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第伍章

120話 19歳の

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 ヒオゥネの口から突然出てきた名前に驚愕することしかできない。

「45層を住処にしてたんじゃ……」
「確かに、45層を寝床にしているらしいですけど暇だとよく遊びに来ますよ。貴方が43層に落とされて近くに来たことによってより元気になった気はします」

 ……そう言えば、アゼンもそんなことを言っていたな。

 それに住処とは言っていても、45層から出ていないとは言ってない。でもアゼンの分身がヒオゥネに協力しているなんて、最悪な情報だ。

 アゼンヒルトの分身なら同じ姿なのかな、あの凄みで大きくなったら凄い威圧感なんだろうな。想像できない。それにしたって。

「ヒオゥネって何でも知ってるんだな……」

 ヴァントリアは力がないと泣いていたのに。ヒオゥネが憎い。

 呪いを使って記憶に干渉できるようになるなんて、ずば抜けた才能がなければできないことだ。

 もし彼が苦しんでいる人を救うような人だったなら、きっと素晴らしい功績を残していたかもしれないのに。

 じっと横顔を眺めていたら、ふと視線を感じて顔を上げる。感じた先を見れば、14歳ヴァントリアにくっ付いている博士がいて。

 なんだ、めちゃめちゃ睨まれてる。しかもヴァントリアもどうして俺を睨んでるんだよ。

「……そうでした、会えたらずっと聞きたいと思っていたんですけど」
「何?」

 ヒオゥネの不思議な色の瞳がこちらに向いて、ドキリとする。な、なんでこんなに緊張するんだ。

 もしかして例の長い時間が気になってしまっているのか、未だに。ヒオゥネの顔とか、声とか、聞くだけじゃなく考えるだけであの感触を思い出してしまうんだよな。

「僕とキスしたって本当ですか?」
「ブフオッ!?」

 うげほうげほと咳をして、涙目になって相手を見上げる。何か居心地の悪い視線を感じるけどなんだろう。周りに大勢人いるもんなぁ。

 人が咳をして苦しんでいると言うのに、相手はなんの反応も示さず真顔だ。相変わらず変化のない顔だな。

 まったく、元の世界のヒオゥネはどうしてそんな話をしたんだ、もしかして態とか?

 俺がここに来ることが分かってたなら見てるんじゃないかこの状況……。

 未だに残る唇の上の熱さを拭いたくて自分の口を拭うと、じっとそのさまを見つめる目が三つ。

「な、なんだよ」
「したんですね」
「無理やりされたんだ……ッ!!」
「された……? 僕からしたんですか?」
「なんで俺からしなきゃならないんだよ……思い出したくもない」
「顔赤くして言われても説得力がないですけど」
「…………顔を、赤く、だと」
「何か気に障りました?」

 平然と言って退けるヒオゥネに、苛立ちが募る。

 そんなの、そんなの当たり前だ。耐えてるんだから。

「——何時間も吸い続けられてべろべろされてトラウマにならない奴が何処にいるんだよ!? お前の顔見ると思い出すから本当は話したくも会いたくもないのに!」

 背後で凄い音が聞こえたが、誰か喧嘩でもしているのか。まあこれだけ雑踏していればな。

「……へえ、何時間も」
「いや、本当は1時間くらいしか経ってなかったみたいだけど」
「それでも長くないですか? 拒絶しなかったんですか」
「してるのに誘惑していると勘違いしたのは誰だと思う?」

 イラッとしたので睨み上げると、くつくつと肩を震わせる。やっと笑ったな。

「さあ、分かりませんね。誰で——」

 ヒオゥネが楽しそうな声で話そうとした途端、低い声が二つ重なって放たれる。目の前に鬼が現れた。

「誰ですか? 殺します」
「誰だ、早く答えろ」

「え、あ、いや……お前達には教えたくない、いや、教えられないと言うか……」

 博士ならまだしもどうして会ったばかりのヴァントリアが気にしてるんだ。ただ、なんでこいつ等こんなに不機嫌なんだ。

 ああ。分かった。博士はヴァントリアに相手して貰えなくて、ヴァントリアは俺が助けてやらなかったから不機嫌なのかな?

「そうだ、ヒオ——」

 唇に、ちょん、とヒオゥネの指が触れて一瞬自らの呼吸が止まる。ドキンと胸が高鳴って——すぐに距離を取って離れる。

「言わずとも分かります。先輩のサングラスですよね。どうぞ」

 サングラスを懐から取り出し、差し出してくる。それを受け取って博士に掛けてやる。

「よし、これで正常に戻る筈」
「……自分で設定したとは言え、つらい」
「ん? 何か言った?」
「いえ。何でも」

 むぎうっと抱き付いてきて、あれ、グラサン掛けたのに。と思ったが、昔からスキンシップ多めだったんだから通常状態かと考える。誰彼となく口説かなくなっただけでマシか。

「オイ離れろ、こいつは俺のものだ」

 博士の背中を引っ張る14歳ヴァントリア、力が敵う筈もなく。自分の力の無さを客観的に見ると無性に悲しくなるな。

「て、テイガイア……いい加減に……」

 気になってはいたけれど、限界だ。今までにないくらい大勢の人に注目されている。

 王族ヴァントリア様に、イケメンのヒオゥネに謎のモサモサ男と明らかに変装した男。注目を浴びない訳がない。

 そんな中、男同士で抱き合う姿を見られるのはいたたまれない、何かお腹の奥がムズムズする。

 首筋に埋められていた博士の鼻がすうっと大きく息を吸い込む。すぐにほうっと息を吐かれて、羞恥心が限界を超えた。

「や、やだって言ってるだろ、……テイガイアの意地悪ッ」

 彼の耳にしか聞こえない程度に怒ると、ビクリと博士の身体が震えて離れていく。

「……誘惑ですか?」
「なんでそうなるんだ、どいつもこいつもッ!」

 博士とヒオゥネを順番に睨み付けるとくつくつと肩を揺らして笑う。博士の瞳がギンッとヒオゥネに向けられる。先輩を笑うなと言いたいのかな。いつまでも甘えん坊のお前が悪い。

 漸く乱れていた心が落ち着いた気がして、14歳ヴァントリアに向き合う。

「じゃあな、ヴァントリア。俺、今からテイガイアとラルフに着いて行くことになったんだ」

 この世界には博士を助ける為に来たんだ。それに今の俺にできることなんて……いや、本当にこんな考え方でいいのか。

「——嫌だ。お前は俺が連れて行く。俺の傍に一生繋ぎ止めてやる」
「は? 何を言って」
「お前を逃がしはしない」

 ……その言葉を聞いて、彼との会話の節々に感じていた威圧的な口調がアゼンと重なる。よく見れば、仕草や佇まいも似てるかも。

 14歳ヴァントリアに襟首を掴まれ、——一瞬にして彼の長い睫毛が視界いっぱいに広がった。

 唇にしっとりとした沈み込むような感触がする。——う、この感じ。

「んんっ……」

 粘っこい舌が唇の隙間を割って無理矢理入ってくる。

 周囲が一層騒がしくなり、けたたましい悲鳴がまるで合唱のように町中に響いた。

「ん……ふ、んんっ」

 な、なななな、何を考えているんだ! 急に来られると避けられない、突然、なんで、こんなこと。

 ——ぱああ、と辺り一面が輝き出し、地面から光を出すそれに、既視感を覚えた。この光り、ゲームでも見たことがある。


 主従契約——ッ!?




 ——しかし、突如、辺りにガラスの割れるような音が響き光が明らかに可笑しいとわかる動きで霧散して行く。

 ヴァントリアのやわらかい唇が離れて、自分の口に重なっていたその口から言葉が発せられる。なんとなく夢見心地だったけれど、それを見てやはりヴァントリアの唇だったのだと理解する。

「な、何で主従契約が交わせないんだ……お前は一体」

 主従契約って。互いの名前と、血液と、身体の接触が必要なんじゃ。……ヴァントリアは何を言っているんだ? ただのキスじゃ出来ないんだろ?

「ヴァントリア様、もういいのでは。キリがありません。ひとときの恋など忘れさせてしまえばいいんです」

 声がした方に振り返れば、ヒオゥネの瞳とかち合う。こちらに近付いてくる彼に、ヴァントリアが声を荒げて怒鳴った。

「——黙れラルフッ!! お前には関係ないだろ、こいつは俺のものだ、やっと見つけたんだ……狂おしいほど愛しい存在を——」
「貴方様に言ったのではありません。ヴァントリア様」
「——はあ?」

 苛立たしげに睨み付けたヴァントリアの顔の前を、黒い手袋が通り過ぎて、俺のフードと茶色の髪を掴んだ。

「え……?」
「可哀想ですよ、ヴァントリア様。自分自身に誑かされるなんて。残酷です」

 パサッと、地面に茶色の髪が落ちる。それだけ見れば恐怖絵図だが、——目の前に降り注ぐ血のように赤い髪を認識した途端、状況を把握することができる。

 真ん前の顔が、驚愕に歪む。



 騒つく周囲、異様な空気、博士は固唾をのんで黙り込んでいる。

「ヴァントリア様が……二人」

 ノイズのようだった周囲の声から、面白いくらい、するんと耳に入ってきた呟きだった。

 頭の中が真っ白になる。

 こんなに、大勢の前で——こんなに大勢の人の記憶を、改変したら、一体何が起きるんだ。

 アゼンが干渉してはいけないと、あれほど言っていたのに、俺は————大変なことだ、大変なことになった。

 自分の目の前に現れてしまっただけでもとんでもないことだとは理解できる。馬鹿みたいに飛び出していかなければ良かったのか?

 でも、あのままだと女性が——いや、でもヴァントリアは一人で自慰をしただけで女性には偽装工作で危害を加えてはいなかった。

 でも彼女の心には深い傷ができているかもしれないし、でも、でも、でも、どうしたらいいんだ、なんで、どうしてこんなこと。

 ヒオゥネ。お前はなにを考えてるんだ。

「ラルフ……」

 ヒオゥネはくつくつと肩を揺らし、怖いくらい無表情な顔で心底楽しそうな声で言った。

「さあ、どうしましょうか? 19歳のヴァントリア・オルテイル様」





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