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王国ヴィダルの森の中 ふたたび
王国ヴィダルの森の中 ふたたび3
しおりを挟むラシルは困り果てていた。
少し休憩して早くヴィダルへ向かわなければ、と思っているのに、アシュラン王子が離してくれないのである。
「あのぅ、王子様…いつまでわたしはこうしていなきゃいけないんですか」
「動かないで」
王子らしいといえばらしいのかもしれないが、アシュランはラシルの乱れまくった格好が気に入らなかったらしく、広場の隅に敷物を敷いて、あろうことか自分の膝にラシルを座らせている。
それは何故かというと、乱れた髪を解き編み直すためだ。
ちなみに、その前にドレスの汚れを払って落ち葉を払って、ご丁寧に引っ掛けてほつれた場所なども繕ってもらっている。
もちろん、それをしたのはアシュラン本人ではない。
「女の子がこんなに汚れているなんて、俺の美意識が許さないんだよ」
「でもぅ…それは森の中を歩いてたら仕方ないと思いますけど…」
ラシルは本心からそう言ったのだが、アシュランには鼻で笑われた。
「君、本気で言ってる? いくら森の中とはいえ、普通に歩いててどうしたらこんなに汚れるか俺が教えてほしいくらいだよ? 君、相当なドジっ子なんだね」
「……そうなんですか?」
自覚はなかったが散々師匠やメンディスに叱られていたので、なるほどと理解できた。理解は出来たが改善できるかどうかは自信がない。
なので出来るだけ反論は避けて、気になっていたことを訊いてみた。
「あのぅ、王子様はどうしてこんな森の中にいるんですか?」
汚れることに敏感な人が、ラシルのようにドジっ子でなくとも森の中に長時間いれば、湿気もあるし虫や埃や落ち葉など、常に綺麗でいるのは無理がある気がするのだが。
しかも、彼の服には染み一つついていない。
そのことに関してだけならば理由はラシルにはもうわかっていた。それは自分たちが座っている敷物がどこから出てきたのかと同じ理由だ。
だから森にいるのは何とか理解できるとして、では何故そこまでしているのかという理由を訊いたつもりだった。
「森の中の偵察とか、ですか?」
具体的に王子様のお仕事ってなんだろう、とラシルは内心首を傾げたが、何となく公務の一つなのだろうか、と思った。
しかしアシュランは笑ってあっさりと否定した。
「まさか。俺はただの家出中だよ」
「……はぁ?」
思わず口をついて出た声を誰にも責められたくはない、とラシルは思った。自分はドジっ子かもしれない。魔法も使えない未熟な魔女だ。でも、この王子よりはマシかもしれない。そんな考えが浮かんだ。少なくとも常識という点においては。
「あのぅ、普通家出っていうのは一人でするものだと思いますけど」
「一人でしてるよ?」
アシュランは首を傾げる。そういう仕草が似合ってしまうところがハンサムは得だ、と思うがラシルは更に脱力する。
「してません! 家出中なのにどうしてさっきから召使いのような人が入れ替わり立ち代り王子様のお世話をしてるんですか! そんなのは家出とは言いません!」
そうなのだ。
ラシルがアシュランに出逢った直後から、森の中から黒尽くめの人たちがひっそりと付き従っていることがわかり、座るための敷物を敷き、ラシルの服の汚れを取りほつれを繕って、更に髪を梳く櫛を王子に渡し、そして今は―――森の広場の真ん中に! 敷物を敷いた上にテーブルを置き、あまつさえフルコースのような食事を並べているのである。
「有り得ません! 大体、国内だったら家出って言わないんじゃないですか!? すぐ見つかっちゃうじゃないですか!」
本来ならば、一人で家出した王子を探すのが彼らの―――森の中の黒子さんたちの役割なのではないのか。
「ええ? 見つからないと思うよ。父上は厳しい方だから、もう勘当されてるかもね。でも外国に出るのは面倒だから、森の中ぐらいがちょうどいいんだよね」
「そういう問題じゃありません!」
いつもなら師匠とメンディスに叱られ、いじられてばかりのラシルである故、ちょっと憤っただけで息が切れた。何だ、この話の通じない王子様は。それとも、王族ってみんなこんななの?
それとも、師匠やメンディスは、いつもラシルを叱る時こんな気持ちなのだろうか、とよぎった。が、とりあえずそれは無視することにした。
今はこの、目の前の王子が問題だ。
(黙っていればすごくカッコイイのに…がっかり)
どうしてがっかりしたのかは、わからないが。
アシュランは何とも感じてないような顔で、それより、とラシルの説教をあっさりと流した。
「ちょうど支度が出来たようだから、ラシルも一緒に食事にしようよ」
「人の話、聞いてましたか!?」
もう嫌だ、と諦めモードになったラシルだったが、食事の誘いは魅力的でもあった。正直、お腹が空いていたのである。簡単な非常食ぐらいは持っているが、今日中に着くと高を括っていたため食料を持っていない。
「まぁ、腹が減っては戦は出来ぬ、でしょ? それにラシルがどうしてヴィダルに来たのかも知りたいし」
ぎく、と肩が強張った。何気なく言ったかもしれないが意味深過ぎる。勘繰ってしまいたくなるほどに。
いやでも別に、王子様なら根本理由そのものは知っているかもしれないし。隠さなければいけないのは、主にラシルの事情だ。
「でもさぁ」
と、アシュランは綺麗に結び直したラシルの三つ編みを肩に落として、つん、と巨大な丸眼鏡をつついて見せた。
「この眼鏡はどうにかならないのかな? ひびも入ってるし若い女の子の顔を半分も隠してるなんて、俺の美意識が許さないんだけど」
「ぎゃー、駄目です! 絶対駄目です! これだけは! ほんとに、これだけはないと…何にも見えないのです!」
取り上げそうな勢いだったのでラシルは慌てて眼鏡を取り押さえた。それでも不満そうなアシュランが納得しそうな理屈を思いついて思わず叫ぶ。
「これがないと! 王子様の素敵なお顔も全然、見えないので! 勘弁してください!」
「そうなの? ……それじゃあ、仕方ないね」
よし、やった。
自分に自信を持っているタイプはおだてるに限る。というのは同様に美しいことに誇りを持っている師匠との長い生活で得た知恵だ。
「その代わり、ラシルの用件を父上に逢う前に聞かせてもらうよ?」
にっこりと笑った彼は、やはりラシルより一枚も二枚も上手だった。
いいですけど、別に何の問題もありませんけど、と言うのは却って怪しい気がして、曖昧に笑うに留めておいた。
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