13 / 43
静かな変化③
しおりを挟む
「ムンデ国の街並みとは、違うか?」
尋ねられ、フェリは困った。
「ムンデの街を、こうして歩いたことが無いので……わかりません」
そして、正直に答える。
フェリは、基本的には自室に監禁されていた。主が望むときだけ、部屋を出され、要求を叶えてきた。
「けれど……ムンデ国は、派閥ごとに独立した大きな家族のような生活をしていますから。このように人々が行きかい、賑わうことはないでしょうね」
「そうか。
……では、そなたはどのようにして、情報を得ていたのだ?」
「情報は、取捨選択されずに、あらゆるものが与えられましたから」
彼らが略奪した、あらゆる文献や、書物、そして情報は、無尽蔵に積み上げられた。それを整理し、彼らが使えるようにすることこそ、フェリの最大の仕事だった。
そのように説明すれば、ジグムントはフェリにこれまでで一番の憐憫の眼差しを向けた。
「ああ。かの国は、話が通じぬ者が多いからな。そなたの苦労は計り知れないな」
「まぁ……そうですね」
フェリは苦笑した。
ムンデ国の民は、考えるよりまず行動に移す、そして、攻撃的な性質の者が多く、それを良しとする風潮が根強い。危険性を考慮し、安全策を講じるなど、臆病者のすることだと考えられている。
「そなたの父は、その中にいて随分と変わり者だったな」
「え?……ジグ様は、父をご存じなのですか?」
「そなたの父は、当時、ムンデ国の智と言われるほど、有名な軍師だった」
そして、「あの国にいて、唯一会話が成立した人物、と言っても過言ではない」と言った。
フェリは、“フェリの父”である姿しか、知らない。ムンデ国内では、父のことを口にするのは、禁忌のような扱いであったから。父に関する物も、全て処分されていた。
「あの方は、ウェルリンの父である先帝と懇意にしていて、時折単身で、グランカリス帝国を訪れていた。
私が最後に会った時も、先帝に会いに来たようだった。
私が10の頃だったか。つまり……今からもう、18年も前になる」
18年前。つまり、フェリが生まれた頃と一致する。
「そして、その直後……そなたの父は、行方知れずとなった」
「そう……ですか」
フェリは常々、疑問に思っていたことがあった。
父はなぜ国から逃げるように、行方をくらましたのか。そして、追われているのを知りながら、なぜムンデ国を出なかったのか。
きっと、母が何かしら関与しているのだと思う。なぜなら、母は常々、「私は国を出ることができないから」と言っていたから。
当時は「そうなんだな」くらいにしか、考えていなかったが、よく考えれば、不可解な話であって……。
一体、何故、ムンデ国を出ることができなかったのか。
「父は、何か言っていましたか?」
ジグムントは、しばし考えて、少し寂しそうに表情を曇らせる。
「私には、特に変わった様子は、感じられなかった。すまない」
「いえ……そんなつもりで聞いたのではありませんっ!
……その、父がどんな人だったのか、知りたかっただけで……。謝らないでください」
むしろ、18年も前の、10歳の頃の記憶を鮮明に覚えているらしいジグムントに脅威を感じる。
ジグムントは「ああ、それならば」と、穏やかな表情になると、
「そなたの父は、私の恩人だ」
と言った。
そして、まだ、飴も食べ終わらぬうちに、ジグムントはフェリに揚げパンを押し付けてくる。
有無も言わさぬ圧に、フェリはそのまま受け取った。ふわりと甘い芳香が香る。
「恩人……ですか?」
「ああ。幼かった私は、傲慢にもこの世の全てが自分であれば、思うままにできると、そう考えていた時があった。
そして、それが最もこの国の益になるのだと、信じていた」
ジグムントほどの才覚があれば、なるほど当然の不満だ、と思えた。
明晰であるが故に、自己と他者を適切に判断すれば、そう思うだろう。フェリは、そう思った。
そして、彼には、望むと望まざると、確かに上に立つ者の資質がある。誰しもが、そう信じて疑わないだろう。
「生まれを理由に、権利を与えられないことに、理不尽に奪われることに、不満を募らせ、学ぶ理由を失っていたのが、10の頃だ。
周囲の全てが疎ましく、そしてそんな己が嫌いだった。
そなたの父に、言われたのだ。
『他人に与えられる地位が、貴方の何を高めてくれるのか。他人の評価が、貴方の何を損なうのか』とな」
フェリの知る父も、同じことを言いそうだ、と思った。
「どんな環境にあろうと、他者にどんな評価を受けようと、己の信じる価値ある道を進むというのは、存外難しく、そして苦しいことだ」
ジグムントは、自身のこれまでを振り返っているようだった。
「きっと……そなたの父は、己の信じる道を進んだのだろう。それが、苦難の道であっても」
そうなのだろうか。きっと、そうなのだろう。
父の目的は、いつも明らかにどこかに定まっていて、決してぶれることは無かった。
父の真意を知る術は、もはやない。けれど、はっきりと言えることは、父は常に家族を愛し、母を気遣い、そして、フェリのことを憂いていた、ということだ。
「そなたは、父とよく似ているな」
初めて言われる言葉だった。
それが、殊の外、嬉しかった。フェリは思わず、ふふっと小さく笑う。
「そうして、笑っていろ。あの方も良く笑う男だった。
そなたには、笑顔が似合う」
急にそんなことを言われ、フェリは固まった。
じわじわと熱くなる頬に手を当てて、
「もう……そのようなことを、言われては……笑えないではありませんか」
ジグムントに抗議した。
それを、楽しそうに笑うジグムントにつられ、フェリもまた、笑顔になる。
不思議な男だ。
人を寄せ付けぬ威圧感を含有する瞳は気高く、それなのに悠然とした姿は全てを包み込むように温かい。
「さて、フェリ。今日は、存分に食べ歩こう。そなたは、もっと太った方がよい」
太らせて、食べるつもりだろうか。フェリの脳裏を、そんな馬鹿みたいな考えがよぎる。
けれど今、フェリの命は、間違いなくジグムントに握られている。この男の言葉に一つで、身振り一つで、フェリの命は容易く奪われるだろう。
紅の獅子は正しく権力者だった。
同じ命を握られているにしても、全く違う。フェリは違えようもなく、今、このグランカリス帝国で、この覇王たる獅子に守られている。
自然と心から想いが湧き起ってくる。
フェリは、この男の役に立ちたいと思った。
この時、フェリの中で、命を繋ぐためだった行為は、崇高な何かへと昇華したような気がした。
尋ねられ、フェリは困った。
「ムンデの街を、こうして歩いたことが無いので……わかりません」
そして、正直に答える。
フェリは、基本的には自室に監禁されていた。主が望むときだけ、部屋を出され、要求を叶えてきた。
「けれど……ムンデ国は、派閥ごとに独立した大きな家族のような生活をしていますから。このように人々が行きかい、賑わうことはないでしょうね」
「そうか。
……では、そなたはどのようにして、情報を得ていたのだ?」
「情報は、取捨選択されずに、あらゆるものが与えられましたから」
彼らが略奪した、あらゆる文献や、書物、そして情報は、無尽蔵に積み上げられた。それを整理し、彼らが使えるようにすることこそ、フェリの最大の仕事だった。
そのように説明すれば、ジグムントはフェリにこれまでで一番の憐憫の眼差しを向けた。
「ああ。かの国は、話が通じぬ者が多いからな。そなたの苦労は計り知れないな」
「まぁ……そうですね」
フェリは苦笑した。
ムンデ国の民は、考えるよりまず行動に移す、そして、攻撃的な性質の者が多く、それを良しとする風潮が根強い。危険性を考慮し、安全策を講じるなど、臆病者のすることだと考えられている。
「そなたの父は、その中にいて随分と変わり者だったな」
「え?……ジグ様は、父をご存じなのですか?」
「そなたの父は、当時、ムンデ国の智と言われるほど、有名な軍師だった」
そして、「あの国にいて、唯一会話が成立した人物、と言っても過言ではない」と言った。
フェリは、“フェリの父”である姿しか、知らない。ムンデ国内では、父のことを口にするのは、禁忌のような扱いであったから。父に関する物も、全て処分されていた。
「あの方は、ウェルリンの父である先帝と懇意にしていて、時折単身で、グランカリス帝国を訪れていた。
私が最後に会った時も、先帝に会いに来たようだった。
私が10の頃だったか。つまり……今からもう、18年も前になる」
18年前。つまり、フェリが生まれた頃と一致する。
「そして、その直後……そなたの父は、行方知れずとなった」
「そう……ですか」
フェリは常々、疑問に思っていたことがあった。
父はなぜ国から逃げるように、行方をくらましたのか。そして、追われているのを知りながら、なぜムンデ国を出なかったのか。
きっと、母が何かしら関与しているのだと思う。なぜなら、母は常々、「私は国を出ることができないから」と言っていたから。
当時は「そうなんだな」くらいにしか、考えていなかったが、よく考えれば、不可解な話であって……。
一体、何故、ムンデ国を出ることができなかったのか。
「父は、何か言っていましたか?」
ジグムントは、しばし考えて、少し寂しそうに表情を曇らせる。
「私には、特に変わった様子は、感じられなかった。すまない」
「いえ……そんなつもりで聞いたのではありませんっ!
……その、父がどんな人だったのか、知りたかっただけで……。謝らないでください」
むしろ、18年も前の、10歳の頃の記憶を鮮明に覚えているらしいジグムントに脅威を感じる。
ジグムントは「ああ、それならば」と、穏やかな表情になると、
「そなたの父は、私の恩人だ」
と言った。
そして、まだ、飴も食べ終わらぬうちに、ジグムントはフェリに揚げパンを押し付けてくる。
有無も言わさぬ圧に、フェリはそのまま受け取った。ふわりと甘い芳香が香る。
「恩人……ですか?」
「ああ。幼かった私は、傲慢にもこの世の全てが自分であれば、思うままにできると、そう考えていた時があった。
そして、それが最もこの国の益になるのだと、信じていた」
ジグムントほどの才覚があれば、なるほど当然の不満だ、と思えた。
明晰であるが故に、自己と他者を適切に判断すれば、そう思うだろう。フェリは、そう思った。
そして、彼には、望むと望まざると、確かに上に立つ者の資質がある。誰しもが、そう信じて疑わないだろう。
「生まれを理由に、権利を与えられないことに、理不尽に奪われることに、不満を募らせ、学ぶ理由を失っていたのが、10の頃だ。
周囲の全てが疎ましく、そしてそんな己が嫌いだった。
そなたの父に、言われたのだ。
『他人に与えられる地位が、貴方の何を高めてくれるのか。他人の評価が、貴方の何を損なうのか』とな」
フェリの知る父も、同じことを言いそうだ、と思った。
「どんな環境にあろうと、他者にどんな評価を受けようと、己の信じる価値ある道を進むというのは、存外難しく、そして苦しいことだ」
ジグムントは、自身のこれまでを振り返っているようだった。
「きっと……そなたの父は、己の信じる道を進んだのだろう。それが、苦難の道であっても」
そうなのだろうか。きっと、そうなのだろう。
父の目的は、いつも明らかにどこかに定まっていて、決してぶれることは無かった。
父の真意を知る術は、もはやない。けれど、はっきりと言えることは、父は常に家族を愛し、母を気遣い、そして、フェリのことを憂いていた、ということだ。
「そなたは、父とよく似ているな」
初めて言われる言葉だった。
それが、殊の外、嬉しかった。フェリは思わず、ふふっと小さく笑う。
「そうして、笑っていろ。あの方も良く笑う男だった。
そなたには、笑顔が似合う」
急にそんなことを言われ、フェリは固まった。
じわじわと熱くなる頬に手を当てて、
「もう……そのようなことを、言われては……笑えないではありませんか」
ジグムントに抗議した。
それを、楽しそうに笑うジグムントにつられ、フェリもまた、笑顔になる。
不思議な男だ。
人を寄せ付けぬ威圧感を含有する瞳は気高く、それなのに悠然とした姿は全てを包み込むように温かい。
「さて、フェリ。今日は、存分に食べ歩こう。そなたは、もっと太った方がよい」
太らせて、食べるつもりだろうか。フェリの脳裏を、そんな馬鹿みたいな考えがよぎる。
けれど今、フェリの命は、間違いなくジグムントに握られている。この男の言葉に一つで、身振り一つで、フェリの命は容易く奪われるだろう。
紅の獅子は正しく権力者だった。
同じ命を握られているにしても、全く違う。フェリは違えようもなく、今、このグランカリス帝国で、この覇王たる獅子に守られている。
自然と心から想いが湧き起ってくる。
フェリは、この男の役に立ちたいと思った。
この時、フェリの中で、命を繋ぐためだった行為は、崇高な何かへと昇華したような気がした。
33
お気に入りに追加
878
あなたにおすすめの小説
婚約破棄?しませんよ、そんなもの
おしゃべりマドレーヌ
BL
王太子の卒業パーティーで、王太子・フェリクスと婚約をしていた、侯爵家のアンリは突然「婚約を破棄する」と言い渡される。どうやら真実の愛を見つけたらしいが、それにアンリは「しませんよ、そんなもの」と返す。
アンリと婚約破棄をしないほうが良い理由は山ほどある。
けれどアンリは段々と、そんなメリット・デメリットを考えるよりも、フェリクスが幸せになるほうが良いと考えるようになり……
「………………それなら、こうしましょう。私が、第一王妃になって仕事をこなします。彼女には、第二王妃になって頂いて、貴方は彼女と暮らすのです」
それでフェリクスが幸せになるなら、それが良い。
<嚙み痕で愛を語るシリーズというシリーズで書いていきます/これはスピンオフのような話です>
【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜
ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。
そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。
幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。
もう二度と同じ轍は踏まない。
そう決心したアリスの戦いが始まる。
【完結】ここで会ったが、十年目。
N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化)
我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。
(追記5/14 : お互いぶん回してますね。)
Special thanks
illustration by おのつく 様
X(旧Twitter) @__oc_t
※ご都合主義です。あしからず。
※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。
※◎は視点が変わります。
【完結】僕の大事な魔王様
綾雅(要らない悪役令嬢1巻重版)
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。
「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」
魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。
俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/11……完結
2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位
2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位
2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位
2023/09/21……連載開始
【完結】オーロラ魔法士と第3王子
N2O
BL
全16話
※2022.2.18 完結しました。ありがとうございました。
※2023.11.18 文章を整えました。
辺境伯爵家次男のリーシュ・ギデオン(16)が、突然第3王子のラファド・ミファエル(18)の専属魔法士に任命された。
「なんで、僕?」
一人狼第3王子×黒髪美人魔法士
設定はふんわりです。
小説を書くのは初めてなので、何卒ご容赦ください。
嫌な人が出てこない、ふわふわハッピーエンドを書きたくて始めました。
感想聞かせていただけると大変嬉しいです。
表紙絵
⇨ キラクニ 様 X(@kirakunibl)
「その想いは愛だった」騎士×元貴族騎士
倉くらの
BL
知らなかったんだ、君に嫌われていたなんて―――。
フェリクスは自分の屋敷に仕えていたシドの背中を追いかけて黒狼騎士団までやって来た。シドは幼い頃魔獣から助けてもらった時よりずっと憧れ続けていた相手。絶対に離れたくないと思ったからだ。
しかしそれと引き換えにフェリクスは家から勘当されて追い出されてしまう。
そんな最中にシドの口から「もうこれ以上俺に関わるな」という言葉を聞かされ、ずっと嫌われていたということを知る。
ショックを受けるフェリクスだったが、そのまま黒狼騎士団に残る決意をする。
夢とシドを想うことを諦められないフェリクスが奮闘し、シドに愛されて正式な騎士団員になるまでの物語。
一人称。
完結しました!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる