上 下
118 / 293
第伍章

115話 後悔の証

しおりを挟む


 心底楽しそうに腹を抱えて笑っているヴァントリア。睫毛がひん曲がるほど瞼を閉じて口角を上げている。

 何がそんなにツボにはまったのか、口に手をやって抑えようとしているが笑いがこみ上げてくるらしく逆に苦しそうだ。

「あー……笑った笑った。男相手のキスと愛撫だけであんななるとか、お前随分我慢してたんだな」
「……最近忙しかったからな」

 嘲笑の笑いだったのか、この野郎。睨めばくすくすと笑われる。ああもう好きに笑ってくれ。

 長い睫毛が震えて、あの柔らかかった唇が引き上げられる様が——とてつもなく愛おしい。子供みたいに無邪気に笑うヴァントリアを見て、ずっとこんな顔でいればいいのに、と思う。

「ああくっそ。哀れすぎて涙出てきた」

 やはり嘲笑か、嘲笑だな貴様。

「はぁ……んじゃ、そろそろ回収してもらおうかな」
「え、回収?」
「ああ、お前も帰っていいよ。ほら、キスのお礼」

 懐から出したものをぽいっと投げられて、咄嗟にキャッチする。掌のものを見れば、結び目を付けた膨れた白い布だった。結び目の隙間からきんぴかぴんの輝きを見てハッとする。

 先刻の女性に比べると量は少ないが——これは。

「い、いらないよ金なんて!」
「男にキスされて触られて嫌だったんだろ。貰っておけ。後このことは他言するなよ。たかられたら困る」
「え……たかられるって」
「娼婦や奴隷だけじゃない、強姦魔や強盗だって多いんだ。大勢に目を付けられたら厄介だ」

 なんだ、この変な違和感は。

 違和感の答えを求めて彼を見つめ続ければ、ふぅ、吐息を付いて話し始める。

「知ってるだろう42層は平和に見えて随分と治安が悪い。楽しげに笑いあってる民衆を見ると腹が立つ」

 王族として言っていい言葉なのか、と考えたが、ヴァントリアが目を釣り上げて苦々しく唇を噛む姿を見て、その違和感が徐々に取り払われていく。

「何故道の端に人が捨てられている環境で笑えるのか」
「…………」
「……何故女が襲われているのに見て見ぬ振りをして普通に暮らせるのか、何故身体を売るほど金に困っている人を雇ってやれないのか」
「…………っ」
「そして、何故頼れる相手のいない女子供を餌にして金や快楽を得ようとする輩を放っておくのか」

 ヴァントリア、…………お前、まさか。

「腹が立って仕方がない、どうして平然としていられるのか。どうして平気で暮らせるのか、どうして助けたいと思えないのか」
「ヴァ——」
「42層だけに限ったことじゃない。43層の囚人は犯罪者だけでなく、主に反抗した奴隷達や、領地の税金を払えなかった娼婦達を捕らえて満足してやがる。人攫いや奴隷商人が許されていて何故彼らを捕まえるんだ。意味が分からない」

 ヴァントリアは火がついたのか開いた口が塞がる様子はない。

「領主の毒牙に掛かっているんだ、43層は奴隷を貯める為の倉庫にされているんだ。貴族達も彼に投資している。奴は奴隷商人な上人攫い、美しい娘や見所のある子供は貴族達にもよく売れるのさ。ラルバンという人攫いの組織を筆頭に各層の名高い組織と手を組んで商売をしている。奴は貴族に用意された通行証を持っているからな、貴族の用意した場所で奴隷市場を開く。金も払ってくれて場所まで用意してくれるんだから、貴族相手なら稼ぐには奴隷市場がもってこいだ」

 詳しいな、確かに。ゲームでも語られた設定だが。ここまで詳しくは描かれていなかった、ゲームではウォルズが領主を倒して奴隷を解放する。

「だが例え貴族でも王族には立て付けない。俺は王宮で無駄に使われている資産で彼等を買っている。その金も同じだ。元々は税金で搾り取ったお前達の金だ。好きに使えばいい」

 奴隷を買ってたって、確かにヴァントリアは無駄金を使って嫌われた暴君の設定だったけど。奴隷や娼婦に大金を使って、地下都市の資産を……だから王族や貴族にも嫌われていて。立場も危うい……。

「だが貴族と言うのも厄介でな。たまに王宮に出入りすることがある。パーティが開かれれば王族に招待された手前参加しない訳にはいかないし、仕事で呼ばれたなら尚更だ。俺が奴隷を全て買い占めるものだから、どう扱っているか興味を持つのさ。恨みがあるから尚更弱点を見つけようとする」

 ヴァントリアは嫌われ者だ。非道で、劣悪な。嫌われて当然の最低なキャラクターだ。なのになんなんだお前は、何を言ってるのか、理解できない。

「奴らが見ている手前、奴隷として扱わない訳にはいかない。細かい傷でどうにか誤魔化そうとしても勘がいい奴にはすぐバレる。だからそういう時は深い傷を負わせてしまう」

 何でそんな苦しそうな顔をするんだ。

「傷を直してやってもすぐに傷付ける。そうすれば何て最低な野郎に買われたんだ、可哀想な奴隷だなと思って去っていくだけだ。しつこい奴はしつこい、例えば今俺と一緒に檻に入っている子供は奴隷として売られていて俺が買ったが、あの子は特殊な分多くの貴族に目を付けられていてな。何度も奴を奪われそうになった。だから居場所の分かる主従関係を交わし、24時間以上監視した。今は契約もないし、何をしているか分からないが。たぶん寝ているだろう。一度寝たら三日は起きないからな。俺もこうして出て来られる訳だ」

 2日間じっと見ているだけだった、ゲームでウォルズにジノが話していた主従関係の内容についてのセリフと合致している。

 苦しむ姿を見て楽しんでいた訳じゃない、警戒していたんだ、そいつらが帰るまで。

「それに王宮にいるよりは43層の囚人になった方が安全だ。流石に領主一人じゃ独断で囚人を出すことは許されないからな。本来なら貴族の協力であっても難しい筈だが、俺が逃げても気付けないくらいには人もいないし監視もゆるゆるだ。貴族でも見廻りでも協力者さえいれば余裕で連れ出せるさ。ただ彼らがいないと動けないから、檻の中の方が安全だ。あそこで寒さをしのぐことは大変だが、見廻りと交渉すれば毛布も得られる。実験のために重宝されているから食事も十分に取れる」

 実験!? 実験について知っているのか!?

 あ、いや、囚人として檻に閉じ込められてたんだから知ってるに決まって……ん? 待てよ。檻に、閉じ込められてた、だと?

 あれ、確かヴァントリアって12歳の時に43層に落とされたんじゃなかったっけ?

 こ、こいつが今、……ここにいるってことは、——ウォルズが侵入する前から脱獄を繰り返していたのか!?

 え、でも8年間檻に閉じ込められてたんじゃ——あれ、閉じ込められているなんてゲームの設定にあったっけ。

 あれ、さっき出て来れたとか何とか言ってなかったっけ?

 …………だって、捕まってもすぐ脱獄出来るようなヴァントリアが、大人しく捕まってるなんて、おかしくない? 王族の証を手放そうとしなかったヴァントリアが……逃げ出さない訳が——あ。

 彼の首筋に輝く銀の鎖を見て、——途轍もない喪失感と、罪悪感が襲う。

「ヴァントリア・オルテイル。君はヴァントリアだよね」

「お前……王族に対して。まあいい、どうせもう会うことはないんだ、無駄話をし過ぎたな。お前には変に素直になれる気がする……。本当に変だ。こんなこと誰にも話したことなんかなかったのに」

「君は43層に囚われて、王族の権利を剥奪された筈だ。どうして、資金なんか使えるんだ、しかも、貴族の奴隷市場なんか、知ってるんだ」

「王族の証のペンダントだよ。これを使えば王族だと証明出来る。貴族とはいえ殆どは王族の顔なんて知らないからな。名を名乗らなくても許される。稀に偉い奴が来てバレそうになるけど、階級は戻されたと言えばいい。勿論嘘だと言われるが、伝達が言っていなかったのかと問えば奴等はプライドで、こう答える。申し訳ございませんヴァントリア様。我々には伝達が多いもので。まだ聞かされておりませんでした。ってな」

「じゃあ、それを手放さないのは……」

「市場へ参加出来る上、これが有れば資金をだまし取ることだって出来る。逆にこれがなかったら俺にはなんの力もないんだ。王族の権利を剥奪されたから、助ける術がなくなってしまった。もう残ってるのはこれだけだ。俺の血と、それを証明してくれる。この、父のくれた王族の証のペンダントだけ。これが有れば何処の層にだって行ける。何処で誰が苦しんでいようと、助けに行ってやることが出来る」

 彼の言葉は耳をすり抜けて行っていた、脳が理解に追いつけなかったのか、理解するのを拒んだのか。


 俺は、なんてことを。なんて真似を。

 見廻りの男に投げた価値のある品物を思い出す。シストが持ち去ったあのペンダントを、ヴァントリアが手放そうとしなかった意味を。


 途轍もない後悔が、胸の内を貫いた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生令息は冒険者を目指す!?

葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。  救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。  再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。  異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!  とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A

【完結】だから俺は主人公じゃない!

美兎
BL
ある日通り魔に殺された岬りおが、次に目を覚ましたら別の世界の人間になっていた。 しかもそれは腐男子な自分が好きなキャラクターがいるゲームの世界!? でも自分は名前も聞いた事もないモブキャラ。 そんなモブな自分に話しかけてきてくれた相手とは……。 主人公がいるはずなのに、攻略対象がことごとく自分に言い寄ってきて大混乱! だから、…俺は主人公じゃないんだってば!

異世界転生先でアホのふりしてたら執着された俺の話

深山恐竜
BL
俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?

そばかす糸目はのんびりしたい

楢山幕府
BL
由緒ある名家の末っ子として生まれたユージン。 母親が後妻で、眉目秀麗な直系の遺伝を受け継がなかったことから、一族からは空気として扱われていた。 ただ一人、溺愛してくる老いた父親を除いて。 ユージンは、のんびりするのが好きだった。 いつでも、のんびりしたいと思っている。 でも何故か忙しい。 ひとたび出張へ出れば、冒険者に囲まれる始末。 いつになったら、のんびりできるのか。もう開き直って、のんびりしていいのか。 果たして、そばかす糸目はのんびりできるのか。 懐かれ体質が好きな方向けです。今のところ主人公は、のんびり重視の恋愛未満です。 全17話、約6万文字。

【完結】魔力至上主義の異世界に転生した魔力なしの俺は、依存系最強魔法使いに溺愛される

秘喰鳥(性癖:両片思い&すれ違いBL)
BL
【概要】 哀れな魔力なし転生少年が可愛くて手中に収めたい、魔法階級社会の頂点に君臨する霊体最強魔法使い(ズレてるが良識持ち) VS 加虐本能を持つ魔法使いに飼われるのが怖いので、さっさと自立したい人間不信魔力なし転生少年 \ファイ!/ ■作品傾向:両片思い&ハピエン確約のすれ違い(たまにイチャイチャ) ■性癖:異世界ファンタジー×身分差×魔法契約 力の差に怯えながらも、不器用ながらも優しい攻めに受けが絆されていく異世界BLです。 【詳しいあらすじ】 魔法至上主義の世界で、魔法が使えない転生少年オルディールに価値はない。 優秀な魔法使いである弟に売られかけたオルディールは逃げ出すも、そこは魔法の為に人の姿を捨てた者が徘徊する王国だった。 オルディールは偶然出会った最強魔法使いスヴィーレネスに救われるが、今度は彼に攫われた上に監禁されてしまう。 しかし彼は諦めておらず、スヴィーレネスの元で魔法を覚えて逃走することを決意していた。

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。 生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。 何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。

聖女召喚!……って俺、男〜しかも兵士なんだけど?

バナナ男さん
BL
主人公の現在暮らす世界は化け物に蹂躙された地獄の様な世界であった。 嘘か誠かむかしむかしのお話、世界中を黒い雲が覆い赤い雨が降って生物を化け物に変えたのだとか。 そんな世界で兵士として暮らす大樹は突然見知らぬ場所に召喚され「 世界を救って下さい、聖女様 」と言われるが、俺男〜しかも兵士なんだけど?? 異世界の王子様( 最初結構なクズ、後に溺愛、執着 )✕ 強化された平凡兵士( ノンケ、チート ) 途中少々無理やり的な表現ありなので注意して下さいませm(。≧Д≦。)m 名前はどうか気にしないで下さい・・

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

処理中です...