54 / 90
52.早く大人になりたかった頃④(テオドール視点)
しおりを挟むシリル兄さんが精霊薬をのめないのは、精霊力増幅薬を強制的に飲まされたことによる影響なのだろう、とは思っていたけど。こんなのは、好き嫌いの問題ではない。
腕の中の人を責める言葉を飲み込んで、今は目の前の男に意識を向ける。
「精霊薬を飲んだという精神的認知が、精霊力を脅かし、直接肉体に影響を及ぼす。実に興味深いだろう。
精霊力は精神と肉体を循環し、それを構成維持する力そのもの。それを、まさに体現しているのだよ」
この男が、それを理解した上で、さらに精霊薬を飲ませている事実が許せない。
「私を責める前に、なぜ、これがこうしてここにいるか、こうして苦しんでいるか。
考えたらどうだ?」
その言葉に、ひやりと冷たいものが、背筋に流れる。
「お前を使う、と言ったら、これは簡単に自らを差し出したのだからな」
この男の目的は知らないが。
この言葉からわかることは、本来、ここでこうして苦しむはずだったのは僕だった、ということだ。
シリル兄さんでは、なく。
僕にはシリル兄さんと在って、常々危惧していたことがある。
それは、僕がこの人を脅かすのではないかということだ。
僕は……僕が、僕自身がシリル兄さんを傷つけることばかり、考えていた。こういう形で現実になるとは、思ってもみなかった。
だって、こんな風に自らを犠牲にしてまで、僕を守ろうとする人などいなかったから。
僕は、今猛烈に後悔する。
どうして僕は、一瞬で人を屠る術を練習しなかったのだろう。一瞬で屠りながらも、永続的な苦痛を伴う、そんな方法をなぜ、習得しなかったのか。
自身の怠惰と未熟さが疎ましい。
「今、この場を僕はずっと記録している」
「……なに?」
シリル兄さんが10歳の頃に古の精霊術として書物にのみ語られる、映像と音声を永続的に記録可能な精霊術を復古させた。
彼自身は、それをせっせと僕の何かしらを記録するために熱心に研究し、使っているようだったけど。
僕は、その時から、こういう時を待っていたのだ。
「この記録は然るべきところへ提出する。
これは、フォレスターの屋敷に保管してあるもう一つの記録器と同期している。
僕を殺せば、それを執事が代わりに提出する手筈になっている」
決定的に、この当主を没するための証拠を得る機会を。
けれど、当主は僕を嘲笑うように、言う。
「この場の記録?ほう……そんな術を知っていたとは。後で、詳しく教えてもらうとしよう」
後なんて、ありはしないのに。
「好きにすればいい。そのようなことは些末なことだ。
もうすぐに、私は神の力を手にするのだからな」
神の力。
この男は、いよいよ頭がおかしくなったのか。いや、おかしいことは分かっていたけれど。
「…オルトロス……だ」
「え?」
掠れた声に、僕は視線を腕の中の傷ついた人におとす。
口の端には血が滲んでいて、殴られたことがわかる。よくよく観察すれば、あちらこちらに擦過傷や、打撲痕があって。
「メーティストは、常に眷属を……従えている。この神殿は…その、眷属……オルトロスを、召喚する場、なんだ」
ぜーぜーと濁った呼吸音の合間に、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
時折、ごほっと湿性の咳を繰り返しながら、震える指先が指し示した方を見れば、先程、シリル兄さんがいた真下だった。
漆黒の床に同色の、けれど僅かに偏光の違う素材で、動物が二頭……いや、一頭描かれていた。双頭の狼のような獣。
これが、オルトロス。
「オルトロスは……メーティストの、代行者…神災を、もたらす……神の化身で…」
その、獣が描かれた所からは淡い黒い光が放たれている。周囲の靄を取り込みながら渦巻いて、黒い光は段々と明瞭に濃くなっていく。
光なのに仄暗く、空気よりもずっと重い。
「召喚に、必要なもの……は、大量の精霊力と、醜悪に歪んだ強い願い。
願いが、この世界の理を無視し、歪めば…歪むほどに…っ…その、無秩序の反作用で…」
そう言うシリル兄さんの瞳からぼろぼろと雫が零れ落ちる。
「ごめ……ごめん、おれ……防げなかったっ……おれのせいで、…おれの精霊力が…っ」
そこで、シリル兄さんは盛大に咳き込んだ。赤い飛沫が舞って、小さな身体がさらに小さく縮こまる。
「もう、しゃべらないで」
咳嗽に激しく揺さぶられるシリル兄さんの胸に手を当てて、その精霊力の流れを感じ、さらに乱れないように整えていく。
「不足するならば、それでもお前を使おうと考えていたが。
これの精霊力は、想定以上に増幅していたらしい。これは、フォレスター唯一の直系だからな。損なえば、何かと面倒だ」
誇らしげに当主は言う。
まるでそれが、シリル兄さんの苦しみも、精霊力すらも、自分の功績であるような口ぶりだったから。
僕は自分の身体がひとりでに震えるのを感じた。
この男は、損なわなければ、死ななければ、何をしても当然だと言っている。その言葉通りのことを、この男はシリル兄さんにしてきた。
神の眷属を呼び出す程の精霊力が如何ほどかは、わからないけれど。普通でいられるはずがない。
シリル兄さんは、こうなることがわかっていて、僕には告げずにこうして当主に従ったのか。
僕は、僕だったらば、殺されてしまうかもしれないから。そして、自分は、殺されることは無いから。
確実に、死ぬほどの苦痛を与えられることを確信していて、それでも。
「オルトロスの力があれば、何人たりとも私を脅かすことはできない」
尊大な態度で愉悦に笑う男は、確かに醜悪に歪んでいた。
まさか。
この男は神の眷属を召喚するのみならず、従えるつもりでいるのか?
いつか、シリル兄さんがこの男のことを「この世界の理にすら従わない」と表現していたことを思い出す。
じりじりと、圧倒的な気配が増す。祭壇の上、愚かな男の目の前に、闇の光が形をもって、集約していく。
突如、地鳴りのような低音が神殿を震わした。
——その瞬間。
漆黒の床から、巨大な4列の鋭利な柱が突き出して、周囲に渦巻く黒い靄が漆黒の刃と成った。
1
お気に入りに追加
354
あなたにおすすめの小説
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
リクエストの更新が終わったら、舞踏会編をはじめる予定ですー!
【完結】悪役令息の従者に転職しました
*
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。
皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ!
本編完結しました!
時々おまけのお話を更新しています。
『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく、舞踏会編、はじめましたー!
某国の皇子、冒険者となる
くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。
転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。
俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために……
異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。
主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。
※ BL要素は控えめです。
2020年1月30日(木)完結しました。
【完結】もふもふ獣人転生
*
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。
ちっちゃなもふもふ獣人リトと、攻略対象の凛々しい少年ジゼの、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です(笑)
本編完結しました!
舞踏会編はじめましたー!
舞踏会編からお読みいただけるよう、本編のあらすじをご用意しました!
おまけのお話の下、舞踏会編のうえに、登場人物一覧と一緒にあります。
ジゼの父ゲォルグ×家令長セバのお話を連載中です。もしよかったらどうぞです!
第12回BL大賞10位で奨励賞をいただきました。選んでくださった編集部の方、読んでくださった方、応援してくださった方、投票してくださった方のおかげです。
心から、ありがとうございます!
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです
飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。
だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。
勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し!
そんなお話です。
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
今世はメシウマ召喚獣
片里 狛
BL
オーバーワークが原因でうっかり命を落としたはずの最上春伊25歳。召喚獣として呼び出された世界で、娼館の料理人として働くことになって!?的なBL小説です。
最終的に溺愛系娼館主人様×全般的にふつーの日本人青年。
※女の子もゴリゴリ出てきます。
※設定ふんわりとしか考えてないので穴があってもスルーしてください。お約束等には疎いので優しい気持ちで読んでくださると幸い。
※誤字脱字の報告は不要です。いつか直したい。
※なるべくさくさく更新したい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる