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49.早く大人になりたかった頃①(テオドール視点)

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 シリル兄さんは、9歳のとき、たった一人で行き先も告げず行方不明になったことがある。

 これまで、まるで自分がいない人間であるかのように存在感無く過ごしていた彼は、人が求めていることは的確に満たし、人の意識に引っ掛かるような行動は行わない。

 その条件の中でのみ、自分の知的好奇心や願望を叶えていた。

 僕にはそれが、窮屈そうに見えて、他人事ながらもどかしくて仕方なかった。

「やりたいことがあるのなら、やればいいのに。わからないな。なぜ、やらないの?」

 だから、これは全くの本心だった。

「あなたにとって、あの人はそんなに重要な存在なの?あの人の思惑に、どれだけの価値と脅威があるの?あなたをここに縛っているものが、僕には全く理解できない。どうしてあの男に……父という存在にこだわるの?
 あなたを害す人の傍に居続けることに、何の利点があるというの?」

 あの人の中で、大きな外的抑止力として働いているのは間違いなくフォレスター当主だ。あの人を、なぜ父と呼べるのか、僕にはそれすら理解できなかった。

 だけど、あの人が躊躇う理由が、それだけでなく。外を見つめる瞳には、憂いや不安のような感情が籠っていて、何か内側からあの人を躊躇わせる理由があるようだったけど、それが何なのかはわからなかった。

「あなたはあの人よりも、ずっと強いはずだ。あの人にあなたを抑えつけることなどできはしない。あなたさえ、その気になれば、絶対に。
 小さなこの家で、耐えて息をひそめる必要など、何も無いはずだよ
 あなたはどこへだって行けるじゃない。何だってできるじゃない。
 あなたには、もっともっとやりたいことがあるはずだよ。ここでは無いどこかで」



 そう訴えれば、その日のうちにあの人は、屋敷から姿を消した。
 使用人たちの会話から、誰も行き先すら知らないことがわかった。

 僕は安堵した。
 そして、すぐに心が空っぽになるような虚無感と、胸が裂けるような焦燥感とが、波のように押し寄せてくる。

 大丈夫。耐えていれば、この想いは枯れて、無かったことに出来はずだ。
 そう自分に言い聞かせても。あの人のいない、あの人がいた場所を時間を一人で過ごすたびに、あの笑顔を切望する自分がいて。ただただ苦しかった。

 だから、戻ってきたと知ったとき。

 僕は絶望と共に、歓喜したのだ。

 あの人の笑顔をみれば心は浮足立ち、あの人の傷を知れば胸が痛む。僕はとっくにあの人に、絆されて、そして執着していた。

 僕の本質を理解した上で、全く恐れることも無く、僕がいるからここに帰ってきた、なんてあんなに真っ直ぐに好意を突き付けられて。

 僕が起こし得る禍害を知っていて、さらに自分が解決するのだと断言する。

 そして、いつものように額に口づけて、その言葉を証明するかのように、僕の忌まわしい力をすんなりと収めてしまった。

 この人は、本当に。めちゃくちゃだ。

 有り得ないことをありのままに受け入れて、それを自力で突き抜け、さらに前向きに進んでいく姿は、僕をただひたすらに魅了する。
 そして、その純粋な熱意は、僕と共に在ることにも惜しみなく注がれている。

 奥に奥にしまい込んで冷たくなっていたはずの僕の心は、この人に出会って以来ずっと、この人のもつ膨大な熱量にじわじわと温められてきたのだ。

 だから、僕の心はいままで止まっていたのが嘘のように、躍動し出す。

 僕を受け入れ、肯定し、そして凶事も共に、迷いなく当然のように、一緒に抱え向き合ってくれる。

 こんなの、どうやったって好きになるしかない。

 僕を含むこの場所からシリル兄さんを遠ざけようとする、僕の試みは大失敗に終わった。

 僕がこの件から学んだことは、僕自身は酷く自分勝手な人間であるということ。
 唯一無二の大切な人のためであっても、僕自身が真に望んでいなことを貫き通せるようなできた人間では無いということだ。

 そして、対してシリル兄さんは他者の意向は理解した上で、自身が納得しさえすれば、それを貫き通す頑固さをもっているということ。



 シリル兄さんは、幻の薬草『月の雫』を採取して、さらに伝説でしか語られない『エリクサー』を作成して以来、自重しなくなった。

 その下準備として、まず、執事を調略した。
 当時執事は、ほぼ領地不在の領主に代わりフォレスター領を実質的に取り仕切っていた。

「おれたちの行動も、執事を通してあの男に……便宜上、父と呼ぶけれど。父に報告されてる」

 便宜上。

 そして、シリル兄さんのフォレスター家当主のあの人に対する態度が明らかに変わった。

「もっとも、執事本人に不利益になるような……つまり、おれたちが何かをしでかしても、父の気を害するような事柄は基本的に報告されない。自分も不利益を被るから。
 でも、今後はもっと積極的に情報を操作していきたいから。
 だから、あの執事の協力が必要だ」
「それはわかるけど、どうするの?」

 聞けば、執事はフォレスター領の資金を使い、投資を行っているらしく、それが上手くいっていないらしい。

「利益を出して、あの人に気に入られようとでも思ったんだろうね」

 と僕が言えば、

「無駄なのに。あの人は自分以外はどうでもいい人だよ」

 と昔から知っていた事実のように言う。
 苦い表情で「わかってたのにな」と寂しそうに笑うから、僕の胸はつきん、と痛んだ。

「父は、おれたちへの予算を横領しようがどうしようと気にしない。
 けれど、自分の評価に関わるような損失には敏感なんだ。だから、領の価値を下げるような行いにはまず、黙っていない」

 つまり、このままだと、あの執事は粛清されるわけだ。

「おれはその事業ごとを買い取ってきた。あれは、対象が悪いだけだよ。もっと市民層に合わせたものに変換すれば、絶対に利益が出る」
「まどろっこしい。執事なんて、その事実で脅して従わせればいいと思う」

 僕は率直にそう思った。
 領地の運営だって、僕とシリル兄さんがいれば十分だし、わざわざ恩赦を与える必要性を感じない。

 だって、あの人はシリル兄さんが苦しむ中で、それを傍で見ながら、見て見ぬふりをして、むしろ苦しめてきたうちの一人だ。命で償っても余りある。

「でも、有能な人材だよ。だって、あの父に10年以上も生かされてる」
「……つまり、情報操作も領地経営も、そこそこの手腕だということだね」

 僕の言葉に、こくりと頷き、「テオは理解が早いな」なんて頭を撫でる。

「おれたちは、子供だから。大人に太刀打ちするには、大人の協力が必要だよ。今は、まだ」

 僕は、早く大人になりたいと思った。

 そして、執事の部屋に二人で乗り込んで、当時における損失を突き付けた。

 初めは子供の戯言と慇懃無礼な態度を崩さなかった執事も、執事すら知らなかったらしい使用人の不祥事や、領地での不都合な事象を次々に晒されて、段々と追い詰められていった。

 思っていたのと違う。完全な脅迫だ。

 不都合な事実を秘匿にすることを提案し、さらに損失を補って余りある利益を出しうる事業を提示したことで、最終的には涙ながらに感謝された。

 僕はシリル兄さんを侮っていたらしい。
 この人は飴と鞭の使い方が良く分かっていて、ただ優しい甘いだけの人では無いらしい。僕にはひたすらに寛容だから、そんな一面を他者を通して初めて知る。

 その姿に、僕はさらに魅せられて、惹かれたことは言うまでもない。

 協力を得る、と言いつつほぼ完全なる従属をえて、色々とやりやすくなった。
 けれど、これが本来の姿である。今までがあまりにも異常だったのだ。

 フォレスター領主には、これまでと変わらない体で僕たちの様子を報告してもらう。

 その中でシリル兄さんは、領地の運営にまで乗り出して、生産性を高め、交通網を整備し、流通経路を拡大し、どんどん利益を上げていく。

 利益の内から自分の研究資金を得て、さらに度々森や山奥……もはや秘境とも言える場所に薬草採取や魔物を狩りに出かけ、それを売って金銭を得た。

 1年程経つと、執事は完全に10歳になったばかりのシリル兄さんを崇めるようになった。

 気持ちはわかるが、気持ち悪い。極力、この執事とシリル兄さんが共にいる時間を短くしたい。

 その思いが熱意となって、僕はフォレスター家の内政に関する事柄に重点を置いて学び、8歳にしてその分野を完全に掌握した。
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