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第伍章

128話 引き裂かれた想い

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 その言葉を聞いた直後、両腕を冷たい手に引っ張られるような感覚が起きる。

 ——鎖骨の上から、首から、胸から感覚だけが通っていく。太股の付け根、そして腹を、内蔵を引き千切られるような、痛みすらも感じないが通り抜けていく。

 悪心が起きて思わずゼクシィルの肩にしがみ付く。それに反応したゼクシィルが、俺の頭に手を触れた途端、いっそう気味の悪い感覚が襲う。

 胃酸が上がってくる気配がして口を抑えて食い止める。

「……うっ」

 半身。

 俺の半身は、保管されているとノートに書かれていた。

 あれがもし、本当のことなら、俺のこの身体は、今どう言う状態なんだ。

「それ以上兄さんの名前を呼ぶな、勘付かれるぞ」
「ああ、どこにでも現れるんでしたっけ。空間移動ですか。興味深いです」
「日を改めて教えてやるさ。俺は今からやることがあるんでな」

 自分の髪に触れた息と、冷たく柔らかい感触に総毛立つ。髪にキスをされたらしい。離れようとすれば——腰をがっしりとホールドされて離れられない。

 顔を覗き込んできた青い瞳がキラリと光り、ゼクシィルが心底嬉しそうに口元を緩めて言った。

「久しぶりに可愛がってやる。昔は身体の全てが小さく感じて可愛らしかったが、成長した身体はさぞ美しく変わっているんだろう」

 頭にあった手が下がり、服の開けている背中を撫で回す。ゆったりとした手つきで撫でられ、中へ入り込もうとする相手の手から逃れようとする。しかし再び、自分の腰に回ったゼクシィルの手に邪魔をされる。

 気持ち悪い……。

 甘い汁を吸うようにピチャピチャと耳に舌を滑り込ませて、耳の中で直接グチュグチュと水音を立ててくる。

「や、やめろ——っ、変態……っ!!」
「ん……ふふふ、くく。酷いことを言うじゃないか。感じているくせに」

 指先が服をめくり、乳首の先っちょを押してくる。

「——っ、は、離せこの変態野郎ッ!!」

 彼の胸を叩いたが壁を相手にしているみたいに微動だにしない、拳が痛くなるだけだった。

 両腕で自分の胸を覆って、これ以上の侵入を拒む。

「……おっと。そうだった。ここではヒオゥネ様の逆鱗に触れてしまう。俺の心臓が人質らしいからなぁ」

 先刻まで押し付けてきていた指先を抜いて、自らの口に入れるものだから、気持ち悪くて見ていられない。

 立ち上がったゼクシィルに腕を引っ張られ、いまだに力の入らない足を、無理やり立たされてしまう。

 しかし俺が動けないと察したのか、ゼクジィルは膝裏に手を回し、あろうことか俺を横抱きにした。——とたん、ゼクシィルの顔が間近に迫る。奴の唇が自分の唇の上に降りてこようとするから、咄嗟に相手の口を塞ぐ。

 不愉快そうに眉が寄せられたが、あっさりと顔は離れていった。

「ヒ、ヒオゥネ……」
「はぁ……そんな目で見られても困ります。僕はゼクシィル様に種明かしをしてしまいました。殺せる方法も限られてきますよ」
「でも、さっきは……」

 助けてくれたじゃないか。

 続きの言葉を飲み込んで、相手から目を逸らす。

 こいつは非道な奴なんだ、博士や生徒達、他にもきっと実験をしている人達が沢山いる、そしてラルフも……。

 ヒオゥネが助けてくれる筈なんかないのに。ゼクシィルから逃れたいばかりに。

 ——さっきから、助けられるのは俺ではなくて、博士だと思っているのに。

「……言っただろ」
「はい?」

 ヒオゥネは博士のそばに戻り、刺されたナイフを引き抜く。ナイフに付いた血液と液体を拭い、台の上に置くと、その上から注射針を取る。

「……代わりに俺を実験台にしてくれって」
「そうでしたか? 未来の僕にでも言ったんですか? でも結構です。貴方に手を出したら流石に殺されますから」

 準備されていた薬品を注射針が吸って透明な筒に溜まっていく。

「ならどうすれば博士の実験をやめてくれるんだ……!」
「やめませんよ。どうされたって」
「ヒオゥネ……っ」

 呼吸を荒くする博士の腕や肩に謎の薬品を投与していく。

「ゼクシィル様、ちょっとだけ拘束して貰っててもいいですか」
「心臓が人質だからな」
「やけに嬉しそうですね」
「こんな危機感は初めてだ。抵抗する気も起きん。もっと味わわせてくれてもいい」
「気持ち悪いですね」

 ゼクシィルは俺を抱えたまま博士とヒオゥネの姿が見える場所に立つ。

「な、何をする気だ」

 薬の投与された部位が不思議なことに元どおりに治っていく。傷跡さえ残らない。ただ、昔のものと思われる傷跡は残ったままだ。

 なぜだ、ヒオゥネは助けないと言ったばかりなのに、なぜ。

 博士の肩に手を置くヒオゥネ。博士の荒い息がやがて静かになり、今にも閉じそうだった瞳に生気が灯る。

  苦痛に歪んでいた表情が一瞬にして呆けて辺りをキョロキョロと見渡した。目が合って相手が瞠目する。

「バン様? その方は一体。ここはどこですか……ラルフ君はどこに……君は確か、ヒオゥネ君?」
「何を言っているんだ博士……」
「博士、貴方の実験をヴァントリア様に見ていただいているんですよ」

 博士は訝しげに眉間に皺を寄せて相手を見る。ヒオゥネの手にはやはり注射針があった。しかし中身は真っ赤だ。

 あれは、ただの赤い液体とは思えない、なら人間の血か、それとも亜人の血か?

「や、やめろヒオゥネ——ッ」
「大人しくしていろ」

 ゼクシィルの手から逃れようとすれば、ゼクシィルの言葉によって身体が金縛りにあったみたいに動かなくなる。

 博士のつんざくような叫び声が部屋中にこだまする。皮膚を突き破る音と、その下で起こる触手の暴れる音。内臓と血管がぐちゃぐちゃにかき混ぜられる音がする。

 今までと違うのは悲鳴をあげる場所が口だけではないことだ。

 肉が避けて、そこから白い歯が現れては叫ぶ——やがて周りの皮膚を触手が突き破り、飲み込むようにそれ等を体内へ引きずりこむ。

 まるで血液の持ち主を取り込んでいるような……。

 大勢の悲鳴と触手の暴れる音が不協和音を生み脳を揺さぶって、吐き気に襲われる——その時、ヒオゥネのよく通る声が鼓膜を揺らした。

「苦しいですか、博士、なら忘れましょう」

 注射をせずとも、博士の身体は自らの力で治癒をしていく。呪いの力が発動しているのか、身体中に得体の知れない文字が溢れて傷が再生していくのだ。それは模様のように広がって気味が悪い。

 ヒオゥネの手が博士の肩に触れると博士の顔はすうっと何事もなかったかのような表情になり、再びキョロキョロと辺りを見回してお馴染みのセリフを言う。

「もう、やめてくれ……」

 博士の父親と交代した時、ヒオゥネは注射針を持っていた。これがもし呪いを発動させて自らに治癒させるための薬品だったなら、あのあとも——。

 博士の記憶を奪って正気に戻して、実験を繰り返す。だから博士はヒオゥネに実験されていることを忘れていたんだ。

 ゼクシィルによって、苦しみ、涙を流す博士からどんどん離されていく。

「博士っ、離せっ!! 離してくれッ」

 博士が俺の声に反応してハッとこちらに振り向く。

「もう見飽きた。いいだろうヒオゥネ」
「はい。なかなか面白かったです。記憶は消しているのに呪いは強くなっていく、そろそろ、ヴァントリア様の記憶も消します」

 ビクッと博士の身体が震える、薄く開かれた唇から掠れた声が溢れた。

「記憶を……けす、バン様の……?」

 放心状態の博士に思わず手を伸ばす——ゼクジィルは暴れる俺を気にも止めずに扉の外へ連れて行こうとする。

「博士ッ!! くそっ、離せゼクシィルッ!!」
「バン、様——バン様っ」

 ヒオゥネはただ傍観するだけでことを起こそうとはしない、だが、ゼクシィルは扉を開け、部屋から出ようとしている。

「博士……テイガイアッ!!」
「バン様……ヴァントリア様……っ、ヴァントリア」

 いやだ、博士をこのままにしておくのも、こいつと——今から、嫌だ。


 たすけ



「助ける、助けるんだ、——テイガイアぁッ」


 たすけて


「ヴァントリア……っ」




 テイガイアを助けて。



 俺はどうなったって構わないから。だから。


「ていがいあ……っ」



 どうして俺は。

 お前を助ける力がないんだ。また、見ているだけなのか。見ていることしかできないのか。

 14歳のヴァントリア、お前なら、どうしていたんだ。助けられたのか。君なら。昔の俺なら。




 扉は重たい音を立て、無慈悲に閉まる。俺達の間を引き裂いた扉の向こうから——テイガイアの叫び声が響き渡る。



 ゼクシィルの冷たい身体が、自分の体温を奪っていく。



 ごめん。

 ごめん、テイガイア。


 ……約束を破ってしまって。


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