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ジグムント・ヴァン・グランカリス③
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「私は、弱い」
ジグムントは、再び同じ言葉と共に、嘆息する。
真剣な表情で、苦悶しているが。職務中に考えるべきことでは無いことを、逡巡しているに違いない。
オズは、ジグムントといわば乳兄弟の関係で、物心つく前から共に育った故、この男の思考を良く把握していた。
「フェリの魅力が過ぎる。敵う気がせん」
「…………はぁ」
ジグムントに、幼いころから人並外れた才覚があることは、明らかだった。また、この乳兄弟の能力は、苦労と共に、努力と経験を重ねた結果だと、傍で見てきたオズは、誰よりも理解していた。
謀略と愛憎渦巻く帝国内において、息つく暇なく、次から次へと襲い来る怒涛を迎え撃ち、なぎ倒し、そして払いのけてきたことを思えば。
今の、平和惚けしたかのような、ジグムントの姿も微笑ましく思えなくもない。
「そもそも。勝つつもりが、あるのですか?」
「つもりがあっても、不可能なことはあるものだ」
結局は、勝つ意志は無いというのと、同義だ。
「あのように、線の細い小柄な方を……もう少し、控えてはどうですか」
「わかっている。だが……フェリを目の前にすると、己の決意など瞬時に崩れ去る」
重症だな、とオズは思った。
「あの容姿で、今まで何故ああも初心でいられたのか……信じられぬ」
オズは、心からフェリの身を案じていた。ジグムントの執心を見るに、フェリに何かあれば、不測の事態が予想されるからだ。
先日、フェリがグランカリス帝国へ来て数日寝込んだ時。ジグムントは、一切他が手につかない様子であった。あのような姿は、オズでも初めて見たのだ。
ジグムントは、これまで特定の相手を囲ったことは無い。けれど、特に禁欲的な性格でもない。むしろ、オズと比べれば、随分と旺盛だ。
そして、尋常ならざる体力と、身体能力の持ち主だ。
戦や政で緊張感が続く中、地位もある彼が発散することは必要なことだ、とオズも理解しており、特に問題としたことは無い。
けれど。それが、特定の一人に向いた場合……相手の心身の負担は、どうなるのだろうか。オズは、それが心配だった。
「愛着とは、誠に厄介だな。いつ決壊するか……こうも自信が持てぬのは、久方ぶりだ」
ジグムントは、最後の一線を越えぬよう耐えていた。
けれど、いつ、その決意が崩れるか。自身でもわからないのだ。
だからせめて、情事の痕を、絶え間なく、無数に残すことで、己を満たしているのだった。
「覇王の名が泣きますよ」
ジグムントは常に物事を俯瞰的な視点で捉え、良い方向へ導いてきた。
些細な物事に囚われず、大局を見ることに長けていると、自負しているし、そうあろうと努めてきた。
その、ジグムントが殊、フェリのこととなると、容易く狼狽え、衝動を持て余す。
「己から覇王などと、名乗ったことはない。私は、王ではないのだから」
現在でこそ、ジグムント・ヴァン・グランカリスを名乗っているが、ジグムントだが、これは本来あり得ないことなのだ。
グランカリスの名を戴くのは、皇帝のみ。
これは先帝の意向によるもので、先帝自らが、ジグムントを代行者として認めることを意味した。
先帝の母が亡くなると同時に、拝命した。
けれど、だからこそ、ジグムントは先帝の権威を守るため、ずっと表立って功績をかかげることを避けてきた。
その中で、学び、そして武を極めてきた。与えられた領地を治め、国防を担った。それが、ジグムントの進む道だった。
ジグムントの存在感は、十分に兄である先帝を支え続け、帝国を導いてきた。
明晰さは、確かに不正を抑制し、圧倒的武力がグランカリス兵の士気を高め、かつ統率した。
ずっと子を授からなかった先帝が、34歳にしてようやくウェルリンを授かった。
あの時に、兄と共に赤子を抱き、共有した安堵と喜びは、生涯忘れることは無い。
ウェルリンが生まれた後は、ジグムントはその育成に努めた。次代の皇帝を、害する可能性のある政の中心からは離れて過ごし、幼子の健全な発育を望んだ。それが、自分を常に慈しみ守ってくれた、兄への恩返しだと思った。
そうこうしているうちに、先帝は病に伏した。
ウェルリン誕生の喜びから、たった4年後。兄は惜しまれながら崩御した。
幼い皇帝を残して。
ジグムントが、あえて名を挙げなかったこと、さらにウィルリンのためとはいえ、政の中心から遠ざかったことが、悪手だった。
先帝が病に苦しむ中、実権を握った宰相の独裁が本格的に始まったのだった。
完全に、後手に回った。
いくらジグムントが優れていても、荒れる内政を調整し、国内の武力をまとめ、周辺各国への牽制を行いながら、幼い皇帝を守り育むことは、容易では無かった。
そこに来て、先帝の死後1年ほど経つと、謎の奇病が蔓延し、反乱が相次いだ。
この宰相を止めねば、グランカリス帝国に未来はない。
けれど、武力で制圧しては、先帝と皇帝ルウェリンの名を正義の笠として、愚行を繰り返した前宰相と、何ら変わりない。
しかし。もう猶予が無い。武力行使で前宰相を倒すしかないと、決意したとき。
宰相は突然に自身に近いグランカリス兵を動かし、ムンデ国の国境を侵した。何でも、そこで貴重な鉱石が発見されたのだとか。
ほどなく、兵が複数人、体調を崩し早急に帰国した。
必死の形相で、「ムンデ国に毒を盛られた。これは中毒の症状だ。宰相は同じ毒を水源に流している」と訴える言葉のお通り、奇病は中毒だった。
ムンデ国が毒を使うなど、前代未聞だった。さらに、宰相が同じ毒を水源に流しているなど、信じられない愚行だ。しかし、兵たちの訴えは、すぐに真実だと証明された。
彼らの証言通りに、彼らを犯したと推定される毒物が、水源からも検出されたのだ。
この出来事は、ジグムントにとって、まさに、天から降ってきた幸いだった。
この渓谷の一戦を境に、全てが好転した。
ジグムントは、再び同じ言葉と共に、嘆息する。
真剣な表情で、苦悶しているが。職務中に考えるべきことでは無いことを、逡巡しているに違いない。
オズは、ジグムントといわば乳兄弟の関係で、物心つく前から共に育った故、この男の思考を良く把握していた。
「フェリの魅力が過ぎる。敵う気がせん」
「…………はぁ」
ジグムントに、幼いころから人並外れた才覚があることは、明らかだった。また、この乳兄弟の能力は、苦労と共に、努力と経験を重ねた結果だと、傍で見てきたオズは、誰よりも理解していた。
謀略と愛憎渦巻く帝国内において、息つく暇なく、次から次へと襲い来る怒涛を迎え撃ち、なぎ倒し、そして払いのけてきたことを思えば。
今の、平和惚けしたかのような、ジグムントの姿も微笑ましく思えなくもない。
「そもそも。勝つつもりが、あるのですか?」
「つもりがあっても、不可能なことはあるものだ」
結局は、勝つ意志は無いというのと、同義だ。
「あのように、線の細い小柄な方を……もう少し、控えてはどうですか」
「わかっている。だが……フェリを目の前にすると、己の決意など瞬時に崩れ去る」
重症だな、とオズは思った。
「あの容姿で、今まで何故ああも初心でいられたのか……信じられぬ」
オズは、心からフェリの身を案じていた。ジグムントの執心を見るに、フェリに何かあれば、不測の事態が予想されるからだ。
先日、フェリがグランカリス帝国へ来て数日寝込んだ時。ジグムントは、一切他が手につかない様子であった。あのような姿は、オズでも初めて見たのだ。
ジグムントは、これまで特定の相手を囲ったことは無い。けれど、特に禁欲的な性格でもない。むしろ、オズと比べれば、随分と旺盛だ。
そして、尋常ならざる体力と、身体能力の持ち主だ。
戦や政で緊張感が続く中、地位もある彼が発散することは必要なことだ、とオズも理解しており、特に問題としたことは無い。
けれど。それが、特定の一人に向いた場合……相手の心身の負担は、どうなるのだろうか。オズは、それが心配だった。
「愛着とは、誠に厄介だな。いつ決壊するか……こうも自信が持てぬのは、久方ぶりだ」
ジグムントは、最後の一線を越えぬよう耐えていた。
けれど、いつ、その決意が崩れるか。自身でもわからないのだ。
だからせめて、情事の痕を、絶え間なく、無数に残すことで、己を満たしているのだった。
「覇王の名が泣きますよ」
ジグムントは常に物事を俯瞰的な視点で捉え、良い方向へ導いてきた。
些細な物事に囚われず、大局を見ることに長けていると、自負しているし、そうあろうと努めてきた。
その、ジグムントが殊、フェリのこととなると、容易く狼狽え、衝動を持て余す。
「己から覇王などと、名乗ったことはない。私は、王ではないのだから」
現在でこそ、ジグムント・ヴァン・グランカリスを名乗っているが、ジグムントだが、これは本来あり得ないことなのだ。
グランカリスの名を戴くのは、皇帝のみ。
これは先帝の意向によるもので、先帝自らが、ジグムントを代行者として認めることを意味した。
先帝の母が亡くなると同時に、拝命した。
けれど、だからこそ、ジグムントは先帝の権威を守るため、ずっと表立って功績をかかげることを避けてきた。
その中で、学び、そして武を極めてきた。与えられた領地を治め、国防を担った。それが、ジグムントの進む道だった。
ジグムントの存在感は、十分に兄である先帝を支え続け、帝国を導いてきた。
明晰さは、確かに不正を抑制し、圧倒的武力がグランカリス兵の士気を高め、かつ統率した。
ずっと子を授からなかった先帝が、34歳にしてようやくウェルリンを授かった。
あの時に、兄と共に赤子を抱き、共有した安堵と喜びは、生涯忘れることは無い。
ウェルリンが生まれた後は、ジグムントはその育成に努めた。次代の皇帝を、害する可能性のある政の中心からは離れて過ごし、幼子の健全な発育を望んだ。それが、自分を常に慈しみ守ってくれた、兄への恩返しだと思った。
そうこうしているうちに、先帝は病に伏した。
ウェルリン誕生の喜びから、たった4年後。兄は惜しまれながら崩御した。
幼い皇帝を残して。
ジグムントが、あえて名を挙げなかったこと、さらにウィルリンのためとはいえ、政の中心から遠ざかったことが、悪手だった。
先帝が病に苦しむ中、実権を握った宰相の独裁が本格的に始まったのだった。
完全に、後手に回った。
いくらジグムントが優れていても、荒れる内政を調整し、国内の武力をまとめ、周辺各国への牽制を行いながら、幼い皇帝を守り育むことは、容易では無かった。
そこに来て、先帝の死後1年ほど経つと、謎の奇病が蔓延し、反乱が相次いだ。
この宰相を止めねば、グランカリス帝国に未来はない。
けれど、武力で制圧しては、先帝と皇帝ルウェリンの名を正義の笠として、愚行を繰り返した前宰相と、何ら変わりない。
しかし。もう猶予が無い。武力行使で前宰相を倒すしかないと、決意したとき。
宰相は突然に自身に近いグランカリス兵を動かし、ムンデ国の国境を侵した。何でも、そこで貴重な鉱石が発見されたのだとか。
ほどなく、兵が複数人、体調を崩し早急に帰国した。
必死の形相で、「ムンデ国に毒を盛られた。これは中毒の症状だ。宰相は同じ毒を水源に流している」と訴える言葉のお通り、奇病は中毒だった。
ムンデ国が毒を使うなど、前代未聞だった。さらに、宰相が同じ毒を水源に流しているなど、信じられない愚行だ。しかし、兵たちの訴えは、すぐに真実だと証明された。
彼らの証言通りに、彼らを犯したと推定される毒物が、水源からも検出されたのだ。
この出来事は、ジグムントにとって、まさに、天から降ってきた幸いだった。
この渓谷の一戦を境に、全てが好転した。
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