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40.7歳の弟に家出教唆されたとき②
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もちろん、無断で屋敷を出るなんて初めてのことだ。
1週間ほどかかって目的を果たしたおれは、腕に擦り傷を負ったものの無事に帰宅した。さすがに屋敷の使用人たちも慌てていたが、これはおれを心配してのことでは無いことは分かっていたし、無視をした。
そして、おれは自室に3日間ほどこもった。
で、当然と言えば当然のように体調を崩し、寝込むことになった。
「久々にきたな……これ」
おれは扱える精霊力の量が多く、それ故にコントロールすることが難しい。
5歳頃までは父による精霊力増幅薬の影響が主で、頻繁に精霊力の暴走を起こしかけては寝込んでいたのだけど。
おれが生死の境をさまよい、そして母が死んだあの時を最後に、一度も起こしていなかった。
精霊医薬師を目指しているおれは、特により細やかな精霊力操作の習得が必要とされるのだ。この程度で根をあげるわけにはいかない。
そうそう。
こんな感じだ。ふらふらして、身体が重くて、まるで自分じゃないみたいなのに、息が苦しくて、体が熱くて、だけど寒くて、生きているんだと突き付けられる。
「ふぅ……しんどいなぁ」
何がしんどいって……単純に心細い。
おれ自身が、はっきりと精霊力増幅薬を飲まされたと自覚したのは3歳の頃。
今思えば、この頃から、自身の精霊力が形成されて、拒絶反応が出てきたのだろう。
胸を締め付けるような苦しさがトリガーとなって、おれは前世の記憶を思い出した。
そして、こういう時におれを支えてくれるのは、いつだって前世の記憶だ。
おれは皮肉にも精霊力増幅薬により苦しめられたことで、前世の記憶を思い出し、その記憶によって、その苦しさの中をなんとか生きながらえてきたのだ。
無断外出や精霊力の暴走を起こしている事実を、父に知られることは、おれにとっても屋敷の使用人にとっても、全くいいことは無い。
苦しむおれを見かね、父に進言した乳母が次の日には屋敷からいなくなった出来事から、おれを含めた屋敷の人間は学んだのだ。
ああ、本当に前世の『おれ』は恵まれていたんだな。
閉塞感から前世で病院を抜け出した『おれ』は、泣きながら両親に怒られたものだ。本気で思われていればこそ、本気で叱られることもある。
だけど、今のおれは……この世界に、ずっと一人だ。
じわり、と滲む視界におれは今ここには無い支えに縋る想いでぎゅっと目を閉じた。
テオは?
ふと、おれはテオドールの存在を思い出した。
テオは、何故あんなことを言ったのか。おれが屋敷を抜け出したことを、今こうして寝込んでいることを、どう思っているのだろう。
無性に気になって、そしておれは泣きたくなった。
自身の孤独に滲んだ涙が、今度は自責の念に苦みが増す。
テオだって、同じような孤独な夜を、何度もおくってきたはずだ。おれは、なんて自分勝手なんだろう。
生ぬるい液体が頬を伝い枕が湿る。
良く分からない感情が渦巻いて、悲しいのか悔しいのか、わからない。ただ、やるせなくて、とにかく涙が止まらない。
自分の不遇な環境なのか、前世の家族への感謝なのか、寂しさなのか、無力な自分への怒りなのか、懺悔なのか。渦巻く感情で分からなくなって、すすり泣きながら湿った枕を握りしめた。
そして、自室を出た。
今すぐ、テオドールに会わなくてはいけない。
おれは強い衝動に駆られた。熱っぽい身体を引きずるように、テオドールの部屋へと真っ暗な廊下を歩いていく。
ああ、なんで。
テオドールの部屋はこんなに遠いんだ。屋敷の隅っこの、まるで倉庫のような場所。
廊下は暗くて、寂しい。怖い。こんな場所に幼児を一人にしておくなんて、マジであの糞親父も屋敷の人間も何考えているんだか。
一人でいる心細さを知っていたはずなのに、どうしておれは今まで放置していたんだろう。
……どうして?
そんなことはわかりきっている。
おれもあの父とそしてこの屋敷の使用人と同じ、テオドールを現状におしこめている一員だ。彼らを責めることはできない。
自分に対して腹が立って、自身への怒りでもって涙はとうに引っ込んだ。
テオドールの部屋の前。ドアをノックしても返事がない。
ドアを無断で開けると、中は真っ暗だ。灯りの一つもついていない。
カーテンが開いた窓から射し込む月明かりが部屋を淡く照らしている。完全なる静寂がまるで誰一人いないような空間を支配していた。
「テオ……おれだけど」
広くも無い部屋の一番多くを占めるベッドの上に、こんもりと丸い塊があるのが見える。ベッドに乗り上げて寝具を引っ張るけれど、中の人に阻まれて塊はほどける様子も無い。
なんでこんなに布団にくるまって、丸まってるんだ?
布団を撫でながら、「どうかした?具合が悪いのか?」と問えば、
「具合が悪いのは、あなたでしょう」
と、返事が返る。
「もう、僕に関わらないで」
「なんで?」
「僕と話すと、怪我するから」
「怪我……これは、外出中にちょっと転んだだけだよ」
テオドールはおれが怪我をしたことを知っていたのか。
そこに、誰かの悪意を感じて、おれはちりっと焦燥感を感じる。
「病気になる……色々悪いことが起こる」
「えーっと…おれのは、病気ではないけど……」
自己管理が出来ていないだけだ。
外の雨音を聞きながら動かない塊を撫で続けていると、
「なんで、ここに帰ってきたの」
聞こえるか聞こえないか、か細い声だけが、しっかりとおれの耳に届いた。
ここが、おれの家だから。
と、心の中で即答して、おれはしばし考えた。
いや、ちがうな。ここがおれの家だからここに帰ってきたわけじゃない。
「テオがここにいるから」
おれの返事に、これまで微動だにしなかった塊が弾けて布団が右に飛んでいった。
1週間ほどかかって目的を果たしたおれは、腕に擦り傷を負ったものの無事に帰宅した。さすがに屋敷の使用人たちも慌てていたが、これはおれを心配してのことでは無いことは分かっていたし、無視をした。
そして、おれは自室に3日間ほどこもった。
で、当然と言えば当然のように体調を崩し、寝込むことになった。
「久々にきたな……これ」
おれは扱える精霊力の量が多く、それ故にコントロールすることが難しい。
5歳頃までは父による精霊力増幅薬の影響が主で、頻繁に精霊力の暴走を起こしかけては寝込んでいたのだけど。
おれが生死の境をさまよい、そして母が死んだあの時を最後に、一度も起こしていなかった。
精霊医薬師を目指しているおれは、特により細やかな精霊力操作の習得が必要とされるのだ。この程度で根をあげるわけにはいかない。
そうそう。
こんな感じだ。ふらふらして、身体が重くて、まるで自分じゃないみたいなのに、息が苦しくて、体が熱くて、だけど寒くて、生きているんだと突き付けられる。
「ふぅ……しんどいなぁ」
何がしんどいって……単純に心細い。
おれ自身が、はっきりと精霊力増幅薬を飲まされたと自覚したのは3歳の頃。
今思えば、この頃から、自身の精霊力が形成されて、拒絶反応が出てきたのだろう。
胸を締め付けるような苦しさがトリガーとなって、おれは前世の記憶を思い出した。
そして、こういう時におれを支えてくれるのは、いつだって前世の記憶だ。
おれは皮肉にも精霊力増幅薬により苦しめられたことで、前世の記憶を思い出し、その記憶によって、その苦しさの中をなんとか生きながらえてきたのだ。
無断外出や精霊力の暴走を起こしている事実を、父に知られることは、おれにとっても屋敷の使用人にとっても、全くいいことは無い。
苦しむおれを見かね、父に進言した乳母が次の日には屋敷からいなくなった出来事から、おれを含めた屋敷の人間は学んだのだ。
ああ、本当に前世の『おれ』は恵まれていたんだな。
閉塞感から前世で病院を抜け出した『おれ』は、泣きながら両親に怒られたものだ。本気で思われていればこそ、本気で叱られることもある。
だけど、今のおれは……この世界に、ずっと一人だ。
じわり、と滲む視界におれは今ここには無い支えに縋る想いでぎゅっと目を閉じた。
テオは?
ふと、おれはテオドールの存在を思い出した。
テオは、何故あんなことを言ったのか。おれが屋敷を抜け出したことを、今こうして寝込んでいることを、どう思っているのだろう。
無性に気になって、そしておれは泣きたくなった。
自身の孤独に滲んだ涙が、今度は自責の念に苦みが増す。
テオだって、同じような孤独な夜を、何度もおくってきたはずだ。おれは、なんて自分勝手なんだろう。
生ぬるい液体が頬を伝い枕が湿る。
良く分からない感情が渦巻いて、悲しいのか悔しいのか、わからない。ただ、やるせなくて、とにかく涙が止まらない。
自分の不遇な環境なのか、前世の家族への感謝なのか、寂しさなのか、無力な自分への怒りなのか、懺悔なのか。渦巻く感情で分からなくなって、すすり泣きながら湿った枕を握りしめた。
そして、自室を出た。
今すぐ、テオドールに会わなくてはいけない。
おれは強い衝動に駆られた。熱っぽい身体を引きずるように、テオドールの部屋へと真っ暗な廊下を歩いていく。
ああ、なんで。
テオドールの部屋はこんなに遠いんだ。屋敷の隅っこの、まるで倉庫のような場所。
廊下は暗くて、寂しい。怖い。こんな場所に幼児を一人にしておくなんて、マジであの糞親父も屋敷の人間も何考えているんだか。
一人でいる心細さを知っていたはずなのに、どうしておれは今まで放置していたんだろう。
……どうして?
そんなことはわかりきっている。
おれもあの父とそしてこの屋敷の使用人と同じ、テオドールを現状におしこめている一員だ。彼らを責めることはできない。
自分に対して腹が立って、自身への怒りでもって涙はとうに引っ込んだ。
テオドールの部屋の前。ドアをノックしても返事がない。
ドアを無断で開けると、中は真っ暗だ。灯りの一つもついていない。
カーテンが開いた窓から射し込む月明かりが部屋を淡く照らしている。完全なる静寂がまるで誰一人いないような空間を支配していた。
「テオ……おれだけど」
広くも無い部屋の一番多くを占めるベッドの上に、こんもりと丸い塊があるのが見える。ベッドに乗り上げて寝具を引っ張るけれど、中の人に阻まれて塊はほどける様子も無い。
なんでこんなに布団にくるまって、丸まってるんだ?
布団を撫でながら、「どうかした?具合が悪いのか?」と問えば、
「具合が悪いのは、あなたでしょう」
と、返事が返る。
「もう、僕に関わらないで」
「なんで?」
「僕と話すと、怪我するから」
「怪我……これは、外出中にちょっと転んだだけだよ」
テオドールはおれが怪我をしたことを知っていたのか。
そこに、誰かの悪意を感じて、おれはちりっと焦燥感を感じる。
「病気になる……色々悪いことが起こる」
「えーっと…おれのは、病気ではないけど……」
自己管理が出来ていないだけだ。
外の雨音を聞きながら動かない塊を撫で続けていると、
「なんで、ここに帰ってきたの」
聞こえるか聞こえないか、か細い声だけが、しっかりとおれの耳に届いた。
ここが、おれの家だから。
と、心の中で即答して、おれはしばし考えた。
いや、ちがうな。ここがおれの家だからここに帰ってきたわけじゃない。
「テオがここにいるから」
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