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第伍章
107話 苦しむだろう
しおりを挟む駆け寄って起こそうとするが手は擦り抜けて触れることさえ出来ない。
「――ラルフしっかり、おい」
まるで死んだようにピクリとも動かないラルフに——サッと血の気が引く。
「ら、ラルフ? そんな、俺のせいで」
俺があの子に夢中になってたから、だから。
混乱して頭を掻き毟ると、その手首を掴まれ止められた、落ち着かせようとしているのか優しい声音が背中に掛かる。
「干渉は出来ないと言ったろう君は悪くない。ヴァントリア、君は優し過ぎる。自分を追い詰めてはいけない」
「で、でも……」
「悪者は奴等だろう?」
『——ぐ、ぅ……ッ』
『……っ、ふ、うあ』
「え……」
彼がそう呟いた途端、ヒオゥネとランタールのくぐもった声が砂煙の向こうから聞こえる。煙が晴れていけば、ヒオゥネとランタールは地面に倒れ伏し苦しみ悶えていた。
「な、何が起きてるんだ……」
どんどん様子がおかしくなり、自ら頭や腕を引っ掻き始める。過呼吸からか口に涎が溢れる。
「ヒオゥネ……っ」
助けたいけどラルフから離れる訳には——って、ヒオゥネは敵なんだ助けなくたって……。
苦しんでいるヒオゥネとランタールの姿を眺めて冷静に考えようとする。
——無理だ、こんなの違う。確かにヒオゥネもランタールも博士やラルフ、生徒達や亜人——多くの人を実験台にしている、散々苦しめて来たんだろう。
けど、彼等の苦しむ姿を見たいなんて、俺には考えられない。見捨てるようなことなんて出来ない。誰であろうと苦しむ姿なんか見たくない。
「君は悪い奴は好まないだろう。俺が奴等に血の出る様な苦しみを与えてやろう」
「なっ……」
直ぐ近くで死の槍の如く、鋭い牙を見せる声に驚愕する。彼の青い目が爛々と輝いて彼等を見据える。その瞳は射抜くように彼等を睨め付けているように見えるが、道の端のゴミを見るような視線にも感じる、無表情に見えるのに、何処か憎悪を露わにしている気がする、決して真相を窺わせない表情は異常だった。
彼が目を細めると——とたん、ヒオゥネとランタールは吐血して白目を剥いて痙攣を起こす。口から泡を吹き出し——皮膚が茶色く濁り、ジュワジュワと音を立てる。
……ヒオゥネやランタールが苦しんでいるのは、この子が何かしているからなのか!?
彼の周囲を舞う黒い霧が異様な文様を描いて漂う。
……まさか、呪い?
いや、何となくそうかもとは思っていたけれど、今まで見て来たものとはまるで別物だったから確信は持てなかった。
異常な濃度の高さだけでなく、今まで見てきた呪いは細かい——砂のような——粒子。しかし、今彼の周りを蠢いている呪いは、まるで生き物ように自由自在に澱み——水のように滑らかに空気を移動する。擬似呪いなんかとも全く違う。
美しいが恐ろしい——そうとしか表現が出来なかった。彼自身に感じた未知への恐怖と同じだ。いや、彼自身そのもののように感じる。彼の周りで蠢く姿はまるで鳥の翼のようで、はたまた魚のヒレのよう。それは子供の身体の一部のように彼に寄り添っている。
「やめてくれ! 苦しめたいなんて思ったことはない、止めたいと思うことはあっても、苦しんで欲しいと思ったことなんかないんだ」
子供を説得しようと目で訴えれば、彼はすんなりこちらへ振り返った。一瞬ギクリとしたが俺の身体に異常はないので止めてくれたのだろう。
ヒオゥネやランタールも何もなかったかのように起き上がる。一体何が起きたんだ、と言葉を交し合っているところを見ると、今の一瞬の間は意識がなかったと理解出来る。
苦痛で意識が飛んでいたのか、確かにあの苦しみ方は普通じゃなかった。
助かったようなので、一旦ラルフの方へ関心を戻す。
「……ラルフ、ラルフ目を開けてくれ」
ヒオゥネ達の他にいるとしたら、彼しか存在しない。ヒオゥネとランタールはラルフがやったと判断したようだった。ヒオゥネが袖を捲り手首の装飾を晒す。
「…………どうして目を覚まさないんだ」
「案ずることはない。まだ生きているさ」
「本当?」
「ああ。心臓は動いている」
「良かった……」
ザッと地面に擦れる音がして振り返る。俺と子供の背後に、こちらを——ラルフを——見下ろすようにランタールとヒオゥネが仁王立ちしていた。
ランタールの手の内には鎖があるが、ヒオゥネの方は——ゾウの形のジョウロ?
「……ふ、ふざけてるのか?」
俺の問いかけに答えたのは彼等と同じく仁王立ちして立っている子供だった。並べられると一層、威厳と崇高さの格の違いを見せ付けられる。その口から発せられる声だけで周囲との差がありありと理解出来る。
「中身は俺の呪いだ。先刻奴が生成した魔法陣も45層と空間をリンクさせて同調させ使用していたな。俺の呪いを扱うにはリスクが高い。自らを傷付けない為に擬似呪いとやらへ45層に残留した本物の呪いを一億万分の一ほど混ぜて魔法を強化したのさ。」
「45層の呪い……って、44層を腐らせたあの濃い呪いのこと……?」
「ああ。ゼクシィルがあそこを住処にしていてな。頻繁に使用している様子はないが。あいつは俺の呪いで作られた生命体だ。奴は俺には逆らえない。しかし……43層に君がやって来たことにより調子付いているようだ」
43層に俺がやって来たってことは、ジノと檻にいた頃か。
「奴が君の記憶を思い出させようとしている、そしてそれを俺が阻止しているんだ」
「記憶……?」
「俺達の攻防戦により君の記憶は混乱状態にある。君は前世の記憶まで思い出してしまったようだが」
「え、それって——」
「あれは君の記憶じゃない。思想も観念も酷く似ているから君は前世の記憶を自分のものであると受け入れているが、元の記憶を思い出せば前世の記憶と君を切り離すことが出来る。だが昔の記憶は思い出さない方が身の為だ。俺と接触することは危険だ——先刻の口付けも嬉しかったが、記憶を思い出してしまうだろう。」
キスのことを掘り返すな! う、嬉しいとか言うな!
変に顔が熱くなって手でぱたぱたする。今はそれどころじゃないんだってば。
俺達が会話をしている間、ヒオゥネとランタールも話している。聞き逃してしまったが決して良い方向の話ではないだろう。
「覚えておけ、どの様な記憶を持とうと君はヴァントリア・オルテイルだ」
とっくに理解していたことだけれど、改めて言われて実感する。自分は前世の記憶を思い出したヴァントリアであることを。
その言葉にこくりと頷くと満足そうに微笑んでくる。頰が熱くなる前にさっと顔を逸らしたら、視線の先にヒオゥネの背中にくっついて駄々を捏ねるランタールがいた。
『——やっぱ嫌だよー。俺さんラルフ先輩の顔だけじゃなくて心も身体もマジ恋何だよー? せめて俺にやらせてよヒオゥネくーん……』
『先刻も説明したでしょう。呪いを受ければ自身が負傷しかねないんです。これは45層の中核——本軸の底に溜め込まれた45層ではもっとも濃い呪いを液体化したものです。少しでも触れれば一瞬にして腐ってしまいますよ。先輩には扱えません。』
『その反呪いの手袋貸してくれたらいいじゃん』
ヒオゥネのアイデンティティである黒手袋にはそんな設定が!? 黒衣も同じ設定が付いてるんだろうか。
ヒオゥネは自分の手袋を見つめた後、フッと溜息を吹いてやれやれと首を振る。くっつくランタールを肘で押し離し、ジョウロを掴んだ腕をラルフの方へ伸ばす。
「ヴァントリア、離れるぞ。君にどんな影響が出るか予測不可能だ」
「え、干渉は出来ないんだろ……?」
「君は苦しむだろう、見せたくはない」
子供はこちらに背を向けて離れようとする、その背に手を伸ばそうとするが。
「見せたくない、って……っ?」
先に——ヒオゥネの手が傾き、ジョウロの先から黒い液体が黒煙を吹き出しながら零れ落ちた。ジョウロの先はかろうじて保っているが少しずつ溶解していっている。
ジョウロの真向かいにいるラルフの身体に黒い液体が降り注いでいく。腐臭と肉の焼ける匂いがして嫌な予感が的中してしまって、ただただ呆気にとられることしかできない。
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