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「あらまぁ、随分珍しいお客さんだこと」
 可愛らしい声が聞こえて目を開けた。
 気を失っていたらしい。自分が何をしていたのか思い出すのに時間がかかった。
「そうだ…! ローリィ騎士!」
 慌てて体を起こし周囲を見回すと、先ほどの声の主が不機嫌そうに呟いた。
「え、ちょっと、こっち無視してそれ? これだから無骨な騎士なんて嫌なのよ」
「あ、すいません」
 思わず謝ってしまってから、疑問と恐怖が湧き上がってきた。
 ―――――ここはどこで、この女は、誰だ?
 目の前には女がいた。
 漆黒の髪に黒目がちの瞳、白磁の肌は健康的な頬色に染まり、すらりと華奢で小柄な体を巨大な樹の下方の枝に乗せていた。真っ黒な髪は艶やかで緩やかなウェーブを描いて腰まで垂れている。年齢が読めない。一見二十歳そこそこの若い女に見えるが、その不敵な笑みは少女のそれではないような気もする。
 何より。
 その頭上には不自然に尖った三角の帽子を頭に乗せている。ハイネックのこれまた黒いドレスは、ベロアだろうか。シンプルで一切の装飾もないが、ウエストできゅっと絞られ、そこからふわりと足首まで覆う古典的なタイプだ。同じく真っ黒な編上げのショートブーツを履いた細い足を、ぶらぶらさせている。
 そう、それらはまるで王国の昔話に出てくる魔女の正装――――。
 私は、意を決して問いかけた。
「あなたは…魔女ですか?」
 丁寧に問いかけたつもりだったのに、その年若い(少なくとも見た目はそう見えた)魔女は心外とばかりに眉を上げた。
「あら嫌だ、今時の子はこの大魔女リコ様のことを知らないの!?」
 ショック…よよよ、とうなだれている。
 いろいろリアクションが古いな、と思って、やはり見た目と実年齢が伴っているとは限らない、と思い直した。今時の子、と私を指して言う辺り怪しい。何せ私と見た目はそう変わらないのだ。
 それこそ今時、魔法使いなどという半分神話のような存在が確かにいて、王国の姫君をさらった事実があるのだから、魔女がいたっておかしくない。
 こういう面倒くさいタイプはあまり構わないに限る。だがスルーしすぎても面倒が増していくので匙加減が大切だ。何といっても自分で大魔女などと吹聴するあたり、怪しすぎる。
「…えっと、すみません存じ上げなくて。それで、大魔女リコ様…私の相棒を知りませんか?」
「あのイケメンくんなら、そこよ」
 敬意を評したのが表面的なことには気づいて、あまり面白くはなく、かといって言われれば言われたで嬉しくないわけではない、といったわかりやすい表情でリコと名乗った魔女は顎をくいっと横に向けた。
 ヴィダルの森ではついぞ見かけなかった巨大な木の根元に、ローリィ騎士が座っている。そしてその横には―――――。
「……っ!」
 それが何か気づいて息を飲んだ。
「ロ、ローリィ騎士…」
 かける声の音量は最小にしかならない。
 そこにいたのは、ローリィ騎士を今にも飲み込んでしまいそうな巨大なドラゴンだった。
「心配ならしなくていいわよ? じゃれてるだけよ。あの子すっごく喜んでるから」
 リコ様はふふん、と私の心配をよそに面白そうに笑う。
「喜んで、ですか…?」
 あの子、というのはドラゴンのことだろうか。まさかローリィ騎士のことではないと思うが、ドラゴンをあの子呼ばわりできるとはさすが大魔女様、といっても過言ではないのかもしれない。
「本当に珍しいお客様が迷い込んできたこと。違うわね、呼んじゃったのかしら?」
「誰が、ですか?」
「だからあの子――――ドラゴンよ? あのイケメンくん、笛使いでしょ? ドラゴンの笛の正統な継承者なのね」
「……そうなんですか」
 そう言われて、彼の家が何をしているかも知らないことに気づいた。
 ドラゴンがいることすら知られていない王国で、そのような歴史のありそうな技を持つローリィ騎士の両親、家業は一体何なのだろう。それとも表には出られないような裏稼業として、ということなのだろうか。
「あいつの子孫なんだろう? 似てないな」
 突然、低音の男声が聞こえてびくっとする。目の前には大魔女リコ様しかいない。いない、筈。
「父親の血を強く引いたんでしょ? でも瞳はちょっと似てるわよ」
 リコ様は驚きもせず反応する。
 私が疑問にきょろきょろしていると、リコ様はくすっと笑って宙を見た。
 否。―――リコ様が座っている、太い枝の、横を。
「メンディス、こちらの可愛らしい騎士さんが探してるわよ? 急に喋るから」
 そこにいたのは。
 ドラゴンだけでも驚きなのに、いつの間にかアッシュの毛並みも美しい―――人間の幼児ほどの巨大な梟が止まっていた。
「何だ、気づいてなかったのか? 騎士というには注意力散漫だな」
 随分酷いことを言われているのに怒りよりも呆然としてしまった。
 巨大な梟が、柔らかく渋さを伴った低音で、人間の言葉を話したからだ。
「―――梟が…梟が、喋っている!」
「そんなに驚くことかしら?」
 リコ様は不思議そうに首を傾げる。メンディスと呼ばれた梟の方が呆れたように肩を竦めた。ように見えた。随分人間くさい仕草だ。
「リコ様、人間には驚くことなんじゃないか?」
「そうですよ…」
 思わず同意してしまった。リコ様がやはり得体の知れない生き物に見えてくる。
「あらそ。じゃあ覚えておくといいわ。彼はメンディス、この大魔女リコ様の使い魔よ。だから言葉なんて喋れて当然、なの」
 胸を張って誇らしげに言うリコ様は、ちょっと可愛かった。自慢の使い魔らしい。
「はあ、すごいですね」
 それはリコ様の魔法の力なのだろうか、と思ったがわざわざ聞くほどのことでもない。
 それよりも。
「それで、私の相棒はどうしたらドラゴンから解放されるんでしょうか?」
 喋る梟がすごいのはわかるが、それとローリィ騎士が帰ってこないのは別の話だ。ドラゴンの風貌を直視するのが怖くてじっくり彼の方を見ることができないでいるのだが、未だドラゴンはくんくんとローリィ騎士に擦り寄り甘えているように、確かに見えなくはない。少なくとも襲われてはいないようだ。
「…あんたたち、どこへ行くつもり?」
 せっかくの自慢話を折られたのが不快だったのか、それでも尚私の話も重要だと気づいてくれたからか、ものすごく不本意そうにリコ様は違う質問をしてきた。
「ヴィダル・メデル国境付近のエデナという地域です」
 名前も知られていないような辺境なので声が小さくなっていったが、リコ様はふっと眉を寄せた。
「もしかして、あんたたち今年のソフィア姫の捜索隊なの? あのイケメン君も?」
 王国の事情にも精通しているらしい。
「そ、そうです。私が両国の国籍を持っているので…彼は用心棒というか、私一人では心許ないので」
 初めはそれを不満に思っていたが、今ではローリィ騎士への信頼は確かなものになっていた。仲間というのは助け合うものだ、という彼の言葉が騎士として胸にしみた。
「ふ――…ん、なるほどね」
 リコ様は面白そうに笑顔を浮かべてから、一瞬、懐かしそうに遠くを見る目になった。
「それはとんだ寄り道をさせたわね。ここはあんたたちだけじゃ出られない場所にあるから、出口までは送ってあげるわ」
「……ありがとうございます」
 その申し出は大変ありがたかったが、疑問もよぎった。
「あの、ここ、どこなんですか? 私たちはヴィダルの森から一歩も出ていない筈なんですけど」
 リコ様は未だローリィ騎士とじゃれあっているドラゴンに近づきながら、くるりと私を振り向いた。
「紛れもなく王国ヴィダルの森の中よ? ただ、空間が歪んでるの。そうね、特別に教えてあげるけど、ここは魔法使いの間では『ルート・オブ・アッシュの森』と呼ばれてるわ」
 そう言って指さしたのは中でも一際大きく目立つ巨大な樹だ。
 ―――――…ああ、そうか。
 世界樹の根元ルート・オブ・アッシュの森、ということか。
 王国の森は奥深く広大で―――でも実際は人の足で歩くにはそれほど巨大ではない。なのに何故行方不明者が出たり遭難したりするのか。
 誰の力なのかは定かではないが、森全体に魔法がかかっていて、そこに住む偉大な魔女がいるからなのだ、ということは理解できた。
 しかし、ここへきて重大なことを二つも知ってしまった。
 ドラゴンがいる。
 世界樹を抱いている。
 辺境の王国ヴィダル、と思っていたが、もしかして私はすごい国に住んでいるのではないだろうか。
 ソフィア姫の搜索に加えて、この事実を帰ってから陛下に告げるべきかどうか。
 知らないふりをした方が、いいのかもしれない。
 陛下は当然ご存知なのだろうが、王族以外の者が知れば、口封じに始末される、という可能性もあるのではないか。
 不安と恐怖がぴりぴりと胸の奥から湧いてきたが、
「やれやれ、やっと解放されましたよ」
 あちらこちら飛び出た太い木の根っこを跨ぎながら、ローリィ騎士が戻ってくる。その顔を見て私は随分ほっとし、帰ってから考えようと思った。ローリィ騎士とも相談せねばなるまい。ローリィ騎士はドラゴンの笛使いとしてある程度許されるのかもしれないが…。
「ごめんね、メンディスに運んでもらったら早いんだけど、嫌って言うから…」
 リコ様が魔女らしく杖を構える。
「俺はリコ様以外は乗せない」
 しれっと言う梟がばさっと翼を広げ枝から飛び上がった。かと思うと、みるみる人間の男性の姿を取って地面に舞い降りてきた。
「へえ、人にもなれるんだ」
 ひゅう、と口笛を吹くローリィ騎士。私は。
「……メンディスさん、カッコイイですね」
 思わず人型に変身したことよりも、その彼の姿に見惚れてしまった。
 アッシュブロンドの髪は梟の時と同じ色だ。瞳も同じようなヘーゼルの色。すらりと、しかししっかりと引き締まった体躯は、おそらく年齢の醸すものなのかローリィ騎士よりもずっと逞しい。文句なしに美男子、それも中年に差し掛かる手前、人間で言うなら三十代くらいに見える。
「そうか? ありがとう」
 何でもなく返すその声がまた殺人的威力だ。私のような子供では素敵な小父様、ぐらいの感覚だが、ヴィダルの女性たちが見たらローリィ騎士よりも騒がれるに違いない。
「あら、メンディスはリコ様のものよ! ヴィダルの女どもになんて見せないからね! 今日は特別!」
 リコ様が嫉妬したように割って入る。
「…私は客観的意見を述べたまでですよ」
 苦笑してリコ様を宥めるが、しっかりと釘を刺された。
「言っておくけど、ここのことは口外無用よ? リコ様のことは、そうね、存在ぐらいはほのめかしてもいいと思うけどぉ、メンディスのことや、ドラゴンのことは…まぁ王様は知ってるでしょうけど?」
 言われたくないのか言って欲しいのかよくわからない。
「とにかく! メンディスの存在と、すっごいイケメンとか! 絶対言っちゃダメよ!」
 要するに嫉妬だ。王国の女性たちがまさかこの森まで押しかけては来ないだろうが、言わずにはいられないらしい。
 人型を取れる梟なのか、梟の姿にもなる人なのか定かではないが、リコ様は…メンディスさんと恋愛関係にあると見ていいのだろうか。
「メンディスを狙う女がいたりしたら、ヴィダル中を敵とみなすわよ!」
 言い方は可愛らしい嫉妬にしか見えないが、何せ相手は自称とは言え大魔女だ。何をされるかわからない。
「…ええと、リコ様はメンディスさんのためなら、世界を敵に回してもいいと思いますか?」
 モール氏の言葉がふとよぎって、思わず問いかけていた。
「もちろんよ!」
 リコ様は即答だった。
 今ひとつ納得はいかなかったが、何でもありの魔法の世界、あまり深く考えてはいけないのかもしれない。
「…大丈夫です。ご心配なく」
 力なく頷いて、疑い深く見つめるリコ様に何度も目線で訴えると、リコ様はやっと満足して杖を振ってくれた。
「ルート・オブ・アッシュの森の精霊、彷徨える勇敢なる騎士たちを本来の使命へと立ち戻らせよ」
 眩い光が溢れるでもなく、盛大な音楽が流れるわけでもなく、何も変わらないような情景が、少しずつ歪み始めた。
 視界が二重になったように、リコ様とメンディスさんが見えているルート・オブ・アッシュの森の景色と―――そこに被さるように、ヴィダルの森の暗闇が。
 段々とその濃度は増していって、リコ様たちの姿が薄らいでいく。
「あ、ありがとうございました!」
 消えかける寸前、どうにか叫ぶ。ローリィ騎士も同様に謝辞を述べた。
「どういたしまして。頑張ってね」
 最後にメンディスが、複雑な感情を孕んだ声で、小さく呟いた、ような気がした。
 その言葉は、微かにしか聞こえなくて、そして聞こえた言葉が確かだったとしても意味がよくわからなくて、すぐに忘れてしまった。

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