上 下
27 / 43

清算⑤

しおりを挟む
 ジグムントがかつて、かの軍師に問い返されて、自身が呆然としたあの日を、思い出した。
 あの日、軍師は、一体どんな思いで、ジグムントへ声をかけたのか。

 確かなことは、ジグムントは、あの時、確かに前に進む力をあの男にもらった。薄々、母の死が自分のせいでは無いかと感じ、打ちひしがれていた彼の心に、あの男の言葉は、強く刻み込まれた。

 あの女は執念深かった。あの時、殺されずとも、いつか殺された。

 感謝こそすれ、恨む気持ちは微塵もない。

 口を開閉し、言葉が出ないフェリに、ジグムントは続ける。

「そなたらは……“白き人”は被害者だろう。
 母が死んだのは、フェリのせいではない。ドムという男性に然り。
 リムという女性も、これ以上の“望まぬ願い”が生まれぬよう、自ら王妃を呪うために死を選んだのだ。
 “白き人”の秘密を守るため。そなたの母である、セシルを守るために」

『リムは、首謀者らしい正妃を呪うために自ら死んだ。リムが死ぬ際に、まき散らした血を浴びた侵入者は皆絶命したそうだ』

 その記載を、力強い指先がなぞる。

「王妃は、先帝である兄が皇帝となると決まった日……先々帝が死んだ日に、死んだ。
 もっとも、それ以前から徐々に精神を病んでいたが。兄の即位を望みながら、それを酷く恐れていた。『あの子が皇帝になれば、私は死ぬ』と発狂していた。
 最も強い願望が叶うこと、が王妃の呪いの発動の条件だったのかもしれん」

 フェリはリムという女性の強い想いを感じた。
 先帝を殺し、その願い崩壊させることだって、できただろうに。自分の望みが近づくと共に、じわじわと自分の命も蝕まれていく。その恐怖はいかばかりか。

「兄は、それを知っていた。
 あの女が死んだあと。兄は即位してすぐに、私を呼び出し、事の顛末を全て私に教えてくれた。
 その時、私は、“白き人”の存在と、悲劇を知ったのだ」
「………父から、聞いていたのでしょうか」

 きっと、父の性質からすれば、包み隠さずに伝えただろう。

 当時のグランカリスの皇子、先の皇帝の母が、何をして、なぜ呪われたのか。

 つまり、自分の母は、異母弟を殺そうとし、その母を殺し、それが故に、自分が皇帝となる暁に、呪いが成就して死ぬのだと。

 信頼おける友であったというのなら、尚更だ。父ならば、知らずにおらせる方が残酷だ、と考えただろう。

「そうだろうな。知っておくべきことだ。兄は、ずっとそなたの父に感謝していた。生涯の友なのだと」
「そう……ですか。父も同じ気持ちだったのだと思います」

 父は、一年に一度だけ、真昼に酒を飲むことがあった。
 時間は丁度、正午ごろ。あれは、太陽が真南に昇ったときだったように思う。

 きっと父は、もう二度と会うことのない友と、二人で酒を飲み交わしていたのだ。あの日は、二人にとって特別な日だったのかもしれない。

「兄は、私に深く頭を下げ、『母が、そなたの母を屠ったことを知っておきながら、母を裁かずにすまぬ』と話した。
『“白き人”が命を賭した呪いを成就させることが、せめてもの弔いだと思った』とも申しておった」

 ジグムントもその通りだと同意した。

「そして、兄は、私に帝位を譲ると言い出した。
 どうやら、私に帝位を継がせるために、子を作らぬようにしていたらしい。
 私は皇帝になどなりたくない、と言ったら、こちらが驚くほどに、驚いていたな」

 ジグムントは、あの日……母の死に、自分の無力さに打ちひしがれていたあの時。かの軍師に金言をもらった日。

 自分にとって正しいこと、価値あることは、皇帝になることでは無く、皇帝になって何かを成すことでも無いと気づいた。

「私は、私の大切な者を大切にしたい。その者たちの願いを、共に支えたいのだ。そして、それは皇帝では、成し得ない」

 ジグムントが母を失い、最も悔いたことは、母の傍に居らぬことだった。もっと母と共に過ごし、母を支え、喜ばせたかった。
 それを成せなかったことが、後悔が、己の無力さを嘆く中核だった。

 それが、ジグムントが努力を重ねた、自分にとっての、最も大切で、価値ある理由だった。
 賢く、強くなれば、成せると信じて、母から離れ、努めたことが、むしろ母を殺してしまった。

 自分自身が、傍で、母を守ればよかった。
 そうすれば、帝位争いなど巻き起こらず、母を謀られることも無かった。一人にしておくことも無かった。
 少なくとも、一人で逝かせることはなかった。

 それを悟ったからこそ、ジグムントは決して皇帝の座にはつかないと、あの日に、自らの意志で決めた。

 けれど、そんな想いを、兄に伝えたことは無かった。

 ジグムントの母が亡くなって以来、以前に比べ兄と直接会話することが減っていた。
 互いに複雑な想いがあった。意思の疎通が不十分だったのだと、それからは多くのことを話し合った。

 そして、やがてウェルリンが生まれた。

「ウェルリンが生まれたときは、本当に嬉しかった」

 兄は、まるで贖罪のように、己の体調を押して、政に励んだ。必然としてウェルリンとの時間は限られた。

 このように、皇帝は時に、己の大切にするものを、放棄せねばならない時がある。自分はそう在りたくない。
 兄の姿に、改めて、ジグムントは、己の道を確かめたのだった。



「フェリは……行くのだろう。“白き人”が多く犠牲になった地に。そして、あのかつての主人に会いに」
「………はい」

 フェリは、誤魔化そうかと一瞬だけ迷い、無駄だと判断して、正直に告げた。

 フェリは、これは自分がせねばならないことだ、と思った。
 同じ“白き人”であり、あの父と母に、守られてきた自分が、成さねばならないと。

 引き留められるのだろうか。ジグムントが掴む手は、フェリを離さぬと、固い意志が込められている。 しかし、ジグムントは、驚くべきことを言った。

「一人では、行かせぬ。私も共に行く」
「しかし……っ」

 フェリは賛同しかねた。こっそりと、一人で行こうと考えていた。

 ムンデ国へ赴けば、かつてのフェリの主人とまみえることになる。いや、まみえなくてはならない。
 “白き人”の事実を知るあの男を、放ってはおけない。

 あの男は、愚かだが、弱くはない。ムンデ国の戦士として、強靭な肉体と、戦闘能力を誇っている。
 ジグムントが負けるとは思っていないが、万が一、自分が死ねば……その呪いに巻き込まれることは、あり得る。

 フェリにとって、ジグムントは既に唯一無二の存在になっている。
 この強い想いが絶望によって転じれば、きっと、この世の全てを呪えると、フェリには感じられた。

 今のフェリは、母のように強くなれない。それが、自分で身に染みてわかっていた。

「フェリ。そなたはもう、私のものだ」

 ジグムントは迷いなく、宣言した。

 かつて、両親の死に際して、主だったあの男に言われたものと同じ台詞。同じ音のはずなのに、それは全く違うものとして、フェリに響いた。

「故に、そなたが負うものなら、それは私も負うべきものだ」

 揺るがない強い想いを、真っ直ぐにぶつけられて、フェリの心は歓喜に震え、溢れる涙と共に、ただただ感謝の言葉を繰り返した。

 そうして、フェリはジグムントと共に、かの悲劇の地へと向かったのだった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

侯爵様の愛人ですが、その息子にも愛されてます

muku
BL
魔術師フィアリスは、地底の迷宮から湧き続ける魔物を倒す使命を担っているリトスロード侯爵家に雇われている。 仕事は魔物の駆除と、侯爵家三男エヴァンの家庭教師。 成人したエヴァンから突然恋心を告げられたフィアリスは、大いに戸惑うことになる。 何故ならフィアリスは、エヴァンの父とただならぬ関係にあったのだった。 汚れた自分には愛される価値がないと思いこむ美しい魔術師の青年と、そんな師を一心に愛し続ける弟子の物語。

【完結】ワンコ系オメガの花嫁修行

古井重箱
BL
【あらすじ】アズリール(16)は、オメガ専用の花嫁学校に通うことになった。花嫁学校の教えは、「オメガはアルファに心を開くなかれ」「閨事では主導権を握るべし」といったもの。要するに、ツンデレがオメガの理想とされている。そんな折、アズリールは王太子レヴィウス(19)に恋をしてしまう。好きな人の前ではデレデレのワンコになり、好き好きオーラを放ってしまうアズリール。果たして、アズリールはツンデレオメガになれるのだろうか。そして王太子との恋の行方は——?【注記】インテリマッチョなアルファ王太子×ワンコ系オメガ。R18シーンには*をつけます。ムーンライトノベルズとアルファポリスに掲載中です。

愛しの妻は黒の魔王!?

ごいち
BL
「グレウスよ、我が弟を妻として娶るがいい」 ――ある日、平民出身の近衛騎士グレウスは皇帝に呼び出されて、皇弟オルガを妻とするよう命じられる。 皇弟オルガはゾッとするような美貌の持ち主で、貴族の間では『黒の魔王』と怖れられている人物だ。 身分違いの政略結婚に絶望したグレウスだが、いざ結婚してみるとオルガは見事なデレ寄りのツンデレで、しかもその正体は…。 魔法の国アスファロスで、熊のようなマッチョ騎士とツンデレな『魔王』がイチャイチャしたり無双したりするお話です。 表紙は豚子さん(https://twitter.com/M_buibui)に描いていただきました。ありがとうございます! 11/28番外編2本と、終話『なべて世は事もなし』に挿絵をいただいております! ありがとうございます!

【完結】《BL》溺愛しないで下さい!僕はあなたの弟殿下ではありません!

白雨 音
BL
早くに両親を亡くし、孤児院で育ったテオは、勉強が好きだった為、修道院に入った。 現在二十歳、修道士となり、修道院で静かに暮らしていたが、 ある時、強制的に、第三王子クリストフの影武者にされてしまう。 クリストフは、テオに全てを丸投げし、「世界を見て来る!」と旅に出てしまった。 正体がバレたら、処刑されるかもしれない…必死でクリストフを演じるテオ。 そんなテオに、何かと構って来る、兄殿下の王太子ランベール。 どうやら、兄殿下と弟殿下は、密な関係の様で…??  BL異世界恋愛:短編(全24話) ※魔法要素ありません。※一部18禁(☆印です) 《完結しました》

【完結】あなたの恋人(Ω)になれますか?〜後天性オメガの僕〜

MEIKO
BL
この世界には3つの性がある。アルファ、ベータ、オメガ。その中でもオメガは希少な存在で。そのオメガで更に希少なのは┉僕、後天性オメガだ。ある瞬間、僕は恋をした!その人はアルファでオメガに対して強い拒否感を抱いている┉そんな人だった。もちろん僕をあなたの恋人(Ω)になんてしてくれませんよね? 前作「あなたの妻(Ω)辞めます!」スピンオフ作品です。こちら単独でも内容的には大丈夫です。でも両方読む方がより楽しんでいただけると思いますので、未読の方はそちらも読んでいただけると嬉しいです! 後天性オメガの平凡受け✕心に傷ありアルファの恋愛 ※独自のオメガバース設定有り

運命の息吹

梅川 ノン
BL
ルシアは、国王とオメガの番の間に生まれるが、オメガのため王子とは認められず、密やかに育つ。 美しく育ったルシアは、父王亡きあと国王になった兄王の番になる。 兄王に溺愛されたルシアは、兄王の庇護のもと穏やかに暮らしていたが、運命のアルファと出会う。 ルシアの運命のアルファとは……。 西洋の中世を想定とした、オメガバースですが、かなりの独自視点、想定が入ります。あくまでも私独自の創作オメガバースと思ってください。楽しんでいただければ幸いです。

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

オメガ転生。

BL
残業三昧でヘトヘトになりながらの帰宅途中。乗り合わせたバスがまさかのトンネル内の火災事故に遭ってしまう。 そして………… 気がつけば、男児の姿に… 双子の妹は、まさかの悪役令嬢?それって一家破滅フラグだよね! 破滅回避の奮闘劇の幕開けだ!!

処理中です...