上 下
51 / 90

49.早く大人になりたかった頃①(テオドール視点)

しおりを挟む
 シリル兄さんは、9歳のとき、たった一人で行き先も告げず行方不明になったことがある。

 これまで、まるで自分がいない人間であるかのように存在感無く過ごしていた彼は、人が求めていることは的確に満たし、人の意識に引っ掛かるような行動は行わない。

 その条件の中でのみ、自分の知的好奇心や願望を叶えていた。

 僕にはそれが、窮屈そうに見えて、他人事ながらもどかしくて仕方なかった。

「やりたいことがあるのなら、やればいいのに。わからないな。なぜ、やらないの?」

 だから、これは全くの本心だった。

「あなたにとって、あの人はそんなに重要な存在なの?あの人の思惑に、どれだけの価値と脅威があるの?あなたをここに縛っているものが、僕には全く理解できない。どうしてあの男に……父という存在にこだわるの?
 あなたを害す人の傍に居続けることに、何の利点があるというの?」

 あの人の中で、大きな外的抑止力として働いているのは間違いなくフォレスター当主だ。あの人を、なぜ父と呼べるのか、僕にはそれすら理解できなかった。

 だけど、あの人が躊躇う理由が、それだけでなく。外を見つめる瞳には、憂いや不安のような感情が籠っていて、何か内側からあの人を躊躇わせる理由があるようだったけど、それが何なのかはわからなかった。

「あなたはあの人よりも、ずっと強いはずだ。あの人にあなたを抑えつけることなどできはしない。あなたさえ、その気になれば、絶対に。
 小さなこの家で、耐えて息をひそめる必要など、何も無いはずだよ
 あなたはどこへだって行けるじゃない。何だってできるじゃない。
 あなたには、もっともっとやりたいことがあるはずだよ。ここでは無いどこかで」



 そう訴えれば、その日のうちにあの人は、屋敷から姿を消した。
 使用人たちの会話から、誰も行き先すら知らないことがわかった。

 僕は安堵した。
 そして、すぐに心が空っぽになるような虚無感と、胸が裂けるような焦燥感とが、波のように押し寄せてくる。

 大丈夫。耐えていれば、この想いは枯れて、無かったことに出来はずだ。
 そう自分に言い聞かせても。あの人のいない、あの人がいた場所を時間を一人で過ごすたびに、あの笑顔を切望する自分がいて。ただただ苦しかった。

 だから、戻ってきたと知ったとき。

 僕は絶望と共に、歓喜したのだ。

 あの人の笑顔をみれば心は浮足立ち、あの人の傷を知れば胸が痛む。僕はとっくにあの人に、絆されて、そして執着していた。

 僕の本質を理解した上で、全く恐れることも無く、僕がいるからここに帰ってきた、なんてあんなに真っ直ぐに好意を突き付けられて。

 僕が起こし得る禍害を知っていて、さらに自分が解決するのだと断言する。

 そして、いつものように額に口づけて、その言葉を証明するかのように、僕の忌まわしい力をすんなりと収めてしまった。

 この人は、本当に。めちゃくちゃだ。

 有り得ないことをありのままに受け入れて、それを自力で突き抜け、さらに前向きに進んでいく姿は、僕をただひたすらに魅了する。
 そして、その純粋な熱意は、僕と共に在ることにも惜しみなく注がれている。

 奥に奥にしまい込んで冷たくなっていたはずの僕の心は、この人に出会って以来ずっと、この人のもつ膨大な熱量にじわじわと温められてきたのだ。

 だから、僕の心はいままで止まっていたのが嘘のように、躍動し出す。

 僕を受け入れ、肯定し、そして凶事も共に、迷いなく当然のように、一緒に抱え向き合ってくれる。

 こんなの、どうやったって好きになるしかない。

 僕を含むこの場所からシリル兄さんを遠ざけようとする、僕の試みは大失敗に終わった。

 僕がこの件から学んだことは、僕自身は酷く自分勝手な人間であるということ。
 唯一無二の大切な人のためであっても、僕自身が真に望んでいなことを貫き通せるようなできた人間では無いということだ。

 そして、対してシリル兄さんは他者の意向は理解した上で、自身が納得しさえすれば、それを貫き通す頑固さをもっているということ。



 シリル兄さんは、幻の薬草『月の雫』を採取して、さらに伝説でしか語られない『エリクサー』を作成して以来、自重しなくなった。

 その下準備として、まず、執事を調略した。
 当時執事は、ほぼ領地不在の領主に代わりフォレスター領を実質的に取り仕切っていた。

「おれたちの行動も、執事を通してあの男に……便宜上、父と呼ぶけれど。父に報告されてる」

 便宜上。

 そして、シリル兄さんのフォレスター家当主のあの人に対する態度が明らかに変わった。

「もっとも、執事本人に不利益になるような……つまり、おれたちが何かをしでかしても、父の気を害するような事柄は基本的に報告されない。自分も不利益を被るから。
 でも、今後はもっと積極的に情報を操作していきたいから。
 だから、あの執事の協力が必要だ」
「それはわかるけど、どうするの?」

 聞けば、執事はフォレスター領の資金を使い、投資を行っているらしく、それが上手くいっていないらしい。

「利益を出して、あの人に気に入られようとでも思ったんだろうね」

 と僕が言えば、

「無駄なのに。あの人は自分以外はどうでもいい人だよ」

 と昔から知っていた事実のように言う。
 苦い表情で「わかってたのにな」と寂しそうに笑うから、僕の胸はつきん、と痛んだ。

「父は、おれたちへの予算を横領しようがどうしようと気にしない。
 けれど、自分の評価に関わるような損失には敏感なんだ。だから、領の価値を下げるような行いにはまず、黙っていない」

 つまり、このままだと、あの執事は粛清されるわけだ。

「おれはその事業ごとを買い取ってきた。あれは、対象が悪いだけだよ。もっと市民層に合わせたものに変換すれば、絶対に利益が出る」
「まどろっこしい。執事なんて、その事実で脅して従わせればいいと思う」

 僕は率直にそう思った。
 領地の運営だって、僕とシリル兄さんがいれば十分だし、わざわざ恩赦を与える必要性を感じない。

 だって、あの人はシリル兄さんが苦しむ中で、それを傍で見ながら、見て見ぬふりをして、むしろ苦しめてきたうちの一人だ。命で償っても余りある。

「でも、有能な人材だよ。だって、あの父に10年以上も生かされてる」
「……つまり、情報操作も領地経営も、そこそこの手腕だということだね」

 僕の言葉に、こくりと頷き、「テオは理解が早いな」なんて頭を撫でる。

「おれたちは、子供だから。大人に太刀打ちするには、大人の協力が必要だよ。今は、まだ」

 僕は、早く大人になりたいと思った。

 そして、執事の部屋に二人で乗り込んで、当時における損失を突き付けた。

 初めは子供の戯言と慇懃無礼な態度を崩さなかった執事も、執事すら知らなかったらしい使用人の不祥事や、領地での不都合な事象を次々に晒されて、段々と追い詰められていった。

 思っていたのと違う。完全な脅迫だ。

 不都合な事実を秘匿にすることを提案し、さらに損失を補って余りある利益を出しうる事業を提示したことで、最終的には涙ながらに感謝された。

 僕はシリル兄さんを侮っていたらしい。
 この人は飴と鞭の使い方が良く分かっていて、ただ優しい甘いだけの人では無いらしい。僕にはひたすらに寛容だから、そんな一面を他者を通して初めて知る。

 その姿に、僕はさらに魅せられて、惹かれたことは言うまでもない。

 協力を得る、と言いつつほぼ完全なる従属をえて、色々とやりやすくなった。
 けれど、これが本来の姿である。今までがあまりにも異常だったのだ。

 フォレスター領主には、これまでと変わらない体で僕たちの様子を報告してもらう。

 その中でシリル兄さんは、領地の運営にまで乗り出して、生産性を高め、交通網を整備し、流通経路を拡大し、どんどん利益を上げていく。

 利益の内から自分の研究資金を得て、さらに度々森や山奥……もはや秘境とも言える場所に薬草採取や魔物を狩りに出かけ、それを売って金銭を得た。

 1年程経つと、執事は完全に10歳になったばかりのシリル兄さんを崇めるようになった。

 気持ちはわかるが、気持ち悪い。極力、この執事とシリル兄さんが共にいる時間を短くしたい。

 その思いが熱意となって、僕はフォレスター家の内政に関する事柄に重点を置いて学び、8歳にしてその分野を完全に掌握した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

厄介払いで結婚させられた異世界転生王子、辺境伯に溺愛される

楠ノ木雫
BL
旧題:BLの世界で結婚させられ厄介払いされた異世界転生王子、旦那になった辺境伯に溺愛される〜過酷な冬の地で俺は生き抜いてみせる!〜  よくあるトラックにはねられ転生した俺は、男しかいないBLの世界にいた。その世界では二種類の男がいて、俺は子供を産める《アメロ》という人種であった。  俺には兄弟が19人いて、15番目の王子。しかも王族の証である容姿で生まれてきてしまったため王位継承戦争なるものに巻き込まれるところではあったが、離宮に追いやられて平凡で平和な生活を過ごしていた。  だが、いきなり国王陛下に呼ばれ、結婚してこいと厄介払いされる。まぁ別にいいかと余裕ぶっていたが……その相手の領地は極寒の地であった。  俺、ここで生活するのかと覚悟を決めていた時に相手から離婚届を突き付けられる。さっさと帰れ、という事だったのだが厄介払いされてしまったためもう帰る場所などどこにもない。あいにく、寒さや雪には慣れているため何とかここで生活できそうだ。  まぁ、もちろん旦那となった辺境伯様は完全無視されたがそれでも別にいい。そう思っていたのに、あれ? なんか雪だるま作るの手伝ってくれたんだけど……?  R-18部分にはタイトルに*マークを付けています。苦手な方は飛ばしても大丈夫です。

もふもふ獣人転生

  *  
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。 ちっちゃなもふもふ獣人と、騎士見習の少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。

Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜

天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。 彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。 しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。 幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。 運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。 彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。 ……あ。 音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。 しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。 やばい、どうしよう。

非力な守護騎士は幻想料理で聖獣様をお支えします

muku
BL
聖なる山に住む聖獣のもとへ守護騎士として送られた、伯爵令息イリス。 非力で成人しているのに子供にしか見えないイリスは、前世の記憶と山の幻想的な食材を使い、食事を拒む聖獣セフィドリーフに料理を作ることに。 両親に疎まれて居場所がないながらも、健気に生きるイリスにセフィドリーフは心動かされ始めていた。 そして人間嫌いのセフィドリーフには隠された過去があることに、イリスは気づいていく。 非力な青年×人間嫌いの人外の、料理と癒しの物語。 ※全年齢向け作品です。

召喚されない神子と不機嫌な騎士

拓海のり
BL
気が付いたら異世界で、エルヴェという少年の身体に入っていたオレ。 神殿の神官見習いの身分はなかなかにハードだし、オレ付きの筈の護衛は素っ気ないけれど、チート能力で乗り切れるのか? ご都合主義、よくある話、軽めのゆるゆる設定です。なんちゃってファンタジー。他サイト様にも投稿しています。 男性だけの世界です。男性妊娠の表現があります。

【完結】魔力至上主義の異世界に転生した魔力なしの俺は、依存系最強魔法使いに溺愛される

秘喰鳥(性癖:両片思い&すれ違いBL)
BL
【概要】 哀れな魔力なし転生少年が可愛くて手中に収めたい、魔法階級社会の頂点に君臨する霊体最強魔法使い(ズレてるが良識持ち) VS 加虐本能を持つ魔法使いに飼われるのが怖いので、さっさと自立したい人間不信魔力なし転生少年 \ファイ!/ ■作品傾向:両片思い&ハピエン確約のすれ違い(たまにイチャイチャ) ■性癖:異世界ファンタジー×身分差×魔法契約 力の差に怯えながらも、不器用ながらも優しい攻めに受けが絆されていく異世界BLです。 【詳しいあらすじ】 魔法至上主義の世界で、魔法が使えない転生少年オルディールに価値はない。 優秀な魔法使いである弟に売られかけたオルディールは逃げ出すも、そこは魔法の為に人の姿を捨てた者が徘徊する王国だった。 オルディールは偶然出会った最強魔法使いスヴィーレネスに救われるが、今度は彼に攫われた上に監禁されてしまう。 しかし彼は諦めておらず、スヴィーレネスの元で魔法を覚えて逃走することを決意していた。

【完結】前世は魔王の妻でしたが転生したら人間の王子になったので元旦那と戦います

ほしふり
BL
ーーーーー魔王の妻、常闇の魔女リアーネは死んだ。 それから五百年の時を経てリアーネの魂は転生したものの、生まれた場所は人間の王国であり、第三王子リグレットは忌み子として恐れられていた。 王族とは思えない隠遁生活を送る中、前世の夫である魔王ベルグラに関して不穏な噂を耳にする。 いったいこの五百年の間、元夫に何があったのだろうか…?

処理中です...