8 / 31
王国ヴィダルの森の中 ふたたび
王国ヴィダルの森の中 ふたたび3
しおりを挟むラシルは困り果てていた。
少し休憩して早くヴィダルへ向かわなければ、と思っているのに、アシュラン王子が離してくれないのである。
「あのぅ、王子様…いつまでわたしはこうしていなきゃいけないんですか」
「動かないで」
王子らしいといえばらしいのかもしれないが、アシュランはラシルの乱れまくった格好が気に入らなかったらしく、広場の隅に敷物を敷いて、あろうことか自分の膝にラシルを座らせている。
それは何故かというと、乱れた髪を解き編み直すためだ。
ちなみに、その前にドレスの汚れを払って落ち葉を払って、ご丁寧に引っ掛けてほつれた場所なども繕ってもらっている。
もちろん、それをしたのはアシュラン本人ではない。
「女の子がこんなに汚れているなんて、俺の美意識が許さないんだよ」
「でもぅ…それは森の中を歩いてたら仕方ないと思いますけど…」
ラシルは本心からそう言ったのだが、アシュランには鼻で笑われた。
「君、本気で言ってる? いくら森の中とはいえ、普通に歩いててどうしたらこんなに汚れるか俺が教えてほしいくらいだよ? 君、相当なドジっ子なんだね」
「……そうなんですか?」
自覚はなかったが散々師匠やメンディスに叱られていたので、なるほどと理解できた。理解は出来たが改善できるかどうかは自信がない。
なので出来るだけ反論は避けて、気になっていたことを訊いてみた。
「あのぅ、王子様はどうしてこんな森の中にいるんですか?」
汚れることに敏感な人が、ラシルのようにドジっ子でなくとも森の中に長時間いれば、湿気もあるし虫や埃や落ち葉など、常に綺麗でいるのは無理がある気がするのだが。
しかも、彼の服には染み一つついていない。
そのことに関してだけならば理由はラシルにはもうわかっていた。それは自分たちが座っている敷物がどこから出てきたのかと同じ理由だ。
だから森にいるのは何とか理解できるとして、では何故そこまでしているのかという理由を訊いたつもりだった。
「森の中の偵察とか、ですか?」
具体的に王子様のお仕事ってなんだろう、とラシルは内心首を傾げたが、何となく公務の一つなのだろうか、と思った。
しかしアシュランは笑ってあっさりと否定した。
「まさか。俺はただの家出中だよ」
「……はぁ?」
思わず口をついて出た声を誰にも責められたくはない、とラシルは思った。自分はドジっ子かもしれない。魔法も使えない未熟な魔女だ。でも、この王子よりはマシかもしれない。そんな考えが浮かんだ。少なくとも常識という点においては。
「あのぅ、普通家出っていうのは一人でするものだと思いますけど」
「一人でしてるよ?」
アシュランは首を傾げる。そういう仕草が似合ってしまうところがハンサムは得だ、と思うがラシルは更に脱力する。
「してません! 家出中なのにどうしてさっきから召使いのような人が入れ替わり立ち代り王子様のお世話をしてるんですか! そんなのは家出とは言いません!」
そうなのだ。
ラシルがアシュランに出逢った直後から、森の中から黒尽くめの人たちがひっそりと付き従っていることがわかり、座るための敷物を敷き、ラシルの服の汚れを取りほつれを繕って、更に髪を梳く櫛を王子に渡し、そして今は―――森の広場の真ん中に! 敷物を敷いた上にテーブルを置き、あまつさえフルコースのような食事を並べているのである。
「有り得ません! 大体、国内だったら家出って言わないんじゃないですか!? すぐ見つかっちゃうじゃないですか!」
本来ならば、一人で家出した王子を探すのが彼らの―――森の中の黒子さんたちの役割なのではないのか。
「ええ? 見つからないと思うよ。父上は厳しい方だから、もう勘当されてるかもね。でも外国に出るのは面倒だから、森の中ぐらいがちょうどいいんだよね」
「そういう問題じゃありません!」
いつもなら師匠とメンディスに叱られ、いじられてばかりのラシルである故、ちょっと憤っただけで息が切れた。何だ、この話の通じない王子様は。それとも、王族ってみんなこんななの?
それとも、師匠やメンディスは、いつもラシルを叱る時こんな気持ちなのだろうか、とよぎった。が、とりあえずそれは無視することにした。
今はこの、目の前の王子が問題だ。
(黙っていればすごくカッコイイのに…がっかり)
どうしてがっかりしたのかは、わからないが。
アシュランは何とも感じてないような顔で、それより、とラシルの説教をあっさりと流した。
「ちょうど支度が出来たようだから、ラシルも一緒に食事にしようよ」
「人の話、聞いてましたか!?」
もう嫌だ、と諦めモードになったラシルだったが、食事の誘いは魅力的でもあった。正直、お腹が空いていたのである。簡単な非常食ぐらいは持っているが、今日中に着くと高を括っていたため食料を持っていない。
「まぁ、腹が減っては戦は出来ぬ、でしょ? それにラシルがどうしてヴィダルに来たのかも知りたいし」
ぎく、と肩が強張った。何気なく言ったかもしれないが意味深過ぎる。勘繰ってしまいたくなるほどに。
いやでも別に、王子様なら根本理由そのものは知っているかもしれないし。隠さなければいけないのは、主にラシルの事情だ。
「でもさぁ」
と、アシュランは綺麗に結び直したラシルの三つ編みを肩に落として、つん、と巨大な丸眼鏡をつついて見せた。
「この眼鏡はどうにかならないのかな? ひびも入ってるし若い女の子の顔を半分も隠してるなんて、俺の美意識が許さないんだけど」
「ぎゃー、駄目です! 絶対駄目です! これだけは! ほんとに、これだけはないと…何にも見えないのです!」
取り上げそうな勢いだったのでラシルは慌てて眼鏡を取り押さえた。それでも不満そうなアシュランが納得しそうな理屈を思いついて思わず叫ぶ。
「これがないと! 王子様の素敵なお顔も全然、見えないので! 勘弁してください!」
「そうなの? ……それじゃあ、仕方ないね」
よし、やった。
自分に自信を持っているタイプはおだてるに限る。というのは同様に美しいことに誇りを持っている師匠との長い生活で得た知恵だ。
「その代わり、ラシルの用件を父上に逢う前に聞かせてもらうよ?」
にっこりと笑った彼は、やはりラシルより一枚も二枚も上手だった。
いいですけど、別に何の問題もありませんけど、と言うのは却って怪しい気がして、曖昧に笑うに留めておいた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持
空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。
その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。
※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。
※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。


【完結】魔女令嬢はただ静かに生きていたいだけ
こな
恋愛
公爵家の令嬢として傲慢に育った十歳の少女、エマ・ルソーネは、ちょっとした事故により前世の記憶を思い出し、今世が乙女ゲームの世界であることに気付く。しかも自分は、魔女の血を引く最低最悪の悪役令嬢だった。
待っているのはオールデスエンド。回避すべく動くも、何故だが攻略対象たちとの接点は増えるばかりで、あれよあれよという間に物語の筋書き通り、魔法研究機関に入所することになってしまう。
ひたすら静かに過ごすことに努めるエマを、研究所に集った癖のある者たちの脅威が襲う。日々の苦悩に、エマの胃痛はとどまる所を知らない……

絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる