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第五章 前編
74話 触れ合う場所に
しおりを挟む『ヒオゥネは〝ヴァントリアの後ろの穴〟を狙ってるんだ、ホイホイ現れたら〝俺を襲ってください〟って言ってるみたいなもんじゃないか!』
——伏せ字のセリフが違うじゃないかウォルズ!
「——ヒ、ヒオゥネ……」
「はい……」
「俺とキスしたいの……」
「はい……」
「なんで……」
「美しいと思うので」
「そ、それって、好きってこと? ヴァントリアのことを?」
「……まあ、好きですけど。恋愛対象としてではないですよ」
「ほ、ほんとに? キスしてきたり、襲ったりはしないよな?」
「…………僕の感情次第です。貴方は鈍いから、僕が貴方をどうしたいかなんて理解してくれないのかと思ってましたので…………嬉しいです」
も、もう訳がわからない……。
キスしたいし好きだし、感情によっては襲うつもりらしいし、なのに恋愛対象ではなくて……。そしてヒオゥネが俺をどうにかしたいと思ってる、って、それって襲いたいっていう理由と何が違うの?
「……分からないなら、キス、してみますか?」
「うぇ!? い、いやいやいや、なんでそうなる訳!?」
「僕はしたいので、例え好奇心でもその気になってくれたら嬉しいなと」
「い、いいよ。もう男とキスは……」
「もう? したことがあるのですか?」
「まあ……何度か。あるらしい。最近の記憶ではルーハンに無理矢理……」
「——ルーハン・メリットスが……男にキスするなんて」
くつくつと笑い出すヒオゥネを思わず見つめてしまう。
こいつの真意が全く読めない。俺をどうしたいかなんて、俺に聞かれても分かんないよ。
それにしたって本当に綺麗な顔してる。セルの顔が近い時は悪い気分じゃなかったけど、ヒオゥネでも大丈夫かも。シストは嫌だったな。あの目が近くにあるのが怖くて。
「……ヴァントリア様、してもいいですか?」
「え?」
「…………いや、しましょう」
「ななななな、何を言って」
「ルーハン・メリットスや、シスト、シルワールからは無理矢理されたんでしょう?」
「な、なんで知って……」
昔の記憶だからなのか、前世の記憶とごっちゃになってるからか、思い出せる記憶にはないが、ウォルズに聞いた話とルーハンから聞いた話ではそうらしいし。
それをヒオゥネが知ってるなら、やっぱりそうなんだろうか。
「……ヴァントリア様からしようとしたことはないんですか?」
「え。」
「一度も?」
「そりゃ……女の子くらいじゃないかな」
「女性に支配されるなんて昔の貴方じゃ考えられないですからね。」
そう言う……理由だったんだろうか。なんとなく違うような。……自分のことなのに、自分のことが分からない。
「……キスしましょう。互いに顔を近付けて。互いの唇を意識し合って。吐息の掛かる距離を、相手の瞳の美しさを。そして目を瞑った後の、触れ合った場所の研ぎ澄まされた感触を。……愛を感じながら。僕とキスしてください」
「で、できる訳ないだろ!」
「無理矢理でもいいんですが……それじゃ貴方を襲った奴等と同類だ。僕は貴方に意識されたい」
「い、意識はもうしてる! 離れろ!」
「そう言う意識じゃありません。貴方の言っているのは敵の認識——」
「違う! ヒオゥネは怖くないから敵じゃない……!」
「怖くなければ敵じゃないなんて、そんなこと考えてるから襲われるんじゃないですか」
む、むむぅう、うむむむぐぬぬ、確かに。その通りだけど。そんなはっきり言わなくても。
「ではどんな風に意識してくださってるんですか。ドキドキしてくれてるんですか、僕との距離に。言葉に、仕草に。僕はしてますよ。美しい貴方を間近で感じて。貴方の肌に触れて、言葉を交わす度に突き上げる高揚を感じます」
「な、何を言って……」
突き上げる、高揚——その言葉を意識した時、自分の心臓がドクドクと突き上げるように暴れていることに気が付いた。いやいやいや、これは何をされるか分からなくて怖いだけだろ。決して高揚とは呼べない。
「……僕とキスしてみたいとは思えませんか?」
「——…………お前が、嫌いな訳じゃないけど。それは……男同士だし」
「因みに僕はウロボス一族なので、同性婚は認められています」
「うぐ……」
「僕の知り合いにも沢山いますよ。同性で愛情表現をされる方々は」
「いや、でも俺は……」
「……まあいいでしょう。今回は」
その言葉にホッと息を吐いた時だ。ヒオゥネの睫毛が再び下を向く。
それから、いっときすると顔の距離が遠のいた。
一体何が起きたのか分からなかった。
唇に残る熱い感触だけが、何をされたのか証明している。
「——っ、な、何す」
「——もう一回。」
「え……」
息を吐くような微かな呟きだったが、確かに聞き取ることができた。しかしその言葉を理解した時にはもう、またあの熱さを感じてしまっていた。
「ん……」
肩を押してこばもうとするが、顔から身体からヒオゥネの熱が指尖まで染透る。
目を瞑ることも忘れてヒオゥネの長い睫毛を眺めていた。とたん、全身を熱くしていたヒオゥネの唇がゆっくりと離れる。
「……ヒ、オ」
「——もう一回……」
「——はっ!? ————んっ、んん……っ」
顔が離れてすぐにまた唇を重ねられる。もう3度目のキスだ。
ルーハンみたいに支配されるようなキスじゃない。しかし、ヒオゥネの唇の熱さは異常だった。触れ合う感触をいっそう強く感じて思わず怯んでしまう。
再び離れようとした時、何かが自分の唇を濡らした。
ヒオゥネの唇の中へ引っ込んだ赤い舌を認識した瞬間、脳内で痺れるような警鐘が鳴った。
「……もう一回」
「ま、待って……おねが……」
再び迫る唇がすぐに重ねられる。
終わったと思ったらまたすぐ与えられる熱に驚愕が絶えない。
なだれ込むように深くなっていくキスに抵抗を忘れて目を瞑りぐっと辛抱する。陶酔したように執拗に唇を吸い上げられて堪らず。力が抜けて弱々しくしがみ付くだけだった手がヒオゥネの胸を押した。
「ん……んん……」
ヒオゥネの唇が開かれる度に心臓が殴られるみたいな衝撃に見舞われる。
自分の唇の上を撫でていく肉感的な感触から逃げるように口を引き結んだ。歯を食いしばって侵入を拒めば、ヒオゥネはすんなり離れてくれる。
「もう、いっかい」
「や、やめ、もう……お願い、ヒオゥネ……っ」
「ヴァントリア様……」
「——……ダ、めっ」
抵抗して顔を横に背けたが、顎を掴まれて力づくで唇を奪われる。
「ん……ふっ、ん、ん」
足の付け根にヒオゥネの太ももがスッと差し込まれ、腰を擦り付けるように密着する。親密なその距離に狼狽するが相手は引くこともなく一定の間隔を持って同じ行為を繰り返すだけだ。
身体の芯に響くような熱さを幾度も感じて、居ても立っても居られずに抵抗するために押し続けていたヒオゥネの肩にしがみ付いた。
離れるヒオゥネの顔。互いの鼻先が触れ合って、ヒオゥネの吐息が唇に触れて、再びしっとりと濡れた熱い唇が押し付けられる。
「もういっかい」
離れる度に繰り返される言葉に、終わりがないのだと宣言されてるみたいで満身に痺れるような感覚が走った。
エスカレートして深くなった口付けに酸素を求めて口を開けば、狙っていたかのようにぬるりと熱い肉厚の舌が滑り込んでくる。
「んん、ふぅう……っ」
バンバン胸を叩いてもビクともしない。
自分の中に入ってきた彼の身体の一部。舌に擦り合わされる熱さを……擦り込まれて零れる液体を嚥下した。喉の奥に流れていく感覚がして、彼の一部を体内に取り入れた事実に頰が紅潮した。
満足げに唇が離され、絡み付いていた舌も離れる。熱さがなくなって喪失感が生まれたが頭を振って冷静さを取り戻す。
しかしそんな自分を見ても、またすぐに顔を近づけてくるヒオゥネに、思わず彼の胸に顔を埋めた。
「お、ねが……もうやめて、頼むから」
「もう、一回だけ……」
「ヒオゥネ……っ!」
ヒオゥネは頰を撫でて顔を上げさせようとする。これで許したら永遠にされ続ける気がしてならない。
「ヴァントリア様……」
グイッと無理矢理顔を上に向かされ、すぐにヒオゥネの唇が降ってくる。
腰が抜けて立てなくなった身体を、ヒオゥネの足と壁が支える。
見上げる形でヒオゥネに唇をしゃぶられて、抵抗しようと彼の頬を触ったが、ヒオゥネの頬の熱さに胸の奥が静かに鳴った。
ドクドクと胸の奥でどんどん大きくなっていく音に戸惑いを覚える。こんなの初めてだ。こんなの。
「……ヒオ、ゥネ」
「ヴァントリア様」
「もう、一回……?」
「はい……もう一回です」
ヒオゥネの手も一緒に俯くと、ヒオゥネは徐々に顔を近づけてきて、下から救う様にキスをしてくる。
……逃げられない。
ヒオゥネが終わりだと思うまでは。続けられてしまう。
——もう、何度目のキスか分からなくなった頃だ。
「あと一回」
腰を屈めて見上げるヒオゥネの顔をじっと見つめる。
宝石の様な瞳が閉じて行き、そっと唇に熱い感触が乗る。彼の唇から入り込んできた舌が口内で生き物の様に動く。
溢れる唾液をすすられて恥ずかしくなって頰を押そうとしたが力が入らなくて弱々しくすがることしかできない。
その手にそっと大きな手が重ねられて、指を絡めてくる。唇に集中した熱が、ヒオゥネの大きな手に移動する。
身体を押さえつけていた手が腰に回され、強い力で支えられた。
もう一度ヒオゥネの顔が近付く。今までで一番長くて深いキスだった。
口内の熱さが、ヒオゥネが離れた途端に喪失する。
「……ふぁ」
「…………時間です。残念ですが。また続きは今度にしましょう」
「……じ、時間って」
「僕も暇じゃないんですよ」
今のキスで何時間経ったと思ってるんだ……! もう数時間は唇吸われ続けてた気がする。
まあ実際は1時間くらいしか経っていなかった様で……って、結構経ってるし、何より俺は皆を助ける為に近道までしたんだぞ!
——……皆、大丈夫だよな?
そのまま去ろうとするヒオゥネの腕を掴み、何食わぬ顔をしている彼を睨み付ける。
「手伝ってくれるんだよな?」
にっこりと笑い掛ければ嬉しそうな声で彼が言った。
「その有無を言わせない感じ……以前とは異なりますが、今の貴方も溜まりません」
「はいはい……」
ヒオゥネはどうも、前世の記憶を思い出す前の俺が好きらしい。……はっきり好きと言われたけど。
はぁ、一体どこをどう思ったらそうなるんだ。
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