楽園の姫君と奪還の騎士(王国ヴィダルの森の中)

有栖川 款

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 その、巨大な看板の前で、私たちは呆然と立っていた。
「これは…何だ」
 森の外れ、国境線の直前、分かれ道のところで、突然大きな看板が立っていた。
 そこには。
〈ようこそ、捜索隊ご一行様。魔法使いとソフィアより〉
 と、派手な色彩、曲がりくねった字体で書いてある。その周りには色とりどりの絵の具で様々な奇怪な文字や模様や絵が描いてある。
「…どうやら、歓迎されてはいるようですね」
 笑いを噛み殺してローリィ騎士が言うので私も肩の力が抜けた。そうかもしれない。ふざけているとも取れるが。
「要するに、何もかもお見通しというわけだ」
「悔しいですがそうですね、楽しんでいるようにしか見えませんね」
 まったくローリィ騎士の言う通りで、何とも複雑な気分になった。おちょくられている、という表現が一番近いだろうか。
「じゃあ、行ってくる」
 気を取り直して私はローリィ騎士を見た。
 目の前には簡易の関所があり、その横には休憩施設が申し訳程度に建っている。ローリィ騎士はここで待機だ。
「行ってらっしゃい。ここで、待ってますからね」
 関所の番人に声をかけ名乗ると、意外そうに彼は目を瞠った。
「おや、今年はあなたが捜索隊ですか…ははぁ、なるほど」
 何がなるほどなんだろう。
「あちらの方は…ご一緒には行かれないのですか?」
 後ろで待っているローリィ騎士を、不思議そうに番人はじいっと見ている。
「メデルの国籍を持つのは私だけですので、手続きの煩雑さを省略します」
「……そうなんですか」
 彼はしきりに首を捻る仕草をしてみせたが、やがて何かに気づいたようにふっと笑った。
「何です?」
 訝しげに眉を顰めた私に、彼はいやいやと大仰に手を振った。
「いえ、何でもありません! 陛下は本当に慈悲深いお方だなと…そう思ったんですよ」
 そうだろうか。
 彼が何を持ってしてそう感じたのは謎だが(まぁ、大方毎年ソフィア姫の捜索隊を出していることを半ば呆れつつ感心したのだろうが)私にしてみれば、あまり嬉しい仕事でもない。
 なかった、筈だ。
 そして私は国境を越えた。
 数歩歩いて、もう一度ローリィ騎士を振り返った。
 少しだけ小さくなったその姿は、先ほど別れた時と変わらぬ位置で立っており、その顔が思いのほか真剣だったのに、私は驚く。彼はじっと私を見ていた。
 私は、思わず目をそらし歩き始めた。振り返りたい気持ちと振りほどきたい気持ちがせめぎあっている。
 自分の気持ちがわからなくなっていた。



 そこは、まさに楽園と言える場所だった。
 関所を越えてしばらく歩くと、突然行き止まりになった。地図ではそのまま王宮へ向かう道も書かれているのに、まるで私だけをここに誘うように、気づかないまま一本道になっていた。目の前には背の高い垣根があり、その向こうから何とも言えない芳香が漂ってくる。
 行くべき道はないが、おそらくこの向こうなのだろう。そう思って、垣根を覗くと、ご丁寧に〈ここで正解!〉と書かれた矢印つきの小さな看板が掛かっていた。
 その、かろうじて人一人通れるような垣根の隙間に体を滑り込ませる。
 そこは。
 突然、視界が開けたような気がした。
 長い時間森の中を歩いて来たせいかもしれないが、明るい、と初めに思った。
 空は青く澄み渡り、小鳥がさえずっている。足許は若草色の芝生が一面に敷かれて、周囲には綺麗に整備された庭園が広がっていた。
 色とりどりの花。鮮やかに咲き誇る花々。それらを更に引き立たせる緑。
 何とも美しい景色が広がっている。が、よく見ればそこには春の花も夏の花も秋の花も冬の花もある。垣根の隅から時折栗鼠や野兎が顔を出し、澄んだ水を張った池には、何故か鮮やかな赤や青の深海の魚が気持ち良さそうに泳いでいる。
 一通り見渡して気づいた。ここには季節がない。
 空気も風も、一番快適な状態が常なのだ、と感じた。
(これが魔法の力というものか)
 果たしてそれがしあわせなのだろうか。
 けれど今この場所に立って、心地よく感じている自分も嘘ではない。それは例えて言うならば幸福感とでもいうような空気が満ち溢れている。一切の汚れもないような、清浄な空気は、魔法で作られたものとは違う気がした。
 何故、と問われても答えられはしなかったけれど。
「ようこそ楽園へ」
 やわらかな声が響いて私はびくっとする。
 周囲の景色に目を奪われているうちに、目の前に一人の女性が立っていた。国王陛下によく似た淡い金色の髪。エメラルドの瞳はきらきらと宝石のように輝く。
 年の頃は二十代半ば。二十八と聞いていたが一見もっと若く見える。
 もちろん、この女性が誰であるか迷う必要はない。
「ソフィアさま…ですね」
「ええ、そうよ。ディラン騎士」
 にっこりと微笑むと、更に若く見える気がした。これも魔法だろうか。
「私の名前…」
「父から聞いてるわ。今年はあなたが犠牲者になったのね」
 哀れんでいるような、面白がっているような口調にむ、とする。いくら姫君でも。
「犠牲者などと…そのようなことはありません」
「あら、ごめんなさい。言い方が悪かったわ」
 ソフィア姫はでも、と嬉しそうに頬を染めて私の手を取り、踊りだしそうな勢いでステップを踏んだ。
「でも今年は特別よ、こんな可愛らしい騎士さんが来てくれるなんてね」
 またしても子ども扱いのようで、私はつい姫の手を振りほどいてしまった。そもそも、何故そんなにソフィアさまが浮かれているのかさっぱりわからない。
「ソフィアさま、何故王国へ戻られないんですか?」
 二十八になった姫も、十分に若く美しかった。今からでもやり直せる筈だ。それに。
「こうやってお一人で出歩かれるのなら、何故毎年訪れる捜索隊と共にお帰りにならないんですか!? 魔法使いがそんなに恐ろしいんですか」
 急に激昂し始めた私を見てソフィアさまはきょとんと目を瞠った。だが私の方は感情が高ぶってきて止まらない。
「どうぞ仰ってください、私に出来ることなら何でもします。どうしてここを出られないんですか!? 一体、どのような拘束を受けているんですか!?」
 言われたところで何もできるとは思えなかったが、理由がはっきりわからないことが、何よりも不快だった。そして十年間も軟禁されたような姫君が何故、こんなに笑っているのかが私には到底理解できない。
 ソフィア姫は、私の顔をじいっと凝視してから、やがてさみしそうに微笑んだ。
 と、思いきや、いきなり思いっきり笑い始めた。
「あは、あはははは、あ、あなた、父に何を言われてきたの?」
「は…?」
「そ、そうか毎年おかしいとは思ってたけれど、国では私は未だにとらわれの姫君なのね」
 そう言いながらも笑い続けている。笑いすぎて涙まで浮かべて。
「だ、大丈夫ですか…?」
 はー、っと一頻り笑うとゆっくりと息を整えて、姫は私の頬を撫でた。
「もう一度聞くわ。父に、何を言われてきたのかしら?」
「姫君の奪還を…」
「それだけ?」
 そう言われて、思い出そうとする。確か…。
「…年頃の姫君が魔法使いに攫われて帰ってこないのは何故か、確かめてこいと…」
「なるほど、わかったわ。私が帰らない理由をあなたにわかってもらえばいいのよね」
 そう言うと姫は広々とした庭園の向こう、カラフルで可愛らしい造りの屋敷の方へ声をかける。
「ステラ、ジョバン、いらっしゃい」
 垣根の向こうから小さな女の子と男の子が飛び出してきた。
「お母さま!」
「お客様は?」
 ここよ、と言うと子供たちはソフィアさまにまとわりつく。
「誰? 面白い格好」
「お祖父さまの国の騎士さまよ」
 ステラと呼ばれた女の子は七つ八つ、ジョバンと呼ばれた男の子は四つ五つだろうか。二人共愛くるしい笑顔で好奇心いっぱいに私を見ている。ステラは黒髪に薄い緑の瞳。ジョバンは濃い栗色の髪に緑の瞳だ。面立ちがソフィア姫によく似ている。
「…ソフィアさま、この子たちは…」
 まさかという気持ちで尋ねると。
「私の子供よ。もっと詳しく言うと、私と魔法使いの子供たちよ」
 がつんと頭を殴られたような気持ちになった。ソフィア姫は更に解説する。
「いいこと? 年頃の娘が魔法使いに攫われて帰ってこないのは、恋をしたからよ。国ではどうか知らないけれど、私は攫われた覚えは一度もないし、魔法使いに拘束されたこともないわ。私は私の意志で国を出て彼と結婚して――幸せに暮らしているの。それが真実よ」
「……陛下は」
「もちろん知ってるわ、最初の年にそう言ったもの。フランツのことが嫌いなわけではなかったけれど、もっと好きな人が出来たのだから仕方ないでしょう?」
 そう言うとちらりと半身、振り返ったその先に、黒髪の全身黒ずくめの男性が立っている。
 漆黒の髪は艶やかに光り、何故か私はリコ様を思い出した。
 でも、彼の瞳はヘーゼルの薄い色素だ。―――メンディスさんのような―――?
 文句のつけようがない美男子だが、距離のせいかあまり表情が読めない。
 突然、フラッシュバックする。フランツ氏は、婚約者に逃げられた、と言ったのだ。
「…でも、国を捨ててまで…」
「あら、いいじゃない。ヴィダルにはちゃんと王子がいるのだし、妹たちは近くにいるし。一生に一度の恋は、世界を敵に回しても守りたいと思うものよ」
 私の心は崩壊寸前だった。どうしてもわからない顔をしていたのだろう、ソフィア姫はやや同情めいた顔で私を見た。
「…あなたには、そういう人はいないのかしら?」
 そんな人、と言いかけてぱっとローリィ騎士の顔が浮かんだ。途端、かっと熱くなって紅潮するのがわかる。ソフィア姫は一瞬で気づき、まあ、と今度は花が咲くように笑った。
「いるのね、よかったわ」
 ステラが、私を不思議そうに見上げている。
 初めは不思議そうにしていたが、やがてちょっと悪戯っぽい顔になって私の騎士の制服を引っ張った。
「ねえ、お姉ちゃん、女の子なのに、どうしてズボンをはいてるの?」
 ソフィア姫が私を諭すように、告げた。
「セレナード伯爵令嬢、ディランどの。あなたも女性として幸せになる権利はあってよ?」

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