4 / 15
第2話 1片 「夜灯」
しおりを挟む
カザギリは教室に戻ってきていた。
照明のスイッチは機能せず、部屋は薄暗闇に包まれている。
冬の寒さとも違う寒気が身体に纏わり付き、一歩を踏み出すことさえためらわせた。
カザギリのように術に精通する者で無ければその寒気が何から来るものなのか分からなかったことだろう。
警戒し、脚に力を入れながら、カザギリはポケットをまさぐった。
中から白結晶を取り出すと、それに軽く司力を送る。
するとヒュルルという微かな音と共に白結晶が光り出した。
数メートルを照らすことがやっとな光量の白結晶だが、それは光を放つという以外に面白い性質を持っている。
「そうか……」
部屋の中を慎重に歩き回ったカザギリは小さく呟いた。
一歩先、踏み出すと白結晶から出る光が急激に弱くなる場所がある。
そういった場所は何らかの要因で命が集中していて、そう言った場所では白結晶は共振を起こしてしまって制御がブレたりする。
命というのはこの世界中何処にでも充ちている概念の一つある。司力を使って干渉することで、魔法や変形術を扱う。
カザギリはなるべく命の均衡がとれている場所を選んで後ずさりした。
教室を出ると、鍵を閉め部屋を封鎖し、『現場保全中につき入室禁止』と張り紙を付ける。
この教室は、今やカザギリですら手に負えなかった。カザギリの頭の中には十数パターンの可能性が浮かんでいたが、そのどれも現実味を帯びていない。
――カザギリは、頼れる友人に調査を依頼するつもりだった。
かつてともに歩いた仲間であり、カザギリが教鞭を執ってからは一度も会っていない男。
(気難しい奴だからな……果たして呼ばれたからといって来るか……)
そんな男の性格を表したかのような赤毛を思いだし、カザギリは柄にも無く胸の奥が熱くなるのを感じた。
保健室で、マオはゲンナリとした顔で必死に笑い顔を取り繕っていた。
「もう平気です……はい……自分で帰ります……失礼します」
保険の先生が家族を呼ぶと言ったのを止め、自分は大丈夫であると言わんばかりに立ちあがる。
心配そうな先生に「平気です」の一点張りでなんとか言いくるめて廊下へ出るとカザギリと鉢合わせた。
マオはうつむいて、薄い目でカザギリを見上げる。
「教師を睨むとはどういう了見だ」
「……いいえ、何も」
マオは視線を逸らして答えた。
――どうせ疑われてるのは俺なんだよ。と、そう言いたげな表情を浮かべている。
「……体調はどうだ」
マオの心根とは裏腹に、カザギリは声音を落ち着けて聞いた。
視線を逸らしたまま、マオは「平気です」と小さく頷いた。
「送って行こうか」
そう聞かれても、首を横に振った。
……
少し間を置いて、カザギリは単刀直入に切り出した。
「何で、あんなことをした」
「っ……」
黙り込んだマオの手が、強く握られる。
「あんなことが出来るのは、学校でもお前くらいなもんだ」
鼻筋に皺が寄り、それを悟られまいとマオは顔をさらに背けた。
それを反抗と思ったのか、カザギリは、
「黙ってないで答えろ!」
そう、怒鳴りながらマオの胸ぐらを掴んだ。
キツネの細い剛腕が軽々その身体をむき直させる。
――憧れていた先生が初めて見せるその力を前に、身体の力が抜けていく。
だがマオは、その足で地面を感じて立った。
牙を食いしばり肩を震わせて、マオは青水晶のような瞳で実際を訴えるようにカザギリの心眼を射貫く。
……
「……すまない」
カザギリは小さな謝罪と共に、マオを離した。
なおさらうつむいたマオにかける言葉を見失う。
やっと口をついて出た言葉も、「何でも話してくれ」という、余りにも無責任なものだった。
歩き去るマオの背中にその一言を告げて、カザギリは唇を咬んだ。
どうやって家の前まで帰り着いたのか、マオは覚えていなかった。
ドアの前に立ち尽くし、その先へ踏み込むのをためらった。
(一体何と説明しようか)
背中の階段を照らす蛍光灯はジリジリと鳴り、ただでさえ暗い夜だというのに虚ろな気持ちが増すようだった。
母の姿を思い浮かべ、きっと聞かれる質問を考える。
そうやって、脚を止める理由はいくらでも思いついいた。
マオは歯を食いしばってドアを開けた。
瞬間、鼻腔を満たすホッケの匂い。あれやこれやと考えていた一切のことが全てかき消え、次いで息苦しさがやってくる。
気づけば、靴を脱ぎ捨て走り出していた。
「おかえり~?」
母の声が聞こえるとますます息が詰まった。
自室のドアを身体を押しつけるようにして開け、真っ暗な部屋のベッドに身を投げ出す。
枕で顔を覆い、嗚咽に喘ぎ、声も無く叫んだ。
……そこへ、『コンコン』とドアをノックする音が聞こえてくる。
マオは布団にくるまり、収まらない震えを必死に隠した。
絶対にこんな状態を見せるわけにはいかなかった。
スーッと部屋に一筋の光が差し込み、向かい側の壁に影を落とす。
「まーくん、ご飯できたよ?」
カワウソのミナミはその頭だけを部屋に入れて、ベッドで丸まるマオを見た。
――カワウソのミナミとイタチのマオの間に血のつながりは無い。
事故で両親を亡くした幼いマオを引き取ったときには居た旦那も蒸発してしまっていた。
だから、マオはほとんどミナミ一人に育てられてきたということになる。
共に過ごした時間は普通の親子よりもよっぽど少なかったかも知れないが、そんな風に時間で語られることをマオは憎むように嫌っていた。
マオは息を殺して、母が去って行くのを待った。
ミナミはまだ、学校で起きた事件を知らない。
正確には、保健室で目を覚ましたマオが必死に頼んで家に連絡が行かないように阻止をしていた。
いずれは知られることになるだろうが、それでもなるべく、母には心配をかけたくなかった。
「先に、食べてるからね……」
――きっと母は気づいている。
何が起きたのかまでは知らずとも、そっと部屋のドアを閉める母に、マオは、少しだけ心が落ち着くのを感じた。
そして、深い眠りに落ちる。
照明のスイッチは機能せず、部屋は薄暗闇に包まれている。
冬の寒さとも違う寒気が身体に纏わり付き、一歩を踏み出すことさえためらわせた。
カザギリのように術に精通する者で無ければその寒気が何から来るものなのか分からなかったことだろう。
警戒し、脚に力を入れながら、カザギリはポケットをまさぐった。
中から白結晶を取り出すと、それに軽く司力を送る。
するとヒュルルという微かな音と共に白結晶が光り出した。
数メートルを照らすことがやっとな光量の白結晶だが、それは光を放つという以外に面白い性質を持っている。
「そうか……」
部屋の中を慎重に歩き回ったカザギリは小さく呟いた。
一歩先、踏み出すと白結晶から出る光が急激に弱くなる場所がある。
そういった場所は何らかの要因で命が集中していて、そう言った場所では白結晶は共振を起こしてしまって制御がブレたりする。
命というのはこの世界中何処にでも充ちている概念の一つある。司力を使って干渉することで、魔法や変形術を扱う。
カザギリはなるべく命の均衡がとれている場所を選んで後ずさりした。
教室を出ると、鍵を閉め部屋を封鎖し、『現場保全中につき入室禁止』と張り紙を付ける。
この教室は、今やカザギリですら手に負えなかった。カザギリの頭の中には十数パターンの可能性が浮かんでいたが、そのどれも現実味を帯びていない。
――カザギリは、頼れる友人に調査を依頼するつもりだった。
かつてともに歩いた仲間であり、カザギリが教鞭を執ってからは一度も会っていない男。
(気難しい奴だからな……果たして呼ばれたからといって来るか……)
そんな男の性格を表したかのような赤毛を思いだし、カザギリは柄にも無く胸の奥が熱くなるのを感じた。
保健室で、マオはゲンナリとした顔で必死に笑い顔を取り繕っていた。
「もう平気です……はい……自分で帰ります……失礼します」
保険の先生が家族を呼ぶと言ったのを止め、自分は大丈夫であると言わんばかりに立ちあがる。
心配そうな先生に「平気です」の一点張りでなんとか言いくるめて廊下へ出るとカザギリと鉢合わせた。
マオはうつむいて、薄い目でカザギリを見上げる。
「教師を睨むとはどういう了見だ」
「……いいえ、何も」
マオは視線を逸らして答えた。
――どうせ疑われてるのは俺なんだよ。と、そう言いたげな表情を浮かべている。
「……体調はどうだ」
マオの心根とは裏腹に、カザギリは声音を落ち着けて聞いた。
視線を逸らしたまま、マオは「平気です」と小さく頷いた。
「送って行こうか」
そう聞かれても、首を横に振った。
……
少し間を置いて、カザギリは単刀直入に切り出した。
「何で、あんなことをした」
「っ……」
黙り込んだマオの手が、強く握られる。
「あんなことが出来るのは、学校でもお前くらいなもんだ」
鼻筋に皺が寄り、それを悟られまいとマオは顔をさらに背けた。
それを反抗と思ったのか、カザギリは、
「黙ってないで答えろ!」
そう、怒鳴りながらマオの胸ぐらを掴んだ。
キツネの細い剛腕が軽々その身体をむき直させる。
――憧れていた先生が初めて見せるその力を前に、身体の力が抜けていく。
だがマオは、その足で地面を感じて立った。
牙を食いしばり肩を震わせて、マオは青水晶のような瞳で実際を訴えるようにカザギリの心眼を射貫く。
……
「……すまない」
カザギリは小さな謝罪と共に、マオを離した。
なおさらうつむいたマオにかける言葉を見失う。
やっと口をついて出た言葉も、「何でも話してくれ」という、余りにも無責任なものだった。
歩き去るマオの背中にその一言を告げて、カザギリは唇を咬んだ。
どうやって家の前まで帰り着いたのか、マオは覚えていなかった。
ドアの前に立ち尽くし、その先へ踏み込むのをためらった。
(一体何と説明しようか)
背中の階段を照らす蛍光灯はジリジリと鳴り、ただでさえ暗い夜だというのに虚ろな気持ちが増すようだった。
母の姿を思い浮かべ、きっと聞かれる質問を考える。
そうやって、脚を止める理由はいくらでも思いついいた。
マオは歯を食いしばってドアを開けた。
瞬間、鼻腔を満たすホッケの匂い。あれやこれやと考えていた一切のことが全てかき消え、次いで息苦しさがやってくる。
気づけば、靴を脱ぎ捨て走り出していた。
「おかえり~?」
母の声が聞こえるとますます息が詰まった。
自室のドアを身体を押しつけるようにして開け、真っ暗な部屋のベッドに身を投げ出す。
枕で顔を覆い、嗚咽に喘ぎ、声も無く叫んだ。
……そこへ、『コンコン』とドアをノックする音が聞こえてくる。
マオは布団にくるまり、収まらない震えを必死に隠した。
絶対にこんな状態を見せるわけにはいかなかった。
スーッと部屋に一筋の光が差し込み、向かい側の壁に影を落とす。
「まーくん、ご飯できたよ?」
カワウソのミナミはその頭だけを部屋に入れて、ベッドで丸まるマオを見た。
――カワウソのミナミとイタチのマオの間に血のつながりは無い。
事故で両親を亡くした幼いマオを引き取ったときには居た旦那も蒸発してしまっていた。
だから、マオはほとんどミナミ一人に育てられてきたということになる。
共に過ごした時間は普通の親子よりもよっぽど少なかったかも知れないが、そんな風に時間で語られることをマオは憎むように嫌っていた。
マオは息を殺して、母が去って行くのを待った。
ミナミはまだ、学校で起きた事件を知らない。
正確には、保健室で目を覚ましたマオが必死に頼んで家に連絡が行かないように阻止をしていた。
いずれは知られることになるだろうが、それでもなるべく、母には心配をかけたくなかった。
「先に、食べてるからね……」
――きっと母は気づいている。
何が起きたのかまでは知らずとも、そっと部屋のドアを閉める母に、マオは、少しだけ心が落ち着くのを感じた。
そして、深い眠りに落ちる。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
冷遇妻に家を売り払われていた男の裁判
七辻ゆゆ
ファンタジー
婚姻後すぐに妻を放置した男が二年ぶりに帰ると、家はなくなっていた。
「では開廷いたします」
家には10億の価値があったと主張し、妻に離縁と損害賠償を求める男。妻の口からは二年の事実が語られていく。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる