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昨春~昨秋

昨春~昨秋 1

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 三十年近く前、ここから車で二時間ほど行った県庁所在地の市、この集落に比べると結構な都会で、日野家の次女としてトク子さんは生まれた。

 出来のいい兄と姉の下、末っ子だったこともあって、のんびりおっとり育ったのはよかったけれど、周りはそうは思っていなかったかもしれない。

 まぁ、とにかくどんくさい子だった。

 運動はからっきし駄目で、走れば遅く、勉強は苦手。学力の問題というよりは、勉強をすることが苦手。宿題を忘れたり、わかっていてもなかなか手が付けられず、やらずに終わってしまうこともしょっちゅうだったし(そして先生に叱られる、までがデフォルト)、物理的な忘れ物も多かった。

 友達もいるにはいたけれど、すぐに一人の世界に入ってしまうので、よく怒らせてしまい、そのうち遊んでくれる子がいなくなってしまった。

 でも、トク子さんはちっとも苦じゃなかった。ひとりでも全然退屈じゃなかったのだ。

 トク子さんが好きなのは物語。兄姉が読んでいた漫画雑誌やコミックス、文庫本などを読み漁り、足りなくなると図書館や学校の図書室に入り浸り、お小遣いは永久保存版、と自分で決めた好きな本を少しずつ買い集めた。ひとり妄想の世界に浸るのが大好きな子供だった。

 両親は、特別厳しかったわけではないけれど、上二人と比べてあまりに出来が悪いので、小言はよく言われたし、比較されることも多く、漫画や小説を読むことにもあまりいい顔をしなかった。知識と教養は必要だけど、と言いつつトク子さんののめり込み様が極端だったから心配したのだろうとは思う。

 思春期になっても大人になってもあまり変わらないまま、掃除や片付けも苦手だったし、お洒落にも流行にも無頓着。親しい友人も殆どいない。

 進学も勧められたけれど、勉強もしたくないし人間関係も煩わしい、そう思って高卒で就職したものの、社会はもっと厳しかった。

 まず、朝が起きられない。

 ぎりぎりまで寝ていたいし寝起きの悪さは半端なく、余裕があると思っていても、何故かいつも出掛けたい時間をオーバーしてしまい、遅刻することも多々あった。

 そして何せうっかりなのである。

 子供のころの忘れ物レベルではない。ちゃんと確認したつもりなのに忘れたり、言われたことを理解するのに時間がかかったり、事務職では書類を作成していて、出来た、と思った瞬間手が当たってデータを全消去したり、朝早くないほうがいいからと働き始めた飲食店ではお皿やカップを何度も割り、注文を聞き間違えたり、レジ打ちでお釣りを間違えたり、最後の詰めが甘いことも多々。

 仕事内容だけでなく職場の人間関係も、空気が読めない。会話が噛み合わない。自分から波風を立てるわけではないのに、どこかいつもギクシャクする。自分で気づいたことを改善しようと試みるのだが、空回りして逆効果になることもしばしば。

 それによって叱られることももちろん嫌だし悲しいし情けないけれど、それ以上に段々と周りの目が気になり始めて、仕事も続かず、転々と職を変えることになる。上司以外で直接嫌味を言ったりする人はそういなかったけれど(たまにはいた)、言われたことそのものよりも、努力や工夫をしていないように思われるのが辛くて悔しかった。

 頑張っていないなんて、思えない。

 すごく頑張っている。

 なのに、頑張っても、頑張っても、他人と同じように出来ないのだ。

 うっかりでどんくさくて駄目人間だ、と思っているトク子さんだけど、人一倍感受性は豊かで過敏でもあった。だから、マイペースね、と言われても、それを貫ける図太さは持ち合わせていなかったのだ。

(私って、どうしてこんななんだろう)

(お兄ちゃんもお姉ちゃんも優秀だし、いつもきちんとしててカッコいいのに、何で私はこんなにみそっかすなんだろう)

 唯一の好きなこと、物語を読むことが高じて自分でも絵を描いたりしていたけれど、自信もなく、働きながら続けるのが器用にできなくて、それも中途半端になっていた。

(……もう、外で働くエネルギーがないなぁ)

 何度目かの職場を辞めて、親にチクチク言われながら就職活動をしている時。

 ハローワークの帰り、そんなことを思いながら、行きつけの本屋にふらふらと立ち寄った時―――――慶さんに出逢った。



 アルバイト情報誌でも見ようかな、気は進まないけど、と思いつつコーナーに向かう。

 しかし、たまたまその辺りで書店員さんが新刊の補充をしているところだった。

 タイミング悪いな、と思ったものの、そこで図々しく割り込んだり、逆に親しみを込めて声をかけ、目的の本を取ってもらったりするような度胸はトク子さんにはない。だから、ぐるりと一回りして後で見ようかと小さく溜め息をつく。

 こんなこともしょっちゅうで、時には二周も三周も店内を回ってしまうことがある。はっきりと購入予定の本や雑誌ならば、ちょっと横から手を伸ばしてすみません、とかもごもご言いつつさっと取ればいいのだけれど、今日みたいに幾つか見比べたい時は困る。

(っていうか、本音はそんなに見たいわけでもないけど)

 そっと店員さんの後ろを迂回しつつ、そんなことを考える。

 どうしよっかなー、今日はやめとけってことかなー、また今度にしようかなー、と、お得意の嫌なことは後回し、の特技が出てきてちょっとうきうきしてしまった。帰ったら両親は就活がどうだったかしつこく聞くだろうけど、なかなかいいところがないよ、と誤魔化してしまえばいい。

 とはいえ、いつまでもそれでは両親は許してくれないだろうし、兄姉もうるさいだろう。贅沢をするわけでもないのにトク子さんは貯金も出来なかった。書籍代はかかるけれど、それ以外一体どこにお金が消えるのか自分でも不思議なくらい、お金を貯められない。少し貯まれば仕事を辞めて、次の仕事までの繋ぎに僅かな貯えも消えていく、その繰り返しだった。

 親に迷惑をかけられないというよりも、かけたくない。出来る人には出来ない人間の気持ちがわからない。トク子さんも仕事そのものができないわけではないのだ。働く、或いは生活する、という上で、作業だったり業務内容とは別のところで不具合が多すぎる。それだけの話なのだ。

 でも、世間ではそれを許してはもらえない。トク子さんの両親も例外ではないだろう。少しでも親に負担をかければ、どれだけ負い目を感じなければならないか、それが嫌だ、と思った。純粋に親不孝をしたくないとか、そんな美しいものではない。

 もちろん、昨今はいろんな人がいることもトク子さんは知っている。動画配信など好きなことや得意なことで収入を得る道もあることを知っている。でもきっと、それは一部の特別な人だけの世界だと思っている。

(私が出来ることなんて、ない)

 そんなことをつらつら思いながらぐるりと一回りして、また元の場所に戻ると、まださっきの店員さんがそこにいた。

 これは二周目決定かな、とまた溜め息をついた瞬間、その彼―――男性の店員さんが作業を終えてこちらに振り返った。

 あ。

 そのコーナーを凝視していたものだから、バチっと目が合ってしまってトク子さんは固まってしまった。特別異性が苦手とかはないけれど、普段家族以外では殆ど関わりがない。しかも。

(やだ、ちょっとカッコいい)

 ちょっとトク子さんの好みのタイプだったものだから、急に恥ずかしくなってドキドキしてしまった。いやいや、前からいる人ですよ、トク子さん、見たことあるでしょ、真正面から顔を見たのが初めてなだけで。

 ちなみにトク子さんは面食いではないので、いわゆるイケメンではなかった。眼鏡をかけていて、すらっと、というよりひょろっと背が高く、物腰の柔らかそうな、おばちゃん受けしそうな感じ、と勝手にトク子さんは評価する。何だろう、安心感、そう安心感があるというか。

 なーんてね、と勝手に人のことをいろいろ考えてすみません、と心の中で謝りながら、店員さんから目をそらして目当てのコーナーに向かう。そのまま作業を終えて店員さんは入れ違いにその場を離れる筈、だった。

 でも、固まってしまったのは店員さんのほうも同じだった。トク子さんのほうを見つめたまま、時間が止まる魔法をかけられたみたいに微動だにしない。

(ど、どゆこと?)

 歩き出したトク子さんの足が再び止まり、それ以上進もうにも引き返そうにも動けなくなって、トク子さんは困ってしまった。

 本当に困ってしまったのだ。
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