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《最終章》― お前も…お前の心の傷も…何もかも…愛している… ―
最終話
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自分を驚いたように見つめるのを確認すると、亮は密かにホッと安堵の息をつきながら、歩を進めた。
「よう」
挨拶を…と思っていたものの、あまり気の利いた事も言えず、亮は取り敢えずまだ驚いた表情のままの健志に、呟くように声を掛けた。
「…お前…どうして…?」
当然の問いを健志はした。
東京国際空港…第二ターミナル。亮と健志…二人にとっては馴染みの場所だった。
健志の瞳に以前までの怒りの色が見えないことを確認すると、亮はうっすらと微笑を浮かべた。
「お前の秘書に聞いた。ニューヨークに戻る日と便名を。…この手の事はお手の物だからな」
わざと、自分を茶化して言った言葉に健志がフッと静かに頬を緩めた。穏やかな笑みを浮かべながら
「そうだな。何でも先回りして手配するのが…お前得意だもんな…」
以前と変わらぬ調子でサラリと答える。二人でクツクツとひとしきり笑いながら…フッと黙り込んだ。
ターミナルのロビーは最後の便の出発を待つだけとなっているためか、思いのほか搭乗客が少なく静まりかえっていた。
「…何しに来た…」
ぎこちない沈黙の中で、健志はすとんとロビーの椅子に腰を下ろすと、少し苦しそうに問いかける。
「見送りに来た…」
亮も同じように健志の隣に座ると、目の前に広がる成田の夜景に視線を真っ直ぐに据えながら答えた。健志は、亮の答えにパッと顔を上げると瞳を鋭く眇めながら訊ね返す。
「見送り?はっ!いまさら…何のために?」
何を言っているんだと、言わんばかりの態度で健志が腹立たしげに言葉を吐き出した。その態度を受け止めながら、亮はただフロアの人波を眺める。
しばらくの沈黙の後、亮はポツリと呟いた。
「本当にすまなかった。…でも…ありがとう」
自分でも、火に油を注ぐような事はしなくてもいいんじゃないか?と何度も自問した。それでも、健志に会わずにはいられなかった。自分なりのけじめを、つけたかったのかもしれない。
「…皮肉のつもりか?」
健志が苛ついたような口調で言うのに、違う、と否定しながら亮は言葉を継いだ。
「俺が…全て悪いんだ。それでも、俺はお前に礼を言いたかった…。自己満足だと…言われても仕方がないと思ってる…」
亮の言葉にクスッと健志が喉の奥で笑った。
「やっぱり、お前は格好つけたがりな奴だよ。捨てた男に、わざわざ礼を言いにくるなんて…。これも、伊東の影響か?」
クスクス笑って、健志は亮を見つめた。嘲るような色はなく、ただ少し寂しげな色を浮かべた瞳を見て、亮は少し、胸がズクンと疼くのを感じる。
…こんな痛みも知らなかった…。
「…そう…かもしれない…。多分…お前が知らない、それに俺すらも知らなかった今の俺の姿は…全部桂が教えてくれたんだ…。だから…お前に悪いと、素直に思える…」
答えて、亮はふっと表情を和らげた。桂の面影が脳裏を過ぎるたび、体中が溶けてしまいそうなほど、胸が熱くなる。
逢えない日が続いて、桂が恋しくて、愛しくて、気が狂いそうな程寂しくて…それでも、漸く桂との未来が見え始めて、気持ちが凪ぎ始めていた。
「俺はたしかにお前に対して不誠実だったし、やったことは下衆だと思ってる」
健志はそうか、と呟いたきり口を噤んだ。二人並んで座ったまま、ぎこちなく黙り込んで目の前を流れる人を眺め続ける。
「もう一度…聞いていいか?」
健志が静かな声音で言うと、亮を見た。亮も健志の視線を受け止めると、あぁ、と返事をする。
何を聞かれるのか…何となく亮には分かる気がした。
「…俺と…あいつと…何が違ったんだ?」
傷ついたような瞳で、なぜか縋る様に自分を見る健志がひどく頼りなく見えて、その瞬間、亮は健志がなぜ、こうまで自分と桂に拘り続けたのかを理解した。
もしかしたら・・・健志もまた・・・・・・・・・・・・・・・・。
「何も違わないさ…」
優しい眼差しで、健志を見返しながら亮は答えた。
「違ったのは俺なんだ。俺が…多分変わったんだと思う…」
そう…変わったのは自分。
遊びの付き合いの中で、いつの間にか桂に夢中になっている自分がいた…。
「何で変わったのか…自分でも分からない…。ただ…桂の前では…見栄も虚勢も意味が無いって…気がついて、それまでの自分が嘘っぽく思えて…。桂の前でだけは、自然の自分でいられた」
「…そうか…」
ポツリと答えたきり、何も言わないで、なぜか少し悲しそうに表情を歪めたままの健志。亮は健志を見つめたまま言葉を継いだ。
「…そうなったら、今度はめちゃくちゃ、桂の事が気になりだした…。俺と逢ってて楽しいのか…俺の事どうおもっているのか…。桂が何を好きなのか…。どんな友達がいるのか…。今何をしているのか…どんどん些細な事まで、気になりだして…。苛々したり…馬鹿みたいに喜んでみたり。そして…一日中、暇さえあれば桂の事を考えている…自分がいた」
自分の言葉に少し照れながら、亮は続けた。
「…お前とどう違うかなんて…比べたことなんて無い…。ただ…桂が好きで…桂じゃなきゃ駄目なんだ…すまない」
言って、深々と頭を下げる。
桂の事を考えるたび、全身が桂を求めて激しくざわめく。それが…自分の全て。
「…分かった…」
ポツンと健志が答えた。
健志の言葉に亮はホッと息を吐き出した。精一杯、正直に話した。健志が本当に自分の気持ちを理解してくれたのかは分からない。
だが顔をあげると、そこにはほんの少し穏やかな顔つきの健志がいて、亮はこれで終われる…と感じていた。
「…じゃ…俺…これで失礼するよ」
告げて、亮は立ち上がった。もう、話すことは無い。
「…亮、待てよ…」
歩きかけた亮の背中に健志の静かな声が被さってきた。訝しげんで歩みを止めて振り返った亮に、健志がうっすらと笑みを見せた。
「すまなかった…俺も…色々と…」
切れ切れに紡がれた健志の謝罪に、亮は最初驚いて目を大きく見開いた。それから、ゆっくりと、だけど大きく首を左右に振った。
「お前が謝る必要は無い。全部俺の責任だ…」
そう…全部自分が犯した罪。
桂を傷つけたのも…健志が凶行を犯したのも…桂を失いかけたのも…全部…自分がやってきたことのツケ。
亮の言葉に健志が、違う、と擦れたように呟いた。
「あの人を…俺は散々侮辱し続けた…。ひどい事を言った…」
「桂なら…大丈夫さ。分かってくれる」
健志の言葉を理解に満ちた瞳で見つめて、亮はそう答えた。…桂なら…健志を責めたりすることはないはずだから…。もしかしたら、桂の方が健志の心の空虚さを知っていたのかもしれない…。
「亮…彼は…今…?」
桂の行方を気にした健志の問いに、この時ばかりは亮は苦笑を浮かべた。
「あぁ、桂なら目下行方不明中。」
何となく気に入ってしまっている、このフレーズを言ってニヤッと笑って見せた。健志はショックを受けたように頭を項垂れると、すまない…と言った。
「ああ、悪い、大丈夫だから…。居場所は分かっているから。迎えにいこうと思っている」
返す言葉もなく、項垂れている健志を見つめていると、二人の頭上で搭乗アナウンスが響いた。
奇しくも、健志が乗るニューヨーク行きの便の放送だった。
亮は一瞬、アナウンスの音を探して頭上をちらりと見上げ、そして目の前の健志を見つめた。
…これで…ほんとに終わりだ…思った瞬間不意になぜか一抹の切なさが胸を吹きぬけていったような気がした。
未練とも…寂しさとも違う…苦い何か…が。
「じゃ…俺行くわ…」
亮は感慨を振り払うように言って、もう一度健志を見つめた。健志は何も言わず、ただ亮を見つめている。亮は最後に「元気で…」と呟くように言った。
背を向けて歩き出そうとした瞬間
「亮…」
静かに健志が亮を呼び止める。振り返った亮の視線に飛び込んできたのは、綺麗な微笑を浮かべた健志だった。
切れ長の淡いブラウンの瞳がまっすぐに亮見つめている。何度も貪った、薄い唇がゆっくりと開いた。
「亮…最後に…キス…してくれないか・・・別れのキスを…。」
「え…?」
予想もしなかった願いに亮はびっくりしたまま、健志を擬視した。心なしか、健志の肩が震えている。
いや、と口にしようとした瞬間、同じように肩を振るわせながら、唯一の願いを口にした桂の姿が脳裏を過ぎった。
― お願い…キス…だけは…しないで欲しいんです… —
二人を縛り続けた遠い距離、どうにもならないもどかしさに苦しんだ時間。
亮はふっと微笑むと、俯いて頭を振った。
「悪い…出来ない…」
何かを言おうと口を開きかけた健志を、両手を上げて制すると、亮は言葉を継いだ。
― 貴方の唇は貴方の恋人…健志さんのモノ… —
桂の精一杯の強がり・・・その強がりが苦しくて・・・・・・・
「俺と…桂…キスをしたことが無いんだ」
一瞬、亮の言葉が理解できないと言った表情を見せた健志が、今度は本当に驚いたような顔をした。
「笑っちゃうだろう…。…セックスだけはしてきたのに…」
ハハッ、と亮は自己嫌悪を空笑いに押し込めて自虐的に言う。だけど、次の瞬間、真顔で健志を真剣に見返した。
「あいつ…。俺の唇は本命の恋人の…お前のモノだって言って…。キスは出来ないって言ったんだ。下手な小説みたいだよな」
桂が肩を震わせて、瞳に滲む涙を必死で堪えながら、そう懇願したときの事が、激しい胸の痛みになって甦る。
この言葉を思い出すたび、自分の罪深さに体中が痛みで苛まされた。
「だから…今…俺のこの唇は…俺のキスは…桂のモノでありたいんだ…。だから、お前と…たとえ挨拶だけだとしても…キスは出来ない」
真摯な亮の言葉に、健志が頬を緩めた。にやっと笑って、頭を振りながら…多分…何もかもを諦めて…呆れたように最後の言葉を言った。
「…亮…その顔の傷も冴えないけど、今のお前…ホントに格好悪い」
亮も、にやりと笑い返すと
「あぁ、サンキュ。褒め言葉だと思って貰っておくよ」
言って、右手を健志に向かって差し出した。健志はもう何も言わず、うっすらと微笑んだまま、亮のその手をしっかり握り締める。
がっちりと握手をして、束の間二人は静かに見詰め合った。
全てを真っ白にして…これで…軽かった筈の絆が…終わる。
亮は手を離すと「それじゃ。」と言って、くるりと踵を返した。健志もまた、通関に向かって歩き出す。
二人とも、もう振り返ることはしなかった。
亮は駐車場に向かって歩きながら、何気なく窓に広がる成田の夜景に目を凝らした。
「…桂…」
エアターミナルの輝きに、桂の優しい微笑が重なって…無性に桂が恋しくてならない…。
立ち止まって、息を深々と吸い込んだ。大丈夫だと思っていても知らず知らず緊張していたのか、ひとしきり夜景を見つめて肩の力を抜く。
「さっ、行くか」
亮は自分を励ますように声に出してそう言うと、ガラス窓に映る、腫れの引かない顔を眺めた。
赤黒く色の変わったそれを撫でながら、早く傷が治れ、と願う。
そうすれば…やっと桂に…逢える…桂を迎えに行って…そして…そして………そして……………。
まだまだ、やらなきゃいけないことは目白押し…それでも、その全てがやっと桂と作ることの出来る…風景。
亮は優しい笑顔を零すと、駐車場に向かって…明るい未来に向かって…桂に向かって、キビキビと歩き出していた。
~Addicted to U~ キスまでの距離 完
「よう」
挨拶を…と思っていたものの、あまり気の利いた事も言えず、亮は取り敢えずまだ驚いた表情のままの健志に、呟くように声を掛けた。
「…お前…どうして…?」
当然の問いを健志はした。
東京国際空港…第二ターミナル。亮と健志…二人にとっては馴染みの場所だった。
健志の瞳に以前までの怒りの色が見えないことを確認すると、亮はうっすらと微笑を浮かべた。
「お前の秘書に聞いた。ニューヨークに戻る日と便名を。…この手の事はお手の物だからな」
わざと、自分を茶化して言った言葉に健志がフッと静かに頬を緩めた。穏やかな笑みを浮かべながら
「そうだな。何でも先回りして手配するのが…お前得意だもんな…」
以前と変わらぬ調子でサラリと答える。二人でクツクツとひとしきり笑いながら…フッと黙り込んだ。
ターミナルのロビーは最後の便の出発を待つだけとなっているためか、思いのほか搭乗客が少なく静まりかえっていた。
「…何しに来た…」
ぎこちない沈黙の中で、健志はすとんとロビーの椅子に腰を下ろすと、少し苦しそうに問いかける。
「見送りに来た…」
亮も同じように健志の隣に座ると、目の前に広がる成田の夜景に視線を真っ直ぐに据えながら答えた。健志は、亮の答えにパッと顔を上げると瞳を鋭く眇めながら訊ね返す。
「見送り?はっ!いまさら…何のために?」
何を言っているんだと、言わんばかりの態度で健志が腹立たしげに言葉を吐き出した。その態度を受け止めながら、亮はただフロアの人波を眺める。
しばらくの沈黙の後、亮はポツリと呟いた。
「本当にすまなかった。…でも…ありがとう」
自分でも、火に油を注ぐような事はしなくてもいいんじゃないか?と何度も自問した。それでも、健志に会わずにはいられなかった。自分なりのけじめを、つけたかったのかもしれない。
「…皮肉のつもりか?」
健志が苛ついたような口調で言うのに、違う、と否定しながら亮は言葉を継いだ。
「俺が…全て悪いんだ。それでも、俺はお前に礼を言いたかった…。自己満足だと…言われても仕方がないと思ってる…」
亮の言葉にクスッと健志が喉の奥で笑った。
「やっぱり、お前は格好つけたがりな奴だよ。捨てた男に、わざわざ礼を言いにくるなんて…。これも、伊東の影響か?」
クスクス笑って、健志は亮を見つめた。嘲るような色はなく、ただ少し寂しげな色を浮かべた瞳を見て、亮は少し、胸がズクンと疼くのを感じる。
…こんな痛みも知らなかった…。
「…そう…かもしれない…。多分…お前が知らない、それに俺すらも知らなかった今の俺の姿は…全部桂が教えてくれたんだ…。だから…お前に悪いと、素直に思える…」
答えて、亮はふっと表情を和らげた。桂の面影が脳裏を過ぎるたび、体中が溶けてしまいそうなほど、胸が熱くなる。
逢えない日が続いて、桂が恋しくて、愛しくて、気が狂いそうな程寂しくて…それでも、漸く桂との未来が見え始めて、気持ちが凪ぎ始めていた。
「俺はたしかにお前に対して不誠実だったし、やったことは下衆だと思ってる」
健志はそうか、と呟いたきり口を噤んだ。二人並んで座ったまま、ぎこちなく黙り込んで目の前を流れる人を眺め続ける。
「もう一度…聞いていいか?」
健志が静かな声音で言うと、亮を見た。亮も健志の視線を受け止めると、あぁ、と返事をする。
何を聞かれるのか…何となく亮には分かる気がした。
「…俺と…あいつと…何が違ったんだ?」
傷ついたような瞳で、なぜか縋る様に自分を見る健志がひどく頼りなく見えて、その瞬間、亮は健志がなぜ、こうまで自分と桂に拘り続けたのかを理解した。
もしかしたら・・・健志もまた・・・・・・・・・・・・・・・・。
「何も違わないさ…」
優しい眼差しで、健志を見返しながら亮は答えた。
「違ったのは俺なんだ。俺が…多分変わったんだと思う…」
そう…変わったのは自分。
遊びの付き合いの中で、いつの間にか桂に夢中になっている自分がいた…。
「何で変わったのか…自分でも分からない…。ただ…桂の前では…見栄も虚勢も意味が無いって…気がついて、それまでの自分が嘘っぽく思えて…。桂の前でだけは、自然の自分でいられた」
「…そうか…」
ポツリと答えたきり、何も言わないで、なぜか少し悲しそうに表情を歪めたままの健志。亮は健志を見つめたまま言葉を継いだ。
「…そうなったら、今度はめちゃくちゃ、桂の事が気になりだした…。俺と逢ってて楽しいのか…俺の事どうおもっているのか…。桂が何を好きなのか…。どんな友達がいるのか…。今何をしているのか…どんどん些細な事まで、気になりだして…。苛々したり…馬鹿みたいに喜んでみたり。そして…一日中、暇さえあれば桂の事を考えている…自分がいた」
自分の言葉に少し照れながら、亮は続けた。
「…お前とどう違うかなんて…比べたことなんて無い…。ただ…桂が好きで…桂じゃなきゃ駄目なんだ…すまない」
言って、深々と頭を下げる。
桂の事を考えるたび、全身が桂を求めて激しくざわめく。それが…自分の全て。
「…分かった…」
ポツンと健志が答えた。
健志の言葉に亮はホッと息を吐き出した。精一杯、正直に話した。健志が本当に自分の気持ちを理解してくれたのかは分からない。
だが顔をあげると、そこにはほんの少し穏やかな顔つきの健志がいて、亮はこれで終われる…と感じていた。
「…じゃ…俺…これで失礼するよ」
告げて、亮は立ち上がった。もう、話すことは無い。
「…亮、待てよ…」
歩きかけた亮の背中に健志の静かな声が被さってきた。訝しげんで歩みを止めて振り返った亮に、健志がうっすらと笑みを見せた。
「すまなかった…俺も…色々と…」
切れ切れに紡がれた健志の謝罪に、亮は最初驚いて目を大きく見開いた。それから、ゆっくりと、だけど大きく首を左右に振った。
「お前が謝る必要は無い。全部俺の責任だ…」
そう…全部自分が犯した罪。
桂を傷つけたのも…健志が凶行を犯したのも…桂を失いかけたのも…全部…自分がやってきたことのツケ。
亮の言葉に健志が、違う、と擦れたように呟いた。
「あの人を…俺は散々侮辱し続けた…。ひどい事を言った…」
「桂なら…大丈夫さ。分かってくれる」
健志の言葉を理解に満ちた瞳で見つめて、亮はそう答えた。…桂なら…健志を責めたりすることはないはずだから…。もしかしたら、桂の方が健志の心の空虚さを知っていたのかもしれない…。
「亮…彼は…今…?」
桂の行方を気にした健志の問いに、この時ばかりは亮は苦笑を浮かべた。
「あぁ、桂なら目下行方不明中。」
何となく気に入ってしまっている、このフレーズを言ってニヤッと笑って見せた。健志はショックを受けたように頭を項垂れると、すまない…と言った。
「ああ、悪い、大丈夫だから…。居場所は分かっているから。迎えにいこうと思っている」
返す言葉もなく、項垂れている健志を見つめていると、二人の頭上で搭乗アナウンスが響いた。
奇しくも、健志が乗るニューヨーク行きの便の放送だった。
亮は一瞬、アナウンスの音を探して頭上をちらりと見上げ、そして目の前の健志を見つめた。
…これで…ほんとに終わりだ…思った瞬間不意になぜか一抹の切なさが胸を吹きぬけていったような気がした。
未練とも…寂しさとも違う…苦い何か…が。
「じゃ…俺行くわ…」
亮は感慨を振り払うように言って、もう一度健志を見つめた。健志は何も言わず、ただ亮を見つめている。亮は最後に「元気で…」と呟くように言った。
背を向けて歩き出そうとした瞬間
「亮…」
静かに健志が亮を呼び止める。振り返った亮の視線に飛び込んできたのは、綺麗な微笑を浮かべた健志だった。
切れ長の淡いブラウンの瞳がまっすぐに亮見つめている。何度も貪った、薄い唇がゆっくりと開いた。
「亮…最後に…キス…してくれないか・・・別れのキスを…。」
「え…?」
予想もしなかった願いに亮はびっくりしたまま、健志を擬視した。心なしか、健志の肩が震えている。
いや、と口にしようとした瞬間、同じように肩を振るわせながら、唯一の願いを口にした桂の姿が脳裏を過ぎった。
― お願い…キス…だけは…しないで欲しいんです… —
二人を縛り続けた遠い距離、どうにもならないもどかしさに苦しんだ時間。
亮はふっと微笑むと、俯いて頭を振った。
「悪い…出来ない…」
何かを言おうと口を開きかけた健志を、両手を上げて制すると、亮は言葉を継いだ。
― 貴方の唇は貴方の恋人…健志さんのモノ… —
桂の精一杯の強がり・・・その強がりが苦しくて・・・・・・・
「俺と…桂…キスをしたことが無いんだ」
一瞬、亮の言葉が理解できないと言った表情を見せた健志が、今度は本当に驚いたような顔をした。
「笑っちゃうだろう…。…セックスだけはしてきたのに…」
ハハッ、と亮は自己嫌悪を空笑いに押し込めて自虐的に言う。だけど、次の瞬間、真顔で健志を真剣に見返した。
「あいつ…。俺の唇は本命の恋人の…お前のモノだって言って…。キスは出来ないって言ったんだ。下手な小説みたいだよな」
桂が肩を震わせて、瞳に滲む涙を必死で堪えながら、そう懇願したときの事が、激しい胸の痛みになって甦る。
この言葉を思い出すたび、自分の罪深さに体中が痛みで苛まされた。
「だから…今…俺のこの唇は…俺のキスは…桂のモノでありたいんだ…。だから、お前と…たとえ挨拶だけだとしても…キスは出来ない」
真摯な亮の言葉に、健志が頬を緩めた。にやっと笑って、頭を振りながら…多分…何もかもを諦めて…呆れたように最後の言葉を言った。
「…亮…その顔の傷も冴えないけど、今のお前…ホントに格好悪い」
亮も、にやりと笑い返すと
「あぁ、サンキュ。褒め言葉だと思って貰っておくよ」
言って、右手を健志に向かって差し出した。健志はもう何も言わず、うっすらと微笑んだまま、亮のその手をしっかり握り締める。
がっちりと握手をして、束の間二人は静かに見詰め合った。
全てを真っ白にして…これで…軽かった筈の絆が…終わる。
亮は手を離すと「それじゃ。」と言って、くるりと踵を返した。健志もまた、通関に向かって歩き出す。
二人とも、もう振り返ることはしなかった。
亮は駐車場に向かって歩きながら、何気なく窓に広がる成田の夜景に目を凝らした。
「…桂…」
エアターミナルの輝きに、桂の優しい微笑が重なって…無性に桂が恋しくてならない…。
立ち止まって、息を深々と吸い込んだ。大丈夫だと思っていても知らず知らず緊張していたのか、ひとしきり夜景を見つめて肩の力を抜く。
「さっ、行くか」
亮は自分を励ますように声に出してそう言うと、ガラス窓に映る、腫れの引かない顔を眺めた。
赤黒く色の変わったそれを撫でながら、早く傷が治れ、と願う。
そうすれば…やっと桂に…逢える…桂を迎えに行って…そして…そして………そして……………。
まだまだ、やらなきゃいけないことは目白押し…それでも、その全てがやっと桂と作ることの出来る…風景。
亮は優しい笑顔を零すと、駐車場に向かって…明るい未来に向かって…桂に向かって、キビキビと歩き出していた。
~Addicted to U~ キスまでの距離 完
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