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38.兄とは認めない⑤(テオドール視点)

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 僕が目を覚ましたのは10日後。

 ベッドに突っ伏すようにして眠る人が、その間ずっとこうして過ごしていたことはすぐに分かった。

 濃く刻まれた隈をなぞれば、はっとその人は目を覚まし、ぼろぼろと涙を流して僕をぎゅっと抱きしめた。

「良かった……テオ、テオっ……ごめん、ごめんな」

 そう言って、自分のことのように、「苦しかったな」、「きつかったな」、「ごめん、ごめん…絶対に次は守るから」と、嘆き悲しんだ。
 
 その悲痛な声は、僕の痛みをまるで僕のように……いや、僕以上に痛がっているように聞こえた。それなのに、僕の痛みで苦痛を味わう自分を恥じているようでもあった。



 そして、事の経緯を聞かされる。

 僕が飲まされたのは精霊力増幅薬で、それにより僕の精霊力マナが暴走したということ。そして、この精霊薬は本来、製造や研究が禁じられているということ。

 フォレスター家当主のあの男は、あれでも精霊医薬師として名の知れた権威らしい。
 精霊薬の植物性原料の8割を生産するフォレスター領の当主という立場を利用して、他を牽制し、自身の私利私欲のために法を犯しているという。

「法を犯すどころか、この世界の理にすら従わない人だ」

 本当に恐ろしい人だから、とこの人は言うけれど……極度に愚かとしか、僕には思えなかった。


 正直、僕は自分が何かの実験台にされたとして、それにより命を落としたとしても、全く構わなかった。

 僕は疎まれて当然の存在だ。

 僕と一緒にいると、大抵の人は怪我をし、不幸になる。

 僕の両親は裕福な商家であったけれど、僕の出生と共に没落し、極貧の生活を余儀なくされた。
 荒む生活の中で、夫婦仲は悪化し、厄災の象徴としてその色を持つ自分が捨てられたことは必然だと思っている。

 彼らの不幸は、確実に僕が関与しているから。

 これは僕の精霊力マナのせいだ。自分ではコントロールできなくて、意図せず相手に不幸をもたらしてしまう。

 孤児院でもそれは同じで、僕は人と深入りせず、孤独に過ごすことを選び、周囲はそれに賛同した。
 はっきりとは言わなくても、互いに距離を取って、平静に過ごせるよう努めた。

 なのに、この人は。

 シリル・フォレスターはそれを易々と超えてきた。

 実際、僕はこの人に幾度となく怪我を負わせている。
 時には階段から落ち、時には突風で皮膚を裂き、さらには原因不明の体調不良を引き起こした。

 だけど、この人は全然痛がるそぶりも苦しがるそぶりも無くて。

 いつも「こんなの大したことない、大丈夫、大丈夫」と言って笑うのだ。

「怪我……してるじゃないか」

 今回だって、僕のせいで自分もこんなにひどい怪我を負ったのに。

 この人は、僕とは違うのに。

 何も……悪くないのに。本当に、この世界は理不尽だ。

 荒れ狂った僕の精霊力マナに無理矢理に侵入してタダで済むわけがない。あちこちに切り裂かれた傷の痕が残る肌が痛々しくて、これを自分がしたのかと思うと、久しく感じないようにしていた、罪悪感がじくじくと胸に沁みる。

「え?……ああ、これな。もう、ほとんど治ってるから。こんなの大したことない。大丈夫だよ」

 ほら、またこんなことを言う。

「おれは、精霊医薬師を目指してるんだから。これくらいの傷、自分で作った精霊薬で治せるよ。
 まあ、俺は飲み薬が嫌いだから、軟膏を塗ってるんだけど」

 僕には、あの最低な男と同じ職業を目指す意味が分からなかった。僕なら、絶対に同じ職にだけはつかない。

「背中は?」
「え?」
「背中は自分で塗れないでしょう」
「あ…ああ、でも、」
「僕が塗ってあげるから、薬を貸して」

 僕は返事を待たずに、軟膏を取り上げる。

「いや、でもっ……あ、背中はほんとに大したことないから!」
「そんなはずない」

 何をそんなに慌てているのだろうか。

 あれだけ至近距離に入ってきて、暴走の中心にいれば、全身が傷だらけのはずだ。

 ……もしかして、背中の方が酷いのだろうか。

「ちょっ……テオ、やめ…っ!」

 僕はたまらず、問答無用で服を掴むと、抵抗も抗議の声も無視して、その勢いのまま服をまくり上げた。

「は……なに、これ?」

 服の下に隠れていた小さな白い背中には、新旧の傷が無数にあって。
 それらは、どう見ても今回できたものだけではない。

「……あの薬、飲むときついから」

 観念したように、ぽつぽつと話し出す。

「飲みたくなくて抵抗するとしたら……こう、うずくまるしかないだろ?」

 と、言った。

 苦痛をもたらすとわかっている毒を、繰り返し飲まされるのだ。無抵抗でいられるわけがない。

 小さな子供が、自分よりも大きな男に押さえつけられて、無理矢理に。そして、抵抗しても傷つけられても、最終的にはあの苦痛が待っているのだ。

 そんなことって。

「いいから。あなたはじっとしていて。僕が塗るから……痛かったら、言ってほしい」

 僕はその情景を想像して、それだけをやっと絞り出した。

「……うん。テオ、ありがとう」

 ありがとう、だなんて。
 僕は、……僕は何もしていない。僕には何もできない。

 僕はこんな精霊力マナ要らなかった。人を傷つけ不幸にするだけのこんな力に、何の価値があるんだ。

 僕がこの力を呪ったことは数知れない。

 だけど今、僕は初めてこの力そのものでなく、自身の不甲斐なさを呪った。

 どうして僕にはこんなにも力があるのに。どうして僕はこの力をもっとうまく使えないんだろう。

 もっと……せめて、目の前のこの人だけでも、傷つけないように、どうしてできないんだろう。

 僕は新しい傷、古い傷、全てに軟膏を塗っていく。一つ一つに、できるだけ丁寧に。何度も、何度も、繰り返し。

 この人の傷が、全部綺麗に癒えて、消えてしまえばいい。

 僕は、初めてこの世界の神に、祈った。

 小さな背中は震えていて、でも、僕が塗り終わるまでじっと待ってくれていた。何度も湿った声で、「ありがとう」と繰り返しながら。

 途中から視界が滲んできてよく見えなかったけれど、頬が濡れて熱くなっても、僕はそれをやめられなかった。

 僕は、初めて他人を想って、泣いた。



 *



 このフォレスター家に生まれ、ここで育っていながら、この人はおかしなほどに善良で優し過ぎる。

 それが、僕から見てシリル・フォレスターの最もおかしなところだった。

 だからこそ、僕が傍にいてはいけないのではないかと、強く思った。

 だって、僕はこの人をきっと……僕自身がもっと不幸にしてしまうに違いないから。

 この人は人の痛みには敏感な癖に、自分の痛みには鈍すぎる。このままここにいては、この人はきっと死んでしまう。



 この屋敷に来て、2年が経ち。

 僕はこの人と一緒にいるのが、苦痛になっている。

 こんな人を、もうこれ以上、ここにいさせては駄目だ。

 だから、一刻も早く、ここから遠いどこかへ。僕がいない、この人を傷つける人のいないところへ、行ってくれたらいいのに。

 僕は毎日、願わずにはいられなかった。
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