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四
しおりを挟む鬱蒼とした森、とは言っても特別な脅威があるわけではない。一般的な虫や蛇など、中には毒を持つものもあるから気をつけるのは当然だが、それらの対処法は騎士団の訓練の中にも組み込まれていることだ。
「ディラン騎士、随分軽装ですね…」
訝しげに問いかけるローリィに、私の方が怪訝に反論する。彼は重装備だ。
「それはそうだろう? 地図の場所まで一日もかからないぞ? これでも多少の予備は持ってきたんだが」
このまま歩き続ければ、隣国の辺境へは何とか今夜半には辿り着ける筈である。もちろんそれはかなりの強行軍ではあるが、辺境の関所には簡易宿泊施設があることは調査済みであるし、下手に野宿をするより安全だと判断した。
しかし。ローリィ騎士は何事か考え込んでいる様子だ。恐らく異国など行ったこともないのだろう、王国の周囲を囲む広大な森、という姿に騙されがちだが、隣国への最短ルートを歩けばそれほどの距離ではない。一般の者が歩くなら下手すれば二、三日かかるかもしれないが、まがりなりにも騎士団の人間がそんなに遅くては話にならない。
私は彼のペースなど考えずにさっさと歩いた。冷たいようだが、彼の方が脚も長ければ体力もある。むしろ私が真剣に歩かなければかえって足手まといになるだろうことはわかっていた。だがそれは癪だった。せめて遅れないように必死で歩くしかなかった。
ところが、もうすぐ昼にさしかかろうかという時、前方に異様な影が見えてきた。
「何だ、あれは…」
赤茶けた土や石、岩が積み重なり巨大な針葉樹が両側から倒れて、目の前に続く道を完全に遮断している。それは。
「土砂崩れですね」
「何だって!?」
「先日の雨で崩れた箇所がいくつかあると、新聞に載ってましたよ」
ローリィは困ったような、呆れたような溜息をつく。
森は森でも、起伏の変化は幾つもあり、全体を見ればわからない山や池や様々な地形が存在している。平坦な土地ではないのだ。
「ディラン騎士は当然知っていて、迂回路を通るつもりだと思っていたんですが」
だから、大きな荷物を背負い、私が随分軽装だと訝しく思ったのか。
迂闊だった。
「新聞はいつも隅々まで目を通しているんだが…すまない」
言い訳が思わず口をついて出て、慌てて謝罪の言葉に変える。どんなに言い訳をしたって見落としたことは事実だ。
「大丈夫ですよ、遠回りにはなりますが、それほど長い距離ではありませんし」
さ、こっちです、と私を促して方向転換を図る。さりげなく私の背に右手を添え、左手で違う道を指差すローリィ。こんなに間近に立つのは初めてで、思っていた以上の身長差が何とも歯がゆかった。昨日のように飛び退るには足許が不安定で逃げようがなかった。
(ローリィ騎士は、二十一といったか)
私より五つ年上ということだ。
騎士団というのは大体平均十五歳くらいで入団するのが一般的で、彼のような中途半端なケースは珍しい。何か事情があるのかもしれないが、前述の理由で私は積極的に彼には関わっていない。それに加えて彼は自宅から通っているため、寮にいる者ほど親しく話す時間がないのも事実だった。
迂回した道にもところどころ崩れた岩石の欠片が落ちていて、足許が覚束ない。
「ディラン騎士、そこ、足許気をつけてください」
そう言うと自分が先に、崩れた岩でちょっとした小山になった場所を軽々と乗り越え、向こう側から手を差し出す。私はかっとなった。
「大丈夫だ、子供ではない」
そのまま、彼の手を取らずに自力で登ると軽やかに降りた、つもりだった。
しかし慌てたせいか着地の瞬間足を捻り、倒れそうになる。
「危ない」
咄嗟に手をつこうとして―――さっと差し出されたローリィ騎士の腕を掴んでいた。
「大丈夫ですか?」
大丈夫だと言った手前、恥ずかしくて顔が上げられない。それに、ローリィ騎士の腕は逞しく、剣の腕は知っていても意外なほど筋肉がついている。何故か急に動悸が激しくなってきた。
(…な、何を考えているんだ私は)
「ディラン騎士?」
はっとして彼の腕を振りほどき、赤くなっているだろう顔を見られないように急いで前を歩き始める。
「ディラン騎士、さっき足痛めませんでした? 大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
本当は少し捻って痛い気もしたが、歩けないほどではない。
「…済まなかった。ありがとう」
精一杯、不自然でないように礼を言うと、ローリィ騎士は背中で何もかもわかっているように、
「いいえ、どういたしまして」
と、静かに答えた。
*
鬱蒼とした森にも木洩れ日が差し込むが、それも見えないほど暗くなってきた頃、ぽっかりと木々が途絶えた。
そこは野外訓練にも使用する広場がある場所で、近くには泉があり飲料水も確保できる。
迂回路に思いのほか時間がかかったせいで、もう夕刻になっていた。歩き続けるのは可能だが、夜半には何もない森の中、という可能性が高く朝まで歩き続けるのは無理がある。
「今日は、ここで野宿ですね」
同じように考えたらしいローリィ騎士が、適当な場所を選び荷物を降ろすとテントを張り始めた。
そこで私ははっとする。軽装で来た私は当然テントなど持ってきていない。彼が張っているのは一人用のテントで、二人ぐらい入れる余裕はあるが、準備をしていない私がそのテントを使うわけにはいかないだろう。それに。
「ディラン騎士、このテント使ってください」
見透かしたようにローリィ騎士がそう言って、私はびくりとする。
「それは駄目だ、それは君のテントだ。私は外で大丈夫だから、君が使いたまえ」
ローリィ騎士は、私がそう答えるのは予想済みだったようで、うーんと考える振りをしてから、にっこりと笑った。
「じゃあ、一緒に寝ましょうか?」
二人ぐらい余裕で入れますよ、と揶揄するように言われて、私はむきになって言い返す。
「必要ない。騎士たるもの、野宿ぐらいできなくては話にならない!」
そう捨て台詞を吐いて、踵を返した。
「ディラン騎士?」
「水を汲んでくる!」
ローリィ騎士は、それきり何も言わなかった。
それから火を起こし持ってきた携帯食で簡単な夕食を済ませると、私は彼をさっさとテントに押し込む。
「本当に大丈夫ですか? ディラン騎士」
「大丈夫だ。その代わり、朝は早く出発しよう」
「…わかりました」
ローリィ騎士は、当然といえば当然だがまがりなりにも先輩である私を差し置いて、一人テントで寝ることに抵抗があるようだったが、どれだけ言っても私が納得しないことはわかったのだろう。渋々テントに入っていった。
「何かあったら、すぐに起こしてくださいね」
すぐ傍にいるとはいえ、姿が見えないだけで急に静かになった気がした。
ぽっかりと開けた広場からは、空を見上げればたくさんの星が瞬いている。
(この空を、今、どれだけの人が見ているのだろう)
ふいに、世界で自分一人しかいないような錯覚にとらわれる。
(世界を敵に回しても)
モール氏の言葉が突然甦ってきて、私は戸惑う。
今、こんな場所で孤独を感じるだけでも苦しいような、さみしいような気がするのに。
世界を敵に回してもいいと思えるような恋なんて、考えられない。
(そんなものは幻想だ)
何故か、泣きそうになった。
モール氏の、しあわせそうな顔が浮かんできたからだ。
私にはわからない。
恋など、したこともない。
ふと、昼間のことがよぎる。ローリィ騎士の腕に抱き止められた感触が突然思い出されて、かあっとする。
(私は、一体、どうしたんだ)
誰も見ていなくて、よかった。
火の傍に座り、私はいつしか自分の肩をしっかりと抱いていた。やがて一日歩いた疲れが睡魔となって押し寄せてきた。
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