上 下
58 / 293
第四章

55話 どうしようもない莫迦

しおりを挟む



 ヒオゥネは眠り姫にキスをするように、優しくそっと唇を重ねてちゅっと音を立てて唇を離した。


 しかし、その後も「もう一回」「もう一回」と執拗に口付けるヒオゥネに向かって、ジノは振り絞って「やめろ」と声をあげるが。小さく響いたその声はヒオゥネの耳には届かない。

 届いていてもやめる気はないだろう。

 力の抜けた唇の間を割ることは簡単だったようで、ジノやイルエラに見せつけるようにヴァントリアの口内から舌を引き摺り出し、上下に顎を揺らしながら舌を口いっぱいに含んで彼の舌を味わい尽くす。

 味を占めた獣のように今度は口を覆って、ヴァントリアの口の中をやりたい放題掻き混ぜて唾液を吸い上げゴクゴクと喉を動かす。そんな様をただ見ることしかできないジノは涙目でイルエラに助けを求めたが、彼も動揺している上に同じように身体を動かそうと必死だった。

 何なんだこの拷問は。

 ジノは思わずヴァントリアから目を逸らす。

 ヴァントリアと女性とのそういう行為は散々見せられてきた。吐き気だってしたし、相手の女性を哀れだとも感じていた。助けられるなら助けたいと何度願ったことか。

 自分の中で今のヴァントリアは女性の立場にあるのだろう。ざまあみろ、自業自得だ。そんなことを思う反面、恍惚の表情を浮かべて好き放題しているヒオゥネに激しい怒りを感じてしまう。彼とヴァントリアの口付けを見て、どうして吐き気がするのだろう。いや、男同士のキスなんか見せられたら吐き気もするかもしれない。なら、何故。

 こんなに胸が痛むんだろうか。

 ヒオゥネはヴァントリアの顔中を舌で愛撫して、辿り着いた下唇にぢゅうっと吸い付いて引っ張る。

 ちゅ……ぱぁ、と。気味の悪い音を立てて唇を離し、もう一回、と唇を押し出すヒオゥネにもう一度、「やめろ!」と声を上げた。

 今度の声は彼の耳に届いた実感があった。喉を抜けた声に怒気が含まれていたことにやはり自分は怒っているのだと気づいた。

 ヒオゥネはやはり無視を決め込んでいたようで、導かれるようにヴァントリアの唇に自らの唇を押し当てる。唾液の混ざり合う音がジノとイルエラの常人より優れた聴覚を刺激する。

「もう一回……と、言いたいところですが、充分楽しませて貰いましたし、そろそろ時間切れですね」

 銃弾の効果が薄れ、身体が自由になったジノが殴りかかろうとしたとたん、ヒオゥネは身体を翻しあっという間に扉の前へ立つ。

「ではまた会いましょう皆さん」
「待てッ」

 追いかけようとするが、イルエラは呪いが解けた筈なのに動けない様子だった。

 扉が閉じた音がして、ジノは焦りを覚えたが、追いかけたい気持ちを何とか押さえ込んでイルエラの傍に立つ。

「イルエラさん……」

 イルエラは涙を浮かべている。彼は涙を零すのをぐっと堪えて、ジノと一緒にヴァントリアの傍に向かう。

 恐る恐る頬に触れると、ぴくりとヴァントリアの睫毛が震えて、やがてゆっくりと赤い瞳が姿を現した。

「……イルエラ? 泣いてるのか?」

 寝ぼけ眼でイルエラを見上げて、彼の目元に指を伸ばすヴァントリア。

 自らの力で起き上がるヴァントリアはなんか顔が濡れてるとボヤいて袖で顔を拭っている。

 ジノは、事実は教えない方が良さそうだな。と考えたが。

 ……別に教えてもいいけど。彼奴が嫌そうな顔するのは傑作だろうし。でも今はそれどころじゃないし。とも考えた。

「何がどうなったんだ?」
「逃してくれるみたい……」
「へえ、あいつもいいやつだな!」

 ふわふわした笑顔でそんなことを言うヴァントリアに、カッとなって、ふざけるな——そう声を上げようとした時だった。

「——いい奴なんかじゃない!!」

 けたたましい声が自分の声を遮った。

 イルエラさんが声を荒げるなんて、珍しい。

「す、すまない。何かあったんだな」

 そう言って、ヴァントリアが手を伸ばし、イルエラの頭を撫でる。

 以前のヴァントリアでも一般人でもそんなことはしないだろう。年齢は不明だがもう立派な成人男性と言えるイルエラに対し子供のような扱いをする突飛な行動だった。

 ジノはギョッとして、イルエラもポカンとする。

 そんな自分達を知ってか知らずか——後者だろうが——ヴァントリアは何とも言えない間抜けな顔をして言った。

「取り敢えず、ここから出よう。次から次へと疲れた。」

 イルエラは思わずくすりと笑う。ジノは呆れ顔が顔面に張り付いてしまっている。もう剥がせそうにない。

 ヴァントリアは先刻までの光景が嘘のように早々に立ち上がり、イルエラとジノに手を差し出す。

「ほら、はやくしろ、俺が一番先に狙われるんだぞ」

 二人は顔を見合わせて、少し困惑の色を見せたが、すぐに困ったように眉を下げてフッと笑った。

「莫迦め」「莫迦だな」

 莫迦と呼ばれた本人はムッと膨れている。

 そして。イルエラに腕を掴まれ当然の如く担がれるヴァントリア。

「やっぱりこれなのか。」

 不服そうだが大人しく担がれているヴァントリアを見て、ジノは思わず口元を抑えた。

 腹から伝わる振動で身体がぷるぷると震える。

 ヴァントリアがイルエラに担がれる姿等何度も目にしたが、改めて見ると、ヴァントリアの嫌そうな顔に思わず笑いがこみ上げて来てしまう。

 今のヴァントリアはまるでアホ臭くてガキ臭くて、すんなり人の心に入り込んでくる。

 本当にしょうもない莫迦だ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

クラスのボッチくんな僕が風邪をひいたら急激なモテ期が到来した件について。

とうふ
BL
題名そのままです。 クラスでボッチ陰キャな僕が風邪をひいた。友達もいないから、誰も心配してくれない。静かな部屋で落ち込んでいたが...モテ期の到来!?いつも無視してたクラスの人が、先生が、先輩が、部屋に押しかけてきた!あの、僕風邪なんですけど。

やめて抱っこしないで!過保護なメンズに囲まれる!?〜異世界転生した俺は死にそうな最弱プリンスだけど最強冒険者〜

ゆきぶた
BL
異世界転生したからハーレムだ!と、思ったら男のハーレムが出来上がるBLです。主人公総受ですがエロなしのギャグ寄りです。 短編用に登場人物紹介を追加します。 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎ あらすじ 前世を思い出した第5王子のイルレイン(通称イル)はある日、謎の呪いで倒れてしまう。 20歳までに死ぬと言われたイルは禁呪に手を出し、呪いを解く素材を集めるため、セイと名乗り冒険者になる。 そして気がつけば、最強の冒険者の一人になっていた。 普段は病弱ながらも執事(スライム)に甘やかされ、冒険者として仲間達に甘やかされ、たまに兄達にも甘やかされる。 そして思ったハーレムとは違うハーレムを作りつつも、最強冒険者なのにいつも抱っこされてしまうイルは、自分の呪いを解くことが出来るのか?? ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎ お相手は人外(人型スライム)、冒険者(鍛冶屋)、錬金術師、兄王子達など。なにより皆、過保護です。 前半はギャグ多め、後半は恋愛思考が始まりラストはシリアスになります。 文章能力が低いので読みにくかったらすみません。 ※一瞬でもhotランキング10位まで行けたのは皆様のおかげでございます。お気に入り1000嬉しいです。ありがとうございました! 本編は完結しましたが、暫く不定期ですがオマケを更新します!

音楽の神と呼ばれた俺。なんか殺されて気づいたら転生してたんだけど⁉(完)

柿の妖精
BL
俺、牧原甲はもうすぐ二年生になる予定の大学一年生。牧原家は代々超音楽家系で、小さいころからずっと音楽をさせられ、今まで音楽の道を進んできた。そのおかげで楽器でも歌でも音楽に関することは何でもできるようになり、まわりからは、音楽の神と呼ばれていた。そんなある日、大学の友達からバンドのスケットを頼まれてライブハウスへとつながる階段を下りていたら後ろから背中を思いっきり押されて死んでしまった。そして気づいたら代々超芸術家系のメローディア公爵家のリトモに転生していた!?まぁ音楽が出来るなら別にいっか! そんな音楽の神リトモと呪いにかけられた第二王子クオレの恋のお話。 完全処女作です。温かく見守っていただけると嬉しいです。<(_ _)>

【完結】国に売られた僕は変態皇帝に育てられ寵妃になった

cyan
BL
陛下が町娘に手を出して生まれたのが僕。後宮で虐げられて生活していた僕は、とうとう他国に売られることになった。 一途なシオンと、皇帝のお話。 ※どんどん変態度が増すので苦手な方はお気を付けください。

精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる

風見鶏ーKazamidoriー
BL
 秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。  ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。 ※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?

甥っ子と異世界に召喚された俺、元の世界へ戻るために奮闘してたら何故か王子に捕らわれました?

秋野 なずな
BL
ある日突然、甥っ子の蒼葉と異世界に召喚されてしまった冬斗。 蒼葉は精霊の愛し子であり、精霊を回復できる力があると告げられその力でこの国を助けて欲しいと頼まれる。しかし同時に役目を終えても元の世界には帰すことが出来ないと言われてしまう。 絶対に帰れる方法はあるはずだと協力を断り、せめて蒼葉だけでも元の世界に帰すための方法を探して孤軍奮闘するも、誰が敵で誰が味方かも分からない見知らぬ地で、1人の限界を感じていたときその手は差し出された 「僕と手を組まない?」 その手をとったことがすべての始まり。 気づいた頃にはもう、その手を離すことが出来なくなっていた。 王子×大学生 ――――――――― ※男性も妊娠できる世界となっています

処理中です...