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第一章
2話 夢か現か
しおりを挟む黒い。
墨のように黒い影がやってくる。
暗澹たる闇の中をゆらりゆらりと醜悪な姿で蠢いてこちらへ向かってくる。
奈落の底の闇よりも、悪質で怪しく、邪悪で、圧倒的な黒味を纏う影だった。
——画面の向こう側で。ボヤけたそれが赤い髪の少年に近付いて。幼さのある小さな唇が動いた。
「ヴァントリア」
長い睫毛が伏せて開かれるさまがまるで大鷲が翼を羽ばたかせるそれに似ていた。荘厳で、雅で。美しい。
そこから覗いた深い青の宝石もまた、美しかった。
「君はずっと。ここに――――」
画面が暗くなる。
前作は主人公――ウォルズが目指した最上級層の一番上=ユアの天空の部屋を背景に、タイトルが浮かび上がったが。
今作は開かずの部屋であった最下級層の一番下の階層――ヅォルイ――が背景だった。
闇に囚われてしまいそうになるスリルと格子の奥に何かがいるような錯覚。遠くから聞こえる叫び声に緊迫感を感じざるを得ない。
天井からてらてらと光が降り注ぎ、部屋の一部を照らしていた。
古く、静けさのある石の壁や像があり、その檻や枷は重厚で、強大な何かを封じる為に用意されたものであると、考えずとも感じる事ができた。
しかし。
恐ろしさと静けさの中に、美しさが確かに存在した。
あの世界観を思い起こさせるBGMが流れて、文字が浮かび上がる。
【WoRLD oF SHiSUTo ~A and Z ~】
画面から遠のき、中身が空のカップラーメンのタワーと、さんざん散らかされた雑誌やゴミ、マンガ本。そして、床にずっこけた後の自分の身体が見えた。
何度呼びかけても彼は目覚めない。
起こそうと手を伸ばして、すり抜けた感覚があった。
数週間後だろうか、彼の顔が花に囲まれ、こじんまりとした集まりがあった。
会場の表にはこう書かれている。
故 禿 万鳴貴 儀 葬儀式場
「ちょぉおおおおおおおおおおおおおおッ!!?!?!」
.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+
自分の葬儀が行われている夢を見て、驚いて飛び起きた。
しかし、それも束の間。
子供が拳を振り上げて元気にしているのを見て、ああ、目が覚めたと思ったけどまだ夢の中だったか、と朧げに子供の姿を捉える。
子供はフンッと鼻を鳴らして言った。
「間抜けな顔だ」
「ん?」
寝ぼけていて聞きそびれた。ありがとう助けてくれて、優しいお兄さんって言ってたかも。いや。曲解が過ぎた。それにしたって恐ろしい夢だった。
自分が生きていたことと、彼が元気であったことに安心して。
子供をぎう、と抱き締める。
ああ、良かった。
「な、はっ!?」
「……目が覚めたんだな。良かった」
いや、ここは現実ではないんだ。現実にこんな世界が広がっている筈がない。
……まさか、夢の中で夢を見るなんて。確かに夢の中で眠る経験はあったけど、起きてからも夢が続くなんてことは経験したことなかったな。
この子供が死んでしまうんじゃないかと心配しすぎて、自分と重ねてあんな夢を見てしまったのかもしれない。
よしよしと何となく頭を撫でていると、子供の耳が赤くなっていくようすが伺えた。
照れているのか、可愛い奴め。この頃のガキンチョはマセガキが多いからなあ。
「そんな、触り方、するな」
子供が何か呟いたが、聞こえない。やはり恥ずかしがり屋な時期らしい。
「なんだ、その触り方は、なんだ、これは」
震えている子供を見て、先刻の光景を思い出す。彼は誰かに酷い目に合わされたのだろう。怯えているのか?
それにしても夢にしてはしっかり設定が続くんだな。
「怪我の具合はどうだ?」
「お前がやったん――――うわっ」
心配してやると、子供は何か言いかけたが、巻き付けた包帯に血が滲んでいるのを見て、力づくでベッドに寝かせる。
「傷が開いてるじゃないか、まだ寝てろ」
「え……あ、な、何で僕がベッドに寝てるんだ。そう言えばさっきもこいつの隣で……」
「何でって、怪我人が使うのは当たり前だろ」
言った途端、ギロリと吊り上がった目がこちらを向く。
生意気そうなガキだ。子供はこれくらいが丁度いい。それより熱は下がっただろうか。
「何の真似だ、お前は自分だけいつもベッドで寝て僕には地べたで寝ろと言っていた、だ、ろ」
顔を近づけて額を重ねようとすると、「へ、ちょ、はっ!?」と子供は慌てふためいて離れようとする。
額を重ねて目を瞑れば、子供はなんかよく分からない鳴き声を発しながらじっとしている。
熱い、かなり熱いぞ。
「まだ熱が下がってないじゃないか。安静にしておけ。寒くないか? 何か毛布の代わりになるものは……」
額を離してそう言えば、子供はまだ何か言おうとする。
ポン、と頭を抑えて「寝てなさいって言ってるだろ」と無理やりベッドに寝かせれば、子供はしぶしぶ横になった。そして。
「この程度の風邪はどうってことねえよ。それよりお前の変わりようの方がよっぽど心臓に悪い」
と、悪態を吐いた。
――何の話だ。
ああ、そう言う設定の夢か。
本当にしっかり設定組んでくるなこの夢。
美しい世界を再び見渡して、なんか見たことあるなぁ、とぼんやり格子の外を眺めていると、廊下を一人の男が歩いてくるのが見えた。
自分ばかり暖かそうな服を着ているその男に、おーい、と声を掛ける。
「暖かい毛布を持ってきてくれないか」
「ハッ。なんだその姿はみっともない格好だな」
鼻で笑う男に、カチンとくる。お前は風呂に入る時服を着ているのかと言ってやりたい。
だが確かに風呂でもないのにパンツ一丁はおかしい。
「毛布を持ってきてやってもいい。だが条件がある。物々交換と行こうじゃないか。お前のその首のペンダントを寄越せ」
嘲笑うように男は言った。
大人しく寝ている子供は、応じる訳がねえ、と心中鼻で笑う。
そうして思った——あのネックレスは王族の証だ。あれを持っているだけで王族にしか行けない部屋へも簡単にいける。
所謂パスポートみたいな品物だ。ひねくれヴァントリアが「俺は王族だ渡すものか」と絶対に手放さなかったものだ。
だから、決して応じる訳がない。と。
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