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第伍章
123話 嵐は過ぎ去り
しおりを挟む楽しそうに話すヒオゥネの声は町中の人にも聞こえているだろう、何故なら彼の声はよく耳に届く。
これこそ人の上に立つカリスマ性——真のウロボス帝の魅力、と言うべきか。
そんな彼に近づいて行く俺を見ても、ヒオゥネは変わらず楽しそうにわらう。しかし相変わらず無表情だ。
俺が何したって変わらないと言わんばかりの余裕だ。おしゃべりを続けるほど余裕なのは、エレベーターも使えない人々には、逃げ場がないと知っているから。
——大丈夫だ。不本意だけど、ヒオゥネには何度もされたんだから。
「ここで会ったことは全て————…………」
毅然とする彼の唇にそっと唇を重ねた。熱い唇の感触。今のヒオゥネと変わらない。
——すぐに離すと、ヒオゥネらしからぬ、ぽかんと口を開けて、自分が何をされたか気付いていないような顔をする。
もう一度その熱い唇に自らの唇を重ねると町中を震わせるような悲鳴が周囲から次々と上げられた。14歳ヴァントリアと博士の「ぎゃああああああああああああッ」と言う声がより煩いが。
もう一度唇を離せば、ヒオゥネの睫毛が僅かに震えた。
魔法陣は展開されたままだが、実行する様子はない。もう一度鼻先を擦り付けると、ヒオゥネの顔が真っ赤に染まり上げられた。
「え……」
ぐわっと顔を逸らされる。
「そこまでしていい人になりたいですか——今日でなくても明日にでも消せます。」
いや1時間だけでも考える時間が欲しいと思っただけで……——考えられるかどうかは不安だったけど——なんだよ今日って……一日中する気はないぞ。
「どうしてもダメか……?」
「…………」
黙り込む唇に、そこまでして止めたいと再び唇を押し付ける。
ああ、気持ち悪い……こんな奴とキスなんて。
こいつは博士を実験して恐ろしい魔獣の姿へと変えた、きっと未だに生徒達も実験台にしている。そして何よりラルフを、……ヒオゥネは敵だ。
こんな奴とキスなんて——もうしたくない、そんなふうに考えながら耐えていると。自分の頭のフードが後方に引っ張られて身体が仰け反った。もちろんキスも中断だ。
「グエッ、な、何——!?」
「お、お前……俺とキスしたすぐ後で、浮気だと……」
フードがぺっと離され、倒れそうになった身体のバランスを持ち直す。引っ張られた方では14歳の自分がご立腹していた、……自分の顔が目の前で男とキスし始めたらそりゃ止めるわな。でも。
「えっと、これはラルフの魔法を止めたくて……っ」
「うっさい俺以外とはもう二度とするなッ!!」
「な、なんだそれ、俺がしたくてしてるみたいに言うな!」
「自分からしてたじゃないか!」
「いや、だからこれは手段であって——」
「いいから俺以外とはするなッ!! 分かったか!?」
まあ手段とは言え目の前でされたら怒りたい気分になるのは仕方がないか。でも、もう会えないんだし自分と以外するなってどうなんだ。お前とも出来ないだろ。いやしたい訳じゃないけど。
「……ファーストキス」
「え?」
ヒオゥネがポツリと呟いたそれはちゃんと俺の耳にも届いた。なんか申し訳なさが溢れてくる。
「……その、ご、ごめん。ほら、ヒオ——ラルフってかっこいいから彼女の一人や二人……」
いやいたらダメだって。それこそ浮気だ。
「……ヴァントリア様、いいことを思いつきました」
「い、いいこと?」
「貴方がいい人でも構いません、……きっと未来の僕が貴方を悪い人にしてくれるでしょうし。でも今回諦める代わりに、未来の僕に今後会ったら再会のチューをしてください」
「何言ってんの」
「僕は変態らしいので。未来の自分へ約束を守らなかったお詫びですよ」
「……お詫びになるのか、そんなことで」
「ええ。まあ。貴方は特別なので。毎度会うたびにチューしてくださいね」
ここで約束をして置いてヒオゥネにはとぼけるという手もあるが。
「……他にないの?」
「はあ。仕方がないです。ならほっぺにチューで許してあげます」
「やだ。」
「……じゃあせめてハグで」
なんでそっちから頼む姿勢になっているんだ。
「まあ、それくらいなら——」
「——狡い! 私もハグを! 未来の私にハグを下さいバン様!」
「いや、今回はテイガイアにはなんの迷惑も掛けてないし」
確かに注目を集めてしまったけど、割とスルーされてたろ。ヒオゥネにだってなんで俺が詫びないといけないんだと思うけど。今回諦めてくれるなら渋々承諾するしかないし。
「——今まで放って置いた分の詫びを! 私のバン様なのに他の男とぶっちゅぶっちゅ……私は出来る勇気もないのに……他の男に先に、ああ、やっぱり一緒に寝た時に奪っておけば良かったんだ。あの時勇気があれば……バン様の初ちゅーは私だったはずなのに」
おいおい、懐きすぎじゃないか? そんな過剰なスキンシップやだよ。
「俺の初チューは無理だろ。散々してきたみたいだし……。何才の時に済ませたんだ?」
「お前覚えてないのか? 6才の頃だよ。」
マセガキかよ。
「6才……初めて会った時ならまだ間に合う、一度過去へ戻ってから王室へ向かってキスを……」
行けないだろ過去には。博士と言われるほどだからいつか発明しそうで怖いけど。それに6才の子供に何をしようとしているんだ。犯罪はダメだぞ。
「誰としたの? ウラティカ?」
「ゼクシィル様だよ」
「ゼ——ッ!?」
そんなナチュラルに名前を出していいのか、まあ周りは突如現れた上空の魔法陣に夢中らしいけど。
「そんなことはどうだっていいんだ、俺以外とはしないと早く誓え。そうじゃないと俺はお前の目の前から去ってやらない。」
無理矢理身体を向き直させられ、グイグイと顔を近づけてくる。脅迫されているような気分だ、いやされているのか。
「あ、いや……その、」
「なんだ、したいと思う奴でもいるのか、例えばそうだな、未来のラルフとか?」
ヒオゥネとの会話でそう思ったのか、正確に言えば未来のヒオゥネの話をしていたんだけど。
「惚れてるのか、こいつに」
「いやないないそれはない」
全力で否定すれば背後からどんよりとした空気が漂ってきた気がして振り返る。呪いが迫っているのかと思ったが背後にはヒオゥネがいるだけだ。
「まあ、今回は記憶は消しませんよ。代わりに約束は忘れないでください。」
「う、うん」
「博士、そろそろ僕達も行きましょう。いつまでもこうしている訳には行きません。」
「わ、分かっている」
ならくっ付くな。離れなさい。
博士に引き摺られるように連れていかれる俺を14歳ヴァントリアはじっと見つめたままだった。いたたまれなくて手を振ると、フッと笑って背を向ける。
やっと一段落したからか、波が引くように音を連れ去って静かに街の人がはけていく。
嵐のような一時だったな、本当に夢でも見てるんじゃないだろうか。
ヴァントリアが、いや——俺が、人を救う為に悪役を演じてきていたなんて。ヒオゥネは悪い人の俺が好きだって言ってたけど、あれを悪い人って呼べるのか?
ヒオゥネの横顔を見つめていたら、残りかすみたいに街の端にいた婦人達が俺達を眺めながら言う。
あ、そうだ、フードかぶらなきゃ。いそいそと目立つ髪を隠している間、耳には婦人達の会話が聞こえてくる。
「なんて美しい髪なのかしら」
「ええ。綺麗な茶髪だわ」
え? ……茶髪って、博士もヒオゥネも黒髪で——……俺ももう鬘はないのに。他に誰かいるのか?
きょろきょろと辺りを見回す。まあそれなりに茶髪はいるけど、綺麗だと魅入るほどこれと言って特徴的な髪の人はいない。一般に見られる茶色の髪だ。
「ラルフ君は何処へ行っても注目の的だな」
「そうですか?」
「え——……」
俺の反応を見て、くつくつと肩を震わせて笑う。
「未来のラルフ君はさぞ色男だろう。バン様、誑かされては行けませんよ。バン様が誑かされていいのは私だけ——」
「色男……どうだろう」
ラルフの姿は高校生しか見ていないし。まあ二重人格が現れた時は色気ムンムンだったな。高校生のくせに。ランタールが夢中になったのも分からんでもない。
「え、そんなにかっこよくなかったんですか? もしかして将来ハゲるタイプとか?」
嬉しそうに言うなよ。
どうして将来ハゲてしまうのかと言うテーマを元に語り出す博士の肩に、ヒオゥネがぽんと手を置く。
「僕は擬似呪いでレーライン先輩の姿で見えているように設定しているんです。ヴァントリア様は僕より呪いが強いので、僕の姿で見えてしまうんでしょうね。この時代のヴァントリア様にも茶髪と言えと散々言ってきたので彼も人前では茶髪と言ってくれますよ」
「それ、博士の前で言ってもいいのか」
「構いませんよ、記憶は消しますから」
——っ、驚いた顔をしていた博士の表情が一瞬で失われ、ゆっくりと感情を取り戻すように表情が戻り、ハゲについて語り出す。やめてくれ。
ヒオゥネは指を一本立てて自らの唇に当てた。
「僕の話に関しては全て隠し事ですから」
つまりヒオゥネとの今の会話とか、未来の自分についての話なんかは消されてしまっているのだろう。
「ヴァントリア様も内緒にしててください」
自分の口に当てていた指を俺の口の上に当ててくるものだから寒気ものだ。博士の傍に避難すると——一人でぺちゃくちゃ喋り倒していた博士が振り返りざまに言った。
「——と言う訳で、ラルフ君は将来ハゲそうだ!」
「……もう一回やっときましょうかね」
「落ち着け……」
その手袋を引っ込めなさい。
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