コイゴコロ・スイッチ

有栖川 款

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「は? お見合い?」
 数日後のバイト中。
 ぎょっとして仰け反る私に、店長は拝み倒す勢いで両手をすり合わせる。
「いや、違う。婚活パーティー」
「似たようなもんじゃないですか!」
 私がそういうの苦手だって知ってるでしょ!?
「違うよー。お見合いだったら1対1だけど、婚活だから、ほら、美味しいもの食べてくればいいから、お願い!」
 聞くところによると、地元のホテルが主催する婚活パーティーの参加者が、圧倒的に男性が多くてサクラを頼まれたらしい。
「サクラなんて人聞きの悪い! ちゃんと独身の可愛い女の子じゃないの」
 店長はぷりぷり憤慨する振りをしているけれど。
「自分から行く気がないんだからサクラと同じですよ」
 ああここに、柊子さんがいたら、もう少し気の利いた会話ができるだろうに。
 …いや、もちろんきっと、店長に便乗して、もっともっとけしかけるだろうけど。
 と思って、ふと店長に問いかけた。その問いかけは唐突だったかもしれない。
「……新しいバイト、雇わないんですか?」
 店長は、ん? と急に変わった話題を一瞬脳内で処理して、それから考える顔になった。
 今ここで働いてるのは、お昼前後のパートさんが二人。厨房が大変な時は店長の亡くなったご主人のお母さんが手伝ってくれる。
 でも午後は、私だけ。
 昼食時のピークを過ぎれば、後は午後のティータイムに女性グループがやってくるぐらいで、都会でもないので夕食時の常連さんはそんなにはいない。
「千緒ちゃんが大変なら誰か雇うの考えてみるけど」
「いえ、私は大丈夫です」
 途端にはっとして頭をふるふると振った。ああ、そうだ、違うよ。
 ここに柊子さんがいたらいいなと思っただけで、誰か他の人にいてほしいわけではなかった。絶妙なツッコミとか、客商売の割に意外にシャイな店長と、どちらかというと引っ込み思案な私の間を取り持ってくれてた柊子さんの偉大さが、今すごく感じられてしまったから。
 でも、もっと幸せになるために送り出した店長の気持ちを考えると、やっぱりそれは違うんだ。
 私は私で、誰かを当てにしないで、しっかり生きていかなくちゃ。
「…私、頑張ります」
「ん? …うん、よろしくね」
 急に握り拳で一人頷く私を些か不審そうに見ながら、店長はほっとしたように胸を撫で下ろした。
「ああ、よかった。これでアスカホテルの社長に顔が立つわー」
 あ。
 しまった婚活の話がすっかり。
 まぁ、いいか。どう頑張っても断る勇気も私にはなさそうだし。
「…婚活って、どうなんですかね」
 少なくとも私の周りには、そういう場で出逢って結婚したなんて話は一向に聞かない。
「まぁ、出逢いの一環だと思えばいいんじゃない? どこで出逢ったって相手を気に入るのは理屈じゃないでしょ」
 達観したような店長の口調は。
「店長、柊子さん乗り移ってますよ」
 亡くなったご主人に一途で再婚もしないでいる店長が。
 柊子さんの恋愛遍歴に、呆れながら時折苦言を呈していた店長が。
「恋は理屈じゃないんだよねぇ」
 と恋に落ちる度、夢見るように呟いていた柊子さんと同じことを言っていて、おかしくなった。
「あら嫌だ。移っちゃった?」
 怖い怖い、と肩をさするように厨房の奥に逃げていく店長を見て、ああ、そうか、と思う。
 店長の若い頃にもきっと、理屈じゃない恋が、あったんだ。
 ご主人かもしれないし、違うかもしれない。
 でも必ず、そんな経験があったんだ。
 いいな。
 何だかすごく、羨ましくなってしまった。





 お店が落ち着いた頃、お皿を下げながらテーブルを拭いていると、近くの信号が赤なのか、ゆっくり流れ始める車の中に、するりと軽やかなバイクが滑っていくのが見えた。
(あ)
 私物を会社で使ってるのか、普通のバイクの車体の隅に、バイク便の会社のステッカーが少々不自然だけど、おかげで一目でわかる。
(そういえば、名前も知らないな)
 今頃になって、急に思い出す。もちろん、私も名札をつけたりはしていないからお互い様なんだけど。
 バイク便も名前を聞いたことのない社名で、バイクだからそう遠くではないにしろ、市内ではないかもしれない。
(思ったより、あの人のこと、知らないな私)
 名前も年齢も職業も、知らなければただの記号のように。
 かろうじて知っているのは、職業だけ。
(そうか、独身とも限らないんだ)
 まさか高校生とかでなければ、もしすごく若かったとしても結婚していない理由にはならない。
 そう考えると、一人で何となく気になっているのが不自然に思えてきた。
(もしかしたら、前世で知り合いだったとか)
 袖すりあうも多生の縁、なんて言うし。なんてね。
 記憶にもない過去世でさえも引き合いに出してしまうなんて、重症だな。
 この気持ちを何と呼ぶのか、やっぱりわからない。
 お客さんが一人もいなくなったので、店長がコーヒーを淹れてくれて隅っこのテーブルで休憩する。
「もうそろそろ、帰ってくるかしらね」
 学校が終わると、店長の子供たちはまっすぐお店にやってきて、おやつを食べる。忙しい時間だとあまり構ってはあげられないけど、今日みたいな日だとゆっくりできるから、店長はこの時間を楽しみにしていて、テーブルの上にはお店にも出している手作りのショートケーキが二つ。
 それから遅くまで二人で留守番だけど、店舗の奥が住居になっているから、それほど心配はない。どうしても用事があると出てくるし、店長のお母さんとご主人のお母さんがしょっちゅう様子を見に来てくれる。
「子供たちのことを考えると、営業時間もう少し短くすればいいのかもしれないけど、生活的にはぎりぎりなんだよねぇ」
 そう言いながら、
「もちろん、お母さんたちの助けがないとできないことなんだけどさ」
 苦笑いする店長は、後ろめたさと、でもどこか誇らしげな表情で。
 やさしくて頼りがいのあるお母さん。
 だからきっと、みんな店長を慕ってやってくるんだよね。
 からんからんとドアが開いて甲高い声が響くと、店長は嬉しそうに立ち上がった。



 多い時は週に三回。
 少ない時は、一回あるかないか。
 場合によっては、二週間三週間、間が空くこともあるけれど。
 今日は来るかな、という頃合いが何となくわかるようになった。
 まぁ、毎回正解はしないけど。
 その日もそんな予感が当たった日だったのだけど、日頃お昼時を過ぎた時間が多いのに珍しく夕方で。
 他にお客さんはいなかったから、厨房も半分片づけ体制だった。
「ごちそうさま」
 ゆっくりと席を立った彼は、いつものようにのんびりとした足取りでレジに向かってくる。
(バイクに乗ってる時とギャップがありすぎる)
 立ち上がって対面すると、見上げるのにちょうどいい高さに顔があって、無意識に見つめそうになってしまう。
(危ない、危ない、怪しい人に思われちゃうよ)
「1,290円です」
 いつものようにお金を受け取って、おつりがあれば返して、それで終わり、の筈だった。
 彼が差し出した千円札を、受け取ろうとして、するり、と躱された。
「え」
 あれ? 私が取り損ねた?
 そう思って、ちょっと焦ってもう一度お札の端をつかもうとすると。
 また。
 野口英世先生は、にやっと笑って逃げるみたいに私の手に収まって下さらない。
 思わず見上げると、彼が照れたような、ちょっと意地悪なような顔をして、それから三度目の正直でお札を渡してくれた。
(何、何、今の)
 ぎくしゃくしながらお釣りを返して、見送ったけれど、ちょっとパニックになってしまった。
(そ、そんな面白いリアクション、取れません!)
 今さらのように思ったって後の祭り。
 どういうことなんだろう。
 いつものように、きっとありがとうと言ってお店を出ていった彼の背中を、私もありがとうございますと返した筈。
 でも、頭の中は真っ白になって、覚えていない。
「千緒ちゃん、どうかした?」
 店長がレジ前で固まっている私に気づいて声をかける。
「な、何でも! 何でもありません!」



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