ルート・オブ・アッシュの見習い魔女(王国ヴィダルの森の中)

有栖川 款

文字の大きさ
上 下
13 / 31
王国ヴィダルの軽薄王子

王国ヴィダルの軽薄王子3

しおりを挟む


 常時木々の影が落ちる深い森の中にあって、広場の辺りだけは明るい陽射しが差し込む。
 風除けと獣避けに厚い生地で作られた天幕の中までは陽射しも届かないが、空気が伝えてくれるのか雰囲気は伝わる気がする。
 だから。
 まだ早い時間に、ラシルはぱっちりと目を開け、清々しい気分で起き上がった。
「ふあああ…おはよーございまーす…」
 毎朝起きたら、一番に自分に挨拶するのが習慣だ。
「……ええっと、ここは、どこでしたっけ…?」
 ぐっすりと眠れたのは確かだが、その分寝る前の記憶が怪しい。
「おはよう」
 不意に隣から声が聞こえ、ラシルははっとベッドを見下ろす。そこには人影。でも、残念ながら顔がよく見えない。
「……」
 ここはどこ? わたしはだれ? と記憶喪失のように乏しい記憶力を奮い立たせて、ようやく思い出した。
「ああっ! お、王子様ですか!?」
 どうして、と言いかけて寝る前のやり取りも一緒に思い出した。今更ながらかあっと顔が熱くなる。
「す、すいません。すいません。王子様と一緒に寝ちゃうなんて…お師匠様にばれたら大変…!」
 気にする理由が妙だが、ラシルは真剣に呟きながら慌ててベッドを降りようとする。眼鏡がないから見えていないせいか、それとももともとのドジっ子のせいか、おそらく後者であろうがアシュランの予想通り器用にベッドから転げ落ちた。
「きゃあっ!」
 絨毯と毛皮の上、しかもその下は柔らかい土にも関わらず結構派手な音が響いたので、どんな転び方をしたのやら。
「……大丈夫?」
 面白そうに見ていたアシュランでさえ、さすがに心配になって下を覗き込んだ。
「だ、大丈夫ですっ! それより、眼鏡、眼鏡はどこですかっ!」
 探るように手を振り回して眼鏡を探しているようだが、その動きはてんで見当違いの宙を彷徨っている。額の辺りが赤くなっているのは、しこたま頭をぶつけたようだ。不器用を通り越してそれはもう器用の域だよね、とアシュランは思う。
 眼鏡を探して右往左往する姿は可愛いが、あまり意地悪が過ぎても胸が痛む。
 でも。ああ、もうちょっと見ていたかったんだけどなぁ、と肩を竦めてアシュランは眼鏡を手渡してやった。全然明後日の方向に向かっている手を掴んで握らせる。
「はい」
「あ、ありがとうございます!」
 アシュランから受け取った分厚くて不恰好な眼鏡をかけ直して、ラシルはようやく落ち着いた。
「…そんなに、見えないの?」
「はい。もともと視力は良くなかったんですけど、二、三年前から急に見えなくなっちゃったんですよぅ」
 その原因には心当たりがあるが、後ろめたさもあるので黙っておく。
 師匠であるリコが大好きなロマンスノベルを、彼女の留守にこっそり読んでいるからだ。
 だから実を言うとラシルも王子様という響きにはめっぽう弱い。ただ、それが現実の王子様になると、自分に置き換えてシミュレーションするほどの妄想力はないようだった。
 そしてラシル以上にロマンスノベルを読み耽っている師匠が、ちっとも目が悪くなっていないのは魔法の力であろうと踏んでいる。
「顔洗う? 朝ごはんももうできてると思うよ」
 アシュランの言葉に天幕の隅を見ると、ご丁寧に洗面用の器が用意してあった。やわらかそうなタオルもセット済みだ。
「ありがとうございます…」
 王子様ってやっぱり不思議、と慣れてきたラシルは遠慮せず顔を洗い、天幕の外に出てテーブルに並べられた朝食を見て溜息をついた。
「……とっても、美味しそうです、よね……」
 師匠がいくら魔法で作っても、しがない魔女の暮らしではお目にかかれないような高級そうな食事が朝から並び、紅茶が入っているらしいカップからは湯気が出ている。
「うん、美味しいよ。うちの料理長は料理上手だから」
「…あんまり料理が下手な料理長さんなんて、聞いたことないですけど」
 思わず厭味の一つも出てしまう。
 だから! 家出中の王子が王宮の料理長自慢の朝食を食べるってどんななの!
 と、喉まで出かかった声は飲み込んで。尤も、アシュランにはそのくらい想像できるだろうし、だからといって態度を変えるつもりも毛頭なさそうだが。
「そう言われればそうだなぁ、料理長が料理下手だったら城中が困るよね」
 笑いながら同意して、ラシルに訊いた。 
「ラシルは、朝ごはん食べたら城に向かうの?」
「そのつもりですけど…」
 ちゃっかり食べるつもりでいる台詞だが、アシュランは気にせず他に何か言いたそうな顔になった。
「まぁ、食べてからにしようか」
「……?」
 そして頂いた朝食は、やはりラシルが食べたことのないほど美味だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

【完結】魔女令嬢はただ静かに生きていたいだけ

こな
恋愛
 公爵家の令嬢として傲慢に育った十歳の少女、エマ・ルソーネは、ちょっとした事故により前世の記憶を思い出し、今世が乙女ゲームの世界であることに気付く。しかも自分は、魔女の血を引く最低最悪の悪役令嬢だった。  待っているのはオールデスエンド。回避すべく動くも、何故だが攻略対象たちとの接点は増えるばかりで、あれよあれよという間に物語の筋書き通り、魔法研究機関に入所することになってしまう。  ひたすら静かに過ごすことに努めるエマを、研究所に集った癖のある者たちの脅威が襲う。日々の苦悩に、エマの胃痛はとどまる所を知らない……

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

処理中です...