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51.早く大人になりたかった頃③(テオドール視点)
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ガラガラと馬車の音がして、ふと窓の外を見た。
血の気配がする。僕は自室を出ると、ロビーへと急いだ。
ぞわり、と背を這う濃厚な悪意に、僕の精霊力が騒めきたつ。自動的に、そして他律的に脈動するそれを僕は意識的に、律する。
ロビーへの階段まで辿り着くと、ちょうど玄関扉が開かれて、鮮やかな赤い害意を纏った男が、倒れ込んできた。
「…はっ…ぁっ……テオ…ドール……さま…っ」
それは、血まみれの執事だった。
息も絶え絶えの、痛ましい姿は明らかに何らかの精霊術で命すら脅かされた証だった。
刻まれた精霊力は二つ。一つは、あの人。そして、もう一つはシリル兄さん。
その瞬間に僕は何が起こったのかを理解する。
「二人はどこに行ったの?」
「……っ…はっ……神殿……と、…それだけ、しか……」
ひゅーひゅーと喘鳴と共に、喘ぐように言う。
でも、それだけで十分だった。
今日は、当主とシリル兄さん、そして執事が同伴し、領地の中でも最南に位置する街へ視察へ行ったはずだ。
その街から、ここまでは馬車でも半日はかかる。
シリル兄さんは正しかった。
ただ、脅して従わせただけでは、執事は懸命に僕の所まで辿り着かなかっただろう。
「これを、あげる。急いで飲ませて」
僕は執事を介抱する侍女に、精霊薬を渡す。
シリル兄さんの説明によると、『エリクサー』の成分を分析して作ったらしい、『ちょっとした鎮痛と回復を促す精霊薬』という名の、内臓に達する傷も一瞬で修復する超治癒薬だ。
この精霊薬なら、この程度の命に係わる傷ならば、治せるだろう。
僕は以前から、こういう事態に備えてきた。防ぐことができなかった自分を悪罵するのも反省も後でいい。
一刻も早く、シリル兄さんの下へ行かなければ。
僕はシリル兄さんの精霊力を感じ取り、そして急いで移動した。
奇妙な場所だった。
疑う余地もなく、この場所は既知の領域ではない。その様は歴然と異彩を放ち、あまりにも浮世離れしている。
鬱蒼とした樹海の中に、突如として現れる荘厳な鈍色の建造物。光を吸収するかのような色調は、黒にも青鈍にも見えて、時には白亜のような輝きすら放つ。
それは、周囲の木々から一定の距離をもち、蔦が這うことも苔むすことも無く、ただそこに他者を拒むように存在した。
ここが、メーティスト神殿なのか。
僕はこの建造物……と言って良いのもかわからない未知の創造物と、その周辺に充満した不自然なほどに静まり返った精霊力を知っている。
自然の法則に従うのみの精霊力は、むしろ不自然なほどに整然とし、排他的で嫌悪感を抱かせた。
まるで、僕のようだ。この精霊力を僕は未だに、受け入れることができない。
実際に、そんなことを感じ、考えたのは一瞬だ。僕の意識はただひたすらに、一点を目指し駆けた。
目標とする気配が近くなり、僕は音を消して、においを消して、周囲に溶け込む。簡単だった。
物陰に息を潜めて、ひっそりと覗き込む。
直線で続く無機質な廊下の先、寸分の狂いなく正確に同質の階段が5段ほど見える。
階段の上は、ただ平面な床が続き、その先は壁がそびえ立っていた。行き止まりだ。ここが、この神殿の最奥らしい。
「こそこそと、何かを調べている報せ受けたときは、どう罰そうかと考えたが。これで、相殺してやろう」
すべてが黒く輝いており、この空間が無限に続き、天井は果てしなく高い。どこまでも深い闇のような錯覚を覚えた。
その階段の上、何もない平面の床、恐らく祭壇だろうこの場所。その上に二人はいた。
「これこのために、わざわざ連れてきたんだ。さっさと起きないか」
当主はまるでそこが自分の場所であるかのように、傲然と直立し、視線だけを床に落としている。
その足元で、地を這うように、身を屈めたシリル兄さんが見えた。
「…っう…あ、はぁ…」
シリル兄さんの荒く上下する肩に、僕の焦燥は激憤へと瞬時に変換される。
「まだ、足りないようだな。もっと、精霊力を注げ。早く」
そして、当主は「これ以上手間をかけさせるな」と苛立たし気に言葉を吐き捨て、シリル兄さんを慣れた動きで足蹴にする。その瞬間に、シリル兄さんから、ぶわりと精霊力が舞った。
まるで、いつものとは違う、禍々しいほどの濃密な精霊力がその場に溢れかえり、そして、その場に……二人の立つ地面に吸い込まれていく。
その瞬間、床から円柱状に黒い光が放射した。
そこで、僕は動いた。
瞬時に空間をつめて、二人の下へ移動する。そして、すぐさまにシリル兄さんを担ぎ上げると、当主から十分に距離を取った。
「今、何をした?一瞬で、移動したように見えたが」
「この人に、何をした」
質問には答えずに、糾弾する。
僕の腕の中で、胸元を掻きむしるように掴み、苦悶に顔を歪める姿は、身に覚えのある光景だった。いつもは、穏やかに循環しているシリル兄さんの精霊力が、刺々しく蠢いている。
一度自分が経験した、あの焼けるような苦痛の記憶が、鮮明に蘇ってくる。
「誰に、ものを言っている」
今すぐに、目の前の男をどうにかしてしまいたい衝動を、腕の中の存在によって押し殺し、さらに問う。
「この人に、何を飲ませた」
床に転がる複数の瓶は、明らかに精霊薬の容器だ。
「喚くな。精霊力の回復薬だ」
回復薬だって?そうであるなら、なんでこんなに苦しんでいるんだ。
僕の疑問の上から、「知らないのか?」と当主は続けた。
「これには、精霊薬は毒にもなる。
精霊力増幅薬の副作用と考えるのが、理にかなっているだろうな。拒絶反応の一種として、精霊薬を摂取したという認識が、精霊力の暴走の引き金になる」
シリル兄さんは、常々薬を飲めないと言っていた。
嫌いだからと、恥ずかしそうに。笑いながら。
血の気配がする。僕は自室を出ると、ロビーへと急いだ。
ぞわり、と背を這う濃厚な悪意に、僕の精霊力が騒めきたつ。自動的に、そして他律的に脈動するそれを僕は意識的に、律する。
ロビーへの階段まで辿り着くと、ちょうど玄関扉が開かれて、鮮やかな赤い害意を纏った男が、倒れ込んできた。
「…はっ…ぁっ……テオ…ドール……さま…っ」
それは、血まみれの執事だった。
息も絶え絶えの、痛ましい姿は明らかに何らかの精霊術で命すら脅かされた証だった。
刻まれた精霊力は二つ。一つは、あの人。そして、もう一つはシリル兄さん。
その瞬間に僕は何が起こったのかを理解する。
「二人はどこに行ったの?」
「……っ…はっ……神殿……と、…それだけ、しか……」
ひゅーひゅーと喘鳴と共に、喘ぐように言う。
でも、それだけで十分だった。
今日は、当主とシリル兄さん、そして執事が同伴し、領地の中でも最南に位置する街へ視察へ行ったはずだ。
その街から、ここまでは馬車でも半日はかかる。
シリル兄さんは正しかった。
ただ、脅して従わせただけでは、執事は懸命に僕の所まで辿り着かなかっただろう。
「これを、あげる。急いで飲ませて」
僕は執事を介抱する侍女に、精霊薬を渡す。
シリル兄さんの説明によると、『エリクサー』の成分を分析して作ったらしい、『ちょっとした鎮痛と回復を促す精霊薬』という名の、内臓に達する傷も一瞬で修復する超治癒薬だ。
この精霊薬なら、この程度の命に係わる傷ならば、治せるだろう。
僕は以前から、こういう事態に備えてきた。防ぐことができなかった自分を悪罵するのも反省も後でいい。
一刻も早く、シリル兄さんの下へ行かなければ。
僕はシリル兄さんの精霊力を感じ取り、そして急いで移動した。
奇妙な場所だった。
疑う余地もなく、この場所は既知の領域ではない。その様は歴然と異彩を放ち、あまりにも浮世離れしている。
鬱蒼とした樹海の中に、突如として現れる荘厳な鈍色の建造物。光を吸収するかのような色調は、黒にも青鈍にも見えて、時には白亜のような輝きすら放つ。
それは、周囲の木々から一定の距離をもち、蔦が這うことも苔むすことも無く、ただそこに他者を拒むように存在した。
ここが、メーティスト神殿なのか。
僕はこの建造物……と言って良いのもかわからない未知の創造物と、その周辺に充満した不自然なほどに静まり返った精霊力を知っている。
自然の法則に従うのみの精霊力は、むしろ不自然なほどに整然とし、排他的で嫌悪感を抱かせた。
まるで、僕のようだ。この精霊力を僕は未だに、受け入れることができない。
実際に、そんなことを感じ、考えたのは一瞬だ。僕の意識はただひたすらに、一点を目指し駆けた。
目標とする気配が近くなり、僕は音を消して、においを消して、周囲に溶け込む。簡単だった。
物陰に息を潜めて、ひっそりと覗き込む。
直線で続く無機質な廊下の先、寸分の狂いなく正確に同質の階段が5段ほど見える。
階段の上は、ただ平面な床が続き、その先は壁がそびえ立っていた。行き止まりだ。ここが、この神殿の最奥らしい。
「こそこそと、何かを調べている報せ受けたときは、どう罰そうかと考えたが。これで、相殺してやろう」
すべてが黒く輝いており、この空間が無限に続き、天井は果てしなく高い。どこまでも深い闇のような錯覚を覚えた。
その階段の上、何もない平面の床、恐らく祭壇だろうこの場所。その上に二人はいた。
「これこのために、わざわざ連れてきたんだ。さっさと起きないか」
当主はまるでそこが自分の場所であるかのように、傲然と直立し、視線だけを床に落としている。
その足元で、地を這うように、身を屈めたシリル兄さんが見えた。
「…っう…あ、はぁ…」
シリル兄さんの荒く上下する肩に、僕の焦燥は激憤へと瞬時に変換される。
「まだ、足りないようだな。もっと、精霊力を注げ。早く」
そして、当主は「これ以上手間をかけさせるな」と苛立たし気に言葉を吐き捨て、シリル兄さんを慣れた動きで足蹴にする。その瞬間に、シリル兄さんから、ぶわりと精霊力が舞った。
まるで、いつものとは違う、禍々しいほどの濃密な精霊力がその場に溢れかえり、そして、その場に……二人の立つ地面に吸い込まれていく。
その瞬間、床から円柱状に黒い光が放射した。
そこで、僕は動いた。
瞬時に空間をつめて、二人の下へ移動する。そして、すぐさまにシリル兄さんを担ぎ上げると、当主から十分に距離を取った。
「今、何をした?一瞬で、移動したように見えたが」
「この人に、何をした」
質問には答えずに、糾弾する。
僕の腕の中で、胸元を掻きむしるように掴み、苦悶に顔を歪める姿は、身に覚えのある光景だった。いつもは、穏やかに循環しているシリル兄さんの精霊力が、刺々しく蠢いている。
一度自分が経験した、あの焼けるような苦痛の記憶が、鮮明に蘇ってくる。
「誰に、ものを言っている」
今すぐに、目の前の男をどうにかしてしまいたい衝動を、腕の中の存在によって押し殺し、さらに問う。
「この人に、何を飲ませた」
床に転がる複数の瓶は、明らかに精霊薬の容器だ。
「喚くな。精霊力の回復薬だ」
回復薬だって?そうであるなら、なんでこんなに苦しんでいるんだ。
僕の疑問の上から、「知らないのか?」と当主は続けた。
「これには、精霊薬は毒にもなる。
精霊力増幅薬の副作用と考えるのが、理にかなっているだろうな。拒絶反応の一種として、精霊薬を摂取したという認識が、精霊力の暴走の引き金になる」
シリル兄さんは、常々薬を飲めないと言っていた。
嫌いだからと、恥ずかしそうに。笑いながら。
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