1000文字の小宇宙

有栖川 款

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Vol.18・サイレント

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 静寂の中で見えたものの、なんと美しいことか。
 
 
 
 実家のある沿岸の島に帰ってきて一月になる。仕事のストレスから逃げるようにして退職し、田舎の空気にようやく癒されてきたところ。
 
 何もない、本当に何もない小さな島だけど、乾いた心を潤すには上等だと思う。
 
 若い頃は田舎が嫌で、早々に飛び出して自由になれた気がしていたけれど、物理的にじゃなくても、回帰する場所があるのは幸せなことなのかもしれない。
 
  職場での陰湿な嫌がらせを散々受けて、心身共に疲弊してしまった。
 
 子供じゃないんだから、このぐらいで苛められたとか言いたくないと頑なになっていたのが更に拍車をかけて、完全に孤立してしまった。
 
 何かが切れて辞表を出した後に、原因はわかった。
 
 職場のアイドル的存在の同僚が、時々営業に来る取引先の男性を気に入っていて、その人が私に対して特別な態度を取ると、一方的にやっかまれていたのが発端だったらしい。
 
 それだけのことで、と呆れて物も言えないくらいだったけれど、正直言って私もその人が気になっていたから、複雑な心境になった。
 
 そんな何の根拠もない話を鵜呑みにするのも恥ずかしい。でも、内心嬉しくないと言ったら嘘になる。
 
 だから、退職したことでもう二度と逢わないのなら、それはそれでいい。縁がなかっただけのことだ。
 
 折しも、台風が過ぎ去った後のダイナミックな空が広がっている。雲は厚く大きいけれど、雨を脱ぎ去って生まれ変わったようなまっさらな白。
 
 山の根から上空に向かって、グラデーションをつける空の青。
 
 私は毎日の日課になった散歩で海岸沿いをゆっくり歩く。
 
 小さな港に着いた定期船からパラパラと降りる人を横目に、ぐるりとカーブを曲がって広い砂浜へと続く道に出る。
 
 殆ど誰もいない筈の堤防の上に、人影。
 
 あの人だ、とわかるのにそう時間はかからなかった。かからなかったけれど、動揺と困惑を隠せない。
 
 何故なら彼が――――泣いていたから。
 
 呆然と、或いはおろおろと立ち尽くす私に、彼が気づくのもそう時間はかからなかった。
 
 驚きに目を瞠って、頬を滑る涙を拭いもせず。その口許がどうして、と小さく動いた。
 
 どれくらいそうして、静寂が二人を包んでいただろう。
 
 ふいに、彼が笑った。
 
 仕事では見たことのない満面の笑みで、私に手を振った。
 
 
 
 静寂の中で見えた、その笑顔の、何と美しいことか。
 
 
 
 
 
 
Fin

 
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