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森の中の秘密
森の中の秘密
しおりを挟むどこからともなく、ばさばさ、がさがさ、ごそごそ、そしてしまいにはどん、と何かにぶつかるような音が森の奥から響いてきた。
「え、な、何?」
「…いいとこだったのに…」
寸止めになったアシュランは不機嫌だがラシルは見えないから気づいていない。でもまぁ、本当にしてたら嫌われちゃうかもね、とアシュランは邪魔が入ったことに感謝しないでもなかった。
「な、何なんでしょう、あの音」
ラシルは慌ててまだ乾いてない涙をぐいっと手の甲で乱暴に拭い、眼鏡をかけ直した。
「さあ、ねぇ」
嫌な予感がするけど、というのは敢えて口にはしない。
ばさばさばさばさ、と次第に大きくなっていく音。アシュランはラシルを立ち上がらせた。
「ちょうどよかった、ほらきっとラシルの出番だよ! やっぱり本当にドラゴンがいるのかも!」
言いながらアシュランはラシルを思い切り盾にしている。
「え、えええ!? こ、困ります!」
王子様こそ男なんだから助けてくださいよ! と叫びたいがそういうわけにもいかない。さっきの話を聞いていれば尚更だ。一国の大切なお世継ぎであればこそ、そのお命自らの命に換えてもお守りしなければ、というのは普通はロマンスノベルでも姫君を守る騎士の台詞だ。
ラシルは動揺しすぎて頭の中が恐慌状態だが、アシュランはそんなのお構いなしだ。
「あああ、ほら近づいてきたよ! 何か影が見えるよ、ほらそこに!」
「きゃああああ!! だ、駄目です、無理です! わたし! わたしは―――――魔法が使えないんです――――!!」
悲鳴のように叫んだラシルの目の前に、森の中から勢いよく飛び出してきたのは――――――。
「……あ――――…あれ?」
思わず目を閉じてしまったラシルがそうっと目を開けると、ラシルの目の前に―――ドラゴンがいる。ただし、ラシルの顔ぐらいの大きさしかない、手のひらサイズ。
爬虫類っぽい顔立ちではあるが目が大きくくるくるとよく動き、体は完全に二頭身だ。その背中に蝙蝠のような羽根がふよふよと上下に一生懸命ぱたぱたと動いている。サイズはともかく、外見だけなら子供向けの絵本などで見るドラゴンの想像図によく似ている。
「……まさかと思いますけど」
ラシルの台詞をアシュランが引き継いだ。
「……これが、ドラゴン…?」
呆然と呟いた二人にまるで返事をするように、そのドラゴンもどきは、
「きゅ」
と鳴いた。
「…か、可愛いっ!」
「可愛いね、悔しいけど」
「何で悔しがるんですか」
アシュランの言葉にラシルが笑う。ああ、いいな。君は笑っている方がいい。なんて、眼鏡越しの素顔を思い浮かべながら。
「ラシルが可愛いって言うから悔しいんだよ」
「…何でですか」
何となくは意味が伝わったようで、ラシルは意外に反応が早く僅かに頬を染めた。
(あれ? ちょっとは意識してる?)
それとも、さっきの不埒な行為(未遂だが)を何となくでも察したのか。
「きゅ? きゅ?」
ドラゴンもどきは二人の周りをふよふよと飛びながら擦り寄ってくる。
「きゃー、何ですかコレ!! 殺人的に可愛いんですけど!」
思わず手が伸びて触ろうとしたラシルにアシュランがはっとして手を掴んだ。
「ちょ…! いくら可愛くても正体がわからないものに無防備に触っちゃ駄目だよ!」
「あ…ごめんなさい」
「いや、俺こそ…急に怒鳴ってごめん」
細い手首を掴んだまま、何となく離せない。
「きゅ? きゅ?」
構ってくれない二人に、ドラゴンもどきがくわっと口を開けた。
「危ない…!」
ドラゴンは火を噴く筈で、それらしい仕草にアシュランは急ぎラシルを庇うように抱きしめた。
「きゅうっ!」
小さな口から覗いた牙は立派なものだったが、その喉から出てきた炎は―――人間の拳程度だった。
「……噴く火まで、可愛いね」
「ですね…」
こんな小さなドラゴンから火炎放射器並の炎が出てきたらそれこそ驚くが、アシュランは自分の慌てぶりが些か恥ずかしい。そしてラシルは。
「あの…あの、王子様……も、もう、離して…」
ください、と小さな声。
「あ! あ! ご、ごめん!」
抱きしめたままのラシルに気づいてはっと飛び退いた。
「……どうして」
俯いて呟いたラシルの言葉の意味は、わかった。さっきまで自分を盾にしていたのに、どうして守ろうとしてくれたのかと言いたいのだろう。
「だって、ラシルが魔法を使えないって言ったじゃない」
ラシルはぱっと顔を上げた。
「黙ってて、ごめんなさい…」
「ラシルが俺に謝ることでもないと思うけど。まぁ、魔法を使えない魔女がいるとは思ってもみなかったけどね」
皮肉に聞こえたのか、ますます小さくなってごめんなさいを繰り返す。
「…俺の方こそ、ごめん」
何を、とはうまく言えなかったが、いろいろ含めてだ。アシュランはもう一度、一瞬だけぎゅっとラシルを抱きしめて、話題を変えた。
「こいつ、迷子なのかなぁ。どこから来たんだろうね」
ドラゴンもどきを見ながら、そっと手を出してみる。彼(彼女?)はアシュランには見向きもせずにラシルに近寄っていく。
「…うわ、ちょっとむかつく」
「わー…やっぱり可愛いー」
可愛くない。絶対オスだ、そいつ、とアシュランは内心毒づいた。
ラシルも今度はそっと手を出してみると、ドラゴンもどきはそこにちょこんと乗っかった。
「くぅぅぅーっ!!」
変な声が出たのはあまりの可愛さに身悶えしているらしい。
「名前、名前つけましょう、この子! 呼ぶのに困るし」
「もしかして、飼う気?」
「駄目ですか?」
こんなに可愛いのに。と目で訴えているラシル。
「…ルート・オブ・アッシュに連れて帰るんだったらいいんじゃない?」
「はい、そうします! お師匠様もこういうの好きそう。あ、そうだ、それにわたしの使い魔になってくれるかも!」
すごくいいアイデアを思いついたみたいにはしゃぐラシルに、アシュランは基本的なことを思い出した。
「あのさー、盛り上がってるところ悪いけど、確かラシルは、そのドラゴンを退治するためにヴィダルに来たんじゃなかったっけ?」
「あっ! そ、そうでした……」
愕然としたラシルはううん、ううんと唸りながら知恵を絞ったようで、やがて一番平和的解決法を思いついたように笑顔になった。
「大丈夫ですよ、王子様! ドラゴンを退治するのはできなくても、この子をわたしが連れて帰ったら森の中からいなくなるわけだし、そうしたらきっとお師匠様も報酬をいただけて…言うことないじゃないですか!」
「…そうだね。でも、そうなったら俺はラシルにもう逢えなくなっちゃうな」
「え…」
ラシルは固まったがアシュランには想定内だった。どんな意識の仕方かはラシルなのでわからないが、面白いくらい反応しそうなのでからかってしまった。アシュランはぺろっと舌を出してラシルの頭を撫でた。
「で、名前、どうするの?」
「あ、えーと……あの、王子様が、つけてくれませんか?」
「俺?」
予想外の答えだった。
「はい。王子様がつけてくださった名前なら…ずっと忘れないから…」
今度はアシュランが固まる番だった。
帰ってほしくないと、帰らせたくないと、言っても許されるだろうか。今なら。
「…考えとく」
でもまだ。その理由が思いつかない。ラシルを引き留める理由が。
「はい! お願いします!」
そうして、その日は取り留めのない会話をして一日を森の広場で過ごした。ドラゴンの登場で事態に収束はつきそうだったがアシュランの家出はまだ続行中だ。ラシルも何となく一人で城に向かう気にはなれなかったし、何より半日では絶対に着けないと宣言されていたので諦めた。
でも実際のところ、アシュランと一緒にいたかったのが本音でもあった。
それがどうしてなのかはまだ、ラシルには自覚がなかった。
やがて世も更け、眠りに就こうという頃、天幕の中に入ってアシュランが言う。
「じゃあ、明日は朝早く城に向かおう。俺も一緒に行くよ」
「え、でも。いいんですか? 家出が…」
というより縁談が。ラシルの心配をよそにアシュランは努めて明るく振舞った。
「門の前までならついていっても大丈夫でしょ。中にはラシルが一人で入ればいいし。…ラシルを一人で行かすのは無謀に過ぎると思うし…」
その後はごにょごにょと誤魔化す。
ベルナールを筆頭に周囲に潜んでいる家臣たちの誰かに任せることもできるのだが、それは憚られた。既婚者であるベルナールはともかく、他の連中は騎士団の中の隠密行動を主にする精鋭中の精鋭で、アシュランと変わらないくらい若い者が多い。つまり、他の男にラシルを任せたくないのである。
「わかりました。王子様が一緒なら大丈夫ですよね」
何が。
頼りない王子の姿を見せたばかりなのに、そう言ってくれるのは謎だったが、何の疑いも見せないラシルが眩しかった。
(それとも…ちょっとは意識されてると思ったのは…勘違いだったのかな?)
王国ヴィダルが誇る(?)チャラ王子アシュランも、魔法が使えない魔女に振り回されている。
そんな彼をわかってかどうか、ドラゴンもどきはしれっとした目でアシュランを眺めているように見える。彼(絶対オスだと思うので)は天幕の隅に括りつけた枝に止まっている。
寝よう、もう寝てしまおう、不貞腐れたアシュランにラシルが追い打ちをかける。
「あのぅ、王子様。どうして今日はそんなに離れてるんですか?」
ええっ、それを訊くの!? アシュランは動揺してしまった。
昨日は昨日で確かにわざとらしく広いベッドの中央に寄り添って眠ったわけだが、さすがにいろいろと意識し始めた身としては、無意識に隅っこに身を寄せてしまっていた。
ラシルだって、さっき抱きしめたら早く離してくれと言ったのに。それだけ意識して一緒に寝るのは酷じゃないのか。それとこれとは別なのか。
その違いはアシュランにはさっぱりわからない。
「いや、だってベッドこんなに広いんだし…昨日は、ラシルが窮屈じゃなかったかと思ってさ」
そう言うとラシルはきょとんと首を傾げて、それから思い出したように赤くなった。なったのだが、その理由が。
「そんなことないです。わたし両親を知らないから、誰かと一緒に眠ったことってなくて…人と一緒に寝るのって暖かいんだなって…嬉しかったです」
殺す気か! と内心爆発しそうな気持ちを抑え、そこまで言われて要求に応えない選択もなかったので、じゃあ、と少しずつ少しずつラシルに近づいていく。
(でもやっぱり、親みたいに思われてたってことだよね)
がっかりしつつ、昨日の距離まで近づくと、ラシルはあくまでも自然にアシュランに寄り添ってきた。
(あああ、もう…俺、どこまで理性が持つかな…)
明日の朝出発したとしても、ラシルの足では最低一泊はしなければいけないだろう、と思う。そうなったら、ここ以上に開けた場所はない筈なので、こんな大きな天幕やベッドは置けない。
(…もう、いいや。理性が飛んだらそれはその時ってことで)
投げやりになったアシュランは、それはそれでいいかも、それこそラシルを引き留める理由になるかも、例の縁談を断る理由にもなるかも、と開き直ってようやく眠れた。
でも。
世の中は案外非情で、シュールだ。
朝になれば、それがよくわかった。
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