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20.おれが生きてきた世界②
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テオドールが初めて声を出して選んでくれたものが、このクッキーだなんて。
自分の好きなものを選ばれただけで、こんなに嬉しいなんて。
誰も知らない『おれ』の存在を認められたような、肯定されたような気がした。
ひとりでに頬が緩むのを我慢できない。
誤魔化すように、半分以上溶けてしまったソルベを飲むように食べていると、
「このクッキー……」
と、また粛然とした声が聞こえてくる。
「あなたが作ったんでしょう?」
「え?」
「だって、このクッキー……あなたの精霊力がたくさん満ちているから」
この言葉に、おれはもっていた器をとり落した。ガラスの硬い音が二人だけの部屋に響いて、テオドールははっと表情を曇らせる。
じっと間近でテオドールを頭の上からつま先まで観察し、ぞくぞくと込み上がってくる気持ちが抑えられなかった。
もう居てもたってもいられなってテオドールにつかみかかると、
「もしかして、精霊力の量を感じとれるのか?!」
鼻息荒くテオドールの薄い両肩を強く掴み、真っ直ぐに彼の顔を見つめ、詰め寄った。
びくり、とテオドールの小さな体が竦むのがわかる。
おれの奇行にか怯えた顔が見えたが、おれの興奮は止められない。
「それって………すっごいな!!」
おれは精霊力の流れや質、量を感じ取ることができるのだけど、これは珍しいことのようで、おれが優れた精霊術士になるだろうと言われる所以だ。
「どのくらいわかるんだ?もしかして、精霊力の属性とか、流れる方向もわかるのか?もっと細かく……個人が特定できるくらいに、精密に精霊力の性質がわかるってことだよな?」
おれには普通のことであるので、何がどう他の人と違うのか分からないのだけれど……少なくともおれは同じような人に会ったことが無かった。
「おれが精霊力について話しても、みんな理解できないみたいで……すごいですね、と褒められるか……」
奇妙な顔で苦笑いされるのだ。
そして、最終的に避けられてしまう。
テオドールとなら、この感覚を共有できるのではないか?
おれの期待はこの小さな弟の発言に一気に膨らんだ。
無表情でおれの話を聞いているテオドールが何を考えているのかは全く読み取れない。
6歳でも冷静に周りを見ているものだ。前世の『おれ』が、注射で泣かなくなったのもこのくらいだった気がする。
泣いても叫んでも結局逃れられないことを理解して、心を無にして終わるのを待った。
今のテオドールがそうだ。
これまでテオドールが過ごしてきた環境を思えば、胸がジクリと痛んだ。
そして、おれの一方的な期待と感情を、そんなテオドールに押し付けていることに気づいて、急に恥ずかしくなった。
沈黙の中、逡巡しているうちに手に伝わってくるテオドールの肩の感触におれは別の心配を覚えた。
「テオドールの肩薄いな。もっとご飯食べないとダメだ。ほら、兄さんがもっとクッキーをあげよう」
無理矢理にクッキーをもう一枚テオドールに押し付けて、おれも別の一枚を頬張る。ナッツの香ばしさが口いっぱいに広がった。
「…………」
何が言いたげにじっとクッキーを見つめるテオドールに、
「クッキーに精霊力を込めてるというより、そこに混ぜ込んでるナッツに精霊力をこめてるんだ」
おれは説明する。
「なんの意味が………」
「意味なんて無い。精霊力の操作の練習になるくらいで」
生地をこねながら場所の変わるナッツを感じ取って、そこに精霊力をこめる。
それだけだ。
おれも初めは魔がさしてやったことだ。クッキーのナッツに精霊力をこめる奴なんてきっとおれくらいだろう。
テオドールがきょとり、と目を見開いた。
おれの返答が予想外だったのだろう。
何だ、その可愛い顔は。大きな瞳がこぼれ落ちそうだ。
精霊力については解明されていなことも多いから、何がどういう作用をするかは分からないこともたくさんある。
伝承されている精霊術以外は失われているものもあるくらいで、研究するにはとてもやりがいのある分野であるのだけど……。
というか、それ以前におれがこんなことしても誰も気づかなかったのだ。
今日まで誰の一人も。
だから、意味があるのか、という以前に、今日までそんな議論にすらなったこともない。
おれはやっぱり嬉しくて、その感情を堪えきれそうにない。
胸の奥からじんわりと込み上げてくる喜びに、思わず頬が緩んで笑ってしまいそうになって、
「ふふっ……」
その時、聞き逃してしまいそうな呼気が耳を掠めて、おれは思考を中断し音の方向を瞬時に振り向いた。
いつもより潤んだ細めた瞳と、赤く色のさした頬。桃色の薄い唇が弧をえがいて、まるで幸せそうに微笑んでいた。
これまでずっと無言で無表情だったテオドールが、初めて笑っている。
それだけのことだった。
たったそれだけで、おれは自分の何かが許されたような気がした。
おれがやった、意味があるのかどうかも分からないことで、テオドールが笑っている。
じわり、と胸の奥が熱くなって久しぶりに……いや、この世界で初めて感じる感情が、おれの中に広がってきてた。
大切で、この人のために何かしてあげたいという、純粋な気持ち。
つまり、ただこの人が愛おしい。
愛おしくて、可愛くて、一緒にいたいという想い。
これが、この世界で生きているおれがシリル・フォレスターとしてここにいていいのだと肯定された、初めての瞬間だった。
「おれは、人よりちょっと精霊力が多いから、別に大したことじゃ、ないし……」
喜びに震える心が、そのまま声を震わす。
震える声で、
「あと、プリンの卵より牛乳の方が精霊力が入りやすいんだぞ」
また、おれは意味も無いことを言った。
「おかしな人……ふふふ…っ」
そしてまた、テオドールは面白そうに笑ってくれた。
ああ。おれは、この笑顔に救われたんだ。
この笑顔を、ずっと見ていたい。何度でも。
おれはこの日を忘れないだろうな、と思った。
テオドールの笑い声も表情も忘れてしまうかもしれないけれど、テオドールが笑ってくれたこの日を、おれは絶対に忘れない。
だって、おれにとってはこの世界に生まれて本当の意味で生きていく初めの日になったのだから。
自分の好きなものを選ばれただけで、こんなに嬉しいなんて。
誰も知らない『おれ』の存在を認められたような、肯定されたような気がした。
ひとりでに頬が緩むのを我慢できない。
誤魔化すように、半分以上溶けてしまったソルベを飲むように食べていると、
「このクッキー……」
と、また粛然とした声が聞こえてくる。
「あなたが作ったんでしょう?」
「え?」
「だって、このクッキー……あなたの精霊力がたくさん満ちているから」
この言葉に、おれはもっていた器をとり落した。ガラスの硬い音が二人だけの部屋に響いて、テオドールははっと表情を曇らせる。
じっと間近でテオドールを頭の上からつま先まで観察し、ぞくぞくと込み上がってくる気持ちが抑えられなかった。
もう居てもたってもいられなってテオドールにつかみかかると、
「もしかして、精霊力の量を感じとれるのか?!」
鼻息荒くテオドールの薄い両肩を強く掴み、真っ直ぐに彼の顔を見つめ、詰め寄った。
びくり、とテオドールの小さな体が竦むのがわかる。
おれの奇行にか怯えた顔が見えたが、おれの興奮は止められない。
「それって………すっごいな!!」
おれは精霊力の流れや質、量を感じ取ることができるのだけど、これは珍しいことのようで、おれが優れた精霊術士になるだろうと言われる所以だ。
「どのくらいわかるんだ?もしかして、精霊力の属性とか、流れる方向もわかるのか?もっと細かく……個人が特定できるくらいに、精密に精霊力の性質がわかるってことだよな?」
おれには普通のことであるので、何がどう他の人と違うのか分からないのだけれど……少なくともおれは同じような人に会ったことが無かった。
「おれが精霊力について話しても、みんな理解できないみたいで……すごいですね、と褒められるか……」
奇妙な顔で苦笑いされるのだ。
そして、最終的に避けられてしまう。
テオドールとなら、この感覚を共有できるのではないか?
おれの期待はこの小さな弟の発言に一気に膨らんだ。
無表情でおれの話を聞いているテオドールが何を考えているのかは全く読み取れない。
6歳でも冷静に周りを見ているものだ。前世の『おれ』が、注射で泣かなくなったのもこのくらいだった気がする。
泣いても叫んでも結局逃れられないことを理解して、心を無にして終わるのを待った。
今のテオドールがそうだ。
これまでテオドールが過ごしてきた環境を思えば、胸がジクリと痛んだ。
そして、おれの一方的な期待と感情を、そんなテオドールに押し付けていることに気づいて、急に恥ずかしくなった。
沈黙の中、逡巡しているうちに手に伝わってくるテオドールの肩の感触におれは別の心配を覚えた。
「テオドールの肩薄いな。もっとご飯食べないとダメだ。ほら、兄さんがもっとクッキーをあげよう」
無理矢理にクッキーをもう一枚テオドールに押し付けて、おれも別の一枚を頬張る。ナッツの香ばしさが口いっぱいに広がった。
「…………」
何が言いたげにじっとクッキーを見つめるテオドールに、
「クッキーに精霊力を込めてるというより、そこに混ぜ込んでるナッツに精霊力をこめてるんだ」
おれは説明する。
「なんの意味が………」
「意味なんて無い。精霊力の操作の練習になるくらいで」
生地をこねながら場所の変わるナッツを感じ取って、そこに精霊力をこめる。
それだけだ。
おれも初めは魔がさしてやったことだ。クッキーのナッツに精霊力をこめる奴なんてきっとおれくらいだろう。
テオドールがきょとり、と目を見開いた。
おれの返答が予想外だったのだろう。
何だ、その可愛い顔は。大きな瞳がこぼれ落ちそうだ。
精霊力については解明されていなことも多いから、何がどういう作用をするかは分からないこともたくさんある。
伝承されている精霊術以外は失われているものもあるくらいで、研究するにはとてもやりがいのある分野であるのだけど……。
というか、それ以前におれがこんなことしても誰も気づかなかったのだ。
今日まで誰の一人も。
だから、意味があるのか、という以前に、今日までそんな議論にすらなったこともない。
おれはやっぱり嬉しくて、その感情を堪えきれそうにない。
胸の奥からじんわりと込み上げてくる喜びに、思わず頬が緩んで笑ってしまいそうになって、
「ふふっ……」
その時、聞き逃してしまいそうな呼気が耳を掠めて、おれは思考を中断し音の方向を瞬時に振り向いた。
いつもより潤んだ細めた瞳と、赤く色のさした頬。桃色の薄い唇が弧をえがいて、まるで幸せそうに微笑んでいた。
これまでずっと無言で無表情だったテオドールが、初めて笑っている。
それだけのことだった。
たったそれだけで、おれは自分の何かが許されたような気がした。
おれがやった、意味があるのかどうかも分からないことで、テオドールが笑っている。
じわり、と胸の奥が熱くなって久しぶりに……いや、この世界で初めて感じる感情が、おれの中に広がってきてた。
大切で、この人のために何かしてあげたいという、純粋な気持ち。
つまり、ただこの人が愛おしい。
愛おしくて、可愛くて、一緒にいたいという想い。
これが、この世界で生きているおれがシリル・フォレスターとしてここにいていいのだと肯定された、初めての瞬間だった。
「おれは、人よりちょっと精霊力が多いから、別に大したことじゃ、ないし……」
喜びに震える心が、そのまま声を震わす。
震える声で、
「あと、プリンの卵より牛乳の方が精霊力が入りやすいんだぞ」
また、おれは意味も無いことを言った。
「おかしな人……ふふふ…っ」
そしてまた、テオドールは面白そうに笑ってくれた。
ああ。おれは、この笑顔に救われたんだ。
この笑顔を、ずっと見ていたい。何度でも。
おれはこの日を忘れないだろうな、と思った。
テオドールの笑い声も表情も忘れてしまうかもしれないけれど、テオドールが笑ってくれたこの日を、おれは絶対に忘れない。
だって、おれにとってはこの世界に生まれて本当の意味で生きていく初めの日になったのだから。
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