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第一章

5話 現実逃避

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 夢は覚める気配がなく、特に何かする気も起きなかったし、子供が心配だったので看病に当たっていた。

 疑心暗鬼になっているのか。時折勘ぐるようにこちらの様子を窺ってくる。そんな子供をあやしながら、壁や床が氷なのでそれを削って自分の服の切れ端で包み、額に乗せる。そして毛布を追加して貰って看病していた。

 子供はギロリと険のある目でこちらを睨む。睨みすぎだ、そんなんじゃ友達できないぞ。

「僕に怪我をさせたのはお前の癖に、なんで看病なんかしやがるんだ。何が目的だ」

 表情にこそ現れてはいないが、その声音には苛立ちと戸惑いが窺えた。

 ――この子供に怪我させたのが、俺?

 あ!

 そうか。

 この子供、ヴァントリアが初登場シーンでいじめていた子供・ジノだ。

 ジノは人体実験の最高傑作と呼ばれるハイブリッド集団の内の一人だ。その中でも身体能力が秀でていて、子供とは言え他種族を軽くあしらえるくらいの戦闘能力を持っている。

 思い出していた束の間、自分の腕に鋭い痛みが走った。何事か、見れば――自分の皮膚に爪が立てられている。痛い――そう叫ぶ間もなく、首を鷲掴みにされ、ベッドから俺の身体に飛び掛かってきたジノの身体で地べたに押さえつけられ動きを封じられる。

 小さな指が首に滅り込み、喉を僅かに歪める。ぜえぜえと息が切れ、ジノの手を振りほどこうともがいたが、力の差は歴然だ。流石ザコキャラヴァントリア。使えるのは炎を直線状に放射する魔法と脱出系の魔法のみ。

 それにしたって、この尋常じゃない痛み。

 これ。本当に、本当に夢だよな? 夢じゃなきゃ困る。

「殺してやる、お前なんか……! この悪魔め!!」

 首が離された直後――肺に想定外の量の空気が取り込まれてカハッと喉が悲鳴を上げる。生理的な涙と共にせき込み、身体を丸めようとすれば、ジノが大きく口を開けて、首根に齧り付く。咳と一緒に聞いたこともない自分の声が発せられる。――食らい付く鋭利な八重歯は肉に刺さり、不器用に皮を裂き、自分の声にならない声が喉から絞り出されていく。

 なんだこれ。なんだこれ。なんだなんだなんだなんだ。

 意識がはっきりしない、血が一気に上って熱に浮かされたようになり、脳が風船のようにぱんぱんになったかのごとく感じる。

 夢なら……覚めろよ、夢なら。夢なら!


 目頭が高熱を放ち張り出すような感覚がする。どろりと、首を掻き押さえていた自分の掌に、生暖かい液体の感触が広がる。

 ジノの頭が視界の端で揺れる中、視界の中に自分の手を映して。腹の奥から競り上がる何かにあらがえず、思い切り吐き出すように口を開けた。

「うわああああああああああああああああああああああああああ、うわ、あああああ、あああ、ああ、な、なんだ、なんだこれ、なんだこれええええええええええええええ……ッ!!」

 見た目では他人のものと区別はつかない筈だが、それは紛れもなく自分の血液だった。

 自分の血液であると脳が判断していた。

 クリアな視界に、リアルすぎる――確かに触れている世界。


 夢じゃない。

 これは夢じゃない。痛みも感じる、血も流す。

 夢じゃ、ないだなんて。嘘だとしか思えないけれど、これはきっと夢じゃないんだ。何となく、気付いていたのかもしれない、認めたくなかったのかもしれない。癇声が格子の向こうから放たれる。



 ――――「貴様ッ!! 何をやっている――ッ!!」

 駆け付けた男の制服を視界に映すことに成功して、それが監獄の見廻りの制服であることに気が付いた。先刻ネックレスを渡した男は見廻りだったのか。着込んでいたから気付けなかった。どうりで自分達ばかりぬくぬくしている訳だ。

 頭に血が上り曖昧な視界を頼りに冷たい地面へ額を張り付ける。意識が遠のいていた。熱い脳ミソを冷やしたかった。冷静になって、目を覚ましたかった。夢でありたかった。

 自分がヴァントリア・オルテイルなら。この子供に殺されても文句は言えないからだ。

 そもそもヴァントリアの結末は曖昧だ。何度戦闘になろうと最終的には倒すことができず、しぶとく生き残り、主人公を追い詰める。

 しかしその矢先、自分を恨み続けてきたジノに刺されて死亡するのだ。これはゲーム中盤のストーリーの結末だ。ストーリーは全部で5幕構成。1幕13部と言う圧倒的なストーリー量だ。2幕の13部でジノに刺された気がする。しかしここには不審な点があった。本当に死亡したのかと、考察するファンもいたが、死亡していてくれとほとんど皆が望んでいた。
 ヴァントリアと共に行動していた彼の手下達は去り、ジノは主人公と共に行動するようになる。

 そんなジノが自分から離れ、部屋の中を逃げ惑う。

 見廻り男の手に見覚えのある筒状の道具が用意されている。噴出口からガスが放たれ、身体中傷だらけの少年に降り掛けられる。ジノは地面に倒れ、身体をびくびくと陸に打ち上げられた魚のように震わせる。男に頭を押さえつけられ、さんざん殴られた後、注射針で何かを打たれた。

 それでも暴れて抗うジノが、だんだんと力をなくし、男に首根っこを掴まれ引き摺られていく。

「ジ、ノ……」

 手を伸ばしてみたものの。届かなかった。

 視界に入る自分の手はぼやけて形も留めていない。赤く染め上げられたそれが自分の手であるなんて考えたくもなかったからちょうど良かったのかもしれない。

 鉄格子が冷たい音を立てて、ジノの姿はやがて映らなくなった。

 そのことに対して、自分は多分、心の底から安心していた。


 身体を無理やり両腕で支えて、ベッドを背に座り込む。

 視界は曇り、チカチカと光の文様を浮かべている。


 ジノはさらに下級の階層に落とされただろう。

 44層――ゾチ。

 凶悪な囚人がうじゃうじゃ檻の中に一緒くたに入れられ、殺し合い、共食いをし、己の欲望のままに悪道を行く。正に地獄と呼ばれるような場所だ。そして。中でも厳選された者達には褒美と言う名の人体実験が待っている。

 本軸と呼ばれる全ての層と繋がっているエレベーターを中心に、どの層も円を成して広がっている。

 44層の南端には大規模な実験場があった筈だ。ジノが何度か捕まり、実験をされる映像を見た事がある。もしかしたら、ジノは今からあんな目に合うのかもしれない。

 夢なら良かった。でも、夢じゃないから。

 でも、もしも夢だったら?

 問答しているうちに、疲れていたのか酷い眠気に襲われる。


 この眠りの中で俺は、ヴァントリアであった頃の僅かな記憶と、前世の自分が亡くなった時の記憶を見た。

 自分は今、あのヴァントリア・オルテイルで。前世と呼ばれる頃の自分は亡くなっている。

 自分の前世は最悪なものだった。それを考えるとヴァントリアは美形だし、前世と比べれば幾分かマシかもしれない。――ただ、前世の自分が嫌いでも、世界を嫌っていた訳では決してなかったと思う。

 とは言え、これがもし世で言う転生なのだとしたら。

 ゲームは随分昔の思い出となっていて、全ての内容の把握ができていないし。――正直に言えばぼやあっと雰囲気が分かるくらいにしか覚えておらず、思い出そうとすれば頭を抱えるほどには、覚えていない。さらに言えば新発売のゲームなんて冒頭すら見れていないぞ!

 チートしようにもできようがないし、これってただのザコキャラで終わりなんじゃ……。


 そこまで考えて、ぱちっと目が開かれ、あっさりと夢が覚めた。

 ……と言っても、やはり現実世界と呼ばれる場所は、自分がゲームの中で見た世界だ。

 随分と投げやりな夢に、悪態を吐いてやりたくなった。



 ヴァントリアである自分が後に死ぬ運命で、ましてや人を不幸にしていくことが分かっていて、抗うな、なんて度が過ぎる戯言だ。

 よって、ヴァントリアである自分がして来たことを正すためにも。

 あの子供を。ジノを助けなければならない。

 そうすれば、前世では目的のなかった自分の、今世での目的が――答えが見つかる気がするから。



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