1000文字の小宇宙

有栖川 款

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Vol.5・恋は時間差

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 一目惚れをしました。
 それは仕事帰りによく行くケーキ屋さんの店内で、新しく入った新米のパティシエのようでした。
 顔、背格好、眼鏡男子であることや姿勢の良さまで、完璧に理想が人になって現れたみたいで、私は息を呑んでしまいました。
 おそらく、少し年下だろう、というところも含めてパーフェクトです。かっこわらい、とメールだったら打ってしまうかもしれないくらい、舞い上がってました。
 いえ、実際その夜は興奮して親友にメールしたのです。彼女からは面と向かってたら爆笑だったんだな、という返信が返ってきました。
 何がおかしかったのか、未だにわかりませんが。
 とはいえ、店員さんと客、という関係ではそうそうお近づきになることもままなりません。接客をしている店員ならいざ知らず、彼は殆ど奥の厨房でお菓子作りをしているのですから。
 私はない知恵を絞って考えてみたけれど、いいアイデアが浮かびません。まさか店頭で愛想よく微笑んでいる可愛らしい女子店員さんにリサーチするわけにもいかないし。だって、彼女も彼のことを好きだという可能性もあるのです。
 そのお店は、店長である看板パティシエがカリスマとして有名で、テレビや雑誌の取材で店にいないことが多いので、彼は普段のケーキ作りに重要なポジションを占めているようです。だとすれば見た目は若いけれど、まるっきりの新人というわけではなく、どこかのお店から引き抜かれてきたのかもしれません。
 あ、どうしてそんなことがわかるかというと、奥の厨房がガラス張りになっていて、声はそんなに聞こえませんが割とよく状況が見えるのです。だからこそ一目惚れも有り得たのですが。
 そんな私にチャンスが巡ってきたのは、残業で遅くなった日の帰りでした。
 疲れたから甘いものが食べたいな、と思ったけれど、お店はもう閉店時間です。コンビニスイーツで済ませるしかないかと溜息をついた私の目の前に、彼が立っているではありませんか。
 お店の前だったから、閉店後の帰宅時間とかち合ったのだと、その時の私は思いました。
 でも、彼は私を見ると微笑んで声をかけてきたのです。私の帰宅を待っていた、と。
 そして突然の告白に、私は戸惑うばかりです。
 彼の話を聞きながら、私はようやく思い出しました。
 それは私が一目惚れをする数日前のこと、通勤電車内で痴漢らしき気配を感じて身動きできなくなった瞬間、私のお尻を僅かに触った誰かの手を、別の手がつかんだのです。
 私ははっとして顔を上げたけれど、たくさんの人の中、どの人が痴漢でどの人が助けてくれたのか咄嗟に判別できませんでした。
 次の駅で逃げるように電車を飛び降りて、お礼もろくに言えなかったことを気にはしていたのですが、もう二度と逢えないだろうと諦めてもいました。
 それが、彼だったというのです。
 背の高い彼からは私の顔がよく見えていて、一目惚れだったのだと彼は言いました。
 私たちは、時間差で恋に落ちていたのです。



                  Fin
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