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Ⅲ.大好きな卵編

59.僕、好きな子には優しくありたいです!①

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 よく思い出してみよう。
 ヴァルと出会ってからのこれまでを。

 僕がこれまでヴァルにしてきたことを。

 まず……腹ぺこで死にそうになってるとこを拾われて、食べ物と住むとこを与えてもらって。
 人型になってからも、衣食住を完全にお世話してもらって。
 さらに、黒い竜気ごはんのためとはいえ、性行為を強要して。
 しかも、僕の竜気ごはんを確保するため、ヴァルはボロボロになるまで、働いてたっていう。

 ………あれ?
 これって、僕がヴァルにしてきたことじゃなくて、僕がヴァルにしてもらってきたことばっかりだねぇ。

 ほら、もうおかしい。
 ダメでしょ。ありえないでしょ。

 今の僕って単なる、押しかけのヒモだよ。完全に。
 いや、別にヒモだっていいんだよ。人の食指って何に刺激されるかわからないもんね。好き嫌いをとやかく言うつもりはないから。

 でも僕は……僕は、好きな子には優しくしたいのに。

 特別、大切にしたいのに。

 僕、全然好きな子ヴァルに優しくできてないじゃない。

 それどころか、してもらってばっかりだ。

 そうだよ。

 僕は、考えたことも、なかったんだ。

 ヴァルが、僕と一緒にいることを実のところどう思ってるのか、ってこと。僕のこと、どう思ってるのかってこと。

 全然考えたこと無かった。

 ヴァルの傍はいつも美味しいイイ匂いに包まれて、美味しいご飯と、ぬくぬくした寝床があって、毎日毎日ほかほかしてるから。

 居心地が良すぎるんだもん。

 僕は……黒き竜ぼく迷い星ぼくも心の奥底でだって思い込んでたのかも。

 ヴァルに黒い竜気が溜まるだとか、僕が自分で黒い竜気を食べられないとか言う理由はもちろんあるけど。それ以前に、そもそも一緒にいるのが当然だと思ってたみたい。

 だから、ヴァルに申し訳ないとか、迷惑かけたくないだとか、色々言いながらも、僕は自分からヴァルの傍を離れる気は全然無かったんだ。

 僕が本当に考えなきゃいけなかったのは、どうやってヴァルの役に立つとか、そういうことじゃなくて。

 一番大事なのはヴァルがどうしたいかっていう、ヴァルの気持ちだよ。

「はぁ……僕、いまさら何言ってるんだろうね」

 僕、いつも自分のことばっかりだ。

 それなのに、そんな僕が……ヴァルのことを好き?幸せにしたい?

 何言ってんのって感じだよ。

 さっきも何度もバカなんて悪口言って、飛び出してきちゃったし。一体どんな顔してヴァルのとこに戻ったらいいのか──

 ドゴゴオオオオォォォォォ――――……ンッッ!!!!

 と、次の瞬間、僕の思考を轟音が遮った。

「え!?何!?何の音!!?」

 足元を震わす地響きと、降誕の地を覆いつくすほどの爆音に、僕は音源の方を向けば、柱状に狂風が渦巻き、巨大な岩石と木々が巻き上がっているのが見えた。

 視覚的な異変と惨事はすぐに理解したものの。

「うっ……わぁ……なに、これ……げほっ」

 一気に濃度が増し疾風のように荒れ狂う様々な竜気が周囲に充満する。まるで蒸気を吸い込んでしまったような、喉を焼く刺激に思わずむせた。

「ふむ。竜気の乱れだな」
「っ!!」

 不快極まりない肌を刺すびりびりとした竜気の気配に、嘔気が込み上げる。

 鼓動が響き、脈が駆ける。
 冷たい汗が噴き出して、呼吸が荒くなってくる。手先がじんじんと痺れる気がした。

 僕は、

「行かなくちゃ」

 ヴァルのとこに、行かなくちゃ。今すぐに。




 不快な湿気に満ちた空気に、外側から内側から侵されるみたいで、僕の全身がこの場にいることを拒絶する。
 だけど、同時に泣きたくなるほどに懐かしく恋しい、濃密な竜気匂いに僕は吸い寄せられた。

 つい数時間前まで穏やかだったはずの野営地は、地面が抉れ、周囲の木々はなぎ倒されて、まるでクレーターのように変形していた。

 乱れた竜気に降誕の地に住まう獣たちは、一斉に恐慌状態に陥って、その乱れの中心である優利へと、襲い掛かっている。

 うーん。悲鳴と、助けを乞う声と、痛みに悶える呻きと、怒号とが入り交じってる。

 まさに地獄絵図ってかんじ。

 ただ、ヴァルを除いては。

 皆が攻撃と防御の態勢を整え陣をしく中で、ヴァルだけが見当たらなかった。

 でも、ヴァルがどこにいるかなんて、僕には目をつぶっててもわかる。

 神官たちから距離を置いて、巨大な黒い光の靄が荒れ狂っている。
 丸い竜巻か、はたまた渦潮のようなその異物の塊は、周囲のすべてを飲み込んで、徐々に収束していて。

「う゛う゛……っ」

 もはやこの世の不味い物を寄せ集めて凝縮したなんて、生易しいものじゃないでしょ、これ。

 目を刺すような刺激と、キーンと高音の耳鳴りが頭に響く。息苦しくて、呼吸もままならない。

 この全てが、この世の理には則らない、異質な“澱み”。

 僕にはどうすることもできない“澱み”だ。
 
 信じられないことに、けれど他にはありえない事実として、その“澱み”の中心にヴァルはいた。

 ううん。違う。ヴァルを中心に、“澱み”が集まってるんだ。

 ヴァルに集まっているから、周囲に拡散し害をなすこと無く、収束していってる。

 そうでないなら、今頃この辺りは腐り果て不浄の地と化しているはずだから。

 ヴァルは両足でしっかりと地面を捉えて踏ん張っているようだった。でも、上半身は項垂れ、両腕も力なくだらりと下がっている。

 どんな顔をしているのか。
 ちゃんと意識はあるのか。
 呼吸はしているのか。

 濃厚な“澱み”のせいで、ヴァルの姿を詳細にはとらえることができない。

 だけど、不良な視界でもわかることは。
 ヴァルの姿形が、だんだんと歪んでいっているということ。

 ダメだよ。これは、ダメだ。

 だってこれ………。

「結局、人の子は“澱み”に堕ちるのか……」

 と、リッキーが言った。
 相も変わらず僕の少し上に悠然と浮かんでいる。

 そう。ヴァルは今、“澱み”に堕ちかけている。

 身体に“澱み”が充満した黒い竜気の影響で、体が保てなくなっているのが、その証拠だ。
 人の身体は脆いから。黒い竜気が溜まり限界に達すれば、異形の者へと成り果てる。

『小説』の『黒き竜ヴァレリウス』のように。

 ――ドクンッ……ドクンッ……ドクンッ……

 “黒い竜気”は脈打つたびにわずかに膨張し、そして収束していく。

 リッキーの言葉は、とても竜らしい言葉だな、と思った。ただ事実だけを光景としてとらえている、すべてが一様に竜気の流れ、この世の一部としての視点だ。

 でも僕は、そういう風には見ることができない。

 だって、このままだとヴァルが………。

 なんで。どうして。何があったの。
 ああ、僕のバカ。どうして僕は、ヴァルの傍を離れちゃったの。

 ………いや違うでしょ。しっかりしろよ、僕。
 今考えることは、これじゃない。今はまず、目の前のことをどうにかしなくちゃでしょ。

 ヴァルを助けなくちゃ。何としてでも。

 僕にはそれができるんだから。

 いや、僕にしか、できないんだから。

「リッキー」

 思ったよりも、ずっと落ち着いた声が出た。

「なんだ。ルルド」
「あなたの竜気を……僕が成熟するために必要な赤銅竜の竜気をちょうだい。今すぐに」

 ゆらゆらと燃え盛るような髪をたなびかせる、屈強な竜の長の足首を掴み、ぐっと僕に引き寄せる。

 まっすぐにリッキーを見上げる僕を、赤褐色の双眸が変わらぬ温度で見下ろした。

「まだ、時ではないと、言ったはずだが?わからないのか」
「わかるよ。僕きっと、何かしら竜としては欠陥を抱えた存在になるんだろうね」

 まだ、僕は赤銅竜の竜気を受け入れる態勢が整ってない。
 自分のことだ。わかってる。わかってるけど……。

「でも、リッキー……今なんだよ」

 今しかないんだよ。

 今この時、僕が成熟しないとヴァルを救うことができないんだから。

 だって未熟なままの今の僕じゃ、ヴァルの中に充満している黒い竜気を受け取ることができない。

 ヴァルは自我を失ってるから。ヴァルが僕に竜気を渡してくれることは望めない。

 僕がくっついていれば、いずれは吸収できるだろうけど……。
 ストロー程度の吸引力じゃ、僕がすべてを吸い取るまで、ヴァルの心身がもたないから。

 ああ、もう。とどのつまり僕は、ヴァルにべったりと依存してたってことだよ。

 ヴァルがあらゆる“澱み”を受け入れてくれて、それを黒い竜気として僕に注いでくれたから、与えてくれたから、僕は満たされてただけだ。

 僕はただ、ヴァルの良心に胡坐をかいて、優しさを受け取ってただけ。ヴァルをいいように、利用していただけ。

 ざわざわと僕の奥底から、自分自身への怒りと後悔が押し寄せてくる。

 だけど、全部全部、後回しだ。じゃなきゃ、さらなる後悔が積み上がることになる。

「今じゃないと、どうせ同じだよ。 
 だって、ヴァルがどうかなったら、僕……絶対に許さないからね」

 許せないよ。絶対に許さない。許せるはずがない。

 この世のすべてを。僕自身を。

 訴える僕に、リッキーはそれでも表情を崩さなかった。
 ちらりっと優利とそのほかの神官たちの様子を伺い、僕へと向き直る。

「もはや異界の者も、助かるまい。
 そうなればむしろ、あの人の子が死んだほうが、都合がいい。溢れた“澱み”で、そうなるはずだ。
 両者が共に魂となれば問題無い。何しろあの者たちは引かれ合う相似なる魂だ。
 魂となれば引かれ合い、一つになる。そうなればもはや、異界の者もこの世の理の内となる。異質な“澱み”も生み出さぬ」

 淡々と平然と、この世の理をリッキーは語った。

、それがあの人の子の歩むべきだ」
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