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冒頭試し読み
SAVE・1 ヤジナ近郊の森 ~ザファル
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目を覚ますと、緑の葉が陽を透かしてきらめきながら、視界を埋めていた。
私は瞬きをしてから、起き上がった。丸めていた身体を伸ばして、うーん、と伸びをする。深呼吸をすると、しっとりした森の香気が胸一杯に入ってきた。
木々の隙間から、街の方を眺める。昨日この森までたどり着いた時には、もう宵の口だったから、さっさと太い木の上に寝床を確保して眠ってしまった。今、ようやく明るい光の元でヤジナの街を見ることができる。
薄い緑がかった白い石の家々、濃い緑の屋根。背の高い尖塔もいくつも見えた。その街を取り囲むのは、同じ白い石の外壁。カーン、カーン、と高い鐘の音。
私は先に荷物を投げ下ろしてから木を降りると、荷物を斜めがけにしてからマントを身に着けた。フードをかぶり、木立の間を抜けて歩き出す。
ヤジナで、何か仕事が見つかるといいんだけど。考えてみれば、こっちの世界に来てから本格的な就職活動をするのは初めてだ。
履歴書とか必要? むしろ紹介状? ま、どっちもないけどな。先に住むところを決めた方がいいのか……いや、職に就いてないと部屋は借りられない? うーん、住所不定なんて初めてだから、どうすればいいのやら。
日本を離れてこんなとこまで来て、「御縁がなかった」とか「ご期待に添いかねる」とか「今後のご健闘をお祈りいたします」みたいな言葉でザクザク断られたらどうしよう。年齢的には大丈夫だと思うんだよね、今の私の見た目は十代前半。こっちってかなり若いうちから働くみたいだから、働き盛りってことで雇ってもらいやすいんじゃないかと。まあ、中身だって今年二十五だから、そこまで年増ってほどでもないつもりなんですけどね。
あ、脳内の独り言が多いのは、トシのせいじゃないから。こっちの言葉が不自由なせいでそうなるだけだから。……たぶん。
日本が、そして私の知る国が一つもない、異世界。
最初は言葉さえ通じなくて困ったけど、親切な人に教えてもらったので、今では聞き取りならだいぶできる。しゃべる方は……うん……ジェスチャーを交えればだいたい伝わるかな、くらいだ。
さあ、行こう。中身はいい大人なんだし、これ以上グダグダしてられない。旅の間にだいぶ懐も寂しくなってきた、早く仕事見つけないと。
森を貫く街道の上を、てくてくと歩いていく。馬車が通れるように、レンガで舗装してあるのだ。
視線の先で、森が切れている。その向こうに、ヤジナの外壁。門が見えて……
……あー、なんか動悸がする……
私は思わず、街道からササッと外れ、森の木に寄りかかってため息をついた。もはや就活はトラウマだ。手のひらに「人人人」と書いて、飲み込む。
いや、今の私はただの「人」じゃないんだから、これじゃ緊張はとけないのか……?
その時、深くかぶったフードで切り取られた視界の隅を、小さなものが素早く横切った。
ぴくっ、と、視線を動かす。
白い、靄のようなものが尾を引いて、消えるところだった。何だろう……
静かに数歩、そちらに近づく。姿勢を低くして茂みの隙間からのぞくと、ウサギのような長い耳とキツネのようなふっさりした尻尾を持った灰色の動物が、後ろ足で立ってあたりを確認するかのように首を回していた。名前は知らないけど、とりあえずウサギツネ、ってところか。
ウサギツネはいったん前足をおろして数歩走り、また後ろ足で立ってあたりを確認。ふっくらしたフトモモのあたりが、何だか美味しそう。じゅる。
けれど、一瞬見えた目は、赤く光っていた。口から、うっすらと白い靄を吐いている。まるで凍えているように。
……なんだ、ありゃ。食欲なくした、放っとこう……
とは思ったんだけど、手頃な大きさといい、パタパタ動く尻尾といい、ああもう! あの動き、たまらん!
私はさらに身を沈めると、両手を地面についた。
――数秒後、四肢をバネのように使って茂みを飛び越えた私は、ウサギツネに飛びかかった。
こちらに気がついたウサギツネは、キキッ、と鳴き声をあげながら逃げ出す。私は横の木の幹を蹴って跳び、ウサギツネの進行方向から少しずれた場所を狙って着地した。ウサギツネは大木と岩と私に挟まれ、開けた方へ進路を変える。
逃げる方向を操作してしまえば、こっちのもの。
動きを読んでいた私は、もう一度木の幹を蹴って飛びかかり、ウサギツネを地面に押さえつけた。シュッ、と腰のナイフを抜き、首に突き立てる。ウサギツネは声も立てずに動かなくなった。
よーし、ハント完了!
……ハッ。
いや、だからさあ! 怪しげな感じだから放っておこうって思ったさっきまでの私はどこに!?
自分に呆れて力を抜き、狩りに熱くなっていた意識がすうっと澄んだ。
気がついたときには、背後にもう一つの気配。
振り向くと、茂みの向こうに大きな影がそびえ立っていた。
今度は、私が狩られる。
一瞬、そう思った。
「おっ、珍しい毛の色だなぁ。『ムシュク・ドストラー』か」
低い声がして、影は無造作に茂みを分けてこちらに出てきた。
木漏れ日の中に現れたのは、見上げるような大男だった。私より、頭二つ半は背が高い。
刈り込んだ青灰色の髪に浅黒い肌、薄い青の瞳。そこまではまぁともかくとして、服装がめちゃくちゃだった。勲章みたいな銀のバッジをいくつかつけた詰め襟の軍服らしきものを着てるのに、袖が肩からちぎれたようになくなっていて、太い筋肉質の腕が剥き出し。しかもその黒い軍服、前が開いているから胸元がチラ見え、腰にサッシュベルトのような感じで布を巻いて前をあわせてるんだけど(なぜボタンをとめない!?)、その布は鮮やかな赤。たっぷり目のズボンとごついブーツは黒、肩に載せた長ーい武器は柄が螺鈿か何かみたいにキラキラ、と来たもんだ。
……って。今、「ムシュク(猫)」って……
はっ、と頭に手をやると、フードが落ちて顔がすっかり露わになっていた。私の猫耳も、そして頬から耳にかけて走る傷も。
この世界での私は、猫獣人――ムシュク・ドストラーと呼ばれる種族の姿をしている。
顔は人間なんだけど、耳は本来の位置よりやや上に、猫のような三角形の形で生えている。少し前に怪我をしたせいで、左耳は切れ込みが入ったようになっちゃった。胴体は人間だけど、肘から先と膝から先の手足にはふかふかと毛が生えている。肉球があるから靴は本当は必要ないけど、今はブーツをはいていた。指は人間の子ども程度に長く、爪が出し入れできて、あと長い尻尾もある。毛の生えた部分は全て三毛猫柄だ。髪の毛も、ベースは黒だけど白と茶のメッシュが入ったみたいになっている。
三毛猫といえば、心当たりがあった。この世界に来るとき、腕に抱いていた子猫が三毛猫だったのだ。
何でこんな姿になったのか、さんざん考えた。まあ、そもそもこんな不思議な状況なんだから、世界を渡るときに私と猫が合体した、という不思議がプラスされたところでもはや驚かない。見た目が若返っているのも、子猫の月齢に引きずられたのだと考えれば……納得はいかないけど、説明はつく。
自分の姿を鏡で初めて見た時はショックだったけど、ショックがおさまってから自分で、「この年で猫耳娘かよ!」って突っ込みを入れ、猫がたくさん出てくる有名なミュージカルの出演者みたい、と思うことでひとまず落ち着いた。
『あなたの毛皮、とっても珍しい』
こっちに来てから三年お世話になった、女性の声が蘇る。
『三色も毛が生えてるなんて、初めて見たわ。二色の動物はいるって聞いたことがあるけれど』
二色……シマウマとか?
とにかく三毛というのは、こちらでは相当珍しいようだ。
「ありがとうよ、ムシュクのお嬢ちゃん。そのすばしっこいトゥクヨンを追ってたんだが、俺の図体でこの森の中じゃ、なかなかな」
男は馴れ馴れしい口調でそう言いながら近づいてくると、武器――長い棒の先に、斧の形をした刃がついている――を地面に置きながら屈み込んだ。腰のサッシュベルトからナイフを抜き、私の足下で昇天していたウサギツネの首を持ち上げ、顔を自分の方に向かせる。
シュッ、とナイフがひらめき、トゥクヨンの額に縦に傷が開いた。傷の奥で、何かがキラリと光る。
「これは、狩った奴のものだ」
男はそれを指先で取り出し、私に向かってぽいっと投げた。反射的に受け止める。何かの結晶の写真でよく見る、細長くて両端がとがった石。透き通った赤でとても綺麗だ。
「これ、なに?」
たどたどしく聞くと、男は軽く眉を上げて説明してくれる。
「知らんか? 呪い石だ。呪術師の呪いの力が強くなるし、一般人も石に願いをかけるとかやるんで売れる。いい値がつくぞ」
私が小学生の頃、女の子の間で「おまじない」が大流行したものだった。消しゴムの、カバーで見えないところに好きな人の名前を書いて、その消しゴムを使い切ると恋が叶う……とかなんとか、そういう可愛らしいやつ。
でも、こっちのはそんなんじゃなくてガチだ。『呪術師』っていう専門家がいて、実際に不思議な力をふるっているのだ。一般の人も真似をしておまじないをすることがあるみたいだけど、その力を強化したり、パワーストーン(?)みたいに身に着ける石があるってことは知らなかった。
高く売れるならありがたい、くれるというならもらっちゃおうか……?
その時、気がついた。風向きが変わったのか、男からわずかに、獣のにおい。
この人も、獣人なんだ。猫ではなさそう……たぶん、犬(イート)。今はまるっきり人間に見えるから、変身できるタイプだろう。
人間の中には、ドストラーを捕まえて売り飛ばす奴がいる。でも、同じドストラーなら多少は安心かな。私は警戒レベルを下げた。
「ありがとう」
こちらの言葉で「ラフマット」と発音したつもりだったけど、「あふまと」になってしまった。私は肩かけの布鞄に石をしまう。
男はトゥクヨンを地面に置き、立ち上がった。
「こいつは、ここに置いておこう。森の動物が食うだろ。……俺はザファルだ」
名乗られたら、私も名乗るべきか。
「私、チヤ」
フルネームは桐谷千弥子だけど、この世界ではドストラーに名字がある方が珍しい。名前の、言いやすそうな部分だけ言えばいいや。
「チヤか、よろしく。……早速だが、チヤ」
ザファルというその男は、ニヤリ、と白い歯を見せた。
「この辺りで旅姿のドストラー、ときたら、ヤジナには職探しに来たんだろ? 今の狩りの腕前を見込んで、いい仕事を紹介したいんだが」
尻尾の毛が、ほんの少し、逆立った。
出会ったばかりの犬獣人に「お嬢ちゃんいい仕事があるよ」って言われて、いきなりホイホイついて行く女がいるもんですか。
「私、ヤジナ行く」
パッと身を翻したけれど、どうやらこの人は私の動きを予想していたらしい。
「まあまあ、話だけでも」
ひょい、とマントの裾を捕まれた。
知らない人に、服とはいえいきなり触られたムシュクがどうするかと言ったら、馴れ馴れしいっ! キシャー! となります。
私は払いのけようとして身体を素早く開いた。爪が一閃する。
が、男は爪を避けたかと思うと私の動きと逆に回り込み、私の身体にマントを巻き付けてしまった。このドストラー、速い……!
「あ。つい。まあいいか」
マントで私を蓑虫みたいに巻いたザファルという男は、ひょい、と私を肩に担ぎ上げた。ええっ!?
「えっ、ちょっ」
「だから、話だけでも、なっ。チヤみたいな小柄なドストラーの特性を生かした仕事だし個室の寮完備だし給料はいいしメシはうまいし気に入らなかったら引き受けなくていいから!」
男は一気に言った。
特性を、生かした仕事……
私だから雇いたい、とでも言いたげなその言葉に、心が大きくぐらついた。正直、自分から仕事を探して、また断られるのが怖かった。もう、自分にガッカリしたくない。それに、気に入らなかったら引き受けなくていいって。
気持ちが揺れたのを、男は即座に悟ったようだ。
「よし、それじゃ、お嬢ちゃんを職場見学にお連れしよう」
スタスタと歩き出す。私を軽々と担いだまま。
「は、はニャして!」
って、あああ、恥ずかしい! あわてると言葉が猫っぽくなるんだよっ!
「大丈夫大丈夫、俺は一応、こういうもんだ」
彼は長斧を手に取って見せた。持ち手の近くに太陽みたいなマーク、そしてすぐ下に「V」の字を図案化したようなマークがついている。
ああっ、このマークはっ!! ……なんて思わないし。あれだ、こういう人バイト先にいた。内線電話かけてきて「おう、オレだ」っていうタイプ。当然わかるだろうくらいの勢いで言われても知らないし。
「いーから、下ろして!」
爪を立ててみたけれど、ちっとも堪えないみたい。ていうか、服が厚地で爪が肌まで届かないし!
「男の背中に爪を立てるとは、なかなか情熱的なお嬢さんだな。あ、ちなみにさっきみたいにマントを捕まれた時は、マントは捨てて逃げるといい。さぁ、俺の足ならすぐだ、行くぞー」
男はそう茶化しながら、軽く走り出した。は、速っ……!
どうにも逃げ出せそうにないので、私はヤジナの外壁が遠ざかるのを見つめながら歯を噛みしめる(舌を噛みそうだったので)。
あああ、私みたいなドストラーが珍しくないという話のヤジナ……誰にも好奇の目で見られずに宿に泊まって、美味しいごはんとお風呂にありついて、翌日から猫耳少女のサクセスストーリーが始まるはずだったのに、予定が大幅変更に……!?
ふと、私を子ども扱いで担いだ男の後頭部を見ながら、思った。
呪い石を私にくれちゃったなら、この人は何のために、トゥクヨンを追ってたんだろう?
私は瞬きをしてから、起き上がった。丸めていた身体を伸ばして、うーん、と伸びをする。深呼吸をすると、しっとりした森の香気が胸一杯に入ってきた。
木々の隙間から、街の方を眺める。昨日この森までたどり着いた時には、もう宵の口だったから、さっさと太い木の上に寝床を確保して眠ってしまった。今、ようやく明るい光の元でヤジナの街を見ることができる。
薄い緑がかった白い石の家々、濃い緑の屋根。背の高い尖塔もいくつも見えた。その街を取り囲むのは、同じ白い石の外壁。カーン、カーン、と高い鐘の音。
私は先に荷物を投げ下ろしてから木を降りると、荷物を斜めがけにしてからマントを身に着けた。フードをかぶり、木立の間を抜けて歩き出す。
ヤジナで、何か仕事が見つかるといいんだけど。考えてみれば、こっちの世界に来てから本格的な就職活動をするのは初めてだ。
履歴書とか必要? むしろ紹介状? ま、どっちもないけどな。先に住むところを決めた方がいいのか……いや、職に就いてないと部屋は借りられない? うーん、住所不定なんて初めてだから、どうすればいいのやら。
日本を離れてこんなとこまで来て、「御縁がなかった」とか「ご期待に添いかねる」とか「今後のご健闘をお祈りいたします」みたいな言葉でザクザク断られたらどうしよう。年齢的には大丈夫だと思うんだよね、今の私の見た目は十代前半。こっちってかなり若いうちから働くみたいだから、働き盛りってことで雇ってもらいやすいんじゃないかと。まあ、中身だって今年二十五だから、そこまで年増ってほどでもないつもりなんですけどね。
あ、脳内の独り言が多いのは、トシのせいじゃないから。こっちの言葉が不自由なせいでそうなるだけだから。……たぶん。
日本が、そして私の知る国が一つもない、異世界。
最初は言葉さえ通じなくて困ったけど、親切な人に教えてもらったので、今では聞き取りならだいぶできる。しゃべる方は……うん……ジェスチャーを交えればだいたい伝わるかな、くらいだ。
さあ、行こう。中身はいい大人なんだし、これ以上グダグダしてられない。旅の間にだいぶ懐も寂しくなってきた、早く仕事見つけないと。
森を貫く街道の上を、てくてくと歩いていく。馬車が通れるように、レンガで舗装してあるのだ。
視線の先で、森が切れている。その向こうに、ヤジナの外壁。門が見えて……
……あー、なんか動悸がする……
私は思わず、街道からササッと外れ、森の木に寄りかかってため息をついた。もはや就活はトラウマだ。手のひらに「人人人」と書いて、飲み込む。
いや、今の私はただの「人」じゃないんだから、これじゃ緊張はとけないのか……?
その時、深くかぶったフードで切り取られた視界の隅を、小さなものが素早く横切った。
ぴくっ、と、視線を動かす。
白い、靄のようなものが尾を引いて、消えるところだった。何だろう……
静かに数歩、そちらに近づく。姿勢を低くして茂みの隙間からのぞくと、ウサギのような長い耳とキツネのようなふっさりした尻尾を持った灰色の動物が、後ろ足で立ってあたりを確認するかのように首を回していた。名前は知らないけど、とりあえずウサギツネ、ってところか。
ウサギツネはいったん前足をおろして数歩走り、また後ろ足で立ってあたりを確認。ふっくらしたフトモモのあたりが、何だか美味しそう。じゅる。
けれど、一瞬見えた目は、赤く光っていた。口から、うっすらと白い靄を吐いている。まるで凍えているように。
……なんだ、ありゃ。食欲なくした、放っとこう……
とは思ったんだけど、手頃な大きさといい、パタパタ動く尻尾といい、ああもう! あの動き、たまらん!
私はさらに身を沈めると、両手を地面についた。
――数秒後、四肢をバネのように使って茂みを飛び越えた私は、ウサギツネに飛びかかった。
こちらに気がついたウサギツネは、キキッ、と鳴き声をあげながら逃げ出す。私は横の木の幹を蹴って跳び、ウサギツネの進行方向から少しずれた場所を狙って着地した。ウサギツネは大木と岩と私に挟まれ、開けた方へ進路を変える。
逃げる方向を操作してしまえば、こっちのもの。
動きを読んでいた私は、もう一度木の幹を蹴って飛びかかり、ウサギツネを地面に押さえつけた。シュッ、と腰のナイフを抜き、首に突き立てる。ウサギツネは声も立てずに動かなくなった。
よーし、ハント完了!
……ハッ。
いや、だからさあ! 怪しげな感じだから放っておこうって思ったさっきまでの私はどこに!?
自分に呆れて力を抜き、狩りに熱くなっていた意識がすうっと澄んだ。
気がついたときには、背後にもう一つの気配。
振り向くと、茂みの向こうに大きな影がそびえ立っていた。
今度は、私が狩られる。
一瞬、そう思った。
「おっ、珍しい毛の色だなぁ。『ムシュク・ドストラー』か」
低い声がして、影は無造作に茂みを分けてこちらに出てきた。
木漏れ日の中に現れたのは、見上げるような大男だった。私より、頭二つ半は背が高い。
刈り込んだ青灰色の髪に浅黒い肌、薄い青の瞳。そこまではまぁともかくとして、服装がめちゃくちゃだった。勲章みたいな銀のバッジをいくつかつけた詰め襟の軍服らしきものを着てるのに、袖が肩からちぎれたようになくなっていて、太い筋肉質の腕が剥き出し。しかもその黒い軍服、前が開いているから胸元がチラ見え、腰にサッシュベルトのような感じで布を巻いて前をあわせてるんだけど(なぜボタンをとめない!?)、その布は鮮やかな赤。たっぷり目のズボンとごついブーツは黒、肩に載せた長ーい武器は柄が螺鈿か何かみたいにキラキラ、と来たもんだ。
……って。今、「ムシュク(猫)」って……
はっ、と頭に手をやると、フードが落ちて顔がすっかり露わになっていた。私の猫耳も、そして頬から耳にかけて走る傷も。
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顔は人間なんだけど、耳は本来の位置よりやや上に、猫のような三角形の形で生えている。少し前に怪我をしたせいで、左耳は切れ込みが入ったようになっちゃった。胴体は人間だけど、肘から先と膝から先の手足にはふかふかと毛が生えている。肉球があるから靴は本当は必要ないけど、今はブーツをはいていた。指は人間の子ども程度に長く、爪が出し入れできて、あと長い尻尾もある。毛の生えた部分は全て三毛猫柄だ。髪の毛も、ベースは黒だけど白と茶のメッシュが入ったみたいになっている。
三毛猫といえば、心当たりがあった。この世界に来るとき、腕に抱いていた子猫が三毛猫だったのだ。
何でこんな姿になったのか、さんざん考えた。まあ、そもそもこんな不思議な状況なんだから、世界を渡るときに私と猫が合体した、という不思議がプラスされたところでもはや驚かない。見た目が若返っているのも、子猫の月齢に引きずられたのだと考えれば……納得はいかないけど、説明はつく。
自分の姿を鏡で初めて見た時はショックだったけど、ショックがおさまってから自分で、「この年で猫耳娘かよ!」って突っ込みを入れ、猫がたくさん出てくる有名なミュージカルの出演者みたい、と思うことでひとまず落ち着いた。
『あなたの毛皮、とっても珍しい』
こっちに来てから三年お世話になった、女性の声が蘇る。
『三色も毛が生えてるなんて、初めて見たわ。二色の動物はいるって聞いたことがあるけれど』
二色……シマウマとか?
とにかく三毛というのは、こちらでは相当珍しいようだ。
「ありがとうよ、ムシュクのお嬢ちゃん。そのすばしっこいトゥクヨンを追ってたんだが、俺の図体でこの森の中じゃ、なかなかな」
男は馴れ馴れしい口調でそう言いながら近づいてくると、武器――長い棒の先に、斧の形をした刃がついている――を地面に置きながら屈み込んだ。腰のサッシュベルトからナイフを抜き、私の足下で昇天していたウサギツネの首を持ち上げ、顔を自分の方に向かせる。
シュッ、とナイフがひらめき、トゥクヨンの額に縦に傷が開いた。傷の奥で、何かがキラリと光る。
「これは、狩った奴のものだ」
男はそれを指先で取り出し、私に向かってぽいっと投げた。反射的に受け止める。何かの結晶の写真でよく見る、細長くて両端がとがった石。透き通った赤でとても綺麗だ。
「これ、なに?」
たどたどしく聞くと、男は軽く眉を上げて説明してくれる。
「知らんか? 呪い石だ。呪術師の呪いの力が強くなるし、一般人も石に願いをかけるとかやるんで売れる。いい値がつくぞ」
私が小学生の頃、女の子の間で「おまじない」が大流行したものだった。消しゴムの、カバーで見えないところに好きな人の名前を書いて、その消しゴムを使い切ると恋が叶う……とかなんとか、そういう可愛らしいやつ。
でも、こっちのはそんなんじゃなくてガチだ。『呪術師』っていう専門家がいて、実際に不思議な力をふるっているのだ。一般の人も真似をしておまじないをすることがあるみたいだけど、その力を強化したり、パワーストーン(?)みたいに身に着ける石があるってことは知らなかった。
高く売れるならありがたい、くれるというならもらっちゃおうか……?
その時、気がついた。風向きが変わったのか、男からわずかに、獣のにおい。
この人も、獣人なんだ。猫ではなさそう……たぶん、犬(イート)。今はまるっきり人間に見えるから、変身できるタイプだろう。
人間の中には、ドストラーを捕まえて売り飛ばす奴がいる。でも、同じドストラーなら多少は安心かな。私は警戒レベルを下げた。
「ありがとう」
こちらの言葉で「ラフマット」と発音したつもりだったけど、「あふまと」になってしまった。私は肩かけの布鞄に石をしまう。
男はトゥクヨンを地面に置き、立ち上がった。
「こいつは、ここに置いておこう。森の動物が食うだろ。……俺はザファルだ」
名乗られたら、私も名乗るべきか。
「私、チヤ」
フルネームは桐谷千弥子だけど、この世界ではドストラーに名字がある方が珍しい。名前の、言いやすそうな部分だけ言えばいいや。
「チヤか、よろしく。……早速だが、チヤ」
ザファルというその男は、ニヤリ、と白い歯を見せた。
「この辺りで旅姿のドストラー、ときたら、ヤジナには職探しに来たんだろ? 今の狩りの腕前を見込んで、いい仕事を紹介したいんだが」
尻尾の毛が、ほんの少し、逆立った。
出会ったばかりの犬獣人に「お嬢ちゃんいい仕事があるよ」って言われて、いきなりホイホイついて行く女がいるもんですか。
「私、ヤジナ行く」
パッと身を翻したけれど、どうやらこの人は私の動きを予想していたらしい。
「まあまあ、話だけでも」
ひょい、とマントの裾を捕まれた。
知らない人に、服とはいえいきなり触られたムシュクがどうするかと言ったら、馴れ馴れしいっ! キシャー! となります。
私は払いのけようとして身体を素早く開いた。爪が一閃する。
が、男は爪を避けたかと思うと私の動きと逆に回り込み、私の身体にマントを巻き付けてしまった。このドストラー、速い……!
「あ。つい。まあいいか」
マントで私を蓑虫みたいに巻いたザファルという男は、ひょい、と私を肩に担ぎ上げた。ええっ!?
「えっ、ちょっ」
「だから、話だけでも、なっ。チヤみたいな小柄なドストラーの特性を生かした仕事だし個室の寮完備だし給料はいいしメシはうまいし気に入らなかったら引き受けなくていいから!」
男は一気に言った。
特性を、生かした仕事……
私だから雇いたい、とでも言いたげなその言葉に、心が大きくぐらついた。正直、自分から仕事を探して、また断られるのが怖かった。もう、自分にガッカリしたくない。それに、気に入らなかったら引き受けなくていいって。
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って、あああ、恥ずかしい! あわてると言葉が猫っぽくなるんだよっ!
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彼は長斧を手に取って見せた。持ち手の近くに太陽みたいなマーク、そしてすぐ下に「V」の字を図案化したようなマークがついている。
ああっ、このマークはっ!! ……なんて思わないし。あれだ、こういう人バイト先にいた。内線電話かけてきて「おう、オレだ」っていうタイプ。当然わかるだろうくらいの勢いで言われても知らないし。
「いーから、下ろして!」
爪を立ててみたけれど、ちっとも堪えないみたい。ていうか、服が厚地で爪が肌まで届かないし!
「男の背中に爪を立てるとは、なかなか情熱的なお嬢さんだな。あ、ちなみにさっきみたいにマントを捕まれた時は、マントは捨てて逃げるといい。さぁ、俺の足ならすぐだ、行くぞー」
男はそう茶化しながら、軽く走り出した。は、速っ……!
どうにも逃げ出せそうにないので、私はヤジナの外壁が遠ざかるのを見つめながら歯を噛みしめる(舌を噛みそうだったので)。
あああ、私みたいなドストラーが珍しくないという話のヤジナ……誰にも好奇の目で見られずに宿に泊まって、美味しいごはんとお風呂にありついて、翌日から猫耳少女のサクセスストーリーが始まるはずだったのに、予定が大幅変更に……!?
ふと、私を子ども扱いで担いだ男の後頭部を見ながら、思った。
呪い石を私にくれちゃったなら、この人は何のために、トゥクヨンを追ってたんだろう?
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*小説家になろう様でも掲載中です
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【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
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「私はスローライフ希望なんですけど……」
この作品は「小説家になろう」さん、「エブリスタ」さんで完結済みです。
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