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《最終章》― お前も…お前の心の傷も…何もかも…愛している… ―
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すぅっとリナが息を吸い込む音が、静寂に満ちた部屋に響いた。次の瞬間、亮は身体がふわっと浮き上がるのを感じる。
「…な…っ…」
あっという間もなく、上体が起こされ、次の瞬間
「…つぅっ…!」
ガッ!という鈍い音が脳に響き、激しい衝撃とともに視界が反転した。
「なにっ…しやがる!!」
頬に焼け付くような痛みが張り付き、口の中に苦い味が広がる。痛みよりも先に、リナに殴られた、という行為に驚きながら亮は何とか、床に転がっていた自分の身体を引き起こした。
唇の端と口の中も切れたのか、止めどなく血が上品なブルーグレーの絨毯の上に滴り落ちてどす黒い染みを作っていく。
亮は口元をぐいっと拭うと、乱れた髪を撫で付けながら、ゆっくりとソファに腰をおろした。
不思議に怒りは湧いてこなかった。亮はスーツとタイの乱れを直しながら、真剣な面持ちでリナを見つめた。
「私はあんたなんか大嫌い」
リナが低い声音で言った。あぁ、分かっている、と亮が呟くように答えた。
「あんたのせいで、かっちゃんの気持ちはズタズタ。あれ程、傷つけないで…と言ったのに。…それなのに…」
リナが悔しそうに表情を歪ませる。
「…あんたはかっちゃんの気持ちを利用して、弄ぶだけ弄んで、都合の良い男に仕立て上げた…。おかげでかっちゃん、感情に蓋をしちゃって…笑わなくなって……」
感情が昂ぶってしまって、リナの声が震えていく。
― あんまり綺麗なんで、見惚れちゃいました… ―
― すげェ嬉しい…。ありがとう… —
二人で過ごす時…ほんの少し垣間見えた優しい笑顔。その時だけ桂は一瞬気持ちを見せた。
必死で気持ちを気づかれまいと距離を置こうとした桂。そのせいで、キスだけでなく笑顔も封印してしまったのか…。
俺のせいで…桂は外でも笑わなくなったんだ…。
どれだけ…俺は桂を傷つけ続けてきたのだろう…ズキンと胸の深い部分に刺すような痛みが走る。
ポトンとまた亮の唇から血が滴った。リナは肩を震わせながら亮を睨んだまま。
「…ドライでライトなお手軽な関係。都会的でおしゃれな恋愛…私はそんなもの偽者だと思う」
リナが感情を押し殺しながら続けた。
「そんなもの在りはしないのよ」
あぁと亮は呟くように答えて、そしてリナをジッと見返した。
「桂が…俺に教えてくれた…。誰が大事で、誰が愛しくて、誰を愛しているか…」
― 好き…好きだ…―
言った途端、桂の愛しい言葉が風のように脳裏をふわりと掠めた。
この一週間、何度もあの夜を思い返した。
二人の関係が嘘でなかった…それを自分に信じ込ませるために、亮は縋るようにその言葉にしがみ続けていた。桂の声がリプレイされるたび、体中に熱い気持ちが満ちていった。
「…俺は…知らなかった…。テレビドラマにありがちな恋愛話がホントだと思っていた。でも…桂が教えてくれたんだ…。…桂がジュリオと話しているだけで、腹だたしいのも、俺の知らない誰かと笑いあっているのが不愉快なのも、お前を特別扱いして、優しい眼差しを向けるのがムカつくのも…」
そう誰にも感じたことがない、嫉妬や独占欲を教えてくれた。
「一緒にいるだけで、やたらに居心地が良くて、笑いかけられるだけで心臓がドキドキして、姿が見えないと不安で、…傍にいるだけで安心できた…」
そう…いつだって桂が傍にいてくれると満たされた。
亮が淡々と積み上げた感情に、リナがフッと柔らかく頬を緩めた。
「どうして、その言葉をもっと早くかっちゃんに言ってあげなかったの?その言葉があれば、今みたいに最悪にはなっていなかったんじゃない?」
無遠慮に言われた「最悪」の言葉に、亮は苦笑を浮かべて力なく頭を振った。
「桂を…愛人にはしたくなかった…」
リナは新しいグラスに酒を作り直すと、黙って亮の前に置いた。亮も黙ってそれを取り上げると、ゆっくり口に含む。
束の間、二人の間を沈黙が支配した。
「…な…っ…」
あっという間もなく、上体が起こされ、次の瞬間
「…つぅっ…!」
ガッ!という鈍い音が脳に響き、激しい衝撃とともに視界が反転した。
「なにっ…しやがる!!」
頬に焼け付くような痛みが張り付き、口の中に苦い味が広がる。痛みよりも先に、リナに殴られた、という行為に驚きながら亮は何とか、床に転がっていた自分の身体を引き起こした。
唇の端と口の中も切れたのか、止めどなく血が上品なブルーグレーの絨毯の上に滴り落ちてどす黒い染みを作っていく。
亮は口元をぐいっと拭うと、乱れた髪を撫で付けながら、ゆっくりとソファに腰をおろした。
不思議に怒りは湧いてこなかった。亮はスーツとタイの乱れを直しながら、真剣な面持ちでリナを見つめた。
「私はあんたなんか大嫌い」
リナが低い声音で言った。あぁ、分かっている、と亮が呟くように答えた。
「あんたのせいで、かっちゃんの気持ちはズタズタ。あれ程、傷つけないで…と言ったのに。…それなのに…」
リナが悔しそうに表情を歪ませる。
「…あんたはかっちゃんの気持ちを利用して、弄ぶだけ弄んで、都合の良い男に仕立て上げた…。おかげでかっちゃん、感情に蓋をしちゃって…笑わなくなって……」
感情が昂ぶってしまって、リナの声が震えていく。
― あんまり綺麗なんで、見惚れちゃいました… ―
― すげェ嬉しい…。ありがとう… —
二人で過ごす時…ほんの少し垣間見えた優しい笑顔。その時だけ桂は一瞬気持ちを見せた。
必死で気持ちを気づかれまいと距離を置こうとした桂。そのせいで、キスだけでなく笑顔も封印してしまったのか…。
俺のせいで…桂は外でも笑わなくなったんだ…。
どれだけ…俺は桂を傷つけ続けてきたのだろう…ズキンと胸の深い部分に刺すような痛みが走る。
ポトンとまた亮の唇から血が滴った。リナは肩を震わせながら亮を睨んだまま。
「…ドライでライトなお手軽な関係。都会的でおしゃれな恋愛…私はそんなもの偽者だと思う」
リナが感情を押し殺しながら続けた。
「そんなもの在りはしないのよ」
あぁと亮は呟くように答えて、そしてリナをジッと見返した。
「桂が…俺に教えてくれた…。誰が大事で、誰が愛しくて、誰を愛しているか…」
― 好き…好きだ…―
言った途端、桂の愛しい言葉が風のように脳裏をふわりと掠めた。
この一週間、何度もあの夜を思い返した。
二人の関係が嘘でなかった…それを自分に信じ込ませるために、亮は縋るようにその言葉にしがみ続けていた。桂の声がリプレイされるたび、体中に熱い気持ちが満ちていった。
「…俺は…知らなかった…。テレビドラマにありがちな恋愛話がホントだと思っていた。でも…桂が教えてくれたんだ…。…桂がジュリオと話しているだけで、腹だたしいのも、俺の知らない誰かと笑いあっているのが不愉快なのも、お前を特別扱いして、優しい眼差しを向けるのがムカつくのも…」
そう誰にも感じたことがない、嫉妬や独占欲を教えてくれた。
「一緒にいるだけで、やたらに居心地が良くて、笑いかけられるだけで心臓がドキドキして、姿が見えないと不安で、…傍にいるだけで安心できた…」
そう…いつだって桂が傍にいてくれると満たされた。
亮が淡々と積み上げた感情に、リナがフッと柔らかく頬を緩めた。
「どうして、その言葉をもっと早くかっちゃんに言ってあげなかったの?その言葉があれば、今みたいに最悪にはなっていなかったんじゃない?」
無遠慮に言われた「最悪」の言葉に、亮は苦笑を浮かべて力なく頭を振った。
「桂を…愛人にはしたくなかった…」
リナは新しいグラスに酒を作り直すと、黙って亮の前に置いた。亮も黙ってそれを取り上げると、ゆっくり口に含む。
束の間、二人の間を沈黙が支配した。
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