ルート・オブ・アッシュの見習い魔女(王国ヴィダルの森の中)

有栖川 款

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ルート・オブ・アッシュの森

ルート・オブ・アッシュの森2

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 そして運命の朝がやってきた。
 ラシルがいつものように朝起きて、何度も転んだり躓いたりを繰り返しながら、やっと掃除と洗濯を終えた頃に師匠が起き出してきた。
 極力静かにしようと思っていてもツリーハウスの上ではガタガタバタバタと音が大きくなって仕方がない―――のは家の広さのせいではなく、あくまでもラシルの不器用さのせいである。
 バタン、とドアが開く音がしてビクっとすると、リビングの隅っこに縮こまって師匠の判定を待つのがラシルの日課だ。
 そして大概は盛大な雷が落ちるのが常なのだが。
 この日は違った。
「おはようラシル!」
 久しぶりにメンディスと過ごしたせいか、それはそれは晴れやかな顔で部屋から出てきた師匠はご機嫌であった。
「おはようございます…」
 よかった今日は機嫌がいい、この分だと叱られなくて済みそうだ、と胸を撫で下ろした瞬間。
 違う意味での爆弾が落ちた。
 師匠がちょちょい、と愛用のトネリコの杖をかざすと、台所ではやかんが勝手に動き出しお湯を沸かし始めた。すとん、と決して重くはない体をソファに投げ出すように座る頃には、師匠の目の前には湯気の立つ紅茶とスコーンが載ったお皿がテーブルにあった。
 家ではものすごくだらしない格好でうろうろしているのが常なのに、今日は朝から正式な魔女の服装にきちんと身を包み、三角帽子も被っている。
「お師匠さま…どこかおでかけですか?」
 ふと問いかけていた。
 本来の姿なのか魔法の成せる技か、もともと美しい顔立ちなので黙っていれば優雅に見える仕草でゆっくりと紅茶を持ち上げ、にや、と笑った。
 ぞっとした。
 こういう時の師匠は、ろくなことを考えていない。
「そう、おでかけなの」
 そう言うとティーカップをソーサーに下ろし、一言一言噛んで含めるように発音した。
「でも私が行くのはアッシュまで。でかけるのはあなたよ、ラシル?」
 長い、沈黙になった。
 ラシルもまったく森から出たことがないわけではない。特別な魔法がかかっている場所だから、師匠に送ってはもらうが、どこかの街に飛ばされてやれお菓子だの、流行りのロマンスノベルだの、お使いを頼まれることはしょっちゅうだ。
 なのに、こんなに意味深に言われるということは、普通のお使いではないということだ。
 と、いうことぐらいは想像できる。
「ええっと…どこへ、行くんでしょうかぁ?」
 冷や汗を背中に感じつつ、訊いてみる。
「ラシル、あなた、王国ヴィダルへ行って、いっちょドラゴン退治をしてきて頂戴よ」
「――――――はあ」
 隣街へ行って人気のケーキを買ってきて頂戴よ、というのとまったく同じノリだった。
 なので反応が遅れた。
 数秒遅れでラシルの脳裏には、師匠の言葉がリフレインされ始める。
 王国ヴィダルへ行って。
 いっちょ。いっちょ?
 ――――――ドラゴンを退治してきて頂戴よ。
 ドラゴンを退治して――。ドラゴンを。ドラゴン―――――?
 想像したこともない伝説の生き物をものすごく自己流に想像できてしまった瞬間、ラシルは叫んでいた。
「……―――――――――――はあ!?」
 そして今に至るのである。
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