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42.7歳の弟に家出教唆されたとき④

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 きらきらとテオドールの頬を伝う粒に見惚れながら、そう言えばテオドールが『シリル・フォレスター』を死なすんだったか、と他人事のように思い出して、やっぱり他人事だと忘れることにする。

 だって、今のおれにはどうでもいい。

「テオがおれを死なすなんて無いよ」

 だって、そのテオドール本人が、おれを遠ざけようとしている。おれを守るためだけに。

 こんな孤独と私欲にまみれた場所で、自分をその場に差し出して、おれをここから逃れさせようとしている。

 今後、この子がおれを死なす未来なんて、きっとこない。

 こんなに優しいこの子が、おれを殺すなんてあるはずがない。
 自分の寂しさも未来もすべてをあきらめてまで、おれのことを想ってくれるこの子が、おれを殺すなんて、絶対に無い。

 おれは前世を思い出して以来、今世の父に失望し、何も望まないのだと思っていたけれど。

 あの男を、最低だと罵っておきながら、あの大嫌いなはずの父親から少しでも愛されたいと思っていたらしい。愛されなくても、気に入られたかった。気に入られなくても、要らないとは言われたくなかった。

 家族とはこういうものだという温かな記憶が、おれを支え、そして同時に無意識下で期待させ、おれを苦しめていたらしい。

 だから、自分のやりたいことをこれまで自分でも気づかない程当たり前に我慢してきた。

 そして、繰り返し味わったあの苦痛がおれを蝕み、物心もつく前から、おれの心身はあの男によって支配されていたのだ。

 この男には、絶対に逆らってはいけない、と。

 テオドールの言う通り、おそらくおれはあの男よりも強い。
 精霊術士として対峙すれば、おれはあの男に絶対に負けることは無いだろう。

 そして、それとは別におれは恐れていた。

 この世界で、おれが死ぬ『ラブプラ』の世界と同じ現実を知るのが怖かった。
 だから、思いを馳せながらも、ここから踏み出せなかったのだ。外の世界をさらに知って、『ラブプラ』との共通点に直面するのが怖かった。

 それを、全部、テオドールの一言が気づかせてくれた。

 おれは、自由だ。この世界において、おれはおれだ。

 だから、誰もおれが決めることを止めることはできない。何かに従わなくちゃいけないということは無い。父にもゲームのシナリオにも、この世界の神様にだって従う必要は無いのだ。

 おれが考えるのは、できるかできないか、じゃない。やりたいことを、どうやってやるか、だ。

 気づいてしまえば、心が信じられないくらいに軽い。正に心に羽が生えたみたいで、とても自由だった。

「テオはやっぱり、すごいよ」

 おれの弟は最高だ。

 この世界でおれが在る意味をくれて、さらにおれに本当の意味でやりたいことと、自由をくれた。

 満面の笑みでテオドールを見るおれを、テオドールは訝し気に見つめ返す。

 涙と汗と鼻水でぐちゃぐちゃでも、こんなに可愛いなんて反則だよ。

 顔に張り付いた藍色の髪を梳くって耳にかけてやる。赤くなった目元が痛々しい。
 しっとりと濡れた頬に両手を添えて、額を合わせて目線を合わせる。潤んだ銀色が不安気に揺れた。

「とりあえず、その漏れまくってる精霊力マナを落ち着けよう」
「……そんなの、できない……」

 わかってる。できたらやってるもんな。でも。

「大丈夫、おれが手伝うから。テオならできるよ」

 おれの体調も万全とはいえないけれど、今のおれならやれる。

「手伝うって……何を…」
「おまじない」

 おれの手首を掴むドールの手はおれより小さくて弱々しい。触れたところから、不安や憂い、焦燥がそのまま伝わってくるみたいだ。

 額の髪をよけて、おれはゆっくりと唇を落とす。テオドールの震える手から伝わってくる感情もそのままにして、おれの精霊力マナを流し込む。

「あっ……なに…?」

 おれはテオドールと過ごすようになって、会ったとき、別れるときに必ず額にキスをしていた。

 テオドールは常に自身の精霊力マナを放出していて、非常に微量なもので、自分でも気づいていない。だけど、その微量な流れが、周囲の精霊力マナを乱し、様々な事象を発生させている。

 今回のように動揺が大きくなると、自覚できるほど、他覚しやすいほどに、膨大な精霊力マナが溢れ出す。

 この2年間、おれもただテオドールの傍にいた訳ではない。

 額に口づけるのは、他者の精霊力マナを操作する精霊医術の一つだ。部位はどこでもいいのだけど粘膜を介する方が効率が良く、体幹に近いほど効果が高い。

 兄と弟という関係性を考慮すると、額にキスすることが最も違和感がないと考えたおれは、毎日2回、テオドールの過剰な精霊力マナを循環させると共に、乱れた流れを整えていた。テオドールも気づかない程にひっそりと。

 今やおれは質や量、流れの個体差などのテオドールの精霊力マナの性状を熟知している。この程度の暴走であれば、難なくおさめることができる。

 額から唇を離すと、テオドールが驚愕に目を見開いているのがわかる。黒々とした靄が消えて、テオドールの顔が良く見える。

 今日はすごい一日だ。新しい表情がたくさんみれる。

 おれは、テオドールの顔をしっかりとみて、そして教えてあげる。

「大丈夫じゃなくても、大丈夫になるおまじない」

 そう、これは絶大な効果のある、おまじないだ。
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