口付けた。
効果がないからキスは意味がないのか、それとも唇じゃなきゃダメなのかと、
もう一度勇気を出したけれど。結局できずに額にキスをした。
「……まさか本当に王子のキスで呪いが解けるなんて」
童話と同じ仕組みなんてびっくりだ。
「王子様のキスと言うよりは……愛する者からのキスの効果じゃないだろうか」
愛する者……?
お前、そんなに俺に懐いていたのか。
訝しげに見ると、顔を真っ赤に染めて目を逸らされる。もしかして子供の頃さんざん甘えてきたから恥ずかしいんだろうか。
「ああ……大人になったと言うのに結局何もできないなんて。情けない……」
ボソボソと何やら呟いていて、元気になったようで嬉しくて眺めていたが——それどころではなくなったようだ。
——触手が天井を支えていたのか、バラバラになった触手と共に天井が少しずつズレ落ちてくる。
「——ここから脱出しないと」
「私の世界だ、私は大丈夫だが。君は元の世界で目覚める必要がある」
「——ど、どうやって」
ガラガラッとけたたましい音が鳴り響き、天井が砕けて降り注いでくる。
降り注ぐ瓦礫から庇うように——テイガイアに抱き寄せられる。
辺りが一瞬にして暗くなり、頭上を見上げる————視界を覆うサイズの瓦礫が俺達の真上に現れた。
もうダメだ——と、テイガイアにしがみついて目を瞑った時だ。久しぶりに聞く声が自分の名前を呼ぶ。テイガイアを見上げれば優しい微笑みが降ってくる。
「……ありがとう、ヴァントリア。私を救ってくれて」
ずっと窮屈で冷たかった胸の内のわだかまりが解けていく気がした。
また会おうテイガイア。現実のお前も、俺が助けてあげるから。
テイガイアの瞳が静かに閉じられ、つられるように自分も目を閉じた。
「——ヴァン、ヴァンっ」
真っ黒の意識の中、遠くから徐々に近付くように、自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
自分の身体と思えないくらい重たかったが——肩を揺する振動を感じて、ハッと意識が戻り勢い良く起き上がった。目の前がチカチカして万華鏡のような不思議な模様であたりがよく見えない。徐々に目が慣れて来ると、珍しく心配そうな顔でこちらを覗く、肩に触れていた暖かい手の持ち主がいた。
「ジノさぁんっ」
「どわっ!?」
絶体絶命のピンチだったことにも、やっと帰ってこれたことにも安心して、抱き着くと。
「いきなり何すんだ!」——とこてんぱんに殴られてしまった。
いきなり抱き着いたのは悪かったけど、もうちょっと手加減して。ザコキャラなんだからダメージの減りが凄まじいんだぞ。
喜びたい気持ちを抑えて——すぐに起き上がって周囲を見渡す。
「ジノ、テイガイアは?」
「テイガイア……? ——……見つけたのか!?」
一瞬博士のことだと分からなかったようだ。しかし、すぐに食いかかってきた。
そうだ、魔獣の姿で暴れていたんじゃ——と、辺りを見渡す、魔獣は消えていた。
——いや、正しく言えば、巨大な残骸が中央に仰々しく横たわっていた、空洞から白い砂をパラパラと落として崩壊し続けている。俺達の周りの地面にも、触手の硬化後の大きな欠片がゴロゴロと転がっていた。
中央は動物の骨のようで、周囲には、まるで何かを追い掛けている最中に時間を止められたような形のモノや、天井や、床に突き刺さっていたり飛び出しているモノなど、不思議な形状で硬化した触手が多様に折り重なって特異な空間を作り出していた。
地面を覆った真っ白な砂や天井にはびこる根のような姿は、まるでWoRLD oF SHiSUToの世界そのものだ。
古びた石造りの45層はどこかその世界からは逸脱して見えたが、44層もそれに近い状態になっていた。
——しかし再び触手により白く染め上げられ、あの世界へ戻ったみたいで不思議だった。やはり白い空間の方が一番ゲームの世界観を感じられる。
魔獣の死骸の中へ入り、テイガイアの姿を探す。背後からジノの戸惑った声が聞こえた。
なんと言ったかは聞こえなかったが、俺の行動に対することであることは間違いないだろうから、取り敢えず答えておく。
「——この魔獣がテイガイアなんだ……!」
テイガイアが助かっているかは分からない、けれど。確かにあの時、テイガイアは救われたように見えた。
魔獣の中は——ちょっとした遊具みたいに、広くて、頑丈だ。登ったり滑ったり飛んだり潜ったりと魔獣の中を捜索する。
魔獣の中心部——肋骨のように開く触手の下に人影を発見する。
「——テイガイア……!」
テイガイアの身体を抱き起こし、呼び掛け続ける——やがて、瞼が開かれ、あの美しい瞳と割れたサングラス越しに目が合う。
——瞬間、テイガイアはガバッと身体を起こして、むぎうっと抱き着いてくる。
——何事!?
テイガイアの両腕に抱かれた儘、放心して身動きが取れずにいると。
身体が離れて間近に顔が迫る。薄っすらと開いた瞳は光に満ちて活き活きとしている。——サングラスが割れて、ゲームで見た瞳が爛々と輝いてこちらを見ている。
ま、まさか、と離れようとして——唇に近い頰に唇を押し付けられて、——確信した。口説き症が発症しているぞ!
「テ、テイガイア、サングラス、サングラスの予備はないのかっ!?」
「あってもなくても同じだ。……君だけは常に輝いて見える」
「サングラス付け続け過ぎて視力が落ちたんじゃないか!?」
何度も口の近くにちゅっちゅされ、ひぃぃ、と抵抗するが、腰を抑えられていて逃れられない。
俺はもう男とはキスしないって決めたのに——口だけは守ってやる! 絶対!
テイガイアは獣の如く、耳を齧ったり首を噛んだりと肉食化する、コートを捲られ、襟首を開けられて鎖骨に噛み付かれた。
「いだだだだだッ、お前は躾のなってない猫か!」
「貴方が愛し過ぎて、食べてしまいたい……」
「……ひい、嬉しくない!」
鼻にキスをされ、ひええ、と身を逸らした時だ。目の前から一瞬にしてテイガイアの姿が消えてすぐ傍で大きな音がする。
「——ったく、どうしてお前はいつもいつも変態に言い寄られてんだ!」
「ジノぉお!」
抱き着こうとすれば避けられる。——テイガイアと違って、甘えん坊の時期はもうとっくに過ぎてしまったのか。
テイガイアは今でも甘えまくりだぞ。まだ子供なんだからお兄さんに頼りなさい。……いや、ザコキャラだから頼りないのかもしれない。
「バン様……っ」
真横に吹っ飛んだ筈のテイガイアが横から飛び付いてきてスリスリと頬擦りをしてくる。お前は少しは成長しなさい!
「テ、テイガイア、もう大人なんだから甘えるのは——」
愛情不足なんだし仕方ないかもしれないけど、大人の姿でこういう事されるとなんか妙に心臓に悪い。特にこの動けなくなる状態が、はがゆい。
「バン様……」
「ひいいいやめなさい!」
再びキス攻撃に見舞われていたら、——大きな音がしてテイガイアが視界から姿を消した。今度は褐色の肌が目の前にある、放たれた拳が持ち主の元へ戻り、それにつられるように振り向いた。
「イルエラ!」
「……なぜ抵抗しないんだ」
「いや、してるんだけど」
「はぁ……莫迦め」
呆れられてしまったと落ち込んでいると、大きな手に頭を撫でられ、沈んでいた胸がふわふわとした気分になる。
「イルエラは母さんみたいだなぁ」
心からの賛辞だったのだが、撫でていた手がピタリと止まり、ぐわしっと頭を鷲掴みにされた。
…………あの、イルエラ様?
ギリギリと締め付けられて、とてつもなく痛い。
「お前が取り込まれてからと言うもの……私とジノがどれだけ苦労したと」
「取り込まれた?」
「——……そうだッ、ジノと共にお前を探したが、見つからなかったッ! だが急に姿を現したかと思えば——」
おしゃべりモードか。
急に姿を現した——確か。アゼンが別空間に俺を移してくれたんだっけ。アゼンが去った後、俺の避難させられていた身体が戻ったと言うことだろう。
精神はオリオにいたが、身体はどこに避難させてたんだろう。それともオリオにいた時の身体は俺のもの?
詳しく聞いておけば良かったな。
「——魔獣がお前を再び取り込んで——」
「——え」
ペラペラ喋っていたイルエラの言葉に、おかしな点を発見する。
アゼンは俺が取り込まれたら、呪いが吸収されて、魔獣の核にされると言っていた。けれど身体は無事だ。どうして。
「しかしお前を取り込んだ途端、黒かった触手が全て白く変色し、硬直化した白かった触手は砂になって崩れていった」
「じゃあ、これはお前達が倒したんじゃなくて——」
「——暴走していた呪いはお前の中に吸い込まれた」
え——とイルエラの真剣な眼差しに真っ直ぐ目を向けて尋ねるように目で訴えた。
イルエラは開き続けていた口を閉ざし、手を退けた後、頭を横に振った。——実際に見ていたイルエラにも分からないようだ、呪いがなぜ俺の中に入ったのか。
モヤモヤしていると——その疑問に答えるように、爽やかな声が背後から降ってくる。
「万に入ったんじゃない。俺があげたマデウロボスの体内石、ホウククォーツが吸収したんだ。ヴァントリアの呪いはヴァントリアの身体になっているから吸えないけれど、周囲の呪いは吸収できる。テイガイアはマデウロボス程には到達していないから、接触した時ホウククォーツに呪いの大半を吸い込まれたんだよ」
「……ウォルズ!」
良かった、無事だったんだ。でも一体今までどこに——そう思いながら振り返ると、彼は頭上からぶら下がっていた。
……正確に言うと、上の触手からこちらに降りようとしてきて、失敗したようだ。
足が抜けないらしく、ぶら下がったままキリッとしている。
いじめっ子みたいにジノに何度も踏まれては、寝そべっていたテイガイアが、ポツリと呟く。
「ウォルズ……?」
――そうしてハッとしてウォルズのことを眺める。
「――……あの時バン様が呼んでいたのは……」
何か呟いていたが聞き取れず、取り敢えず紹介しておく。
「テイガイアは初めて会うよな、こいつはウォル——」
「ヴァントリアの夫です!」
「——と言うのはこいつの妄想で。信頼の置ける相手なんだ」
照れてるヴァントリア可愛い! ——くらい言われると思っていたのに、不思議なくらい静かだ。
振り向いてみると、奴は顔を真っ赤っかにして口をパクパクしている。
顔を両手で覆って、真っ赤なお耳がヒクヒク動く。
「ああ、もう。ヴァントリアクソカワ。ウォルズのこと大好きなくせに。信頼してるとかマジ可愛いわ。ヴァントリアウォルズ好き過ぎかよほんとやめて急な爆弾投下」
本気でデレないでくれ、ツッコミづらいから。
「ヴァ、ヴァントリアは私の伴侶だ」
どうやって潜り抜けたのかジノの足試練は突破したようで、すぐにぎゅっと抱き付いてくる。
甘えん坊もほどほどにしてくれ。
「——ふおおおおっ、テイガイア×ヴァントリア……! いい! なんて呼ぶべきなんだ博ヴァン? いや士ヴァンか!? テイヴァン!?」
「――お前は黙れ!?」
背後で奇怪な声が上がって慌てて振り返る、テイガイアの甘えん坊がやみ、テイガイアも睨み上げるようにウォルズを見た。
え。何、勇者嫌い? グラサン割れてるんだし、二重人格発動して口説きまくるんじゃないの?
「ああああっ、最高! 俺ってどうして生きてるんだろう! 死んじゃってもおかしくないのに! 萌え死んでる筈なのに! また生き返っちゃったのかなっ! あああ転生って素晴らしいなぁあっ! もっとやれ!」
お前は黙れ。
「どうぞ。お近づきの印に」
ウォルズがぽとりと着地して、俺の後ろに回り込んでくる。何だ?
ウォルズはふふん、と鼻を鳴らして、俺のズボンを引きずり下ろした。咄嗟に抑えて前は何とか食い止めているが後ろは丸出しだ。
「うぎゃああああああッ!?」
「ほほう……」
——わざわざ回り込むな、見るなっ! ジノさん達は呆れてないで助けて!
そんなこんなで色々問題が起きて。
呪いが充満している44層に居続けるのは流石にまずいだろうと、テイガイアと皆で一緒にエレベーターに向かった。
敵は誰もいないからすんなりと辿り着くことができた。だからこそ、警戒心が疎かになっていて。
来る時に使用したエレベーターを使ってしまったのだ。普通なら1、2人乗りのエレベーターは4人で乗っても少しばかり窮屈なだけだったけれど、大の大人1人が加わるだけでぎゅうぎゅうに詰め込まれ、仕方なく互いに密着することになるのだが。
「……ほんと、いい加減甘えん坊も卒業しなきゃダメだぞ」
「いやです」
「はぁ……一体どこで間違えたんだ」
やはり中学生の時にもっと注意すれば良かったかな。
テイガイアの腕の中でそんなことを考えていると、ふと周囲から視線を感じて見渡してみる。すると、ウォルズはでへでへだし、イルエラは眉間に皺を寄せているし、ジノは世界を滅亡させんばかりの眼力でこちらを睨み付けている。
「ああ。バン様いい匂い」
「ちょ、嗅ぐな!」
「今なんと……?」
ウォルズがめちゃめちゃ笑顔でそんなことを言うから、嗅ぐ、の単語に反応したかと思ったが。
違ったらしい。ウォルズにしては爽やか過ぎる笑顔だ。……いやゲームではもちろん爽やかなんだけどさ。
「ど、どうした?」
「万って呼んでいいのは俺だけだから……!」
「え、そんなこと?」
「――でも様付けとか萌える」
「情緒不安定かお前は」
真顔に戻ったりめちゃめちゃ笑顔になったり、複雑な心境のようだ。彼の思考ではどんな奇妙なことが繰り広げられているんだろう。
「……お前こそ、どうしてバンと呼ぶんだ。バン様が教えたのですか?」
「え。ああ、そっか。テイガイアに名前付けて貰ったんだっけ」
ウォルズが不思議そうにするので説明すると、彼は納得したのかポンと手を打って「もえー」と鳴いた。お前はヤギか。
「くうっ、俺だけ特別な名前で呼べる裕福感が損なわれてしまった……だがとてもいい、めちゃめちゃ可愛い好き。目覚めそう。だが本命はウォルヴァンだから、最後に結ばれるのはウォルズとだから!」
「はいはい」
長い窮屈な室内で討論する彼等を迷惑そうにジノとイルエラが眺めている。君達は手が掛からなくて助かるなぁ。――だと言うのにお前らと来たら。
「バン様の服をデザインしたのは君なのか!? 素晴らしい!」
「いやぁ、俺的には全裸でも構わないんだけどね、チラリズムは革命だからね」
「確かに。チラチラとこちらの様子を伺う姿は愛らしい」
「そう言う意味じゃないけど同意」
意気投合するんじゃない、もっと面倒になるだろう。
ようやくエレベーターが止まり、——やっとこの窮屈さから抜け出せる。そう思った時だった。
「……え」
「あ……」
開かれた扉のすぐそこに、真っ白の制服を着た大量の兵士――しかも、ビレストの軍隊が、エレベーター周辺を包囲していた。
――しまった、待ち伏せされたんだ!
警戒心が削がれてしまっていて、同じエレベーターを使ったことが問題だったのか。や、やばいぞ、この状況は。
ビレストの団員達はこちらにそれぞれの武器を向けて、降りて来いと脅す。
道が開けていき、奥から——騎士団長エルデ・ロン・フォングが、彼の身長の二倍はある漆黒の大剣を肩に担いでやって来る。
ウォルズが静かに呟いた。
「やべぇ、詰んだ……」
それな。
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