ルート・オブ・アッシュの見習い魔女(王国ヴィダルの森の中)

有栖川 款

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森の中の秘密

森の中の秘密2

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 翌朝、朝食を済ませ家臣たちが天幕を片付けて、いざ歩き出そうとした時、森の中から新たな気配がした。
 どすん、どすん、と重い音が響いたのはその直後で、ラシルもアシュランもぎょっとしたように音のする方向を振り返った。
「…今度は、何かな?」
「もしかして、まだ、仲間がいるんでしょうか」
 まだ名前が決まっていないドラゴンもどきを手のひらの中に大事そうに抱えて、ラシルも怯えている。
 しかし今度は声らしきものも聞こえていて―――それは人間の言葉を伴っているようだった。
 どすん、どすん。がさがさがさ、ばさばさばさ、と周囲の枝葉を薙ぎ倒すような気配。
(あ、ちょっと待って。もっと嫌な予感が)
 する、とアシュランが思った直後、広場の端から巨大な影が出てきた。
「アシュラン様――――――!!」
 満面の笑みで駆け寄ってきたのは、例の肖像画の姫君であった。
「ぎゃ、ぎゃあ――――!!」
 心底恐怖に引きつったアシュランは、およそ麗しの王子に相応しくない表情で叫んだ。


   *


「アシュラン様!! この隣国メデルのリリアナ姫、アシュラン王子にお逢いしたくてまたやって参りましたわよ―――!!」
 身の丈は長身のアシュランと同じくらい。そして身幅はアシュランの二倍くらい。そして厚みは――――優にアシュランの三倍はあるだろう。そんな姫君が勢いよく駆けてきては、いくら速度が遅いとはいえそのパワーたるや半端ではない筈で、アシュランは必死で自分の身を守るために逃げた。直撃を受けては真剣に命が危ない。
「アシュラン王子! どうかこのリリアナ姫の抱擁を受けてくださいなー!」
「遠慮します!!」
 どすどすと響き渡る足音に、逃げ惑うアシュラン。
 ラシルは呆然とその光景を見ていた。ドラゴンもどきも怯えたようにラシルの手の中で小さくなっている。
「ああ…やはり来ましたか」
 突然、後ろから声が聞こえてラシルはびくっと振り返った。そこには黒尽くめの一人が立っていて、ラシルに丁寧に頭を下げた。
「驚かせてすみません。私はアシュラン王子の側近でベルナールと申します」
「は、はあ、初めまして…」
 ああ、あなたが王子様を甘やかしている張本人ですね、とちょっとは思ったが言わない。ラシルも大概その恩恵に与ってしまったし。何より、アシュランがただのいい加減な家出をしているわけではないということがわかったからだ。
「アシュラン様の家出が伝わったら、このような事態になることは想定しておりました」
「はあ…あのお姫様、メデルの姫なんですね」
 ヴィダルの隣国とは知らなかったが、ラシルでさえ知っていたくらいの大国である。確かにその縁談を断れば脅威になりそうだ。
 ベルナールは深くラシルに頭を下げた。
「どうかアシュラン様をお救いいただけませんでしょうか」
「は、え? わ、わたしがですか!?」
「左様」
「ど、ど、どうやって!」
 そんな手段があるのならとっくに助けている。
「あなたが一言、アシュラン王子の婚約者であると仰ってくだされば、丸く収まるかと存じますが」
「……ええ? それは無理があると思います。わたしはどこかのお姫様でもないし貴族でもないし…」
「そんなことは言わなければわかりませんし。あなたが若くて可愛らしいお嬢さんであるというだけで十分ですよ」
「若いのはともかく…可愛らしいかどうかは…」
 甚だ疑問ですが。
 ラシルは美しい師匠と美しい師匠の使い魔と長年暮らしてきて、自分は味噌っかすだという自覚がある。それは思春期に入ってから急に衰えた視力のせいで、鏡を見なくなったから―――見ても自分の顔がはっきり見えなくなったからだ。
「それは、今お確かめになればよろしいのではないでしょうか」
 そう言うとベルナールは、ほら、とラシルの眼鏡を外してどん、と少々乱暴にラシルの背中を押した。よろめいてドラゴンもどきは手の中から飛び出した。
「きゃ、ああっ!」
 そしてよたよたと勢いで飛び出した先は――――リリアナ姫の、目の前だ。
「ラシル…!?」
 まだ必死で逃げていたアシュランが驚いて立ち止まる。
 リリアナ姫はそこを好機と踏んだようだが、間に入ったラシルが邪魔でもあった。
「お前は誰だい?」
 アシュランに言い寄る時とは別人のような尊大な口調。立場的にも年齢的にも居丈高になれるのだろう。人を見下した態度が板についている。
 ラシルは、ええいとリリアナ姫に向き直ってきっと見上げた。大きさが大きさなのであらぬ方向を見て喋るような失態はしないだろう。まったくといっていいほど見えていないから視線が合っているかは定かではないが、その分恐怖が浮かびそうなお顔を拝見しなくて済む、とも思った。
「わ、わたしは、アシュラン王子の婚約者です! ア、アシュラン様に近づかないでいただけますか!!」
「……」
 アシュランは呆然として、それからはっとして照れたようにラシルに近づき庇うような姿勢になる。そっと肩に手を添えるとラシルは案の定震えていた。
「リリアナ姫、申し訳ないが、そういうことなのです。私はこの娘でなければ嫌なので―――あなたとは結婚できません」
 初めからこうすればよかったんだな、と小さく呟いた。
 本当は、どこの国にも貰ってもらえなかった姫君を一人断ったとしても、そのせいで戦にでもなれば隣国メデルそのものが世界から非難を浴びるだろうということは、想像するに難くないことだったのに。
 リリアナ姫は、それはそれは美しい――そして自分に比べれば酷く小さな少女の突然の登場に度肝を抜かれ、その口上を聞いてやがてわなわなと震えだした。
「何だって…!? わ、わらわとメデルに恥をかかせるか…!!」
「国王陛下には誠心誠意をもって謝罪の書状を差し上げます故、今日のところはお引取り願います」
 毅然と言い放ったアシュランに、リリアナ姫は激昂した。
「おのれ、ちょっと自分が綺麗だからと思うて、調子に乗りおって小僧が!!」
「うわー、絵に描いたような豹変振り…こわ」
 アシュランが小さくラシルの耳元で囁く。ラシルも怖かったがアシュランが傍にいることで安心できた。
「わたし、ちょっとは役に立ちましたか?」
「うん。十分すぎるよ」
 リリアナ姫の叫びを殆ど無視して、二人の世界を勝手に作り始めたアシュランとラシルにリリアナ姫は腰に差した剣を抜き放った。
「小娘、決闘だ!」
「ええ!? わたしですか!?」
「っていうか、どこに剣を差してたか見えなかったよ?」
 驚くラシルと素朴な疑問を口にするアシュラン。確かに、腰がどこにあるかわからないのだから剣がよく体に刺さらなかったものだと感心する。
「王子様、どうしましょう! わたし決闘なんてできませんよ!」
 剣さえ持ったことがないのに、と焦るラシルに、アシュランはにこりと微笑んだ。
「大丈夫。俺の家臣が周囲にいるから。絶対ラシルに傷一つつけないよ」
「…わかりました」
 アシュランの言葉が、絶対の安心をくれた。
 とにかく、この凶暴な恐ろしい姫君を何とかしなければいけないのだ。ラシルは滅多に握ることもない、リグナム・バイタの杖を掴んで目の前にかざした。
「リリアナ姫がどのくらいお強いか存じませんが、わたしはこう見えても魔女の端くれ。それも、世界に誇るルート・オブ・アッシュの魔女リコ様の弟子です! どうぞ、どこからでもかかってきてください!」
 こんな大それたはったりをかましたことがばれたら、師匠にどれだけ叱られるか、或いは呆れられていつまでもネタにされるかどちらかだろうが、師匠リコは絶対に目の前の姫君など大嫌いな人種の筈なので、ラシルの行動を黙認してくれるだろうという確信があった。
 リリアナ姫は、リコの名を聞いてはっとしたように慄いたが、やがて面白そうににやりと笑った。
「随分なはったりを言うようだが小娘、聞いおるぞ? ルート・オブ・アッシュの大魔女リコの愛弟子は、魔法が使えない出来損ないだとね」
 ああ、ばれてる。
 泣きそうになってアシュランを振り返るが、眼鏡がないから顔が見えない。
 そうだ、もしかしてもしかしたら、これこそが荒療治になるのかもしれない。
 だからラシルは勇気を振り絞った。
「その噂が本当かどうか、確かめてみればよろしいんじゃないですか?」
 挑発するように微笑んでみせるとリリアナ姫は、ぎっと睨み返したようだった。実際にラシルが魔法を使えないかどうか、わからなくなったのだろう。
「おのれ小賢しい小娘め! 死んでしまえ!」
 言い寄っていた王子の目の前で、そんな物騒なことを言ってしまったら嫌われるのではないかという算段はもうないのだろうか。もちろん、先ほどからの発言の数々を聞けば、アシュラン自身を好いているとは思えない。
 リリアナ姫が剣を振りかざして、ラシルに叩きつけようとした。
 ラシルは杖を目の前にかざしたまま、思わず目を瞑ってしまった。
 そして。
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