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春の嵐

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 風は。
 心を揺さぶって。
 暗闇と寒さから僕らを解き放ち、鮮やかな世界を目の前に広げるんだ。
 例え今君がどんなに、一人で蹲っていたとしても。

 バイト帰りにコンビニに寄って、それからハルカの家へ向かう。
「チョコちゃん、ただいま」
「あら、ヒカルちゃん、おかえり!」
 ハルカの母親であるチョコちゃん(千代子さん)は、経営しているケーキ屋の中から、俺の顔を見ると嬉しそうに手を挙げてくれた。
「ハルカは?」
 と問うと、ふっと顔が曇り、ふるふると首を横に振った。
「そっか……あ、チョコちゃん、例の物、は?」
 空気を紛らわすように明るい声を出して、こそこそと時代劇の悪代官のようにチョコちゃんに目配せをする。チョコちゃんも乗ってくれて、合点が行ったように俺を店のカウンターの中に手招きをする。
「いいのが出来やしたぜ、ダンナ」
「越後屋、そちも悪よのう」
 チョコちゃんから小さな箱を受け取って、一瞬、顔を見合わせて笑って、俺はちょっと真面目にチョコちゃんありがとう、と呟いた。そしてそのまま店舗から続く勝手知ったるハルカんちに上がる。
「ヒカル、ばっかじゃねーの? いい年して時代劇ごっこかよ」
 ハルカの部屋に向かう階段の下で、小生意気な中坊が馬鹿にしたように鼻で笑ってる。こいつはハルカの弟のヒロトだ。反抗期真っ盛り、という感じがちょっとだけ大人になった俺には微笑ましい。
「ハルカは今落ち込んでんだからな、邪魔すんなよ」
「はいはい」
 と言いつつ無視して階段を上がる。ヒロトはヒロトでかなりシスコンだから、あいつなりにハルカを心配してるんだろう。

 ハルカが大学に行かなくなって、部屋に引きこもって一ヶ月以上が経つ。もうすぐ年度末だし、それまでの学業その他諸々優等生だったおかげで、進級には今のところ差し障りはないらしい。だが、家族もその原因がまったくわからず本人も何も言わず、困っている、というのが今の現状だ。唯一、俺を除いては。
 ハルカと俺は、母親同士が大親友、という環境で兄妹のように、幼馴染みのように育った。俺とハルカは二つ違いだけど、俺にはヒロトと同い年の妹がいて、あいつらも同様に仲良くやっているようだ。ヒロトが俺の妹のヒナコのことが好きなのはバレバレだし、ヒナコもまんざらでもなさそうだ。
 そして、周りはみんな、俺とハルカは既に付き合ってると思っている。
 そう、思われているだけであって、事実ではない。
「ハルカー? 入るぞ」
 軽くノックしてドアを開けると、部屋の中は真っ暗だった。俺はいい加減腹が立ってきて、電気をつけてやった。ハルカはベッドに潜り込んだままだ。
「……眩しい」
「当たり前だ。起きろよハルカ、呑もうぜ」
 そう言ってコンビニで買ってきたビールやら酎ハイをテーブルの上に置く。
「呑む」
 むくっと起き上がって、俺より先に缶を開ける。酒飲みめ。
「お前、メシも食わずに酒飲んだら酔うぞ」
「……何か、おつまみ、ないの」
 それはあるけど、と答える前にコンビニ袋をがさごそやって、一人で勝手に開けて食い始めた。俺は少しやつれて、泣き腫らした目で、ぼさぼさの頭で、パジャマで、俺を男だと見てないよなと思うようなハルカが、それでも何だか綺麗だと思った。
「いつまで泣いてんだ、親友に男を取られたぐらいで」
 はっきりと言ってやる。
「そんなことでなくなる友情ならそれは親友なんて言わないし、ほんとに大事な友達なら、友情を貫く方がカッコイイと俺は思うけど」
 ハルカは答えない。
「大体、こんな近くにこんないい男がいるのに、あんなつまんねぇ男に引っかかるほうがおかしいよ、お前」
 真剣に言ったのに、ハルカは急に吹き出した。
「ヒカル、高校の頃からモテモテで、ヒカル源氏先輩、とか言われてたの知ってる?」
「知らないよ、そんなの。女子が勝手に言ってたんだろ」
「あたし、ヒカルと仲いいからって先輩に呼び出しとか、何回も食らった」
「嘘」
 それは初耳だった。
「……あのね、ヒカル。ずっと泣いて考えた。あたし、あの人のこと、そんなに好きだったのかなぁって。ユミと二股かけられて、ショックだったけど。ユミのことも、許すとか許さないとかじゃなくて、何かもう関わりたくないと思っちゃったの。……だから、ヒカルの言う通り。ともだちじゃなかったんだね」
 俺は飲みかけの缶を置いて、ハルカの髪を撫でる。
「ヒカルが人気がありすぎて、ひねくれちゃったんだよね。絶対好きになるもんかって、無理に他の人に目を向けてたところはあるかなぁ」
「ハルカ……」
「それから、こうやってしつこくしつこく慰めに来てくれるところとか。わかってて甘えてたんだなぁ」
 今頃気付いた、と笑う。それって、それって、期待してもいいってことか?
「めんどくさい奴だな、お前チョコちゃんに謝れよ、後で!」
「へ? チョコちゃん? 何で母?」
「ほら、これ」
 そう言ってさっきチョコちゃんから手渡された箱をハルカの目の前に置く。
「これ、うちの包装紙じゃん……」
 中を開けると、そこには小さな、ケーキ。生クリームの土台に桜の花びらを模した、ピンク色のケーキだった。
「綺麗……え、こんなのうちの商品にないよ?」
「そりゃそうだよ、オリジナルだもん。俺が頼んでわざわざチョコちゃんに作ってもらったの」
 今日、ホワイトデーだろ? と言うと、ハルカは困惑したようにうろたえる。
「でもあたし、今年はヒカルに、バレンタイン、あげてない……」
 それどころじゃなかったのはよくわかっている。
「いいんだ、俺の気持ち」
「ヒカルって、どうしてそんなにあたしのこと好きなの?」
「自分で言うか? それはあれだろ、きっと。刷り込みだ」
 生まれた時から、どれだけの同じ時間を過ごしてきたことか。
「そっか、そうかも」 
 ふふ、と笑って、でも、と呟く。
「でも、もう学校行きたくないなぁ……元々目的があって大学入ったわけでもないし」
 テーブルに突っ伏して、ぼやいている。じゃあさ、と俺は提案する。
「じゃあさ、嫁にでも来る?」
「……は!?」
「俺、もう卒業だし、就職も決まって前途有望だし、お買い得だと思いますが、どうでしょう?」
 ハルカは、しばらく呆然と俺を見て、それから、
「……いいかも」
 と言った。
 どうか、酔っ払いの戯言ではありませんように。
 
 窓の外は、嵐。
 春を呼ぶための、雨風が吹きすさぶ。
 けれど、それがあければ、きっと。
 新しい朝が生まれるだろう。
「……春香?」





      春の嵐・完
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