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Ⅰ.主食編
6.僕、こんなに美味しいの初めてです③ *
しおりを挟む小屋はゆっくりと真っ直ぐに歩いて、10分ほどの場所にあった。
きっと、ちゃんとヴァルは事前に調べていたんだと思う。
良かった。これ以上遠かったら、今の腹ぺこの僕では運びきれなかった。
密かに胸を撫で下ろす。
木造の小さな掘っ立て小屋だけど、雨風はしっかり凌げそうだ。扉をあけると、建付けの悪いドアがぎぎ、と不気味な音を立てた。
壁には猟に使う道具がかけられて、水道と一口コンロが入ってすぐの隅っこの台にあった。
ベッドが一つ、奥に見える。ベッドによってふんふんと嗅いで、前足で念のため強度を確認すると、ヴァルをベッドの上に降ろす。どさり、と脱力したヴァルはベッドに倒れ込んだ。
「ぐ……っ」
ベッドに横になったヴァルは、ドキドキと鼓動が早くて、ずっと荒い呼吸で、苦しそうに唸り続けた。
ヴァルの手足はすごく冷たくて。それなのに顔は真っ赤に火照ってて、息も熱い。
傷は大したことないと言っていた。全身を見ても、浅い擦過傷や打撲があるだけで、大きな深い傷は認められない。
じゃあ、どうしてこんなに、きつそうなの?
苦しそうで、痛そうで、辛そうで、今にも死んじゃいそう。見ている僕の方が、不安で怖くなってくるよ。
それなのに。
なんで?なんで、ヴァルこんなに美味しそうないい匂いなの!?
こんな時に!こんな時なのに!こんないい匂いさせて!!運んでくる途中も、僕、半分以上息止めてたんだからね!!
ああ、ダメ。勝手に涎が出てきちゃう。お腹がきゅるきゅるする。
「ルゥ……」
僕が不安と空腹の混乱の中、一人で葛藤し、切なる欲望と戦っていると、ヴァルが僕を呼ぶ声がした。
弱々しい、縋るような声。
ヴァルが僕を呼ぶ声。
「俺、寒いんだよ。こっちに来い」
僕は頭をぶんぶんと横に振った。
僕だって、近くにいたいよ。でも、これ以上近くにいたら………なんか、ダメ!!絶対僕、なんかおかしなことになっちゃう自信がある!
「なぁ。ルゥ、頼むよ」
ヴァルの瞳が紫色と漆黒の間でゆらゆらと移ろう。
切なげに歪んだ表情に、僕はどうしようもなくなって……だって、僕もヴァルにくっつきたいから。
もう、どうなっても知らないから!
僕はゆっくりとベッドに近づいて、上に這い上がる。
ぎしり、とマットが軋んで、その音に気をとられていると、ぐっと身体を引き寄せられて、そのままヴァルの腕の中に収められてしまう。
「ああ、やっぱり。お前……あったかくて、気持ちいいな」
ふわり、とヴァルの匂いに包まれて、
きゅうぐるるぅぅぅ~……
と、お腹が一際大きく鳴った。
激しい飢餓感が僕を襲う。
涎が溢れて、牙が疼く。
お腹が疼いて、きゅうきゅうなって、いっぱいに満たして欲しくてじんじんしてくる。
はあ、何だか頭の中が、ぼーっとしてきた。
お腹がすき過ぎて、朦朧としてきたときみたいな……。
ただただ渇望する浅ましい思考が、僕を支配した。
鼻先にあるヴァルの胸元に、小さな傷が見えて、そこを本能のままにぺろりと舐める。
鉄の味と、ヴァルの美味しい匂いがぶわり、と口の中に広がって、全身の毛が一気に逆立った。
あ、もうダメ。
僕、我慢できない。
気づけば僕はヴァルの腕から抜け出して、ヴァルを仰向けに上から圧し掛かっていた。
「おい……ルゥ、どうした?」
もう、ダメだよ。
僕、ヴァルが欲しくて、美味しそうで、もう我慢できない。
「っ……お前、傷舐めんな……いってぇ……ちょっ…待て!」
『ムリ……ムリだよ、ヴァル』
あちこちに散った小さな傷を一つ一つ舐めていく。ぱちぱちと弾けるような刺激が舌先に触れる。甘く痺れる感覚が、舌先から全身に広がった。
何、これ。
じんじんとした疼きが、これまで感じたことのない満たされる感覚が、僕の全身を包む。
ぴりぴりと肌を奇妙な感触が這っていって、まるで自分の身体じゃないみたいに、ふわふわと身体が軽くなった。
これまでにない身体感覚に僕は空中に漂うほどに身軽な心地がして、けれどヴァルの与えてくれるものに夢中で。
自分の体の感覚すら、どうでもいいくらいだった。
「ふぁ……あ、ヴァル……おいしー…」
僕は今 生まれて初めて 僕の声で 言葉を聞いた。
僕は自分の前足が、前足じゃなくて5本の指がついた手になっていることを感じて、そして見て確かめた。
すらりと伸びた腕と、胸元とお腹。そして足が2本。毛の無い剥き出しの滑らかな肌が見える。
ヴァルと同じ形の人の身体が、そこには在った。
唯一身につけていたヴァルのくれた革製の首輪が細くなった首にはずっしりと重たくて、銀の金具がひんやりと直接肌に触れる感触がした。
「な……、お前……その姿……」
ああ、僕。生れてはじめて、竜体から人型になってるんだ。
でも、今はそんなこと、どうでもいい。
ふふ。ヴァルが驚いている。おっきく目を見開いて、口をぱくぱくさせて……こんな顔、初めて見た。ヴァルってば、可愛いいんだから。
ああ、とっても美味しそう。
「ごめん……ごめんね、ヴァル。でも、僕……もう……」
ヴァルに跨ったままで、身を寄せてヴァルの頬に触れる。肌と肌が触れる感触が、新鮮で嬉しい。
そのまま、いつもするみたいにヴァルの頬を舐めた。
顔中を舐めて、今はいつもよりも青いヴァルの唇をぺろり、と舐めたとき、ぱちっと静電気のような刺激が舌先を擽る。びくっとヴァルの身体が跳ねた。
あ、見つけた。美味しいところ。
「お前……何、してんだ?」
何って……?そんなのわかんない。わかんないけど。
「だって、ヴァル……すごく、美味しいんだもん」
僕が舐めて艶々になったヴァルの唇にかぷり、と食いつく。
美味しいのを求めて、ヴァルの口の中に舌を挿し入れて、奥をまさぐる。ヴァルの舌が逃げていって、上顎を口内を舐め回すと、ぱちぱちと甘い感触が濃くなる。
こくりとすべてを吸って飲み干せば、僕のお腹は嬉しそうに、きゅうぅぅぅっと鳴った。
もっと欲しいけど、ヴァルの息が続かないみたいで、残念だけど唇を離す。
ヴァルの顎に唾液が伝っているのが見えて、それももったいなくて綺麗に舐め取ってしまう。
「はぁ…あ、何これ。すっごく、おいしくて……すっごく、きもちいい」
お腹の奥が、きゅうきゅうしてきた。何だろう、これ。
ヴァル、もっと。もっと、ちょうだい。もっと、もっと、もっと。
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